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22. 万里鵬翼

 城門を突破した私達は、ただ三騎で遥かに広がる荒野を駆けていく。

 首都であるからには防衛のし易さよりも繁栄を重視して平地に築かれている(そもそもベルフェリート王国のような大国の首都が一方的に包囲されるような状況になるようでは、その時点で既に敗戦は確定しているも同然なので防衛に力を入れてもあまり意味が無い)王都だが、当然市中と違い地面は整備されていない。

 確かにおよそ平らで見通しこそ遥か先まで良好であるものの、しかしその実細かな起伏などには富んでおり、必然的にそれらは強い振動となって馬上の私に襲い来ることになる。

 手綱も鞍も鐙も無い裸馬の上に横乗りで乗っている状態なので気を抜けば振り落とされてしまいそうになるが、しかしこんなところで無駄な怪我など負ってはいられない。

 時折黒々として艶やかな毛並みを撫でて宥めつつ、どうにかこの暴れ馬を乗りこなしていく。

 巨体に似合い気性がかなり荒くはあるが、その反面とても賢いらしく、上手く宥めてやれば軽く撫でるだけでこちらの意志を読み取ってくれるのだ。

 一体、何故学園の馬小屋に繋がれていたのか分からないくらいの名馬である。

 これ程の名馬であれば騎士団に配備した方がずっと有効的に運用出来るだろうし、そもそもこんな荒馬を乗馬の経験の少ない学生に乗りこなせるはずがない。

 二重の意味で宝の持ち腐れだろう。

 ともあれ、どういった事情なのかは知らないがそのおかげで今こうしてこの馬に乗れているのだから、私にとってはありがたいことだ。

 実際に剣を持って戦うことは出来ないとはいえ、これから私が足を踏み入れる場所は本物の戦場に他ならないのだから、いい馬に乗れるというのは即ちそれだけ危険が減り生存率が上がるということであるため実に心強い。

 実際に乗ってみてより実感したが、駆ける様はまさしく風のよう、と形容するに相応しい程の速度だった。

 それに伴って正面から吹きつける風が冷たく私の肌を撫で、豪奢なドレスを揺らし、そして腰まで伸ばした髪を靡かせる。

 私に従ってくれた二人もそれぞれかなりいい馬を選んでいたのだが、ちらりと背後を振り返るとしかしそんな彼らともなおそれなりの距離が生まれてしまっていた。

 これでもまだかなり余裕があるらしいことに驚くが、しかし味方である二人を振り切ってしまっては何の意味もない。

 追っ手も見えないので、首筋を撫でて少し速度を落とすように伝える。

 その指示に従い、これ以上距離が広がらない程度に疾駆を緩める黒馬。

 さすがに今この場でということはないが、王子に追いついて一段落したらこの子にも名前をつけてやるべきだろう。


 カルロに関しては乗馬の腕が一流なのを知っているので特に心配はしていなかったが、この振動では振り落とされてしまうのではないかと危惧していたクララもどうやら問題なく乗りこなせているようだ。

 彼は侍従という訳でもない平民なのでこれまでに慣れる程馬に乗る機会があったとは思えないのだが、或いは高い身体能力の為せる業なのだろうか。

 斜めに傾いた屋根や高い木々の上にも軽々と飛び乗ってしまえるバランス感覚を持っている彼にとっては、裸馬の上から振り落とされないようにするくらい簡単なことなのかもしれない。

 それにしても、あのように城門を突破したのであれば(ましてや私達は馬泥棒だ)すぐに追跡隊が組織されてもおかしくはないはずなのだが、未だにそれらしい姿が後方に見えないのは何故だろう。

 堂々と学園を出奔したからには、王都を脱出したのが私であることはすぐに明らかになるはずだ。

 となればたかが子爵家の娘である私ごときどうでもいいと判断されるような出来事―――ルウもあれから程なく王都を脱出したのかもしれなかった。

 辺境に大兵力を保持するこの国二番目の大貴族であり、かつ現宰相の家とは長年の確執を持つヴェルトリージュ辺境伯家の嫡子である彼がこのタイミングで王都を強引に後にしたとなれば、当然宰相としては有事の際の辺境伯への人質として使うためにどうにかその身柄を捕らえようとするだろう。

