20. 沙中偶語
ルウの見舞いに行ってから数日。
作ってきた薬がきっちり効いたらしく、彼は程なく元気になり教室にも姿を見せていた。
次の日に王子に尋ねてみたのだが、本人が言っていたようにルウも計画に参加しているらしい。
まあ、ベルファンシア公爵家とヴェルトリージュ辺境伯家の間には相当大きな遺恨が残っているので特におかしくもないだろう。
辺境伯家は我がベルフェリート王国の宿敵である東のラーゼリア王国に備える役割を担っており、握っている軍権も相応に強大なのだ。
そして、代々王家への忠誠が厚い家柄でもある。
であるからには、私が殺された時はともかく陛下が廃されてエルティ卿が挙兵した際には、当然彼女の側に立って参戦して然るべきだった。
実際、もし辺境伯家が参戦していればあの内乱はエクラール公爵家側の勝利に終わっただろう。
しかし、実際には彼らが内乱に介入することはなかった。
それは何故かといえば、単に動きたくても動けなかったのだ。
既に王都を制圧し完全に王家領の軍勢や騎士団の実権も握っていた当時のベルファンシア公だが、辺境伯家と正面から戦えば窮地に陥ることは当然予期していたのだろう。
ラーゼリア王国と密約を交わし、辺境伯家の領地にその軍勢を攻め込ませたのだ。
背後では内戦が繰り広げられており、援軍など期待出来ないので単独で戦うしかない。
彼らは押し寄せる大軍を相手に手一杯の状況に陥り、とてもエルティ卿の救援に兵を出すことなど出来なかった。
そのうちに内乱はベルファンシア公爵家側の勝利で終結。
廃位されたフォルクス陛下に代わる新たな王が擁立されたために止むを得ず当時の辺境伯はそれに従ったものの、しかし公爵は密約を守るために国境沿いの領土をいくらかラーゼリア王国に割譲するという暴挙に出る。
割譲された土地の中には当然辺境伯家の領土も含まれており、彼らは大軍を相手に必死で守り切った土地をみすみすと敵に明け渡さなければならなかったのだ。
辺境伯家は内乱に参戦出来なかったために中立という扱いであり、また表向きには敵国の侵攻を防ぎ止めた功績もあるのでさすがに減封はなされず、廃されたエクラール公爵家の旧領から割譲されたのと同じだけの土地を代わりに与えられたものの、しかしそれをきっかけに両家の間には大き過ぎる程の遺恨が横たわることとなった。
そんな経緯を考えれば、よりによって辺境伯家の嫡男であるルウが王立学園に入学するというのはまさに異常事態であり、或いはそのこと自体が公爵家打倒のための策謀の一環なのかもしれない。
そしてそれは、私にとってはいささか不都合だ。
王子を説得してクーデターの計画を立ち上げるつもりだったのだが、既に彼がルウと共に計画を練っていたのが想定外だった。
私がきっかけとなって立案したのならば必然的にある程度の主導権を握ることが出来るが、既にある計画に参加するとなればそう簡単にはいかなくなってしまう。
日本人としての知識はまだ使えないとしても、まだ私には前世で大貴族として、そして宰相補佐として内政や交渉をこなした経験がある。
ベルファンシア公爵家とその一派が政権を独占し、まともにものを言えるのがヴェルトリージュ辺境伯家だけしかない今とは違い、前世の私の生前は様々な貴族家の力が拮抗しており政争も激しかったのだ。
まだ先の話になるが、私に従って命を落とした者達のためにも必ず無念だけは晴らしてみせようと思っていた。
それは、他者を従える者としての義務だろう。
もう今の私は侯爵ではないが、それでもなお命がある以上は当時の私に従ってくれた者達のために戦う責任と義務を負っている。
何があろうとも、そのことだけは捨てるつもりは無かった。
それこそが、彼らへのせめてもの贖罪だ。
多くの死を背負っている私には、この世界でただの令嬢として平凡な生を送ることなど決して許されない。
