9. 趨勢は何処に
今後の趨勢を占う分水嶺と表現しても過言ではないだろう。
戦いの前には当然空気が張りつめるものであるが、しかし現在の空気はいつになく緊迫していた。
それも無理はなく、何故ならばこれから控えているのが極めて重要な一戦だからだ。
ラーゼリア王国の宣戦以前は私達は全体的に見ればかなりの劣勢に追い込まれており、勝利はほぼ不可能でありいかに戦況を膠着させられるかという状態であったが、しかしあれ以降は二正面作戦を強いられることとなった現宰相側に対して攻勢に出ることによって、流れがかなりこちらへと傾き始めている状況だった。
元々貴族社会において大きな力である大義名分を持たず、直接的な軍事力のみを恃みとする現宰相は、この三つ巴の戦いが長引けば長引く程不利になっていく(もっとも、泥沼化して有利なのはラーゼリアだけなのでこちらとしてもあまり長引かせる訳にはいかないのだが)。
故に徐々にこちらへと向かってきている流れを一気に取り戻すべく、互いの支配地を奪い合う局地戦だったこれまでとは異なり、一気に決着をつけるべく直接ルヴジェントへと兵を進めてきたのだ。
あまり兵を割く余裕が無いようで兵数そのものは三万程度と大したことがないし、その程度の数が相手ならば通常であればここまで空気が張りつめはしない。
しかしながら、今回は敵の編成が問題だった。
現在こちらへと向かっている三万は、国内に五つ存在する騎士団のうちの一つであり、最精鋭の部隊として知られる第三騎士団の全軍なのだ。
公式には五つある騎士団の定員はそれぞれ一万ずつということになっているが、しかしそれはあくまでも正規の騎士のみをカウントした数であり、実際のところはもっと数が多い。
それは騎士が纏う鎧は一人では着られないので、着付けを手伝い戦場では剣を振るう専門の従者が存在しているためであり、騎士個人の考えや懐事情によって人数はそれぞれ違うが、騎士一人につき一人から五人程度の従者が雇用されているためだ。
なので、正規の騎士が一万人であっても、実際の戦力としては従者の分も含めて計算しなければならない。
ましてや、精鋭として知られる第三騎士団は開戦直後にアグニュー侯爵とオルグレン伯爵の連合軍二万一千を僅か六千の兵力(これは従者も含めた数だ)で撃破し、その精強さを広く示している。
二万一千の軍を六千で撃破することが出来る軍勢がその五倍の三万人もいるのだから、単純計算で言えばそれを迎え撃つには十万の軍勢があっても不足であるということになってしまう。
もちろんそのような方程式が成立する程戦いは単純ではないが、とはいえこちらの方が厳しいことには変わりがない。
では籠城すればよいだろうと言えばその通りであるし、実際ルヴジェントに籠城すればいかな第三騎士団でも僅か三万では陥落させられないのだが、しかしここが厄介なところで、攻めてきたのがたった三万であるからこそ面子の問題で迎え撃たなくてはならないのだ。
建前上において殿下が主であり現宰相が臣下である以上、少数で攻めてきたにもかかわらず交戦を避けて籠城したとなれば殿下の面子が潰れてしまうため、こちらも兵を出して野戦で迎撃する必要がある。
たとえそれが、十万に匹敵するような三万であったとしても。
当然こちらは少しでも勝率を上げるためにより多くの兵を出すのであるが、それで仮に私達が敗れた場合、私がこれまで繰り返してきたのと同じように今度は現宰相側が寡兵で大軍を撃破したことになり、あちらに天秤が大きく傾いてしまう。
そういった意味で、彼らは実に厄介な手を打ってきたものだと思う。
このような時に精鋭である辺境伯家の軍勢が不在であるのが惜しまれるところであるが、ともあれそうした理由により私達は第三騎士団と野戦を交えなくてはならない。
逆に、こちらが勝利することが出来れば敵の最精鋭である第三騎士団の脅威が失われるので悪いことばかりではないとはいえ、妙手を打たれたことにはいささか苦い気分だった。
