int.9 急転
戴冠式の日から二年程が過ぎ、新しい王となった陛下の治世も概ね安定しつつあった。
我が国の体制が切り替わったのを見て好機だと思ったのだろう、私が宰相補佐に就任した直後に東で国境を接するラーゼリア王国が宣戦してきた時は対応に追われたが、陛下の陣代として諸侯の兵を取り纏めて出陣し、敢えてこちらの領土に誘い込んだ上で撃破したことによって大打撃を受けた彼らとの間にこちらにかなり有利な講和を結ぶことに成功する。
その内容に極めて大きな不満があったらしいラーゼリアは翌年にもう一度こちらに戦いを挑んできたが、それも撃退すると国内には平穏が訪れた。
更に陛下の陣代として自ら兵を率い二度に渡る大勝を収めたことによって実質的な宰相としての私の権力は大幅に増大し、政敵であるベルファンシア公爵を初めとするいくつかの派閥の意向を必要以上に気にする必要も今や無くなっている。
少し強引さは否めないものの陛下の理想を実現するためということで、私は度々彼らの反対と抵抗を押し切りながらも新たな施策に取り組んでいた。
もちろんその背景にはエルティ卿による全面的な後押しがあり、彼女の力添えがあったからこそ私は改革を進められているので、もう彼女には頭が上がらない程である。
そうした感じで今に至った訳だが、現在宰相を務めている人物の老齢のための引退に伴い、私を正式に宰相に昇格させるという話が進んでいた。
私としては政策さえ実施出来ればどちらでもよいのだが、数年前ならば抵抗が激しくて不可能だったそれも私の権力が極めて強くなっている今ならば実現も可能であり、数ヶ月後にも実現させることを前提として半ば決定している。
このところは度々暗殺者が私を狙うようになっていたものの、警備体制を現代的なセキュリティ理論に従った形に変更したことによって全て阻止出来ているし、順調に富み始めているこの国の将来は磐石であると言ってよかった。
一方で、実質的な宰相として実権を握っている私は多忙を極めている。
何しろ現代知識を前提とした政策を多く持ち込んでいるために本来ならある程度仕事を任せることになる官吏や官僚達がそれに対応出来ないことも多く、結局自分一人で進めていくしかない部分も多々存在するためだ。
OLとして働いていた頃から仕事は好きだったので別に苦痛ではないし、むしろ全ては陛下のためであると思えば楽しくさえあったが、半年以上も一日中王宮にある執務室で仕事をしていた私を見かねた彼によって休暇を命じられてしまい、現在私は久々に王都にある屋敷へと戻っていた。
私が稀に休暇を取ったと知ればいつも真っ先に屋敷へと招待してくれるエルティ卿は現在は領地で執務をしており、王都にはいない。
久々に見る庭を眺めつつも入り口の扉を潜り屋内に入ると、私は正面にある階段を上り三階へと向かう。
二階に着くとそのまま奥へと進み、屋敷に仕えている侍女達と時折すれ違いながらも長い廊下を歩いてその先にある三階への階段を上る。
最近は全くと言っていい程使っていなかったが、私の居室があるその階の廊下で娘であるメイナージェの姿を見つけた。
普段着用のドレスをその身に纏っている彼女も私に気付いたらしく、その場で膝を折って礼をする。
「あら、お母様。お久しぶりです」
「久しぶりね、メイナージェ。最近はなかなか一緒にいられなくてごめんなさい」
「いいえ、お母様はこの国を担われている方ですもの。お気になさらないでください」
この子の姿を最後に目にしたのももう半年は昔のことになる。
仕事に追われてほとんど構ってやれなかった罪悪感に襲われつつ私が謝罪すると、彼女はにっこりと微笑んでそう返してくれた。
本当にいい子に育ってくれたと実感する。
「ふふ……。ありがとう。では、今日は久々に二人で過ごしましょうか。そこの貴女、紅茶の準備をお願い」
近くを歩いていた巡回中の侍女を呼び止め、紅茶の準備を命じる。
せっかくの休みであるし、親子水入らずで過ごすのもよいだろう。
そのまま連れ立って私の部屋へと向かっていく。
私は自室で娘と円卓を囲みながら、紅茶の味わいを楽しむ。
地球でもそうであるようにこの世界においても茶葉は様々な品種に分類されており、今飲んでいるのは南方諸国で収穫され河上での貿易を通して我が国へと輸出されてきたものだった。
当然この国でも茶葉は多く生産されているのだが、南方諸国で栽培されているいくつかの品種の中でも最も高級なものは一袋で銀食器一枚と釣り合う程の価格で取引されている。
現在飲んでいるのもそうしたものであり、それ程の高級品だけはあって非常に上品な香りと深い味わいが感じられた。
それに添えられている茶菓子は、主の命で買い求めに来た使用人達で毎日のように人混みが出来ると評判の菓子屋が作った苺タルトである。