平凡を捨てて危険を犯し、身を擲ってでも戦いを挑むこと。
抗って抗って抗って、かつて志を共にした者達の怨嗟を敵へと叩きつけ刻みつけること。
それこそが今の私の使命であり、再び生を与えられた理由だろう。
そしてそれ以上に、前世の私にとって誰よりも大切だった存在を殺めた彼らを許すことなど私には出来そうにない。
私自身が殺されただけならばともかく、彼らを殺されたという恨みは私の中に確かに渦巻いていた。
きっと妄執に囚われているのだろうとは自覚しているが、しかし一度死んでいる私にはこれ以外の生き方など出来はしないのだ。
仇を討てるならば、この身などどうなろうとも構わない。
とはいえ、まだその時ではなかった。
今は、来るべき戦いへと向けて礎を整えていくべき時だ。
当時の経験を生かして、王子派とも言うべき勢力の中で上手く立ち回っていくしかない。
「お嬢様」
今後のことについて考えていると、扉が叩かれ外からアネットに声を掛けられる。
「何かしら?」
「王太子殿下の従者が来ておられます。お嬢様を殿下がお呼びしているそうです」
「少し待っていただいて」
目醒めてからずっとこの調子だったので、まだ寝間着のままであり他所の従者とはいえ他人に会える状態ではない。
王子が呼んでいるとなれば断る訳にはいかないので、少し待ってもらうようにアネットに告げると私はベッドから外に出る。
クローゼットを開けると、中に夜伽用のドレスが見えて以前のことを思い出して赤面してしまう。
一見私の誘惑が成功したようにも思えるが、冷静になってよくよく考えてみれば、あれは彼が元々王家の手に実権を取り戻すという野心を抱いていただけであって、別に私が彼の籠絡に成功した訳ではないことが分かる。
もうこれを使う機会など無いと祈りたいし、戻ってきたらきっぱりと捨ててしまおう。
あんな恥ずかしい思いはもうしたくないし、それに耐えて頑張ってみたところで実りを得られるとも思えないので、今後はこの手は二度と使わないことにした。
ともあれ、王子に呼び出されている状況でいつまでも赤面している訳にもいかない。
気持ちを切り替え、普段着用のドレスに着替えていく私。
そして着替え終えると扉を開いて玄関へと出、呼びに来ていた王子の従者に部屋への案内を頼む私。
恥ずかしいので思い出したくはないものの、この前も訪れているので場所は分かっているし別に案内が無くとも一人でも問題なく向かうことが出来るのだが、そこは貴族ならではの礼法というものだ。
それにしても、いきなりの呼び出しということは何か計画に進展でもあったのだろうか。
呼び出された理由をあれこれと考えながら、私は王子の部屋へと向かったのだった。
そして、彼の部屋へと入った私。
扉を開いて相変わらずかなり広い室内へと入ると、そこには部屋の主である王子の他にルウの姿もあった。
男性の中で見ても比較的大柄な王子と、小柄で幼さをまだ存分に残した姿のルウ。
それぞれ鮮やかな赤髪と灰髪が特徴的な少年達は、円卓の周りに腰掛けると共に紅茶を飲んでいるようだった。
「来たか、サフィーナ」
「……おはよ」
「おはようございます。殿下、ルウ。お二方にこうしてお会い出来ましたこと、とても光栄ですわ」
彼らは、こちらの姿を認めるとそれぞれ声を掛けてくる。
それに対し挨拶と礼を返す私。
「座れ。今お前の分の紅茶も持ってこさせる」
そう言って、自らの隣の椅子をおもむろに引いた王子。
私がそこに座ろうとすると、背後からドレスの裾が引っ張られる。
振り返ると、ルウがこちらに手を伸ばしていた。
「こっちに座って」
彼はそう言うと、やはり自らの隣にある椅子を引いて私を促す。
じっとこちらを見つめる、ルウの菫色の瞳。
「ルウ、サフィーナは俺のものだ」
「……違う。サフィーナは僕の」
そのまま、何やら言い合いを始める二人。
もしかすると、宰相を倒すという目的で一致しているだけで決して一枚岩という訳ではないのだろうか。
