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int.0 プロローグ

 長い長い、夢を見た。









 ふと気がつくと、背中には沈み込むように柔らかなシーツの感触。

 それに違和感を抱いた私が瞼を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。

 壁には明らかに高名な画家が描いたと分かる優れた絵画がいくつも飾られ、周囲を見回す中でふと目に留まった鳥の像でさえ黄金の輝きを宿している。

 ここから見ただけではあれが純金なのか鍍金なのかは分からないが、もしも純金ならば価値にして数十億円は下らないだろう。

 他にも、木製のクローゼット一つをとっても木目の美しさから見てかなり高級な木材が使われていることは明らかであり、この部屋の持ち主の生活水準の高さを窺い知ることが出来る。

 問題は、ここがどこであるのかだ。

 自らの記憶を探ると、然る企業でOLとして働いていた私が久々に取った休日に路上を歩いていると、猛スピードで走行する青いスポーツカーが自分へと向かってくる光景が覚えている限りの最後だった。

 果たしてあれが偶発的な事故だったのか初めから私を狙ったものだったのかは確かめようがないが、あの速度の車に激突されたからには私は生きてはいないはずである。

 にもかかわらず、私はこうして見ず知らずの場所に確かに存在していた。

 これは一体どういうことなのだろうかという疑問が沸き起こるが、ひとまず状況をより正確に確かめるために起き上がろうとしてみたところ、身体が上手く動かないことに気付く。

 咄嗟に自分の身体を見ると、そこには到底成人のものではない小さな手足があった。

 思わず驚きの声を発しようとすると、声こそ出すことが出来ても意味のある言葉を口にすることが出来ないことにも気付く。

 信じ難いことだが、どうやら私は赤子に、それもまだ言葉を話せないことから見ておよそ生後半年以内だろう乳児になっているらしかった。

 当然ながら、成人女性の肉体を乳児にまで戻すような方法など存在しない。

 あまりにも非科学的な現実に私は混乱しながらも、しかし私の脳は転生という答えを私に提示していた。

 そもそもまだ身体構造の問題で言語を使えないような乳児の身体であるならば、まだ脳もそれ相応の発達しかしていないはずなので、今しているような思索など本来は出来るはずがない。

 にもかかわらず私はこうして日本人としての意識と記憶、そして思考能力を確かに保っており、それらの非現実的な要素を説明しようとするならば、原理や仕組みなどは全く分からないが自らが転生したのだと結論付けるしかなかった。

 そうしてやや強引にだが自らの身体に関する疑問を片付けたところで、次の疑問として立ちはだかるのはやはりここがどこかだ。

 室内の様子からこの建物の主が極めて大きな財力を持った人物であることは分かるが、しかしそれだけの情報で現在地を確かめることは不可能である。

 自力でおおよそどこの国なのかを知るには風景などの外の情報が必要不可欠であるが、壁に飾られた絵画は他国の画家が描いた作品を購入したものである可能性も十分に考えられるために参考にはならない。

 視界の先にある扉の逆側、つまり私の頭が向いている方向の壁には窓があるようだが、数多の花が描かれた上品なカーテンが閉じられているために外の景色を窺い知ることは出来なかった。

 自由に動けないこの身体では自力で窓際に近付いてカーテンを開けることも不可能であるし、つまり誰か人が訪れるまでは現在どこにいるのかを知るのは不可能であるということだ。

 私は考えを整理しつつ、この部屋を誰かが訪れるのを待つ。


 しばらくすると扉が開く音がし、その向こうからまだ二十代半ばと思しき若い一人の女性が姿を現す。

 暗い赤色をした頭髪に、彫りの深い顔立ち。

 目算だがおよそ百六十センチ程度だと思われるその身体には、白を基調としたエプロンドレスが纏われている。

 その容姿からしてここはヨーロッパのどこかだろうかと思いつつ不自然に思われないように気をつけながら観察していると、彼女が棚の掃除を始めたのでどうやらこの建物に勤めているメイドであるらしいことが分かった。

 恐らく制服なのだろうエプロンドレスには金糸を使った装飾が施されており、使用人の制服にまで少量とはいえ金を用いている辺り、いよいよ部屋の持ち主の資金力が尋常なものではないことが確かめられる。

 それからも彼女は室内に置かれている円卓を布で拭ったりして掃除を続けていくが、その最中に再び扉が開き、同じ衣服を身につけた年配の女性が入ってくる。

 二人の態度からして後から入室してきた女性の方が上司に当たることは推測出来たものの、しかし何やら会話を交わす彼女らからそれ以上の情報を得ることは出来なかった。

 何故ならば、彼女らが交わしている言語は私にとって全く未知のものだったからだ。

 彼女らの口から発せられている音韻や短い会話の中から僅かに理解することが出来たいくつかの固有名詞の形などから考えて、この言語は既知のどの語族にも属しておらず、私の知る限りのあらゆる地球上の言語と関連が無いことは明らかだった。

 そうであるからには、ここがどこなのかという疑問がますます大きくなる上に、可能な限り速やかにここで用いられている言語を習得する必要性が生まれてくる。

 人々がどのようなことを話しているのかを理解出来なければ情報を収集することは覚束ないし、恐らく今の私がこの屋敷に暮らしている誰かの娘であると考えられる以上、少なくともある程度の年齢になるまではここで生活を送ることになるはずだからだ。

 幸いにも、先程聞いた限りではこの場所の言語の音韻体系は(ウビフ語などに比べればだが)そう複雑なものではなさそうなので、覚え終わるまでにそれ程の時間は要しないだろう。

 そうであるならば、なるべく多くの会話を耳にして少しでも早いうちにこの言語に慣れておきたい。

 私は、再び会話を始めた二人の女性のやり取りに耳を傾け始めた。


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