先程急遽買いに向かわせたので売り切れていないか心配だったが、どうやらまだ残っていたようで無事に購入してきてくれたのだ。
苺タルトに限らず私はこの店の菓子が気に入っており、取り寄せたそれを仕事の合間の僅かな時間に食すのが最近の楽しみだった。
「どうかしら、この焼き菓子は。私のお気に入りなのよ」
「ええ、とても美味しいです。思わず食べ過ぎてしまいそうです」
「いいのよ。多めに取り寄せたから、気にせずに食べなさい」
存分に苺が乗せられたそれは使われているシロップやカスタードクリームの甘味や香ばしく焼けた生地の食感に苺本来の甘味と酸味が絡まっていて非常に美味しく、どれだけ口にしていても飽きることがなかった。
私と同じく甘いものが好きであるメイナージェもこのタルトが気に入ったらしい。
甘いものは別腹とはよく言うが、貴族としての品位は崩さないようにしつつも二人で次々と食していくと、あっという間にそれなりの大きさがあった丸々一枚が姿を消した。
とはいえ、何枚か購入しておいたので特に問題はなく、鐘を鳴らして侍女がもう一つ持ってくるまでの間私達は紅茶で喉を潤す。
「貴女ももう十五なのよね。早いものだわ」
優雅な仕草でカップを口に運ぶ娘の姿を見ていると感慨深いものを感じ、思わずそう呟く私。
こうして茶を楽しみながら話しているだけでも、この子がすっかり令嬢としての振る舞いと教養を身につけていることが分かる。
既にお披露目は済ませているが、領地にある屋敷で礼法を教え始めた頃と比べれば当然ではあるがとても大きくなったと思う。
とても立派に育ってくれたし、どこに出しても恥ずかしくはない自慢の娘だ。
「近いうちに、共に何か劇を見に行きましょうか。貴女とどこかに行く機会も、この二年はすっかり無くなってしまったものね」
「お母様と共に過ごせることは嬉しいですけれど……。お仕事は大丈夫なのですか?」
「ええ、貴女はそのようなことを心配せずともよいわ。私は貴女の母なのだから」
それまでは定期的に一緒に過ごす時間を作るようにしていたのだが、仕事のせいで仕方がない部分もあったとはいえ宰相補佐になってからは親子で過ごす時間がすっかり少なくなってしまった。
その分の埋め合わせという訳ではないが、どうにかして近いうちにスケジュールに空きを作り、この子と共に外出する機会を作りたい。
「……どうしたのかしら」
だが、そんな折、ふと不自然な雰囲気というか肌に不愉快な騒がしさを感じる私。
様子を確かめようと紐を引きかけた私だが、その途中で外から乱暴に部屋の扉が開かれる。
それと共に中に入ってきたのは、我が家に仕えている武官の一人だった。
「何事?」
「失礼致します! 現在屋敷が外から攻撃を受けております!」
「今すぐ第三騎士団に狼藉者を捕らえるように連絡しなさい。無用な犠牲を出さぬよう、門は堅く閉ざして防備に専念するように」
この国の首都であり王がいる都市でもあるのだから当然であるが、王都の警戒態勢は厳重であり、あまり大規模であれば事前に存在に気付かれているはずだ。
ということは襲ってきているのは多くともせいぜい百人程度であろうし、現状の屋敷の兵力があれば騎士団の到着まで護り通すことに支障は無いだろう。
しかし、そう判断した私に対し彼はなおも続ける。
「それが、攻撃を仕掛けてきている敵の規模は万を超えています! ベルファンシア公爵家の旗を掲げています」
「まさか!?」
窓辺に駆け寄った私は、透明な硝子越しに外を見下ろす。
視線の先には、確かに一万以上はいるだろう武装した軍勢が屋敷の前の通りに集結している光景があった。
敵は閉ざされているこちらの門に攻撃を仕掛けてきており、味方の兵が圧倒的な少数ながら必死に防衛に当たっている。
そして、敵が掲げている旗に描かれているのは紛れもなくベルファンシア公爵家の家紋に他ならなかった。
「メイナージェ、貴女は念のために会議室に行っていなさい。貴方は皆を集めてきて。それと、執務室に油を多めに持って来させなさい」
娘に最も安全だろう場所に避難しているように伝えると、私は執務室へと向かう。
辿り着いて少し待つと侍女によって大量の油が届けられ、受け取った私はそれを室内に撒き、火を点けた。
王都には諸侯が軍勢を入れることは禁じられており、例外は王軍が編成された際にそれに参加する時と、逆に王都へと帰還した王軍が解散する時の二つだけである。
それ以外の理由で軍勢を入れようとすれば余程の理由が無い限りは反乱と解釈されることになるし、あれ程の数の軍勢がいるにも関わらず、未だ騎士団が駆けつけてきていないのはどう考えても不自然である。
だが、とはいえ今はその辺りの理由を考えているべき時ではない。
この屋敷には少数の兵しか置いていないので、あれだけの軍勢に攻められればとても防ぎ切ることは出来ないだろう。
