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2. 演劇

 帰還したその日に戦果に関しての殿()()への報告を済ませてから数日後、書類仕事も済ませて特にすることの無かった私はユーフェルに誘われて演劇を観に街へと出ていた。

 人波に賑わう通りは今日もいつも通りの活気に満ち溢れており、私とユーフェル、そして侍従として少し後ろを歩くカルロの三人で劇場へと向かって進んでいく。

 こうして歩いていると、かつて王都でセリーヌ嬢を助けた時のことを思い出す。

 あの時はやはりユーフェルと一緒に買い物をしていたのだったか。

 劇団は貴族向けのものと庶民向けのものが存在し、それぞれ興行を行う劇場も分かれている。

 大規模とはいえ地方都市ではあるもののここレールシェリエはこの国の南方地域の中心であり南方貿易の拠点でもあるために小貴族が多く官吏として赴任してきて在住しており、故に彼らをターゲットとした貴族向けの劇場も多く存在していた。

 とはいえ民衆の間で大流行した作品の評判を聞いた貴族が庶民向けの劇場へと観に訪れたりすることもあるし、貴族でなくとも大商人などは貴族向けの劇場に赴くことも多いので両者の垣根はそれ程厳密ではないのだが。

 現在ユーフェルにエスコートされながら私が向かっているのは、道順からしてどうやら庶民向けの劇場のようだった。

 王都ほど厳密ではないもののこの街においても貴族が住んでいる区画と民衆が住んでいる区画は大まかに分かれており、後者の方へと歩き進んでいく。

 やがて劇場の前へと辿り着くと、その周囲は始まりを待っているらしい人々で埋まっていた。

 これはそれなりの時間待たなければならないだろうかと思うが、私を誘う前にあらかじめ話を通していたようでユーフェルが劇場側の人間と少し言葉を交わすと、そのまま私達は先に中へと招き入れられる。

 今の私達のように民衆の間での評判を聞きつけて貴族が訪れることは頻繁という程ではないがそれなりにあるので、そうした場合に備えて庶民向けの劇場には貴族向けの鑑賞部屋(要するにVIPルームといったところだろうか)が用意されていることが多い。

 別に貴族のみしか使えない訳ではなく、事前に予約した上で一般の席よりずっと高い代金を払えば誰でも使えるので大商人などもよく利用するのだが、私達が通されたのもまたそうした部屋だった。

 舞台の側から見て左寄りの位置にある見通しのいい部屋へと通された私達は並んでそれなりの設えの席に座り、開幕の時を待ちわびる。


「本日はお招きいただき感謝致します、ユーフェル様」

「気にしないで。ずっと書類仕事をしたり軍勢を率いたりしてるサフィーナちゃんに、たまにはゆっくりと気を休めてほしかったからね。サフィーナちゃんが楽しんでくれたらそれが一番だよ」

「お心遣いありがとうございます。お気持ちに甘えて、本日は楽しませていただきますわ」


 私は、開幕を待っている間に隣に座っている彼へとそう言葉を掛ける。

 確かに彼の言う通り最近は何かと忙しかったので、こうしてゆっくりとするのは久々かもしれない。

 こうして気持ちを休める機会を作ってくれたことは感謝しなければならないだろう。


「それにしても、随分な熱気ですね」


 ここから見下ろした観客席はすっかり人々で満員となっており、席に座りきれなかったらしく後ろで立ち見をしている者も数多くいる程だ。

 これより上演される劇はかなりの人気を誇っているらしい。

 男性の姿もちらほらと見受けられるが、およそそのうちの七割程は女性なので、どちらかといえば女性人気が強いのだろう。


「そうだね。今日の劇はリヒャルト・エルヴェールが脚本を書いた新作だから」

「エルヴェールというと、確か」


 彼の口から発せられた名前には聞き覚えがある。

 少し前に読んだ『硝子細工のあなた』という恋愛小説の作者だったはずだ。

 発売前から話題を浚ったそれは期待通りの大ヒットで瞬く間に演劇化の権利がさる劇団に買い取られたという話だったが、今日はその上演が行われるのだろうか。

 だとすれば、この相当な人混みの理由も理解出来る。


「あ、サフィーナちゃんも読んでたんだね、あれ。先月彼が書いた新作の戯曲が王都で大流行して、その権利を買い取った一座がこの街にも来るから賑わってるのさ。何しろ、あの人気作家のエルヴェールが初めて演劇のためだけに書き下ろした話ってことで話題性は抜群だったからね」