第三騎士団の出陣の報が届くや否や軍議が開かれ、迎撃部隊の編成が決められたのであるが、そのための軍勢の指揮官は私に決まる。
本来であれば両親をここに迎えたことによって無位から子爵相当の扱いに変わったとはいえ、それでも下級貴族であることには変わりがない私ではなくもっと位の高い者が指揮をするところなのであるが、精鋭である第三騎士団と正面からぶつからなくてはならない今回の戦いを貧乏籤であると考える者も多く、故に私の元に役目が回ってくることとなったのだ。
何しろ、敗れれば大軍で寡兵に敗れた指揮官として自らの声望が落ちるのだ、そのような責務を負いたくないと考える者が多いのも当然だろう。
とはいえ、敗れる訳にはいかない戦いであることを考えればその指揮を任されたのは幸いである。
セリーヌ嬢の一件の際に第三騎士団の有能さは嫌という程に目撃しているし、現在団長を務めているベリード・クラスティリオンもカルロをして勝てるかどうか分からないと言わしめる程の腕前の持ち主だ。
厳しい戦いになることは明白であるが、しかし必ずや勝利を収めて護りたい皆を護ってみせる。
軍議が散会して諸侯が退出していくのを眺めつつ、私はそう決意を新たにした。
私の率いる軍勢は、ルヴジェントに到着するとこの地の守備隊長であるバルブロから激励の言葉を受けつつも城外へと出て北上し、陣を敷く。
こちらの兵数は、およそ六万二千である。
敵兵が精強であることはもちろん、こちらが諸侯の連合軍という形でありどうしても連携に問題が出るので、出来ればもう少し兵数が欲しいところであったが、しかし他の戦線も支えなければならないことを考えるとこれが限界ぎりぎりだった。
これでも辺境伯家の私兵を除いたこちらの総兵力の半数以上であるし、それを捻出するために戦線を維持するぎりぎりまで他方の兵力を削っているくらいである。
そうした無理をしているからこそ、敗北は決して許されない。
もしも今回全軍の過半数を集めているこの軍勢が敗戦を喫すれば、これ以降の戦線の維持が儘ならなくなる。
戦線を大幅に縮小してルヴジェントの防衛に総力を注げば、少なくとも現宰相とラーゼリアとの間に決着がつくまでは滅ぶことはないだろうが、しかしそれは事実上敗戦に等しい。
とはいえ、兵力が十分とは言えないことを少しでも埋めるために、今回は伯爵にも同行してもらっていた。
一昨日には兵糧の担当者にかなり無理を言って(何しろ麾下の五千だったいつかとは要する物資の量が比べ物にならない)大量の食料と酒を持ち出し、酒盛りも行っている。
事前にやれることは全て済ませた。
布陣を整えて待ち構える私の視線の遥か先に、やがて軍勢の姿が見え、それが徐々に大きくなる。
同じ意匠のものに揃えられた甲冑を纏い、騎兵が中心となっている軍勢は、旗印を見ても第三騎士団に他ならない。
徐々に接近してくる彼らは、一定距離にまで近付くとそのままこちらの陣へと突撃し、戦端が開かれる。
鎧袖一触、と表現すればいいだろうか。
第三騎士団の攻撃は圧倒的なものであり、こちらの先陣は彼らに触れるや否や一瞬にして突き崩されていた。
先頭を駆けながら剣を振るう騎士団長の武勇は圧倒的なものであり、誰一人として彼の前に立つことが出来ない。
また、優れているのは軍勢としての精強さや騎士団長個人の武勇だけではなく、彼の指揮もまた極めて的確であり優れたものである。
中央だけでなく、それぞれ伯爵とユーフェルに指揮を任せている左右も同様に大きく押し込まれており、彼らはどうにか支えてくれてはいるもののこのままでは遠からぬうちに完全に崩壊してしまうだろうことは明白だ。
現在戦っている第三騎士団の精強さを身を以て思い知らされる。
「お嬢様、危険です、お下がりください!」
「駄目よ。ここで退けば軍勢は完全に崩壊するわ」
