4. 面影(1)
数日が過ぎた。
私も慌しい屋敷の仕事を何か手伝いたかったのだが、六歳児の身体では役に立たないどころか足を引っ張ってしまうし、何より小規模であるとはいえ貴族の嫡子である私に手伝わせてくれるはずがない。
出迎えの最終準備に奔走する母の姿を横目に、私は自室で大人しくしていることがほとんどだった。
部屋から出るのは、それこそ食堂で取る夕食の時くらいだ。
朝食と昼食はいつもそれぞれの部屋に配膳されているので、それによって外に出ることはない。
前々世も前世もそれなりに仕事に明け暮れてきたつもりだが、まさかここに来て引きこもることになるとは思わなかった。
前世の実家は大貴族だったため、王族を迎えるとしても今の我が家のように慌てて準備に奔走せずともよかったのだ。
特にすることの無いぐーたらな一日が退屈に思えてしまう私は、実はワーカホリックなのかもしれない。
退屈そうな私を見かねたのか、お付きのメイドが子供用のおもちゃをいくつも用意してくれたが、中身は大人である私がそのようなもので歳相応に遊べるはずもない。
相変わらず庭で訓練に励むカルロの様子を窓から眺めることだけが、私のここしばらくの日課になっていた。
まだ重い真剣を手にふらついているのには変わりないが、しかし始まったばかりの頃と比べればずっとしっかりとしてきている。
何しろ、最初は剣を持ち上げることさえ出来なかったのだ。
まだ実戦形式での打ち合いは当分しないらしいが、毎日ここから訓練を見つめている私には彼の成長がはっきりと感じられた。
この国、ベルフェリート王国の第二王子アルフェリオ・レストリージュとその随行は、父を先導役としていよいよ正午過ぎにこの屋敷に到着する予定だ。
もうそれほど間はないだろう。
昨夜遅くの時点で既に出迎えの準備は終わり、今は皆何か抜かりがないかの最終確認に慌しい。
慣れているので私は別に慌てたりしないが、使用人達は今頃緊張の只中にいることだろう。
私も前世で最初に王族を迎えた時はもう身体中が緊張で震えていたくらいなので、その気持ちもよく分かる。
昨日の夕食の際に母から段取りを伝えられたが、私は母と二人で玄関先に立って彼らを出迎える予定だ。
そうでなければ無礼に当たってしまうので当然だが。
私は既に一張羅である桃色を基調にフリルをふんだんにあしらった豪奢なドレスに着替え終えており、一行が郊外へと到着し次第使用人が私を呼びに来ることになっている。
それを待ちながら、庭園の木々を大きく揺らす風に吹かれながら黒いシャツを汗に濡らして訓練に励むカルロの姿を私はじっと眺めていた。
しばらくすると、いつものように彼を指導していた領主軍の隊長が素振りを止めさせる。
そして真剣を受け取ると、そのまま立ち去っていった。
どうやら、今日はいつもより少し早いがこれで訓練は終わりらしい。
倒れ込むように近くの壁に身を預け、大きく肩を揺らす彼。
彼は、万が一にも鉢合わせを避けるために訓練が終わり次第私の部屋に来る段取りになっていた。
王子一行が去るまで自身の部屋にいさせられればそれが一番いいのだろうが、家が貧乏であることもあってこの屋敷は貴族のものとしては然程広くないため、カルロの部屋も解放しなければ彼らが入り切らないのだそうだ。
彼の分の着替えももう既にここに運ばれ、机上に畳まれている。
しばらく屋敷の壁にもたれて疲れを癒していた少年は、やがて肩の揺れが収まると屋敷の入り口の方向へと歩き出した。
「お疲れ様、カルロ」
窓際から身を離して少し待っていると音を立てて扉が開き少年が姿を見せたので、私はそちらを振り向いて彼に声を掛ける。
「あ、ありがとうございます、お嬢様」
一瞬私に視線を向けると、急に頬を赤く染めて目を虚空へと逸らした彼。
あらぬ方向を見ながら、私にそう言葉を返す。