ここにある書類はほとんどが領地の運営にまつわるものであり、つまりその中には私の持ち込んだ地球の知識が豊富に用いられている。
それらを敵に渡す訳にはいかなかった。
現代知識という切り札さえあれば、この窮地を脱して領地に戻ることが出来ればいくらでも盛り返すことが出来るのだ。
石造建築であるので屋敷そのものが炎上することはないが、油の撒かれた室内は勢いよく燃え上がり、中にあった書類は内装と共に全て灰燼に帰していく。
「閣下、門が破られました!」
だが、ほぼ同時にそんな報告が届く。
門が破られれば、それ以上敵を遮ってくれるものは無い。
「……最早これまでね。会議室には外へと続く抜け道があります。貴方達は何としてもメイナージェを領地まで無事に送り届けなさい」
「この命に換えましても、必ずや護り抜いてみせましょう!」
「ありがとう。貴方達は、すまないけれど私に付き合ってもらえるかしら」
メイナージェの護衛を命じた男達は駆け去っていき、私はその場に残った者達に声を掛ける。
下の階からは侍女達の驚いたような悲鳴が聞こえてきており、既に屋敷の内部へと敵兵が侵入を始めていることが分かった。
今から抜け道で逃げようとしても間に合わないだろう。
門が破られるのが予想外に早かった。
その前であれば逃げ切れただろうが、これからでは恐らく捕捉されて出口を塞がれるはずだ。
それを防ぐには誰かが敵の目を引かなければならない。
無論黙って死ぬつもりは無いが、この身を囮とすれば娘が無事に逃げ延びられるまでの時間は稼げるはずだ。
彼女が生きて領地に戻れば、ロートリベスタ家が滅ぶことはない。
「微力ながら、この身は最後までお嬢様の側に」
「お嬢様はやめなさいと言ったでしょう、フレドホルム。もうそんな歳ではないわ」
冗談めいた口調の台詞に対し、私も微笑みながら言葉を返す。
彼は私が幼い頃からロートリベスタ家に仕えている臣下の中でも最古参の武官であり、昔からの癖なのか侯爵位を継いでからも私のことをそれまでと変わらない呼称で呼んでいる。
このやり取りもすっかり定番となっていたが、しかしそれは悲壮に包まれていた場の雰囲気を見事に氷解させていた。
たった一言で空気を明るいものに変えてしまう辺り、さすがといったところか。
「来たわね。では、貴方達の命は私が預かります。行くわよ!」
廊下の向こう側から、ベルファンシア家の防具を纏った兵達が姿を現した。
それを確認した私は、腰に佩いた鞘から剣を引き抜きそう檄を飛ばす。
礼法では女性が日常的に軍服を纏っていても特に問題はなく、身長が百七十四センチある(令嬢達の平均身長からすれば二十センチ近くは高い計算になる)ために合うサイズのドレスがなかなか無く用意しようと思えば特注するしかないことと、単に軍服の方が動きやすいことの二点から私は爵位を継いでからは基本的にロートリベスタ家の軍服を身につけている。
それ故に、私は着替えずともそのままで剣を振るうことが出来た。
「エドワルド、今まで侍従として仕えてくれてありがとう。これまでよく私を護ってくれたわね」
「閣下……。そのような」
「背中は預けるわ。存分に戦いましょう」
敵へと向かいながら、エドワルドとそう言葉を交わす。
思えば、彼とは六歳の頃に出会って以来ずっと共に生きてきたのだ。
彼と共にあったこれまでの人生が走馬灯のように脳裏に映り、そして私達は接敵した。
こちらが僅か数十人であるのに対し、相手は一万。
数の差は圧倒的であり、逃げ場ももう無いという絶望的な戦況ではあるが、しかし私にも貴族としての誇りと意地があるのだ。
それに、何故か騎士団は動いていないようだが、騒ぎが長引けば彼らが救援に来てくれるだろう。
この腕が動く限り、剣を振るうことが出来る限りは戦い抜いてみせる。
剣が振るわれる度に誰かが倒れ、そしてまた剣が振るわれる。
無論、私も剣を振るいながら前へと進む。
それが何時間続いているだろうか。
兵力差を考えれば、私達は善戦していると言って過言ではないだろう。
しかしながら、やはり数という壁は絶対的なものであり、時が過ぎると共に一人二人と味方の数は減っていった。
「……っ、エドワルド!」
そして、遂に侍従である彼までもが倒れた。
致命傷を負いながらも意思の力で意識を繋ぎ止め、なおも戦うことを止めなかった彼は遂に限界を迎え、ゆっくりと崩れ落ちていく。
剣を振るえども振るえども、倒せども倒せども一向に減る気配を見せない敵兵。
斬り下ろし、横に薙ぎ、こちらに迫る剣を跳ね返す。
だが、不意に限界を迎えた剣が折れて飛んでいく。
いつかのような意図的なものではない、予期せぬものだ。
抵抗の手段を失った私へと伸ばされる兵達の手。
そして私は、自由を奪われてベルファンシア公爵の軍勢に拘束された。
だが、それでもなお私は希望を捨てた訳ではなかった。
騎士団が救出に来てくれることを信じて。




