4. 凶報
数日が過ぎ、私の草案を元に作られた檄文が配布されたことによりこの館にはこちら側についた貴族達が私兵と共に集まり始めていた。
総勢は、ざっと計算しただけだがおよそ一万数千人程度。
十万は優に超えているだろう公爵家の私兵隊はおろか、ようやく五つある騎士団のうちの一つと同程度のとても頼りない人数だが、それでもこの小さな子爵領からすればかなりの大軍だ。
営舎に兵が入りきらず、外に出れば庭に野営用の幕舎が並んで張られているのも見える。
とはいえ、王子によればやはり集まったのは元々逆クーデターの計画に賛同していた貴族達ばかりらしい。
それ以外の貴族の集まりはお世辞にも芳しいとは言えないが、戦力差を考えればそれも仕方がないだろう。
工作をして何人こちら側に切り崩せるか、或いはどれだけ局地戦での勝利を積み重ねられるか。
ここからはそういった勝負になってくる。
逆に相手がこちら側の貴族を切り崩そうとしてくる可能性もある(そして、成功率は軍事力を背景にしているあちらの方がずっと高い)ので、それにも気をつけておかなければならない。
いくら兵が集まったとはいえども、まだまだ茨の道は続きそうだ。
軍議には当然ながら集まった貴族達が皆顔を揃えている。
席次は末席であるが、私も出席を認められていた。
無位無官の身である私が出席することを知ると何か言いたげな様子を見せる者もいたが、王子の下に一番に馳せ参じた功績があるので表立って文句を言われることは無かった。
軍議とは言っても、今回は集まった貴族達の顔合わせが目的のものであり、食事やワインなども出されほとんど晩餐会に近い様相となっている。
もちろん小貴族である子爵に王族である王子を含めたこれだけの数の貴族を歓待することは財政的な意味でかなり厳しいのだが、だからこそ功績の一つとして扱われ、王子が正式に即位した暁にはそれなりの見返りが与えられることになる。
生き馬の目を抜く、という程に熾烈な訳ではないが、誰もが功績を上げ地位と家格を高める機会を虎視眈々と狙っているのが貴族社会というものだ。
やがて皆が食事を終え、終わりを迎えようとしていた軍議。
部屋を退出しようと立ち上がりかける者がちらほらと見受けられるようになった頃、ふと大きな音を立てて外から乱暴に扉が開かれる。
反射的にそちらへと視線を送ると、そこには息を乱している近衛隊の兵士。
どうやら、何か緊急事態が起きているらしい。
「……何があった?」
「アグニュー侯とオルグレン伯が挙兵、王都を占拠する賊軍と交戦しました!」
「何だと!?」
「それで、お二方は勝利なされたのか?」
報告を促した王子の言葉に返されたのは、この場に様々な反応をもたらす。
純粋に驚いている者、吉報だろうと喜んでいる者、そして顔色を蒼ざめさせている者。
私の反応は最後のそれだった……予想が外れていてくれればよいのだが。
「アグニュー侯、オルグレン伯の軍勢約二万一千は王都の付近にてベリード・クラスティリオン率いる第三騎士団約六千と交戦、僅か二時間で完膚なきまでに撃破され壊滅しました! アグニュー侯とオルグレン伯も討ち取られ戦死した模様です!」
続いて近衛兵の口から告げられた言葉は、残念ながら私の予想した通りの内容だった。
味方の惨敗の報せに、瞬く間に動揺が広がる室内。
アグニュー侯爵とオルグレン伯爵。
会ったことが無いので今代がどのような人物なのかは知らないが、両者共に王都の北西にそれなりの広さの領土を持つ貴族だ。
連合してとはいえ二万人を超える規模の私兵を動員してみせたこと自体が、その力の程を如実に示しているだろう。
彼らがこちらと合流せず、一見無謀とも思えるような単身での王都攻撃を行った意図はよく分かる。
まず、王子達の計画に参加していた彼らは王子が王都を追われたために私と同じように立ち上がらざるを得なくなった。
そこで領地の近い二人は手を取り合って挙兵し、二万一千の兵力を用意した訳だが、その時点では先王の崩御から数日しか過ぎていなかったために、まだ宰相側の兵は王都に集まっていない状況にあった。
そして、平時から王都に常駐している兵力は第一騎士団と第三騎士団のそれぞれ一万ずつと、現宰相の私兵が三千程。
王子とルウの追撃によってそのうちの千人以上は王都を空けていただろうから、実数はもう少し少なくなる。
つまり宰相がすぐに動かせる兵力は約二万程度であり、二人の私兵とほぼ同数だったのだ。
更には、親衛隊に近い役目を与えられている第一騎士団はその重要さから団長の政治的な任命が繰り返されてきたため、兵がかなり惰弱となっていることで知られる。
彼らはこれを千載一遇の好機と受け取り、王都に奇襲を仕掛けることを決めたのだろう。
実際、王都の防衛機能はそれ程高くないので、もしも二人が第三騎士団長率いる軍勢を撃破していれば、そのまま城内に雪崩れ込んで内乱は終結していたはずだ。
間違っても二人を責めることなど出来ない、極めて正しい判断。
唯一の誤算は、三分の一以下の兵力でこちらの軍勢を撃破してみせた第三騎士団の予想を上回る程の精強さと、それを指揮する第三騎士団長の能力の高さか。
