7. 砂の天秤(1)
レールシェリエに戻り、部屋でゆっくりとくつろいでいた私。
そんな私の元に、今日も密偵からの情勢の報告が届けられた。
高い成果を得ようとするならば、そのための判断材料となる情報を多く集めることは必要不可欠である。
故に、私はこうして毎日口頭で報告を受けているのだ。
「報告致します。テオドール殿の軍勢がエルメーゾ子爵家領付近でラーゼリアの軍勢三千を撃破しました!」
「そう、報告ご苦労」
報告はクララがいる時はトップである彼が取り纏めたものを一括して伝えられるが、しかし現在は不在であるので他の者が報告に来ていた。
どうやら、セリーヌ嬢の侍従であるテオドールが大きな功績を挙げたようだ。
今までに彼が挙げた戦果と合わせ、これだけの功があればモンテルラン子爵家を存続させるには十分以上だろう。
そもそもこの国で軍勢を率いる権限を持っているのは、王族と貴族、騎士、そして軍人の四者である。
貴族が私兵を持っているように王族も軍勢を保持しているのだが、王家の直轄下にあるのは騎士団と王軍に大別され、それぞれ役割が異なっている。
宋でいう禁軍と廂軍の違いと似たようなものであると例えれば分かりやすいだろうか、前者は王家の手足としてより実務的かつ大きな権限を与えられているのに対し、後者は各地に存在する王家の直轄領の守備部隊であると言えた。
そして騎士団に正式に所属しているのが騎士であり、家を継げない貴族の次男以下の若者や従者から昇格した平民出身の者達から成る彼らは貴族と同様に扱われる(正式な騎士としては扱われない従者も多く存在するが)のに対し、王軍で一定以上の数の部隊を指揮する地位にある人物のことが軍人とされるが、こちらはあくまでも平民として扱われるのが最大の違いである。
ともあれ、もちろんそうした制度にも例外があり、例えば貴族の私兵を本人ではなく仕えている家臣(陪臣は先述の四つのどれにも当てはまらない)が代理として率いることも現実には多いのだが、その場合は王家からはその貴族が率いている軍勢であると見做されるのだ。
つまり、テオドールには私の兵を貸しているような状態なのだが、セリーヌ嬢の侍従を務めている彼が率いているその部隊は公には主であり貴族身分であるセリーヌ嬢が率いていると見做されることになる。
当然、そうであるからにはテオドールが挙げた功績もまた公にはセリーヌ嬢のものとして処理され、戦後の論功行賞の際に評価されるので、モンテルラン家が殿下の即位に貢献したとしてそれなりの褒美が与えられるだろう。
もちろんモンテルラン家自体は現宰相に近い貴族なのであちらに味方するだろうし、そうなれば王家に反逆したことになるので何らかの罰は免れないところであるが、それはテオドールが挙げた分の功績で相殺出来るはずだ。
元々、彼を誘ったのはセリーヌ嬢に好きな相手と結ばれてほしいという気遣いという面も確かにあるが、それ以上に罰によって彼女が僅かなりとも不幸になるのを避けたかったというのが一番大きい。
さすがに取り潰しは無いにしろそのままでは当主である現子爵の強制的な隠居は免れないであろうし、まだ分からないが領地の削減などが行われる可能性もあり、そうなれば領地が小さくなった分だけ家計が苦しくなってしまう。
彼女をそのような目には遭わせたくなかったので、テオドールが十分以上の功績を重ねてくれたことに安堵する私。
「では、失礼致します」
報告を済ませると、室内を後にする密偵の男。
彼が退出すると、私は机上に置いていた書物に手を伸ばした。
会議室に集まった貴族達が、口々に今後の作戦について議論を交わし合う。
こちらへの圧力が薄れている今は、反攻に出る好機でもある。
軍議の席ではどのような戦略を取るべきかについての議論が続いていた。
基本的に、この場で最も位の高い人物である殿下は意見を引き出すために終盤まではあまり発言をしない。
現在場の中心となっているのは、先日合流したばかりのベルクール伯爵だった。
殿下と並ぶこちら側の陣営の大物である辺境伯やその嫡子であるルウが領地に戻っていて不在であることもあり、必然的に若年ながら博識により国内に名が轟いている学者である彼に注目が集まっているのだ。