 現在は国王の崩御という非常事態であるために貴族の外出を制限することは自然であるし、それを無視したとなれば身柄を拘束する大義名分は現宰相にあるのだ。

 とはいえ、辺境伯もまさかほとんど政敵に近い関係である現宰相が実質的に支配する王都に何の対策も無く嫡子を送り込むはずがない。

 当然万一の際に備え脱出の準備は整えられていただろうし、同時刻にそれが重なったならば私のことなどどうでもよいと放っておかれても不思議ではない。

 今頃は騎士団辺りの追跡を受けながらも、東へと進んでいるのだろう。

 王宮から逃れるならばどちらかというと東の方が逃げやすいにもかかわらず何故王子がこちらの方面に逃亡したのか少し不思議だったのだが、もしかするとそれ自体に陽動の意味があったのかもしれない。

 敵からすればもちろん最優先で当たるべきは王子の捕縛或いは殺害であり、必然的に最も足が速い部隊はこちらに回されることになる。

 つまりルウの方の追撃はこちらに比べればかなり緩いものになると思われ、高い確率で振り切ることが出来るだろう。

 先程話した際に彼がああもあっさりと王子の救援を放棄したことには少し驚いたが、こう考えれば始めから互いに示し合わせてのことだったのかもしれなかった。

 確かに、本人が言っていた通りルウが領地に戻ってしまえば辺境伯の抱える兵力で公爵と互角に内戦を戦い、或いは勝つことは十分に可能なのだ。

 王子の気性ならば、自らの身を危険に晒してでもより確実性の高い勝利を狙う可能性は十分にあった。

 もしかすると二百年前のように現宰相がラーゼリア王国と手を結ぶかもしれず、そうなれば辺境伯領は前後を敵に挟まれることになるのでかなり不利ではあるが、その時のための策は頭の中にもう用意してある。

 処刑されて命を散らしたエルティ卿のためにも、私がここにいるからには絶対に王子とルウを負けさせはしない。

 私が過去二度の生で培った全てを使って、必ず彼らに勝利を齎してみせよう。

 遠く懐かしい親友の姿を脳裏に思い浮かべながら、私はそう心の中で密かに誓う。


 まさに荒野といった様相であちこちに大小様々な石や土塊が転がり、細かな起伏が激しい地形と共にどこまでも土色が続いていた周囲の景色はいつしか大きくその装いを変化させ、今視界は見渡す限りの遥か遠くに至るまで青々とした草原に覆われている。

 そしてそれと共に、こちらから見て左の前方には聳え立つ巨大な山脈が遠目に姿を現してきていた。

 まだ私達がいる辺りからはそれなりに距離があるが、普通に考えるならば王子が逃げ込むとすれば恐らくあの山々の中だろう。

 決してただ峻厳なだけの岩山という訳ではなく、山々はその身に地表を覆う草とは別種の深い緑色を纏わせている。

 数多く生い茂った木々は中に足を踏み入れた者の姿をまるでカーテンのように隠してくれるし、山脈は遥かベルフェリート王国の西端近くまで続く程に面積が広大なので逃げ込まれてしまえば捕縛することはかなり難しい。

