10. 大戦略
レールシェリエに到着してから一月が過ぎ、ようやく勢力としての体裁が整いかけていた。
官僚の貴族が絶対的に足りないので内政面はまだ完全ではないものの、既に兵の編成などは終わっており、いつでも出兵出来る状態となっている。
とはいえ、こちらが使える時間は即ち敵が使える時間でもあり、いつまでも手を拱いていては力に劣る私達は押し潰されてしまうだけだ。
戦略面でも戦術面でも、物量で負けているのならばその分素早く作戦を展開するしか勝機は無い。
レールシェリエに八万とヴェルトリージュ辺境伯家の領土に十二万程で、こちら側の兵力は合わせておよそ二十万程だろうか。
全てを合わせてなお現宰相が動員可能な兵力の半分にも届かないし、国境の向こうにも備える必要がある辺境伯家が戦いに動員出来る兵力は更に少ない。
そして、これだけの兵力差を覆すことはいかな戦略を以ってしても難しい。
私に全軍の指揮権があるのならば戦場にて勝利を重ねて形勢を逆転させてみせるが、この手にある指揮権は今は僅か千人(これまでに挙げたいくつかの功績により兵が少し増えた)のそれでしかない。
千人といえば小さな中級貴族クラスの兵力ではあるが、それでもこれからの戦いで動くだろう兵力の全体から見れば誤差のような数字でしかない。
この国には近年は戦いが無かったので、こちら側の貴族達の指揮能力が分からないのも不安点だった。
確実に彼我の戦力比を覆し、こちらに勝利の芽をもたらせる策略も無い訳ではないが―――これはこの国の貴族としての責務や誇りにもとる最低最悪の策だ。
もし王子に献策せざるを得ないとしても、なるべく最終手段としておきたかった。
閉ざしていた瞼を開けると、視界には長いテーブルを囲む貴族達の姿が映る。
部屋の一番奥、入り口から一番遠い席には王子が座り、以降は近衛隊長を初めとして爵位の高い順に王子側として参じた貴族達が腰を下ろしていた。
間もなく軍議が始まるのだ。
爵位を持たない私は末席に座ってはいるが、殿軍の時のような他の貴族がしたがらない役目をいくつもこなして恩を売っている上に、ここまでにそれなりの功績も上げているので発言力は決して低くない。
他の貴族達と対等に話すことが出来るだけの発言力はあるので、後は私が最善だと思うことを述べていくだけだった。
「ようやく兵を出す準備が整った。王都を占拠する逆賊を討つため、皆の考えを述べてくれ」
「まず私から報告させていただきます。交渉を進めていた水軍は二日前に既に味方に合流、第四騎士団もこちら側に立って参戦する意を示していますわ」
初めに口を開き、柔らかな座り心地の椅子に身を預けた私は王子と貴族達へと担当していた交渉の成果を報告する。
基盤固めの作業はレールシェリエを拠点として活用するための組織体制を整えることはもちろん、兵の訓練、更には周辺の諸侯の懐柔を進めたりと多岐に上る。
私もその中のいくつかを担当していたのだが、交渉の相手であった第四騎士団の団長が王子に味方する意を伝えてきていた。
この国には一万人の騎士から構成される第一から第五までの五つの騎士団が存在しており、王家の手足としてそれぞれ異なった職掌を担っている。
第一騎士団は王族の警護及び王都の守備を、第二騎士団は東の国境近くにおいてヴェルトリージュ辺境伯家と力を合わせてラーゼリア王国からの攻撃への備えを、第三騎士団は王都において要人の警護や王都及び直轄領の治安維持を、第四騎士団はレールシェリエ付近で南部地域及び南方諸国への抑えを、第五騎士団は北西部において北方諸国への備えを。
基本的に王都に駐留する第一と第三以外の騎士団は本拠となる城を建ててそこに駐留しており、それぞれの職務を果たしている。
そしてこのレールシェリエから東に馬で半日程進んだ場所に第四騎士団の本拠地があり、私は彼らをこちら側に引き込むべく使者を送り交渉を進めていたのだ。
南部には騎士団の他に王家直轄の水軍も二万人程の規模で存在しているのだが、同様にここから南に少し行った河沿いには水軍の拠点である砦が存在しており、そちらは一足先に味方として取り込むことに成功していた。