実際のところ、そうして爵位が上の諸侯からも一目を置かれる存在であり、卓越した指揮能力の持ち主でもある伯爵が合流したことはかなり頼もしい。
私は自らもいろいろと考えに耽りつつも、彼らの議論を眺めていく。
今まで日和見を続けていた諸侯も多かったが、内乱の最中にラーゼリアの侵攻を受けたことは彼らにも衝撃を与え、殿下と現宰相のどちらに味方するか立場を鮮明にする貴族が徐々に増えつつある。
これまでは我関せずの姿勢でも特に問題は無かったのが、隣国からの侵略という事態によって彼らにとっても他人事ではいられなくなったのだ。
事実、南方地域においてもこれまでは特に立場を鮮明にしない貴族がかなりの数存在していたのが、そのうちの半数近くが既に使者をここに送って殿下への帰順を伝えてきていた。
故に、ここで現宰相側に対して大きな勝利を収めることが出来れば、全国的にもこちら側につく貴族がかなり増え、趨勢の天秤が私達に大きく傾くことになる。
そのことを念頭に、二百年間宰相位を世襲し続けているベルファンシア公爵家の領地を攻略する作戦を彼は提案していた。
以前公爵家の軍勢八万を潰走させたことがあったし、あれも諸侯にはかなりの衝撃を与えただろうが、しかし所詮は指揮官不在という彼らの組織上の欠陥を突いた奇襲である。
敵がラーゼリア軍への対処で手一杯になっている今、正面から攻め込んで一つでも城を落とすことが出来れば、広大な領地に基いた圧倒的軍事力という現宰相の持つ最大の武器は威光と優位性を完全に失う。
元より現宰相はクーデター以降自らの派閥の家へと権力や財力を集中させていたので、軍事力のために逆らう者こそ出なかったものの派閥以外の貴族からはお世辞にも好かれているとは言い難い。
彼らのことを内心では嫌っている諸侯はかなりの数存在していると思われ、一度脅威という重石が失われれば、そうした貴族達は雪崩を打つようにこちらに味方してくれるだろう。
そうなってなおまだ全く油断出来ない程の私兵が公爵家にはいるので、最後まで気は抜けないのだが。
ともあれ、伯爵の唱える案はかなりの上策であると言える。
意図的に引き起こしたとはいえ既に隣国の介入を受けていることを考えれば、あまり内乱を長引かせることは出来ないのだ。
現在嫌々従っている者達も切り崩せる可能性があるし、実行する価値は十分以上にある。
会議の場では理路整然と利点を説明していく伯爵に対して異論を唱える者は誰もおらず、最終的に傍観していた殿下や私も賛意を示したために作戦の実施が決定される。
とはいえ、全軍をそちらへと振り分ける訳にはいかない事情があった。
何も、ラーゼリアの軍勢は現宰相側だけを狙って攻めてくれる訳ではない。
続々と本国から投入される増援と合わせて十万程度だった当初と比べてその三倍に達している彼らは各地へと侵攻し、当然こちら側へも攻撃を仕掛けてきている。
いくら目的が現宰相側の戦力を分断させるためであるとはいえ、彼らだけにラーゼリアの相手をさせていては、逆に殿下の声望が下がりあちらの声望が上がってしまう。
なので私達も軍勢を別に編成し、東方に送って隣国と戦う必要がある。
三つ巴である以上、二正面作戦を強いられるのはこちらも同じであるということだ。
二正面作戦を行うことが決まったところで、今度は誰がどちらに向かうかを話し合うことになる。
再び、諸侯が意見を交わし合うことによる喧騒に支配される室内。
とはいえそれが終わるまでには然程時間は必要とせず、少しした頃には編成が決まっていた。
その内容はベルファンシア公爵領の攻略軍がおよそ四万、対ラーゼリア軍に五万、水軍と第四騎士団、及び残りの軍勢はレールシェリエに残留というものである。
当初この都市に集まったのは水軍と第四騎士団を抜いて八万程度だったが現在は十一万程度にまで増えているので、残留するのは両者を合わせておよそ四万だった。
そして決めるべきことを全て決め終えると軍議が終了し、王子が退室したのを合図に諸侯が立ち上がり各々に室内から去っていく。
「サフィーナ嬢、少し時間はあるか?」
「ええ、構いませんわ」
私も自室へと戻るべく立ち上がろうとすると、会議で話の中心にいた伯爵に後ろから声を掛けられた。
振り向いた私は、特に用も無いのでそう答える。
「この後、共に茶でもいかがか? 話したいことがある」
