19. お見舞い
クララを雇うことになってから二日。
無事に使用人用の服を縫い終えた私は授業を終えると自室へ戻り、彼が訪れるのを待っていた。
そして、三十分程が過ぎただろうか。
アネットに淹れてもらった紅茶を飲みながら以前ユーフェルから貰った茶菓子を食べていると、外から玄関の扉がノックされる。
私は立ち上がり、紐を引いて彼女を呼ぶ。
ほとんど間を置かず、開かれた扉。
「お呼びでしょうか」
「来客が誰かを確かめてきてもらえるかしら。香水草色の髪の人なら、ここまでお通しして」
「畏まりました」
礼をして退出するアネット。
一度閉じた扉が再び開かれると、彼女に先導されて待っていた人物が姿を見せる。
両手にはそれなりの大きさの箱を抱えており、上下にはまるでどこかの商店の従業員のような衣服を纏っていた。
その姿は、どこからどう見ても商品を届けに来た人間にしか見えない。
アネットが退出したのを見届けてから、私は口を開く。
「お疲れ様。その箱の中身は貴方の私物かしら?」
「ああ。持ってこなくちゃいけないのは商売道具とちょっとした持ち物くらいだったし、ちょうどいいからこの中に入れてきたんだ。それにしても無用心だよね、商品の配達の振りをするだけで堂々と学生寮に入れるだなんて」
少し呆れたように笑う少年。
「まさか、正門もそれで通れたの?」
「いや、さすがに正門は取り調べが厳しそうだったから他の場所から忍び込んだよ。ここの入り口にいた騎士は、あっさり俺を通してくれたけどね」
思わず尋ねたが、さすがにそこまで甘くはないらしい。
とはいえ他の場所にいる騎士達はクララが当然その正門を通って来たものと思うだろうし、であればすんなりと通してもおかしくはない。
戦時でもないことを考えれば、警備のレベルとしてはこんなものだろう。
そもそも、騎士団による警備であらゆる侵入者を防げるのならば密偵や暗殺者の類など存在していないのだ。
「仕方がないわ。好き好んでこの学園の中で事件を起こそうとする人間なんてそうはいないでしょうし」
この学園の生徒は、貴族達への人質の役目も果たしている。
長期休暇で実家に帰っている最中ならばともかく、その道中や学園内で生徒が何らかの事件に巻き込まれることは即ち王家の面子が丸潰れになることを意味しており、そうなれば国家全体が総出で捜査を始めることになるのだ。
警備の厳重さを抜きにしても、わざわざ学園内に人を送って事件を起こさせるような貴族などいるとは思わなかった。
もっとも、今は宰相位を世襲するベルファンシア公爵家とその派閥がこの国の実権を握っているようなので、その者達の誰かが犯人であれば罪は揉み消されるかもしれないが。
「はい、貴方の分の制服よ」
「ありがとう。それじゃ改めて、今日からよろしくお願いします、お嬢様」
私は椅子から立ち上がり、手に取った黒い服を彼に渡す。
それを受け取るとクララは一度手にした箱を置き、こちらに向けてとても綺麗な動作で礼をした。
「こちらこそ。貴方の働きを期待しているわ。……これも返しておかなくてはいけないわね」
手渡されたままになっていた紅い機械時計のことを思い出し、私は壁際の棚に近付く。
中に置いていたそれをそっと持ち上げると、彼へと手渡した。
「それはそのままお嬢様が持っていてほしい」
「いいの? かなりの業物のようだけれど」
「ああ、俺からの忠誠の証みたいなものさ」
「そういうことなら、私が責任を持って預からせてもらうわ」
軽く鑑定してみたところそれなりの高値で取り引きされてもおかしくないような一品なのだが、忠誠の証とまで言われれば断れない。
私は機械時計を棚へと戻す。
そして、少年の方を振り返った。
「さあ、夕食まで部屋で寛いでいるといいわ。貴方の部屋は、向かって一番右側の扉よ」
制服さえ渡してしまえば彼への用件は今のところは他に無いので、私は自室で休んでいるよう伝える。
三室用意された使用人用の部屋のうちの、二つは既にカルロとアネットが使っていた。
今回クララを雇ったことで、部屋が全て埋まる計算になる。
