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7. 黒炎

 王家直轄領の軍勢を吸収し、総勢が二万となった王子の軍勢はそのままアトーチェ城に入って一夜を過ごした後、翌日には出立して更に南を目指していた。

 一万以上もの軍勢をあの複雑に入り組んだ街並みの中を通すのには往復共にそれなりの時間が必要だったが、ともあれゆっくりと休息を取ることが出来、かつ味方の数が増えたことによって兵達の士気は上がっている。

 もっとも、公爵家や辺境伯家のように単独で十万の私兵を動員出来る貴族もいる中で、その主である王族が檄文を発してなお集まったのが僅か二万に過ぎないという現状が王家の権力が失墜していることを如実に示してしまっているのだが。

 私がベルフェリート王国の宰相補佐、かつロートリベスタ侯爵家の当主としてフォルクス陛下の陣代として国軍を率い、侵攻してきたラーゼリア王国の軍と戦った際には、各地に防衛のための軍勢を配してなお二十万近くの兵が集まっていたことを思うと、権威の著しい低下もまた明白だ。

 あの時は領内で敵軍と戦っているヴェルトリージュ辺境伯家への救援という形であったので二十万程しか動員しなかったが、決戦を前提に本気で全土から兵を掻き集めたならば七十万人規模の兵を動員することが出来ただろう。

 無論、広大な国土を護るためには多くの守兵が必要であり、そのために他の国境沿いに封じられている貴族達を動員することは出来ないし、中小貴族への負担を考えれば彼らを動員することはなかなか難しい(中小貴族に対しては経済的な配慮から動員令が出されることはあまり無いが、しかし戦場で得られる勲功を目当てに自主的に従軍してくる者も多い)のだが、それでも三十万程度の動員ならば容易かった。

 大軍を動員するにはただ兵だけを揃えればいいという訳ではなく、武器や防具はともかくとしても彼らが道中で口にする兵糧を用意する必要があり、その量は兵数が多くなるに比例して増大していくのだが、膨大な量の兵糧の調達も王家と大貴族達が出し合う形であれば特に支障は無い。

 そんな、往時のこの国の全盛期のことを前世の記憶という形で知っている身からすれば、何とも現状が物悲しく感じてしまうところだった。

 今は政治的実権を掌握しているということを差し引いてもなお、ベルファンシア公爵家の力が強くなり過ぎていた。

 前世の私の実家だったロートリベスタ侯爵家とエルティ卿が当主を務めていたエクラール公爵家は取り潰されている訳だが、その領土の大半をベルファンシア公爵家が吸収しており、その当主である現宰相が動員可能な私兵の数は三十万にも上る。

 つまりは大貴族三つ分の勢力を一家で独占している状態であり、守兵も含めたこの国の兵の総動員数がおよそ百万程度であることを考えれば、その三分の一が一つの家の私兵であることがいかに異常なことであるかが分かるだろう。

 ヴェルトリージュ辺境伯家は私兵が十二万、周辺の中小貴族の私兵を糾合すれば十五万程度の軍勢を興すことが出来るが、しかし領地が東の国境沿いにあり長年の宿敵であるラーゼリア王国に備えなければならないので、対現宰相戦に回せるのは半分の七万強くらいだと思われる。

 対して現宰相が自領の守兵を除いても単独で二十万、本来は王家のものである国軍や追従する諸侯の兵を併せればこの国の総兵力のおよそ半数に当たる五十万程度の兵を編成することも可能だろうことを思えば、この国における彼らの力の傑出ぶりはあまりにも凄まじいものだった。

 ―――ともあれ、私達はこれからそんな強大な存在を敵に回し、最終的に勝利を収めなければならないのだ。

 そのための拠点とするために一行が現在進軍している先は、王国の南部の経済的な中心に当たる大都市であり、王家による直轄都市の一つであるレールシェリエだった。

 東端から西端までを横断するのに馬で三ヶ月程度を要し、また百万の兵を擁することが出来る程度にはこの国は広大なのだが、王都の位置から見た場合同じくらい南方にも大きく国土が広がっている。

 内陸国なので海というものが存在しないこの国だが、南部では先日一時的に私達が逃げ込んだ山脈より出て遥か南へと注ぐ大河を利用して下流にある南方諸国との間に交易が盛んに行われており、輸入された珍しい品々はかなりの利益をもたらしていた。

 南方からの侵攻を受けた場合における防衛のための中心拠点でもあるレールシェリエの防備はそれなりに強固であり、国軍も三万程が配備されているので吸収すれば大きな力になるし、王家の直轄領であるためにその地の領主の意向に配慮する必要も無い。

 そして南部は王都から遠く離れているために歴史的に見てその影響力が比較的弱く、元より独自色が濃い地域であることもあって現宰相の力もあまり及んでいないので、まさしくこちら側が本拠とするにはうってつけの場所だと言えるだろう。

 歩兵に合わせたゆったりとしたペースでの進軍をアトーチェ城を出立して以来二ヶ月近く続けている私達は、道中で時折賊の類や現宰相派の貴族の私兵と交戦(とはいっても兵数に勝るこちらが一方的に蹴散らす感じだが)しつつも着々と歩みを進め、十日程前には南部と呼ばれる地方に入っていた。

 別に気候や植生や文化などが他の地方と比べて劇的に異なっている訳ではないが、最大の違いというか特色といえば、この地方には河川が多く人々の生活にも河というものが密接に関わり合っている点だろう。

 例えば移動手段にも馬と同じかそれ以上に船が用いられているし、食事においても河で取られた魚が獣の肉や野菜と同じくらいの割合で供され食されるのだ。

 大きな河があまり無い他の地方においては歩いて渡れない箇所を渡河する時くらいにしか船は用いられないし、そもそも魚を食べるという食文化が無いので魚肉が口にされることもほとんど無いことを思えば、それらが南部地域の最大の特色であると言えるだろう。