今はそれなりに前寄りの位置にいるのだが、既にすぐ近くにまで敵の軍勢は迫ってきていた。
それを受けて、身を案じたカルロによって後退が進言されるが、しかし私はそれを拒絶する。
総指揮官である私がここにいるからこそ、押し込まれながらもどうにか耐えられているのだ。
私が下がったら途端にこちらが崩壊することは明らかであるので、一歩たりとも後退する訳にはいかない。
とはいえ、このままではここにまで騎士団長自ら先頭に立つ敵勢が到達してしまう。
何か手を打たなければ。
「―――カルロ。私の手足として、第三騎士団長ベリード・クラスティリオンを斬りなさい」
束の間思考した後、私はカルロに対してそう命じる。
視線の先で縦横無尽に剣を振るう騎士団長と互角に戦える人物は、私の知る限り二人しかいない。
殿下と、そしてカルロだ。
彼をどうにかしない限り絶対に勝てないが、それが出来るのはこの場ではただ一人カルロだけだった。
「畏まりました。お嬢様と、お嬢様からいただいたこの剣にかけて必ずや!」
私からの命を受けたカルロは、そう言って馬を駆けさせ前進する。
彼が同様に前進している騎士団長と接触するまでには、長い時間を要しなかった。
そして、二人の剣がここまで届く程の甲高い音を立てて衝突する。
今まで誰一人として止めることが出来なかった相手の剣を受け止めてみせたカルロは、今度は斜めに剣を振るって自ら攻撃した。
常人であれば反応も難しい速度であるそれを騎士団長はやはり容易く受け止め、またしても反撃に転じる。
そうして何度も打ち交わされる剣戟。
二人の戦いは全くの互角であると言えた。
剣が振るわれる速度や、それに伴う手数の多さという点で見るならば、カルロの方が明確に上だろう。
しかしながら、純粋な剣の技量という意味においては騎士団長の方が上回っていた。
カルロの剣を全て受け止めながら、何度も連続して振るわれるそれを上手く掻い潜って自らも反撃に転じる。
あまりに隔絶した戦いであるために、畏怖を覚えた者達によってそこだけ空虚に開いた空間。
高速で衝突する金属同士の間からは、時に火花さえも飛び散っていく。
そうした応酬の中で、二人の一騎討ちは綺麗に均衡を保っていた。
さすがの騎士団長とは言えども、自らと互角の強さの持ち主であるカルロと剣を交えるとなるとそれで手一杯であるらしい。
先程までは行われていた彼による指揮が無くなったことにより、交戦している第三騎士団の勢いは明らかに弱まっていた。
とはいえ依然として押されていることには違いが無いのだが、これは絶好の機会である。
元々、兵力そのものはこちらが倍以上も多いのだ。
カルロが私のために戦い、騎士団長を抑えてくれている。
ならば私は、その間にたかが練度くらい指揮で覆してみせよう。
「クローディオ、アヴェイン殿に敵の先鋒を包囲するよう伝令を」
「分かった。任せて」
この戦いが厳しいものになることはあらかじめ予測出来ていたので、僅かでも両翼を任せている二人との連携を円滑にするために密偵を束ねているクローディオを連れてきて、密偵達を伝令役として用いていた。
右翼を率いているユーフェルへの伝令を命じると、私はヴァトラの首筋をそっと撫でる。
それと同時に、これまで待機していた騎馬隊が疾駆を始めた。
いつも隣で剣を振るい私を護ってくれているカルロは現在も前方で騎士団長との一騎討ちの真っ只中であるため、危険は普段とは比べ物にならない程に大きいが、しかしいくら指揮が無い状態とはいえなおあれだけ精強な第三騎士団とぶつかるのであれば、指揮官である私が先陣を切らなければ絶対に勝てないだろう。
あちこちで喚声や金属音が響いている中でもはっきりと聞こえる程の馬蹄の地響きをさせながら動き出した騎馬隊は、右斜め前へと駆け出していく。
狙いはこちらの右翼へとぶつかっている敵の左翼であり、友軍が押し込まれることによって突出し逆に隙を見せることとなった敵軍の横合いを突こうという算段だった。