……よく分からない反応だ。
このドレス、母が私用にデザインして作らせたものだけあって、センスが悪かったりはしないはずなのだが。
「どうしたの?」
「い、いえ。素敵なドレスですね」
「ふふ、ありがとう」
ああ、訓練から戻ってきたら朝と私の装いが変わっていたので驚いたのか。
そういえば、この子がこのドレスを見るのは初めてな気がする。
ましてや、今の私は王子に会うということでそれなりに本格的な化粧も施されているのだ。
仕えるべき相手の見た目が普段と大きく変わっていたら、それは戸惑うのも無理はないだろう。
いつまでも立っていても仕方がないので、私はベッドの縁に腰を降ろす。
少年はちょうど私の正面辺りに配置された丸い小型のテーブルに近付き、その上に置かれた自らの着替えを手に取る。
「お嬢様、少し布団を被っていてください。着替えられません……」
「駄目よ。ちゃんと着替えなくちゃ」
また顔を赤く染めてこちらにちらちらと目線を送りながら、恐る恐る少年が言う。
だが、そんな訳にもいかない。
カルロはいつも私のために頑張って訓練をしてくれているのだ。
異性の前で着替えたりするのが気恥ずかしい年頃なのは分かるが、せっかくのこの機にどれくらい彼の体が鍛えられたのかを見ておきたかった。
「……っ、そんな」
「あまり時間が無いの。早くして」
躊躇う彼を急かす私。
もう、いつ使用人が私を呼びに来てもおかしくない時間だ。
早くしてくれなければ、見逃してしまう。
「わ、分かりました」
観念したのか、彼はそう言うとおずおずとシャツに手を掛け、それを脱ぎ去った。
始めて目にすることになった彼の肉体。
今まで黒い布に覆い隠されていたそこは筋肉がはっきりと浮き出たりこそはしていないもののすらりと引き締まっており、日頃の訓練の成果を窺わせた。
私はベッドから立ち上がるとそのまま歩み寄り、彼の身体にぺたぺたと触れてみる。
「お、お嬢様!?」
「静かにしなさい。騒いだら迷惑よ」
そう注意すると顔を林檎のように真っ赤にしながら俯き、黙り込んだカルロ。
まだ少し熱を孕んだままの彼の胴や腕の感触はそれなりに固い。
幼いこともあってまだまだ華奢ではあるが、このまま成長すればきっと逞しく強い男になるのだろう。
頼もしく思いながらもひとしきり触り終えると、私は彼から身体を離しベッドの方へと戻る。
その途中で、使用人が扉を開き姿を見せた。
「サフィーナ様、間もなく殿下が到着なさるそうなので玄関までお越しください」
「分かったわ。カルロ、ちゃんと待っていなくちゃ駄目よ」
「はい……」
急いで扉の方へと向かう私。
使用人の後ろに続いて部屋を出る間際、振り向いてそう告げると彼は何故だか泣きそうな声で返事をした。
よく分からない反応に首を傾げる私だったが、扉が閉まり彼の姿が視界から消えたので考えるのを止める。
私が玄関へと到着すると、もうはっきりと視認できる距離にまで王子の一行は迫っていた。
私と母は跪いて礼をし、彼らが立ち止まるのを待つ。
そしてそのままの姿勢で数分。
大勢の人間が足を止める音がした次の瞬間、私達にまだ幼く甲高い声が掛けられた。
「うむ、おもてをあげてよいぞ」
その言葉に従い、私と母は下げていた頭を上げ、その言葉の主を視界に映す。
「……っ」
思わず息を呑む私。
気をつけていなければ、危うく声を上げてしまっただろう。
目線の先にいたのは、護衛らしい多くの兵士に囲まれたまだ私よりも年下だろう少年の姿。
四、五歳くらいだろうか。
幼いなりにしっかりとしてきているカルロとは異なり、彼はまだ純粋に子供といった感じの雰囲気だった。
だが、私の動揺の理由は彼の幼さによるものではない。
私の見つめるちょうど正面。
そこに立つ彼の容姿が、私の前世の想い人に生き写しのようにそっくりだったから。