 そのことは恐らく追撃する側もよく分かっているだろうし、きっと激烈な追撃を掛けて逃げ込まれる前に追いつこうと狙っているはずだ。

 遮るものの無い風は向かい風にも追い風にもなりながら熾烈に吹き過ぎ、地表に敷き詰められた緑の絨毯を靡かせる。

 草原を思う存分駆けているためか、私を乗せた黒馬もどこか嬉しそうだった。


 風を遮る障害物が無いということは、即ち視界を遮るものもまた何も無いということを意味している。

 まして、今の私は優に二メートルはあるだろう駻馬の背に座っているのだから、なおのこと遥か遠くまで見渡せた。

 そんな草原の奥深く、視界の果てに微かながらも土煙のようなものが映り込む。

 それが何かなど考えるまでもない、騎士団なのか現宰相の私兵なのかは分からないが、ほぼ間違いなく王子を追撃している部隊だろう。

 ということはつまり、その向こうに王子がいるということだ。

 私は一度首筋の艶やかな毛並みを撫でて速度を落とさせると、すぐ後ろを走っていた二人と馬首を並べる。


「見つけたわ。あの先に殿下がおられる」

「いかがなさいますか?」

「背後から敵中を突破するわ。護衛は任せます」

「畏まりました」

「御意」


 疾駆を止めることなく、言葉を交わす私達。

 敵はこちらの存在には間違いなくまだ気付いていない。

 これから更に近付けば当然気付くだろうが、こちらは背後を取っているのだから慌てて反転しようとしてもそれからでは間に合わないだろう。

 どうせあの部隊とはこの場で戦わなければならないのだ。

 そうであるならば、王子と合流してから正面から戦うよりも奇襲という優位を保っている今のうちに背後から突撃して打ち崩してしまうべきだった。


「……ねえ、カルロ、クララ」

「どうかした?」

「貴方達が敵の手に掛かり果てることは許さないわ。必ず生き延びなさい」


 大量に血液を失ったというならば、或いはその四肢に深い手傷を負ったというならば。

 その程度であれば陣中で手術でもしていくらでも治療してやれるが、しかし戦死した者を生き返らせることなど私には出来ない。


「任せてよ、これでも生き延びるのは得意だからね。死んじゃったらお嬢様を護れないし」

「この身、この命は元よりお嬢様の物です。全てはお嬢様の御心のままに」

「ありがとう。では、行きましょうか」


 少し速度を上げると敵との距離が急速に縮まり、そしてカルロとクララがそれぞれ剣を引き抜く。

 高速で疾走する裸馬の上で剣を振るうのは当然かなりの高等技術なのだが、どうやら二人とも特に問題は無いようだ。

 クララが右手で長剣を持ちながらも小さな刃物をいくつか取り出して左手に持つと、それを敵の方へと投擲する。

 放たれた複数枚の刃はその全てが正確に鎧の隙間を通り抜け、敵兵の柔らかな素肌へと深く突き刺さった。

 鈍い悲鳴を上げながら、彼らは馬上から転げ落ちる。

 それによって敵兵達はこちらの存在に気付いたようだが、しかしその頃にはもう手遅れだ。

 慌てて振り返った最後尾の敵兵を、カルロが手にした巨大な剣が鎧ごと真っ二つに切り捨てる。

 その隣では、刃を放ったばかりの少年が右手の剣で敵を倒していく。

 次々と斬られ、もしくは意識を奪われて地上に落下する彼ら。

 恐らくはそれなりの精鋭部隊だったのだろうが、しかし二人の少年はいとも容易く蹂躙してみせていた。

 こういった正面からの戦いが専門ではないクララはともかくとしても、カルロは訓練を受けた兵十人を同時に相手にしても勝てる程の強さを持っており、到底一般兵に止められるような存在ではない。

 それでも正面からぶつかったならば人数の差を生かしてどうにでもしてみせたのだろうが、しかし今は背後から奇襲を受けて突き崩されている形だ。

 当然まともに対処出来るような状態ではなく、ましてや攻撃してくるのが彼ともなれば如何ともしようがなかった。

 二人の突撃によって敵部隊が割れ、少しずつその中央に道が出来ていく。

 その中を真っ直ぐに通り抜ける私。

 いくらすぐ前で二人が前方の敵のことごとくを倒しているとはいえど、ここは敵陣の真っ只中なのだから攻撃を受ける可能性は十分にある。

 一応避けるための用意はしているとはいえ、こちらはただのドレス姿なので致命傷を負えばそれまでなのだが、戦場には慣れているので特に怖いとは思わなかった。

 だが、結局懸念していた攻撃が来ることはなく、敵陣が割れて完全にその向こう側が露わになる。

 そこにいたのは、こちらの異常に気付き既に反転を終えたのだろう、馬上でこちらを向いている王子の姿。


「お助けに参りました、殿下!」


 彼の姿を認めると、私はそう声を張る。


「大功だ、サフィーナ。俺が即位したら褒美はいくらでもくれてやる」


 剣を引き抜いてこちらへと馬を走らせている王子は、すれ違い様にそう口にした。

 つまり、私の功績が認められたということだ。

 振り返ると、王子もまた敵陣に突入して凄まじいまでの強さで次々と敵を討っている。

 私達の中央突破により恐慌をきたしており、反転したカルロとクララを抑えるだけで手一杯だった敵部隊は、それによって完全に戦意を失い敗走していく。

 誰の姿にも、目立った傷一つ存在していないのはさすがといったところだろうか。

 王子を無事に救出し、そして敵部隊を無傷で打ち払った。

 緒戦はこちらの完全な戦術的勝利に終わったとはいえ、もちろん本格的に内戦が始まることになるのはこれからだ。

 私は、もう負けるつもりはない。

 私がここにいる限り、王子にもルウにも、カルロにもクララにも絶対に敗者としての扱いを味わわせはしない。

 追撃などすることなく、剣を収めるとこちらへと馬を進めてきた三人の姿を見ながら、私はそう心に誓ったのだった。


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