「分かった。それじゃ、また後でね」
「ええ」
床に置いていた木箱の上に制服を置くと、再び箱を持ち上げて退出していく少年。
外から扉が閉められ、室内が再び静寂に包まれると、私は円卓の上のカップに手を伸ばす。
そっと口に含んだ紅茶は、少し冷たくなっていた。
机上に残っていた残っていた紅茶と茶菓子が全て無くなり、空になったカップと皿を片付けると、そのまま今度は執務机の方に腰を下ろす。
授業で提出を求められた課題を完成させるためだ。
それ程難しい内容ではないのでただ完成させるだけなら簡単なのだが、しかしそれでは足りない。
目的のためには、今のうちに少しでも名を上げて声望を高めておく必要がある。
要はとにかく目立っておかなければならないのだが、こういった課題は評価を受けるのにちょうどいい機会だった。
評価基準は単に回答そのものだけでなく、文章の構成や細やかな単語の言い回しにまで及ぶ。
前世では事実上の宰相として対外文書をいくつも書いているので、この手のものは得意なのだ。
右手に筆を持ち、頭の中に浮かべた文章を紙に書き記していく。
今では、この国の文字を書くことにすっかり身体が馴染んでいる。
程なく書き終えた私は、筆を置いた。
小さな音が無音の室内に響く。
それとほとんど同時に、外から再び扉が打ち鳴らされる。
クララももう部屋に入っているし、今日は彼以外に誰かが来訪する予定は無かったはずだが、誰だろうか。
心当たりは無いが、ひとまずアネットを呼んで誰何してきてもらうことにする。
「どなたかしら?」
「ヴェルトリージュ様の従者でした。お嬢様への言伝があるそうです」
一度玄関先に向かった後戻ってきた彼女に尋ねると、予想外の答えが返ってきた。
これ程急に、何の用件だろうか。
とはいえ、相手の方が爵位が遥かに高い以上、私に取れる選択肢など無いに等しい。
「通っていただいて」
「畏まりました」
そう言って、再び室内を去る彼女。
少しすると外から扉が開かれ、アネットが着ていたのとは異なるデザインのメイド服を纏った女性が姿を見せる。
無表情ながら整った顔立ちの彼女のことは、教室でルウの後ろに従っている使用人達の中に見覚えがあった。
「我が主は昨日より風病によって苦しんでおられますが、魘されながらオーロヴィア様の名を口にされています。どうかお傍にいらしていただけないでしょうか」
女性はこちらに礼をすると、そう用件を口にする。
今日は教室で彼の姿を見かけなかったのが少し引っかかっていたが、それで休んでいたのか。
「分かったわ。案内をお願い出来るかしら」
実家同士の力関係からして断る術など無いし、元より断る理由も無い。
むしろこれからしようとしていることを考えれば、これを好機にもっと彼と親しくなっておくべきだ。
辺境に大兵力を抱えるヴェルトリージュ家の嫡子ともなれば、この国においてかなりの潜在的影響力を持っている。
味方にすることが出来ればこれ程頼もしい人物はそうはいないだろう。
彼の部屋の場所を知らないので案内を頼むと、私は椅子から立ち上がった。
メイドの女性に案内された私は、目の前で彼女の手により開かれた扉を通りルウの居室へと入る。
ここに来る途中で気付いたのだが、彼が住んでいるのは王子と同じ寮だった。
王族である王子や大貴族であるルウは、学園に通う他の生徒達とは違い家格の問題で学園内でも数多くの使用人を従えることになる。
この学園も設立当初は大貴族の子女が通うことを想定されていたので、それを前提に建てられた寮も存在しているのだ。
もちろん、今ここに住んでいるのは二人だけらしい。
大貴族の子女向けであり王族も住む場所なのだから当然ではあるのだが、室内も私が住む寮に比べてかなり広かった。
調度品の格にこそ差が無いものの、広さの違いは歴然としており、付属の使用人用の部屋も十室以上用意されている。
そんな室内を軽く見回した後、巨大なベッドに視線を移すと、その上には小柄な灰髪の少年が横たわっていた。
言うまでもなく、彼はこの部屋の主であるルウだ。
そのまま歩を進め、私は少年の枕元近くで足を止める。