「なるほど、それは楽しみですわ」


 数日前まで出陣していたのでその辺りの事情は知らなかった私だが、ユーフェルの解説を耳にして期待感が高まる。

 小説家として立て続けに何作もヒットを出し続けていたことは知っているが、リヒャルト・エルヴェールという人物は劇作家としての活動も行っているらしい。

 恐らくは、小説を演劇化する際に接点を持った劇団の側から戯曲の執筆を依頼されたのだろう。

 事前にかなりの注目と期待が集まっていたというが、小説がかなり面白かったので今回の舞台に期待が集まる理由はよく分かった。


「まあ、これだけ盛り上がってる理由はそれだけじゃないんだけどね……あ、始まるみたいだ」


 更に言葉を続けかけた彼であるが、入場口の扉が閉ざされて幕が上がっていくのを見て口を閉ざす。

 満員電車もかくやという程に人の集まった館内は、いよいよ始まるとあって相当な熱気に包まれていた。

 別に今日が初日という訳でもなく、十日程前から毎日二度の公演が行われ続けていてなおこの客入りだというのだから、人気と評判の程がよく理解出来る。

 幕が完全に上がりきると観衆の視線が舞台の上に集中し、そこへ演者が二人姿を現す。

 貴族向けと庶民向けの演劇の大きな違いの一つとして、前者は貴族がメインターゲットであるために観客が演じられる劇に関しての知識を教養として持っていることを前提にしている(新作の演劇である場合は舞台設定や人物設定について解説されたパンフレットが開幕前に配られる)のに対し、後者は予備知識が無くても楽しめるように作られている。

 それはつまり庶民向けの劇には作品に関する知識が無くとも観客が作品の世界に没頭出来るような導入が求められるということであり、舞台の上に立った男二人の演者はまず互いの会話という形で大まかな世界観を観客へと説明していく。

 どうやら、この物語の舞台となっているのは建国初期の頃のベルフェリート王国らしい。

 並んで歩行しながら会話を交わしているという設定の二人がセットとして舞台上に置かれている扉を開いて潜ると、裏方のスタッフにより素早くセットが組み換えられ、シーンが酒場へと移る。

 当然酒場には多くの人間がいるものなので舞台脇から現れた多くの役者が客の役として酒を飲んだり客同士で会話を交わす仕草を演じていく。

 人気があるらしい役者が姿を見せる度に客席の女性達の間から嬌声が飛ぶが、不思議なことに最もそれが大きくなったのは役者ではなく、演出の一環としてクラシックギターの音色が流れ始めた時だった。

 確かに酒場の雰囲気に合った軽妙かつ民族調なメロディはかなり上質だと思うが、とはいえ役者を差し置いて音楽に対して最も歓声が上がるのはいささか不思議である。

 首を傾げていると、セットの一部が動かされたことによってクラシックギターを演奏している奏者の姿が見えるようになった。

 向かって左側の舞台際にある奏者のためのスペースで奏でている男の姿が露わになると、先程までとは比べ物にならない、それこそ窓硝子が軽く震える程の音量の女性客達の嬌声が屋内全体に響き渡る。


「この劇の伴奏はエルヴェールが自分で弾いてるんだ。だから彼が出てくるところが一番盛り上がるのさ」


 よく状況が理解出来なかった私だが、歓声の中に掻き消されそうになりながらもユーフェルの言葉を耳にするとその理由を理解する。

 原作者であり既に何作もの小説のヒットでかなりの有名人となっているエルヴェールが自ら劇伴を奏でているのならば、それは盛り上がるだろう。

 また、ここからも見えるようになったゴールデンロッドと表現すべきやや濃い色の金髪をした彼は遠目にも分かる相当な美形の青年であり、そういった意味でも女性客達の嬌声の理由がよく分かった。


「ということは、この曲もエルヴェールが作曲したものなのですか?」

「そうだね。これも彼が自分で作ったみたいだよ」

「随分と多才な方なのですね」


 小説を何作も流行させ、戯曲を手掛けた劇も商業的に大成功させ(これに関しては既に高かった名声のおかげという部分もあるだろうが)、更にはこれ程のレベルの劇伴も作曲してみせているエルヴェールという男はかなり多才だ。