王都奇襲などという奇策を構想し実行に移すことの出来る人間が無能であるはずなどなく、だからこそ寡兵でそれを撃破した彼の能力が際立っている。
剣術の腕の冴えの凄まじさは知っているが、どうやら兵の指揮においてもかなりの才能を持っているらしい。
一万の全軍を出さずに六千だけで出撃したのは、こちらからも同時に奇襲された場合に備えてのことだろう。
素早く兵力を集めて奇襲するという構想は私も決して考えたことが無い訳ではなかったが、昨日今日でようやくある程度の兵力が集まったことを考えれば到底実現は不可能だった。
ともあれ、いずれにせよこれはかなり悪い報せだ。
今ここに集まっている総勢よりも多い兵力が惨敗を喫して壊滅したというのだから。
何かよい報せが無ければ、士気が落ちるのは避けられない。
「静まれ。まだこちらは負けていない」
動揺してざわめいていた貴族達に静まるよう命じる王子。
それによって石壁に話し声が響いていた室内は落ち着きを取り戻したが、しかしどことなく浮き足立ったような雰囲気は拭えない。
「七百年の栄光の元に集ってくれた誇りある貴公らの力があれば、必ず逆賊を討ち破れるはずだ。この後どうすべきと思うか、皆の意見を出してくれ」
王子の短い演説によって、貴族達の心が力を取り戻す。
並外れた剣の腕だけでなく、人を惹きつける威風のようなものは既に纏っているし、こういった演説を出来る辺り頭の回転もかなり早い。
更には積極性というか野心も抱いているので、彼は優れた国王としての素質を持った人間なのだろう。
眼光を取り戻した貴族達が口々に意見を述べ、室内は再び喧騒に包まれる。
十数人による活発な議論が行われ、その中で様々な意見が飛び交う。
現在地であるカスタニエ子爵領を拠点として周囲の宰相派貴族を攻撃すべきだという意見と、全軍でこの国の南部にまで下がりそこで勢力を拡大すべきだという意見。
特に参加をすることなく耳を傾けていると、大きく分けてこの二つの意見が交わされているのが分かる。
私としては、ここではいささか王都に近過ぎるので南に下がるべきなのではないかと思っていた。
近辺に勢力を拡大しても、王都から大軍が迫れば持ち堪えられないだろう。
南部まで向かってしまえば、あまり中央の影響が強くない地域なのでそれなりの勢力を築く余裕もある。
私と同じようなことを主張する南進派に対し、残留派が主張の材料としているのは追撃の危険だった。
私が王子や少人数の近衛兵と共にここに駆け込んだ際とは異なり、万を超える軍勢の移動となればそれなりの時間が必要となる。
その途中で背後から宰相派の軍勢からの攻撃を受ければ壊滅してしまってもおかしくはないのだ。
「私は南に一度下がるべきかと思いますわ。皆様がこちらにいらしたことで実務に混乱が生じているでしょうし、追撃は恐らく無いでしょう」
中小貴族の大半は、役人として何らかの形で国政に携わっている。
それは今回こちら側についた貴族も同様であり、ここにいない者も含め彼らが多数抜けたことによって王宮ではかなりの混乱が生じているだろう。
そのような状態で兵を出せるとは思わない。
「それでも、万が一追撃を受けたらどうされるつもりですかな? 第三騎士団の精強さははっきりしているでしょう」
「その際は、いくらか兵をお貸しいただければ、私が殿軍の指揮を執らせていただきますわ」
「……ふむ、それならばお任せ致しましょう」
この国の地理は、昔宰相補佐をしていた頃に全て頭に入れてある。
たとえ第三騎士団が全軍で来ようとも、地形を利用しつつ防ぎ切る自信はあった。
こちらを向いた残留派の一人から投げ掛けられた疑問に、私はそう宣言をする。
すると残留しようと主張していた貴族は納得したように黙り込み、一気に場の趨勢が南下へと傾く。
議論が紛糾して纏まらなかったのは単に殿軍を務めたがる者がいなかったためなので、立候補者が現れてしまえばすぐに纏まるのだ。
「では、我らはここを放棄し南部へと進軍する。出立は明朝、それまでに準備をしておけ。軍議は以上だ」
「はっ」
議論が纏まったのを確認した王子が口を開き、私達へとそう命令を下す。
王子が立ち上がると続いて私達も席を立ち、彼に礼をした。
突如飛び込んできた凶報のために予想外に長引いていた軍議は今度こそ終わりを告げ、私は座っていた椅子を戻すと廊下に出て自室への道を進む。
歩きながらも、様々なことに考えを巡らせる私。
最大の問題は、やはりどうやって自由に指揮が出来る兵を手に入れるかだ。
もちろん実家には頼れない。
実家はそう裕福では無いので私兵があまりいないし、そもそも両親を巻き添えにしないためには絶対に彼らに頼る訳にはいかないのだ。
かといって都合よく兵を分けてくれる者などいようはずもないし、どこかから徴兵するにも無理がある。
進軍途上にある王家領の兵を上手く吸収出来ればよいのだが。
難題の解決策に頭を悩ませつつ、その後も私は自室への歩みを続けたのだった。