「こんにちは。ルウが病だと聞いて、心配で様子を見に参りましたの。……失礼致します」
頬を紅潮させ潤んだ瞳で私を見上げるルウの姿は、どこからどう見ても病人のそれだ。
一言断って彼の長い前髪をそっと手で除け、熱のせいか少し桃色に染まった額に自らのそれを当ててみると、やはり皮膚越しに伝わってくる体温はとても熱い。
体温計など作らなければ無いので正確には分からないが、それなりの高熱であることは間違いないだろう。
「寒い……」
そう呟くように口にした彼は、私の手をぎゅっと握り締めた。
とは言っても元々力が強くないようなので、別に痛かったりはしないのだが。
それにしても、かなり分厚く保温効果の高い毛布を数枚重ねて被っているにもかかわらず寒いというのは、熱による寒気に他ならないだろう。
私は手を握られながら、軽く背後へと振り向く。
「いつから風病の症状が?」
そして、まだ扉の脇に控えていたメイドさんにそう尋ねる。
「今朝からです。昨日の夜には、まだ元気でいらっしゃいました」
「医師にはもう診ていただいたの?」
「はい。重篤な病気ではなく、数日中に治るとのことで特に処方等はいただきませんでした」
地球のそれと比べれば雲泥の差があることは否めないが、しかしこの学園にいる医師は国内でも最高峰とされるような名医だ。
私の見立てでもルウの症状がただの風邪であることは間違いないだろうし、であるからには自然治癒を待つのはごく自然な発想だろう。
元よりこの世界ではどちらかというと外科方向に医学が発展しており、内科方向にはあまり発展していない。
風邪程度であれば薬一つ出ないことも珍しくないし、仮に出たとしても気休め程度にしか効果の無い薬しか存在していないのだ。
とはいえ、この子が苦しんでいるのを目の前にこのまま帰ってしまうのも忍びない。
なので、この場で薬を調合してしまうことにした。
「ねえ、今から市場に行って、肉桂の皮、杏子の種、甘草と麻黄の根を買ってきていただけるかしら。どれも乾燥しているものをお願い」
私は、メイドさんにそう依頼する。
どれも、これから作ろうと思っている薬の材料だ。
さすがに現代的な化学薬品を作るのは専用の設備などが無ければ難しいが、漢方薬ならば材料さえあればこの場で作ることが出来る。
幸いにも材料は四つともこの国の市場で取り引きされているものばかりなので、問題は特に無い。
「……失礼ながら、何に使われるのかを伺ってもよろしいでしょうか」
訝しげな表情を浮かべた彼女から問い返される。
およそ、当然の反応だろう。
「風病を治す薬湯を作ります。用意をお願いしたのは、その材料よ」
「申し訳ございませんが、医師でもない貴女様が作られたものをお飲みいただく訳には参りません」
「あら、私が頼んだ中に、毒になるようなものがあって? どれも広く販売されているものばかりよ。どうしても不安なら、私が自分で毒見しても構わないわ」
「ですが」
「……ルウ、ルウは私を信じてくださいますか?」
このまま彼女と話し続けても埒が明かない。
私はベッドの方を振り返り、辛そうに横たわるルウに尋ねる。
彼が頷いてくれれば、メイドさんを折れさせることが出来るだろう。
それにしても、いくらルウが体調を崩しているとはいえ退出せずこの場に同席していたりする辺り、彼女は辺境伯家の使用人の中でそれなりの地位にいる人物なのかもしれない。
口調や仕草からして、少なくとも下っ端のメイドではないはずだ。
「サフィーナのこと、信じてる」
少年はそう口にして辛そうな表情を少し笑みの形に変えると、私の手を握る指にきゅっと力を籠めた。
彼に向けて微笑み返しながらその手を握り返し、私はまたメイドさんの方を向く。
「承知致しました。……ただし、調合の際には私も立ち合わせていただきます」
「ええ。もちろん構わないわ」
こちらは毒を作るつもりでもなければ、材料に毒を使う訳でもないのだ。
漢方薬のレシピの一つくらいなら見られても実害は無いし、別に構わなかった。
「では、材料の用意が出来ましたらお呼び致します」
