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ex.6 最良の未来へ

 窓の外から、ひっそりと庭を見下ろす私。

 現在私は二階にある書架にいるのだが、他に利用者が誰もいない静寂の中で外から声が聞こえたのでふと窓を開けて(陽光で本が傷む危険があるので窓の数と位置は限定されている)下を覗くと、視線の先には母によって作られた美しい庭園が広がっている。

 個々の花々の美しさだけではなく全体の色彩や生け垣の配置などまで考慮して丹念に設計されたそれは色彩やかな華やかさと母らしい落ち着いた上品さとを両立させており、目にすれば誰もが感嘆するだろう。

 そんな庭の片隅では、私の侍従となったカルロが剣を振るって訓練をしていた。

 その指導役としては普段ならばオーロヴィア家の私兵の隊長が務めているのであるが、今日は別の人物が指導を行っているらしい。

 何度か姿を見掛けたことがある程度なのであまりその人物について詳しく知っている訳ではないが、確か名前はイヴァノイ・ユレークと言っただろうか。

 武人らしい鍛えられて引き締まった身体に、短い黒髪。

 母の侍従であるという彼が、どうやら今日のカルロの指導役らしい。

 イヴァノイに監督されながら、彼は重い剣を何度も振るっていた。

 大貴族であれば侍従に対して高名な鍛冶師が打った剣を渡すのであるが、しかし名高い鍛冶師の剣ともなれば一振りで高価な貴金属にも劣らない程の価値があるため、そういったものを用意出来るのは王家や本当に一部の大貴族だけである。

 もちろん小貴族であり領地が狭いオーロヴィア家にはそれ程の余裕がある訳ではなく、故に彼に与えられているのも領内に住む鍛治師達が打った私兵部隊に装備として与えられているのと同じ剣であるのだが、とはいえそれが相当な重さを持っていることには違いがない。

 前世では成人していた私でさえ持ち上げることは出来ても実戦で使うのは困難な重さであり、故にわざわざ細い剣を使っていたのだ。

 いくら素振りをするだけとはいえまだ幼い彼にはこの修行は大変だろう。

 その白い肌にはしっとりと汗が滲んでは額から下に流れ落ちており、そこへと触れたやや短めの髪を濡らしていく。

 時折剣筋や姿勢を修正されながらも、しばらくの間そのようにして剣を振るい続けるカルロ。

 彼のことを眺めているとやがて規定の回数を振り終えたようで、息を乱しながら剣を下ろした彼は水を飲みながら近くの木陰で休み始める。

 微風が吹いて樹木の枝葉を揺らすと、カルロは肌を優しく撫でるそれに心地良さそうに目を閉じていた。

 そして十分程が過ぎただろうか、休息によって体力が回復し彼の息遣いが通常のものへと戻ると、今日の指導役であるイヴァノイが立つように促す。

 それに従って立ち上がり、腰に佩いている剣を外して今しがたまで休んでいた木の根元に置いたカルロに対し、細長く円筒状に削られた木の棒が手渡される。

 カルロは右手の中に握ったそれを一度軽く振るうと身体の正面に構え、同じ得物で同じように構えているイヴァノイと正対した。

 どうやら、今度は実戦形式で立ち合う形での訓練となるらしい。

 言うまでもなく剣術には片手のものと両手のものが存在しているが、この国においては片手剣術が主流である。

 そのために両者ともそれぞれ右手に得物を構えており、二人が向かい合うと空気が張り詰めていくのがここからでも分かった。

 まだ幼いながらも、すっかり堂に入った綺麗な構えを見せるカルロ。

 当然であるが、母の侍従を務めているイヴァノイは相当に強い。

 彼とはあまり顔を合わせたことがないし、もちろん実際に武器(訓練用のものではあるが)を振るう姿を目にするのもこれが初めてであるが、しかしながら私とてかつては剣を使っていた人間であるので、彼が相当な実力の持ち主であることは構えや身体から放たれている気のようなものを見ればよく理解出来た。

 体格でずっと劣っているために膂力も相手よりかなり弱く、また技術という面においてもまだ劣っている以上、カルロは守勢に回れば勝利はおろかきちんとした抵抗すら不可能である。

 全てにおいて劣っている彼が僅かなりとも勝機を見出すには、自分から攻め掛かるしかない。

 そのことをカルロもよく理解しているようで、彼は少しの間正対した後不意に地面を蹴って前方へと飛び出し、相手へと打ち掛かる。

 片手剣術のメリットはリーチが同じ剣を両手で扱う場合と比べ長くなることと剣の可動域が広くなることであり、逆にデメリットは両手で持つ場合と比べて籠められる力が小さくなるので剣速が遅くなることと片手で鉄製の重い剣を持ち上げ振り回すだけの膂力が必要となることである。

 先程は素振りだったので特に問題は無かったが、現在の彼の膂力ではまだ実戦の場において剣を縦横に振るうことは不可能だろう。

 しかしながら現在カルロが手にしているのは彼の力でも自在に使いこなせるくらいに軽い木の棒であり、故に今の彼は片手剣のデメリットの一つである膂力の問題をクリアしている状態にある。