「畏まりました。お招きいただき光栄です」
何か話があるようで、彼より共に茶を楽しむ席に招待される。
彼が言うからには何か実務的な用件なのであろうし、それを快諾する私。
そのまま連れ立って三階へと下りて彼の部屋を訪れると、伯爵は近くの廊下を巡回していた侍女に紅茶を淹れるように伝える。
無機質で生活感のあまり無い室内の円卓に向かい合って座り、しばらく待つと、侍女によって温められたカップが二つ置かれ、同時に持ってきたポットから彩やかに琥珀色をした液体が注がれた。
湯気が大気へと舞い上がり、それと共にふわりと鼻腔に広がる甘い香り。
やがてそれが双方のカップを満たすと、ことりと小さな音を立てて木製の卓上へとポットが置かれ、彼女は一つ礼をして室内を退出していく。
そして、室内に二人きりとなる。
「……美味だな。貴嬢も飲むといい」
カップを持ち上げて中身を口にした伯爵はそう感想を述べると、私にも茶を勧めた。
それに従い私も自らの前に置かれていたカップの持ち手に指を絡めて持ち上げると、その縁に唇をつけてそっと傾ける。
口内へと琥珀色のそれが流れ込むと同時に、私の舌と鼻腔はその風味に埋め尽くされていく。
ほんの少しだが混じっている渋味はだからこそ紅茶の甘味を引き立て、より高貴な味わいへと昇華させる。
喉を鳴らすのが勿体なく感じる程だ。
「して、此度は如何なされたのですか?」
カップを置いた私は、彼に対して用件を尋ねる。
「戦術を共に構想しようと思っている。野戦で敵を撃破すれば済む私の戦線と比べ、敵と比べ劣った兵力で城を落とさねばならない貴嬢の戦線は明らかに厳しく危険だ」
そう言って、紙の地図を取り出して卓上に広げる伯爵。
彼の言っていることはもっともであり、いくらラーゼリア軍との戦いに多くの兵力を振り分けているとはいえ、領地を直接攻撃されればあちらとてそれなりの数の軍勢を投入してくるだろう。
数で勝る敵軍をどこかで撃破した上で、潤沢ではない兵力で城を陥落させなければならない。
「当初は私が指揮をするつもりだったのだがな」
「仕方がありませんわ。殿下よりお任せいただいたからには、必ずや役目を果たす所存です」
彼の言う通り、本来であれば最初に発案した彼が公爵領攻撃軍の指揮官になるはずなのであるが、しかし必ずしもそうなるとは限らないのが封建社会である。
このような情勢であっても歴然と存在する諸侯達のしがらみが絡み合った結果、現在のような編成となっていた。
ともあれ、どのような状況であろうとも必ずや勝利を掴み取らなければならないことには変わりがないので、どうしようかといろいろ考えているところだった。
どうやら伯爵はそんな作戦に臨む私を心配してくれたらしい。
「私は自らが指揮する前提で戦術を考案していた。差し障りが無ければ使ってくれたまえ」
そう言って、自らが立案した戦術を伝えてくれる伯爵。
現地では七万程度の敵勢と干戈を交えることになるだろうという予想は彼と共通しており、それを前提にした動きは実に理に適ったものだった。
二人で欠陥が無いかとしばらく話し合ってみたが特に見つからず、私は麾下の部隊が騎兵であることに合わせていくつかの点を修正しつつも、この戦術を採用することに決める。
それこそ予期せぬ大軍でもいない限りは失敗することは無いだろうし、ラーゼリア軍と戦っている現宰相にそれだけの兵を更に用意することは不可能だ。
此度の作戦に関しての話はそれで終わりを迎え、話題は他のものに変わりその後も様々な事柄について会話が続く。
専門的なことを話すことの出来る相手は限られているが、その相手として伯爵は申し分が無く、こうして話しているのはとても楽しかった。
そして、気がつくと外は日が傾いて暗くなりかけている。
「本日はお誘いいただきありがとうございました。茶も非常に美味でしたし、とても実りのある会話でしたので夢中になってしまいましたわ」
「私も、貴嬢と話せて良かったと思っている」
いつしかかなりの時間が過ぎていたことに気付いた私は、そう礼の言葉を述べる。
沈み掛けた太陽からの赤い光が窓から差し込み、二人を照らして床に長い影を生み出した。
実りある時間を過ごすことが出来たという充足感に満ちた心。
最後に一度礼をすると、私は彼の部屋を後にしたのだった。