誰も文句が付けられない程丁寧に、とても美しい所作で頭を下げたメイドさん。
そして、彼女はこの部屋を後にした。
きっと私が言った材料を買ってくるよう他の使用人に命じているのだろう。
結果として、広い室内にルウと二人きりになる。
広がった静寂に溶け込むように、彼の荒い息が私の耳にまで届いてきた。
「サフィーナ」
「どうなさいましたか?」
再び手に少し力を籠め、私の名を呼んだ少年。
「反乱を起こすって、ほんと?」
「……何のことでしょうか」
だが、次に彼が口にした言葉で空気が凍る。
動揺を強引に抑え込んで、私はそう尋ね返す。
どうすれば、家族や使用人に累を及ぼさないよう言い逃れられるだろうか。
同時に、全力で思考を巡らせる。
「レオンが言ってた。大丈夫だよ、僕はサフィーナの味方だから」
私の左手に、ルウが自らの両手を挟むように重ねながら言葉を返す。
味方だというのは本当だろうか、それとも嘘だろうか。
束の間考える。
彼の実家であるヴェルトリージュ辺境伯家は、前世の私がクーデターで滅ぼされた後に起きた内戦の際に、ベルファンシア公爵家との間に大き過ぎるくらいの遺恨を抱えていた。
そのことを踏まえれば、ルウがこのままこちら側に味方しても全く不思議ではない。
そもそも、計画のことを誰かに密告するつもりならばこうして本人に伝えたりはしないだろう。
王子がばらしたという発言の真偽については後で本人に確かめておくこととして、とりあえず少年の真意をもう少し探ってみることにした。
こんな時、この子は無表情で内心が読めないので困る。
「では、ルウも計画に参加してくださるのですか?」
そう尋ねると、こくりと頷く彼。
どうやって知ったのかは分からないが、知られたからにはこの子のことも計画に引き込んでしまうしかない。
どうにか味方に出来ないものかと考えていたのだから、相手から話を持ち出してくれたこの機会はむしろチャンスでもあった。
「何故ですか? このような賭けに近い計画に参加せずとも、ルウならいずれ辺境伯家を継いで大兵力を手にすることが出来ますのに」
「元々、レオンと二人で計画を立てたから……。もし見つかったら、僕の家に逃げて戦おうって」
「もしや、殿下が弟君の行幸に紛れて忍びでルウの実家を訪れたのも?」
ふと思い立った心当たりを口にすると、先程と同じように彼はこくりと頷く。
王子は元々実権を取り戻す気満々だったようだが、既に行動を始めていたのか。
事態が本格化する前に参加出来てよかった。
あまり後手に回っては、内部で主導権を握ることなど夢のまた夢ということになってしまうだろう。
「サフィーナが望むなら、どこにだって一緒にいきたい」
「私も、ルウと共に戦いたいですわ」
熱に潤んだ表情で私の瞳をじっと見上げてくる彼の言葉に対し、しばし考えて私はそう口にする。
いずれにせよ、もう計画の存在を知られてしまっていることには変わりがないのだ。
遥かに格上の貴族であるルウに口封じの圧力を掛けるなどということも不可能である以上、私に出来ることなどほとんど無い。
私でなくとも、たとえ王子や宰相であっても辺境伯家に圧力を掛けるのは到底無理だ。
それならば、いっそとりあえず名目上でも味方に引き入れた上でその家名を利用して動くべきだろう。
元より、反乱を起こすと決めた時から既に最悪の事態への備えは済ませてある。
恐らく私しか知らないだろう抜け道などもいくつかあるので、万一の事態の際には王子を連れて逃げる手筈は整えていた。
「ですが、今はそのようなことよりもルウの体調の方が大事です。今日は食事は取られましたか?」
「……何も食べたくない」
この状況であまり長々と反乱云々の話を続けたくはないので、話を逸らすためにそう尋ねると、今度は首を横に振るルウ。
きっと、熱のために食欲が無いのだろう。
「いけませんわ、それでは治る病も治りません。何かを口にされなくては」
先程のメイドさんが戻ってきたら、蕎麦でも用意してもらうことにしよう。
梅粥でも作ってあげれば、今の彼でも食べられるはずだ。