仮に第四騎士団が現宰相側についた場合、王都を奪還するまでの本拠地として選んだレールシェリエから一日以内の場所に敵勢力が存在するのはあまりにも大きな脅威となるので何としても味方につけるか、それが叶わない場合には戦って勝つ必要があったのだが、無事に味方にすることが出来てよかったと思う。
第一、第三騎士団は既に現宰相側としての旗色を鮮明にさせているが、まだ報告こそ届いていないものの第二騎士団は地理的、及び歴史的にヴェルトリージュ辺境伯家との結びつきが強いために間違いなくこちら側として参戦してくれるはずだ。
第五騎士団に関しては情報不足であるため動向が読めないものの、騎士団に関しては彼我で二つに分かれた形になる。
「さすがだ、サフィーナ。これで後顧の憂いは無くなったな」
「臣には身に余るお言葉です」
周囲の貴族はあらかたこちらにつくか、或いは中立を保っており、周囲に脅威となるような諸侯は存在していない。
これは元々距離的な問題で南部には中央の情勢の影響が少ないことに加え、南部に領地を持つ貴族は現宰相による国家運営の恩恵をほとんど受けていないことが大きかった。
私の死後に起きたベルファンシア公爵家とエクラール公爵家との内戦も舞台となったのは王国の北部西部中央部であり、地理的に離れている南部と、経緯はともかくヴェルトリージュ辺境伯家が中立を保った東部はその影響をほぼ蒙っていない。
その結果東部では辺境伯家が依然として強い影響力を保持し続け、地域全体に影響を及ぼす程の有力な大貴族が存在しない南部では二百年前と変わらぬ平穏が続くこととなったのだ。
また、南部の諸侯は南方諸国との貿易による収入を得ることが出来るので、たとえ小貴族であろうとも領地の広さ以上の財力を持っていることが多く、官僚として王都に出仕する者が他の地域の中小貴族と比べずっと少ない。
そのため、二百年前の政変も、今始まろうとしている内戦も、他人事のように感じている者が多いのではないかと思っていた。
ともあれそのおかげで現宰相側につく貴族がほぼいない状態であるので、その点は私達にとって幸いだろう。
「ひとまずニクラス殿の軍勢と合流すべきなのでは?」
「それでは此度の義挙に踏み切った味方を見捨てることに……」
「とは言っても、辺境伯家の兵力が無ければとても兵力が……」
居並ぶ貴族達が、口々に自らの意見を戦い合わせていく。
その最大の論点は、現当主であるニクラス・ヴェルトリージュ辺境伯が率いるヴェルトリージュ家の軍勢と合流すべきか否かだ。
この軍議は戦略を決めるためのものであるが、そもそもこちらの取らなくてはならない方針は初めから決まっている。
それは、各地で王子に呼応した領主達の救援に赴くことだ。
ベルフェリート王国は封建制の国家であり、各地を統治する貴族が王家に臣従する代わりに、王家は臣下の領土が危機に陥った際に救援に赴く義務を負っている。
領地が敵に攻められたり奪われてしまっても王の力で取り戻してもらえる(ただし貴族同士の私闘の場合は除く)という前提があるからこそ貴族は王に従うのであり、それは逆賊であるベルファンシア公爵が敵である現在の闘いにおいても変わらない。
進軍中に私兵と共に合流してきた貴族の領地については後から取り戻せばいいが、しかし合流が不可能な場所で挙兵した者達に関してはそうはいかない。
むしろ、こういった状況だからこそ王子は自らの檄文に呼応して挙兵した諸侯達の救援に赴き、王としての資格を示す必要があった。
ただでさえ兵数で圧倒的に劣っているのにそれを更に分散させるなど軍事的に考えれば愚策でしかないが、こればかりはこちらの大義名分にも関わってくることなので仕方がない。
裏を返せば、この国の実権を握っている現宰相にも同じように自らの側についた貴族の領地を守る責任があるということでもあり、上手く相手方の領地を攻撃すればある程度敵の動きを牽制出来るし、敵の救援を何度も失敗させれば現宰相を見限る貴族も必ず出てくるはずだ。