 小説と戯曲であればある程度共通する部分もあるが、音楽ともなればそれとは大きく分野が異なっている。

 にもかかわらずその双方においてレベルの高い作品を生み出している彼は芸術家としてかなりの才能の持ち主であると言えるだろう。

 こうしている間にも彼の指が弦を鳴らして音を奏で、旋律と共に物語は進行していく。

 さすがにもう歓声は収まっており、劇伴を背にした役者達の台詞が場内へと響き渡る。

 そのまま劇を眺めている(戦乱の時代に生きる一人の青年の人生を主題としているらしい話はかなり面白い)と、ふと酒場のシーンとは別の曲を奏でているエルヴェールがこちらを見つめていることに気付く。

 私もそれに気付いて彼の方を見ると、そのまま目線が合った。

 初めはたまたまかと思ったが、しばらくしてもなお彼はこちらを見つめ続けており、そうではないことが分かる。

 予約してあったということは劇場を通して原作者でありかつ劇伴をも担当する彼はあらかじめ私達が観に来ることを知っていたはずであり、故に貴族である私達の劇への反応を気にしているのだろう。

 彼の視線を感じつつ、私はその後も演劇を鑑賞していた。


 


 


 



 そして、観終えた私達は入ってきた時と同じ専用の通路を通って外へと出た。

 劇の方はといえばかなり素晴らしく、今でも余韻が心に残っている。

 こと終盤における盛り上がりは怒涛のごとく観衆の心を揺さぶり、史実と虚構を織り交ぜながらの展開に客席からは啜り泣く声も多く聞こえた。

 貴族向けにするならばいくつか手直ししなければならないだろう部分はあるが、既に広く響いている彼の名声を更に高めることは疑いようのない名作であると言えるだろう。


「かなり良かったね。最後、彼が無事に帰ったところなんて感動しちゃったよ。夢中になって見ちゃった」

「私もですわ。本当に素晴らしい劇であったと思います」


 舞台が戦乱の時代ということもあり、その内容には戦記的な要素もかなり強かった。

 にもかかわらず女性客が相当数を占めていたのは、エルヴェール自身の美貌と名声も理由の一つではあるだろうが、しかし決してそれだけではないだろう。

 物語そのものの完成度だけではなく劇伴もそれぞれのシーンに完全に融合しており、気がつくと作中の世界へと引き込まれていた。


「サフィーナちゃんが喜んでくれてよかった。ところで、そろそろお昼を過ぎたから何か食べようと思うんだけど、どうかな? いい店を予約しておいたんだ」

「ええ、お任せ致しますわ」


 劇が終わり、現在は正午を少し過ぎた辺りだった。

 そろそろ昼食時の時間帯ということもあって、彼に食事を提案される。

 大都市には庶民向けの食事処が数多く存在しているが、貴族向けのレストランのような店もそれなりに存在している。

 貴族は屋敷で専属の料理人を雇っている(屋敷に客を招く際に料理人がいなくては話にならないため貴族であればどんな小貴族でも間違いなく雇っているものだ)ので庶民向けとは異なり外食にはそれ程需要が大きい訳ではないのだが、しかしそういった店はそれなりに存在していた。

 それは自らの腕前に自信を持つ一流の料理人であればその味の良さ故に客が多く訪れ、複数の貴族を相手にするためにどこかの屋敷で雇われるよりも更に多くの収入(王都にある人気のレストランの店主は下級貴族よりも多く稼いでいたりするようだ)を得ることが出来るので、店を開くことを目的とする者も多いためだ。

 一方で王家や貴族に雇われれば収入こそ店を出した場合に比べて劣るものの、それでもかなりの高収入である上に雇い主の領内ではある程度の特権が認められる上に優先的な庇護も与えられるので、そういったもののために積極的に雇われたがる者も多く、両者のバランスは保たれている。

 ともあれ、そういった事情によってここレールシェリエにも貴族向けのレストランがいくつか存在しており、そのうちの一軒を予約しておいてくれたらしい。

 そろそろ空腹になってきたのは確かなので、彼の言葉に甘える私。

 ユーフェルにエスコートされながら、私はそのまま街中を歩き目的地を目指した。

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