どちらも自派に私を引き込もうと争っているらしいが、かと言って私にどうしろというのかという話である。
二人とも私よりずっと家格が高いので、強く要求されれば断ることは不可能なのだ。
身分で言うならば王族である王子の方が上ではあるが、しかし辺境伯家の嫡男であるルウはほとんど気兼ねなく王族とやり取りが出来る立場であり、辺境伯家は強大な兵力を擁しているので王族に実権がほとんど無い現状ではともすれば実質的な力は王子よりも上だろう。
この場でどちらに付くかという選択をしろと言われても、まだこのクーデター計画の全体像すら見えていない現状では到底無理だった。
とりあえず、どうにかうやむやにしてしまうしかない。
「お二人とも、ここで仲違いなどされていてはいけませんわ。席など、三人で並んで座ればよいではありませんか」
そう言って、二人の仲裁を試みる私。
まあ私なりのそんな思惑はあるにせよ、二人に喧嘩をされては困るのは事実だ。
どちらの隣に座るかというので揉めるのならば、私を挟んで並んで座ればいいだけの話であるし。
「……それもそうか」
一つ頷くと円卓に向き直り、紅茶の入ったカップを手にする王子。
私は彼の右隣に座ると、口を開く。
「さあ、ルウもこちらにおいでなさいませ」
王子と反対側にある席を引くと、彼は立ち上がりこちらへと歩いてくる。
そしてそのまま私の右隣に腰を下ろした。
彼の体躯では椅子に座ると床に足が届かないので、足をぶらぶらと揺らしている。
「本日は、何か良き報せが?」
と、ひとまず場が収まったところで王子に尋ねてみる。
ルウもいるとなれば何かしら計画のことについてで呼ばれたのだと思うのだが、何か進展でもあったのだろうか。
「いや、ただ三人で茶でも楽しもうと思っただけだ」
だが、そう答えると手の中のカップを持ち上げ、紅茶を飲んだ彼。
そのかなり大柄な体格と獰猛な雰囲気には一見紅茶など似合わないように思えるが、しかし王族の生まれであり最上級の仕草を身につけているために違和感のようなものは全く見受けられない。
目を閉じて茶葉の味を堪能する様も、実に絵になっていた。
少し脱力しながらも、そんな様子を眺めつつ運ばれてきた自らの分のカップを手にする私。
わざわざ呼び出されたので何かあったのかと思えば、特にこれといった用は無かったらしい。
紅茶を飲むと、口の中に芳醇な香りが広がる。
やはり、常飲する茶葉一つ取っても王族だけはあるということだろう。
「……はい、サフィーナ」
私が音をさせないようにカップを置くと、ドレスの右手の袖の辺りを横合いから軽く引かれる。
そちらを向くと、ルウが私へと向けて茶菓子として饗されているクッキーを差し出した。
どうやら、くれるつもりらしい。
「ありがとうございます、ルウ」
礼を言いつつ手で受け取り、それを口にした私。
だが、何故か彼は少し表情を曇らせてしまう。
最初は分からなかったが、何度となく眺めているうちに何となくだが彼の微少な表情の変化が読み取れるようになっていた。
恐らくは専門の料理人か誰かが焼いたのだろう。
シンプルなバタークッキーは、重さを全く感じさせない風味でとても美味しかった。
そして、そんな私とルウを見て何故かにやりと笑った王子が、口を開く。
「サフィーナ、口移しで食べさせてやろうか?」
「え、遠慮致します!」
言葉の内容を理解すると同時に、私は咄嗟に拒絶してしまう。
そんな恥ずかしいことが出来ようはずもない。
以前王子の部屋に行った時のことを思い出し、羞恥に頬が熱くなる。
この人は、そんなに私をからかいたいのだろうか。
そう疑問を浮かべつつも、思考を立て直すために再び紅茶を口にする私。
その後も特にクーデターに関しての話は出ることがなく、終始こんな調子で日暮れ近くまで三人で茶会を交わしたのだった。