 素早いステップで瞬く間に両者の間にあった間合いをゼロにした彼はそのまま腕を振るい、右から左からイヴァノイへと攻撃を仕掛けていく。

 だがそれを受けている男はそのことごとくを自らが手にする得物で防ぎ止めると、自分から反撃に移る様子も無くしばらくの間防御だけを続ける。

 まだ仕方のないことであるが、カルロの攻撃は全て防がれており、一つとして相手の肌へと届くことはない。

 しばらくその状態が続くと、やがてイヴァノイが反撃に転じる。

 母の侍従であるということは母と同年代であるはずなので、恐らく年齢は二十七、八歳くらいだろうか。

 若さに加え経験による円熟味も加わり、武人として強さがピークに差し掛かる年頃である彼は、攻勢に転じるや否や瞬く間にカルロを圧倒する。

 自分から攻撃を仕掛ける暇さえも無くなり、自らに迫る攻撃を防ぐだけで手一杯になる彼。

 勢いに圧され、大きく後退し続けながらもカルロはどうにか防戦を続けていく。

 大幅に手加減をしているとはいえ、その気になればイヴァノイはいつでも少年が持っている得物を叩き落すことが出来るだろうが、しかしそうすることはなくカルロが反応出来るぎりぎりのラインの攻撃を放ち続ける。

 要するに、これは立ち合いという形での攻撃と防御の訓練という意図なのだろう。

 いつまで続くのかはイヴァノイの考え次第なので私には分からないが、それでも現時点でのカルロの体力からすればこれ以上はあまり長く続けられないだろうし、時間的に見てもそろそろ終わるはずだ。

 それを見越した私は、カルロにいつもの物を用意すべく窓を閉め、書架を後にした。


 部屋に戻った私が窓から外を覗くと、どうやら既に終わったらしく、イヴァノイの姿は消えていた。

 しかしながら、代わりに母が庭に姿を現しており、花壇の傍で何かカルロと話している。

 当然この距離ではどんな会話を交わしているかなど聞き取れるはずもないが、しかし厳しい表情をしている母の様子を見るに、どうも彼が何か怒られているらしい。

 だが、母は不意に表情を笑みに変えて、カルロの頭を撫でる。

 今度は微笑ましげなものを見るような様子で彼に何か言葉を掛ける母。

 そして、彼女は屋敷の方へと戻っていく。

 一体何だったのかよく分からずに首を傾げる私だが、ともあれ残されたカルロも屋敷の入り口へと向かうのが見える。

 訓練が終わったら湯浴みをしてから私の部屋を訪れるように彼に伝えてあるので、もうしばらくしたらここに来るということだ。


 しばらく私が部屋で待っていると、外からドアが叩かれ、開かれたそれの向こうから髪がしっとりと水気を含んでいるカルロが姿を現す。

 入室してこちらへと礼をしたカルロを椅子に座らせると、私は机上に置いていた薬品用の小皿を手にする。

 貴族の部屋には茶菓子を作るための簡易的な厨房が付属しており、それは無論私の部屋も例外ではない。

 小皿の中身に入っているのは当然薬であり、先程そこで作ったものだった。

 毎日厳しい訓練を重ねている彼であるが、素振りや立ち合いなどをしていれば筋肉に負荷が掛かり、翌日に筋肉痛になる可能性が高い。

 それは辛いだろうし、痛みを少しでも避けるために、薬効成分のある植物を集めて塗り薬を作っていた。


「腕を出して頂戴、カルロ」

「はい、お嬢様」


 風呂に入った際に着替えたようで訓練の時に着ていた薄手で半袖の軍服とは違うオーロヴィア家の使用人としての制服を纏っている彼は、袖を捲くって腕を露出させる。

 私は小皿の中から作った軟膏を少し取ると露わになった右腕の肌の上に付着させ、両掌で包むようにして塗り広げていく。

 こうして塗っているとカルロの腕の筋肉が感触を通じて分かるのだが、日に日に力強くなっていくそれが彼の成長をはっきりと示しているようで、とても微笑ましい気分になる。

 右腕に塗り終えると次に反対の左腕にも同じように薬を塗っていく。

 科学的に合成したものではなく生薬を原材料としているために色は暗くお世辞にも綺麗だとは言い難いが、しかし効果の方は折り紙付きだ。


「……これでよし。いつもありがとう、頼りにしているわ」


 両腕にきちんと薬を塗り終えると、私は彼に対してそう礼を言う。

 私のために頑張ってくれているカルロにはとても感謝していた。


「あの、お嬢様」

「どうしたの?」


 普段ならば薬を塗り終えたらしばらく雑談をした後、部屋に戻って休むように伝えて別れるところであるが、しかし今日は彼が何かを言わんとしているようだった。

 それに気付いた私は、どうしたのかと思いつつそう尋ねる。


「ええと、これをお嬢様に。似合うと思いまして……」


 どうしてか顔を真っ赤に染めると言い淀みながらそう口にして、何かをこちらに差し出すカルロ。

 彼の手元を見ると、そこにはコサージュと言えばいいのだろうか、赤い生花が中央にあしらわれた髪飾りが持たれていた。

 よく見ると、果たして偶然か必然かその花はダリアの花であるらしい。

 ダリアは前世をこの国で生きた私にとって個人的にとても思い入れの深い花であるが、新たな生においてもどうやらこの花には縁があるようだ。


「どうしてこの花を選んだのかしら?」

「これが一番お嬢様に似合う気がしたので。お嫌でしたか……?」


 何故赤いダリアを選んだのかふと不思議に思ったのでそれについて尋ねてみると、そう答えた後にカルロは不安げな表情で尋ね返す。

 どうやら、彼を不安にさせてしまったらしい。


「ありがとう、カルロ。素敵な贈り物をいただけてとても嬉しいわ」


 ただ気になっただけで嫌だった訳ではないし、むしろ嬉しかったのでそう礼の言葉を述べる私。

 コサージュの作りそのものは稚拙であるが、しかしそこは問題ではなく、こうしてプレゼントをくれたことがとても嬉しかった。

 すると、再び彼の頬が真っ赤に染まっていき、その灰色の瞳がこちらから逸らされる。

 その反応を若干不思議に思いつつも、私はしばらくの間彼と会話を楽しんでいた。

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