本格的に料理を作ろうと思えば先日クッキーを作る際にも利用した生徒用の厨房を借りるしかないが、しかし寮の部屋には茶を淹れたり軽く茶菓子を作ったりするための簡易的なキッチンは設置されており、もちろんこの部屋も例外ではない。
それだけの設備があれば、薬湯と蕎麦粥を作るくらいならば可能だった。
あくまでも、貴族が食べるような豪華な料理は作れないというだけなのだ。
「失礼致します。オーロヴィア様、用意が整いました」
と、ちょうどいいタイミングで外から扉が開く。
どうやら、材料の用意が出来たらしい。
「ありがとう。それでは、行ってまいりますね。なるべく早くお持ちしますので、少しだけお待ちください」
そう伝え、私は繋いだ形のままだった手を離す。
そして、簡易キッチンの方へと向かったのだった。
そしてメイドさんの見ている前で薬湯を作り終えた私は、毒見としてあまり美味しくない薬湯をいくらか別のカップに移して飲み終えると、有害なものではないことを証明してルウの元へと運ぶ。
スペースの都合で同時進行が出来なかったので、薬湯を作り終えてから粥を作り始める形になってしまったが、しかし薬湯が食前に呑むものであるので粥が完成する頃で食事をするにはちょうどいいくらいのタイミングだろう。
「お待たせ致しました。まずはこちらをお飲みください」
そう思いながら私は彼にカップを差し出す。
おもむろにそれに口を付けるルウ。
しかし、一口飲んだかと思いきや唇と陶器はすぐに離れてしまう。
「……これ、苦い」
熱とは違った理由で涙目になった彼が、涙が零れ落ちそうに潤んだ瞳で私を上目遣いに見つめる。
「申し訳ありません、これはこういった味なのです。どうか、私を信じて全てお飲みください」
「……わかった」
覚悟を決めたような表情で目をきゅっと瞑り、ルウは再び手にしたカップに口を付ける。
そしてカップを傾けると、一気に中身を飲み干した。
「夕食前に飲む分も鍋の中に残っておりますので、そちらも温めてからお飲みください。そうすれば、明日の朝には楽になっているはずですわ」
そう伝えて、私は粥の方を作るべく簡易キッチンの方へと戻る。
薬湯が残っている鍋に蓋をして横に除け、もう一つの鍋の方で手早に蕎麦粥を作っていく。
小柄で小食なルウが一食食べる分の量なので、作るのにもそれ程の時間は掛からない。
程なく完成させたそれを皿に移し、ルウの元へと赴く。
「どうぞ、少しでもいいので召し上がってください」
相当熱が高そうに見えるし、一人で食べるのは辛いだろう。
スプーンで粥を掬い、高く積まれたクッションを背もたれのようにして座った彼の口元へと差し出す。
そうして粥を口に含んだルウ。
梅の酸味のためか、彼はその小さな身体を少し震わせた。
「……ちょっとすっぱいけど、凄くおいしい」
「ありがとうございます。そう言っていただけて、とても嬉しいですわ」
どうやら梅粥の味を気に入ってくれたらしい。
その後も、スプーンを差し出す度に掬われた粥を次々と食べていく少年。
しばらくすると、元々量が多くなかったとはいえ皿はすっかり空になっていた。
「もう少し召し上がりますか?」
「……ううん、もういい」
もしまだ食べるつもりならもう一度作るつもりだったが、どうやら食欲は満たされたらしい。
彼の枕元近くに椅子を置いて座りながらしばし雑談を交わしていると、その傍らで使い終えた食器をメイドさんが回収していく。
それを横目に、私は口を開いた。
「それでは、私はそろそろ暇させていただきます」
病気のところにいつまでも居座っていても迷惑だろうし、それに私は王子に事情を確かめたり計画を少し練り直したりとしなければならないことが増えて忙しい。
そろそろ自分の部屋に戻りたかった。
「サフィーナ」
しかし、立ち上がろうとすると私は彼に呼び止められる。
動きを止める私。
「如何なさいましたか?」
「……来てくれて、ありがとう」
そう言うと、懸命に伸ばしたルウの小さな手が私の頭を撫でる。
触れた肌から伝わる、灰髪の少年の高い体温。
それを名残に、私は礼をして彼の部屋を後にしたのだった。