 ここまで進軍するまでの間にも何度も河川に差し掛かり、その度に軍勢は要所に設置されている橋や船を用いて渡河を繰り返してきており、それらの作業に時間を取られつつもレールシェリエの近くにまで進んできていた。

 前方には市街地を囲うようにして築かれた城壁が小さく姿を現してきており、王都のそれとは違い防衛力もある程度重視されているために遥か高くにまで積み上げられた四角い石の一つ一つが陽光を反射し、遠目にはまるで白く輝いているように見える。

 向かって左手、城市の東の側には半ば城壁を抉るようにしてそれなりの幅のある河川が流れており、今の位置からでは見えないがそこだけ凹んだような形になっている城壁の外側に作られた船着場には、移動用や交易用などの用途を問わず多くの船が出入りして賑わいを見せているはずだ。

 港と市場の役目を同時に果たしている船着場は城壁の凹みの外側の地面から河の上に張り出すようにして木材を組み立てられ、左右の城壁に挟まれるようにして組み立てられているのだが、かつて視察でこの街を訪れた際には城外という立地にもかかわらず市内で最も活気のある場所であったことを思い出す。

 こうして見る限りでは街の様子は恐らく今も当時とほとんど変わらないだろう、私は脳裏に浮かんだかつての記憶に懐かしさを覚えつつも、身体を預けた黒馬を進めさせる。

 一夜二夜の休息に過ぎなかったこれまで立ち寄ってきた城や街とは異なり、防備が固く王都からも遠いレールシェリエは一時的にとはいえ本拠としてようやく腰を落ち着けられる都市であるため、入城してしまえばある程度ゆっくりとすることが出来るはずだった。

 アトーチェ城にあった、王族が指揮する軍にのみ掲げることが許されている王家の旗を本陣近くに掲げながら堂々と前進を続ける私達の姿は、当然ながら既に城側にも把握されている。

 先刻、こちらの軍勢を受け入れるという旨の使者が届いていて、今は本陣の中で王子がいろいろと細かな話を詰めているところであり、私は適当に河川と拓けた森に挟まれた周囲の景色を眺めながら話が終わり入城出来るようになるのを待っていた。

 もちろんそれを心待ちにしているのは私だけではなく、ここまで長い行軍を続けてきた兵達もまた同様であるはずであり、入城したら狼藉を固く禁じた上で休暇を与えて羽を伸ばさせてやらねばならないだろう。









 そして一時間程の後、開け放たれた城門を潜ってレールシェリエへと足を踏み入れた私達は、碁盤の目のように区画整備された街並みの中央を通る大通りを進み、中心に建つ執政府へと向かう。

 直轄都市であり国王から任命された太守が統治しているために執政府と呼ばれているが、別途城壁に囲まれていたり内側に兵舎があったりと、立地が城市の中央であることを除けば防衛機能を持った貴族の屋敷などと特に変わりは無い。

 大通りは街の中心部を通っているだけはあってかなり広く、二万程度の軍勢ならば特に問題無く通り抜けることが出来ており、往復するのに半日近く掛けて四苦八苦していたアトーチェ城の際と比べればまさしく雲泥の差だった。

 それから程なくして軍勢は執政府へと到着すると、貴族達はその場で各々の私兵を解散させて自らも馬を厩舎に預けて建物の中へと入っていく。

 彼らの様子を横目に見ながら、私も同じように兵を解散させるべく、横乗りのまま馬上で背後を軽く振り返った。


「これより、二日間休暇を与えます。市内から出なければ自由に休みを楽しんで構わないけれど、狼藉だけは何があってもしないように。兵舎の利用については、そちらの責任者の意向に従いなさい。では、解散」


 馬上から必要な連絡事項を兵達に告げると、解散の言葉に従ってばらばらに兵舎へと向かったり街の方へと歩き出したりしていく彼らを見つつ、私は自らも休息を取るべく厩舎を目指す。

 首筋を軽く撫でてこちらの意思を伝えると、外から入って左手にある厩舎へと身体を向けて進み始める黒馬。

 兵は既に解散しているが、当然ながら私の後ろにはカルロとクララがそれぞれの馬に乗って付き従ってきている。

 薄暗く、空気に藁の匂いが漂う厩舎の中に入ると、私は飛び降りるようにして背から降り、黒馬の頭を軽く撫でた。


「ここまで私を乗せてくれてありがとう。そろそろ、あなたにも名前を付けなくてはね」


 もちろん学園の厩舎でも名前は与えられていたのだろうが、それを知る術など今の私には無いし、これからも戦場で身を預けることを考えればいつまでも呼び名の無いままでいる訳にもいかないので名前を付ける必要があった。

 どのようなものがいいだろうかと、地球とこの世界とを問わず知っている様々な言語の中から候補を考えていく私。


「そうね……。ヴァトラ(vatra)なんてどうかしら? 遠い異国の言葉だけれど、あなたの燃えるような毛並みにはぴったりだと思うわ」


 束の間思索した後、思いついた名を挙げて漆黒に燃えているような毛並みを撫でてやると、黒馬は背筋を震わせてそれに答える。


「決まりね。では、改めてよろしくお願いするわ、ヴァトラ。王都からここまで頑張ってくれた分、ゆっくり休んでいてね」


 晴れて名前が決まり、私は黒馬―――ヴァトラを労わりつつ柵を開けると、自分からその中へと入っていく。

 並んでいる馬達の中でも明らかに一回り以上大きいその身体が敷かれた藁の上で膝を折って休息し始めたのを確認して、私は小屋から外へと出たのだった。

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