そこは数少ない狙い目の一つであり、我が方が試みるべきは、ひとまずこちら以上に相手の兵力を各地に分散させられるように試みることだろう。
「積極的に打って出るべきかと思いますわ。殿下の威光を天下に示すためにも必要です」
「だが、それではこの街が攻撃を受ける危険性が……」
「ルヴジェントの街に兵を置けば逆徒達を釘付けに出来るでしょう。あの街であれば水軍による支援も容易ですし、長期間の篭城も可能かと存じます」
ルヴジェントとは直轄領にある都市の一つであり、王都から見た場合に南方地域の入り口とも言える街だった。
あの街より北では川幅が急速に狭くなり軍船や輸送船を利用することが出来なくなるので、河の恩恵を利用している最北の街でもある。
ちょうど王都、及びレールシェリエから絶妙な距離に存在する都市なので、先日は駐留していた兵を吸収して素通りしてきたが、再度兵を送り込めば王都から来る現宰相の軍勢を防ぐ盾の役目を果たしてくれるはずだ。
「なるほど。して、何方が指揮をすべきだとお考えですかな?」
「元アトーチェ守備軍指揮官のアルヴィドソン様がよろしいのではないかと考えております」
「確かに、それはよきお考えですな。アルヴィドソン殿なら確かに適任でしょう」
「ふむ……。やれるか、バルブロ?」
纏まりかけた場の意見を察した王子が、将軍の一人として軍議に出席しているバルブロに尋ねる。
アトーチェで初めて顔を合わせた彼が指揮官として優れていることは、元は彼の指揮下にあった五百の兵を見てみればすぐに分かった。
彼にであれば、重要な拠点を安心して任せることが出来る。
「無論です。必ずや敵の攻撃を防ぎ止めてみせましょう」
「失礼ながら、陸兵五千、水軍一万で何ヶ月継戦出来ますか?」
王子からの問いに力強く頷いた彼に対し、私は一つ確認する。
半円状に城砦を囲むルヴジェントの街並みはアトーチェのそれとは比べ物にならない程に広く、その分敵の迎撃に適しているし、何より城砦は広い河のすぐ際に建てられているために兵糧はいくらでも運び込むことが出来る。
収容した市民の分を計算に含めてなお兵糧切れの心配は無く、かつこちらには水軍があるので水軍を持たない敵から河の方面から攻撃を受ける心配もない。
防衛する必要があるのは半周分の城壁だけなので、私が指揮を執るのであれば水路からの兵糧の補給が続く限り、たとえ十万の敵に包囲されたとしても一年は篭城を続ける自信があるが、今後のことも考えればまだ一箇所に拘束されることは避けたい。
明日以降は分散して各地に味方の救出に赴くことになり、ある程度行動の自由が利くようになるので、戦略の前提としてどれくらいの期間食い止められるのかを聞いておきたかった。
「半年は確実に」
「そうか。では、バルブロはこれよりルヴジェントに入れ。兵一万五千を預ける」
「御意」
頷いた王子より兵権を受けた彼が、ルヴジェントに向かうべくそのまま部屋を退出していく。
半年後に決着がついているかは分からない(双方の兵を結集させた決戦でもしない限りはまだ戦いは続いているだろう)が、しかしそれだけの期間ここが安全ならばやれることは多い。
私は現時点での情報を頭の中で整理していく。
ひとまず編成としては、近衛隊五千に第四騎士団の一万の合わせて一万五千がレールシェリエ及び城内の王子の守護に、国軍五千に水軍一万の同じく一万五千がルヴジェントの守備に取られることになる。
南部地域を出れば使いどころの無い残りの水軍一万は物資の輸送や補給、或いは遊軍としての役割を与えるのが妥当であるから、諸侯の救援に赴けるのはここからは四万、辺境伯家の方からは動員の半数の七万五千程度だろう。
現宰相の側も国境付近の貴族は呼べないし、広い私領の守備にも十万程度兵を割く必要があるだろうが、それを差し引いても彼我にはおよそ三倍程度の戦力差がある。
しかも貴重な戦力を分散せねばならないとあれば、仕方が無いことだがかなり厳しい戦いになりそうだ。
私はそう結論付けつつ、机上に置かれたグラスを傾けて甘い白ワインを味わい、再び始まった議論に耳を傾けたのだった。