無論騎士団長が指揮を執っている状態ならばそれにも速やかに対応されてしまうだろうが、しかし今は彼はカルロの相手に手一杯でそれどころではないので問題は無い。
そして私は、先陣を切りつつこちらに突出した敵左翼の付け根とでも言うべき部分に突撃する。
かなり強い抵抗。
しかしながら私達はそれを突破し、敵を分断することに成功する。
それと同時に、ユーフェルの指揮下にある二万弱が巧みに前進して分断された敵の先鋒を包囲した。
当然と言えば当然だが、あちらも騎士団長が指揮を執れない場合のことを想定していない訳ではないらしい。
恐らくは副団長辺りが代理で指揮を執っているのだろうが、中央にいた敵兵力のうちの幾分かがこちらへと回されてきていた。
「今よ。騎兵隊に合図を」
クローディオに指示を伝えると、部下の密偵を通して合図が伝えられ、テオドールが率いる騎兵五百が動き出す。
普段は彼には好きに戦ってもらっているが、少しでも戦力が欲しいということで今回の戦いには来てもらっているのだ。
敵の中央の兵が向かって右に大きく動いたことによって、カルロと騎士団長が一騎討ちを続けている場所からすぐ左側、つまり敵右翼と中央に空隙が生まれる。
二人の近くを掠めるようにしながら迷わずそこへと突入し、より手薄となっている箇所を通り抜けながら旗が翻る本陣にまで突入するテオドール。
本陣の蹂躙を許したことによって今度こそ敵の指揮系統は完全に失われたようで、彼らの勢いは更に落ちた。
私はこちら側に移動してきた敵兵が本陣の救援に戻れないように、彼らと牽制して交戦する。
この機を逃さずに伯爵が指揮している左翼は反撃に転じ、これまでとは真逆に大きく敵を押し込み始めた。
しかしながら、さすがは精鋭と言うべきか、ここまで追い込まれて統一的な指揮すら失っていてなお彼らは崩壊する気配を見せない。
未だ確かな抵抗を続けており、押し込むことこそ出来ていても潰走へと至らしめることは叶わなかった。
急襲の効果があるのは最初のうちであり、時間が経過すればする程敵は落ち着きを取り戻し、仕掛けた側が不利になっていく。
限界を感じたのか、そのうちに遂に敵本陣を襲っていたテオドールの騎馬隊が離脱する。
それからしばらくすると、再び指揮系統を取り戻したらしく敵の動きが良くなった。
―――どうやら、勝ち損ねたらしい。
同じように潮時であると感じたのか、カルロとの一騎討ちを終わらせた騎士団長も本陣に戻ると全軍に命じ、態勢を立て直すべく後退していく。
結局二人の戦いには決着がつかず、どちらが優勢ということもなく客観的に見て引き分けといったところだろう。
戦いを終えたカルロが、私の方へと戻ってくる。
「お疲れ様、カルロ。彼はどうだった?」
「あれ程の相手と戦ったのは初めてです。……捨て身で挑んだとしても勝てるかどうかは分かりません」
彼に対して感想を尋ねると、そう答えが返ってくる。
カルロと互角に戦うとは騎士団長は恐ろしいまでの剣の腕前の持ち主だった。
引き分けという意味では、今回の戦そのものもそうであると言っていい。
戦闘そのものは最終的にこちらが優位であったし、実際に相手を後退もさせているが、しかし被害はむしろこちらの方が大きいだろうし、兵力差があったことなどを考慮すれば胸を張って勝利したと宣伝出来る程でもない。
そして、引き分けに持ち込むことが出来たのはカルロが騎士団長を完璧に抑え込んでくれていたおかげである。
もしも彼が自由だったならば、今頃私達は散々に潰走していただろう。
そういった意味で、表立って論功することは出来ないが、今回の戦功第一はカルロだ。
「クララもお疲れ様。では、一度城内に戻りましょうか。ゆっくりと休まなくてはね」
相手が引いたからには、こちらもいつまでもここにいる必要は無い。
私は両翼へと伝令を出すと、城へと戻り始めた。




