16. Decipiebar
―――最初は、ただ聡明な少女だとしか思っていなかった。
彼女と初めて出会ったのは、ヴェルトリージュ辺境伯との密談のために弟の行啓に密かに同行した際だった。
道中、数少ない俺が信用を置く貴族であるフェルミール・オーロヴィア子爵の屋敷で宿泊することになっていたのだが、いくら子爵の屋敷であるとはいえ忍びの身である以上俺があまり表立って弟の側にいる訳にはいかない。
そのため一行から離れて庭へ出てみると、一人でどこかへと歩いていくまだ幼い少女の姿が見えたのだ。
着ているドレスからしてフェルミールとソフィアの娘なのだろうということはすぐに分かったが、弟達一行の歓待で手一杯なのだろう、周りに使用人の姿は見えない。
このような子供が一人で野外を歩いていては危ないと思い、ついでに噂を確かめようと思いながら後を追い掛けた俺。
小さな後ろ姿を見失えば道に迷ってしまうだろう迷路を通り抜けると、その先にあったのは噴水。
子爵の妻であるソフィアの描いた図案を元に作られたというその風景のあまりの美しさに、束の間目を奪われてしまったのを思い出す。
同じように庭園に魅入っていた少女に声を掛けると、こちらへと振り向いた彼女。
その後の年齢に似合わぬ礼儀正しい仕草も印象的だったが、しかし最も印象に残ったのはその翠玉色の瞳だった。
強い意志と知性の光を放ちながらも闇のように深い静けさを湛えた瞳は、とても幼子のそれだとは思えなかったのだ。
そして、会話を交わしてみると抱いた印象が間違っていなかったことを知る。
知性に溢れた口調もそうだが、どうやら下賎の身なりをしているにもかかわらず俺のことを高位の人間だと気付いていたらしい。
聡明であることは子爵本人がよく自慢していたこともあって噂で知っていたが、まさかそれ程までとは思わず驚いた覚えがある。
この身の正体を明かすと彼女は慌てて非礼を詫びてきたが、しかし当時の俺にはそれも虚しく響いた。
王族とは名ばかりで実権など何も無く、全てを宰相位を世襲するベルファンシア公爵家に握られているのだ。
お飾りの存在でしかないこの身に頭を下げられても、自嘲の念が沸くだけだった。
ともあれ、彼女に貸しを作り別れた俺は、王都に戻るとわざと大袈裟に少女を称賛することにした。
公式には顔を合わせたことが無いということになっているが、しかし会ったことのない相手の評判を聞いて褒め称えるのは権力者であればよくあることなので別に構わない。
こうしておけば彼女は俺の派閥だと認識され、将来何かあっても宰相の味方には付けないだろうという思惑だ。
いつか俺は、宰相を打倒して実権を取り返すつもりでいる。
そのためにも、このまま成長すれば間違いなくいつか役に立つだろう、あれ程の才覚の持ち主をみすみす逃す気は無かった。
結果として少女は辺境の花とまで呼ばれることになり、学園に入学する頃にはそれなりに名前を知られる存在となっていた。
そして新入生の授業初日、放課した頃合いを見計らって彼女のいる教室を訪ねた俺。
あれから六年、久々に目にしたサフィーナは相当な美少女に成長していた。
初見の際には思わず目を瞠ったが、しかしそれだけだった。
飾り物に過ぎないとはいえこれでも一応は王族であるし、何より容姿はそれなりにいいと自覚している。
美形の女は見慣れているし、蛾眉と賞賛されているような女をこれまで何人も抱いてきているのだ。
きちんと初対面の振りをして挨拶をしてきたことでその知性が本物であることを確かめられたがそれだけであり、美貌に心を揺さぶられることは特になかった。
俺の野望のための駒としての関心はあったが、女としての興味は特に抱いていなかった。
……つい先程までは。
少女が夜伽用の服を身に纏って部屋に来た際には、一度失望しかけた。
俺が傀儡であることにも気付かず、何らかの対価を求めて夜伽に来る愚かな女は稀にいる。
彼女もまた、そんな女の一人だったのかと。
「それで、何の用だ?」
「あ、あの……」
だから、最初は冷たく声を掛けた俺。
だが、よく観察してみると少女の様子はそういったものとは大きく異なっていた。
こちらから顔を背け、露出の多い肌を隠すように身を縮める彼女。
身体を小刻みに震わせ、羞恥のためか肌を桃色に染め上げている。
「どうした?」
「……っ!?」
もしも誘惑するつもりなのであれば、淫靡で婉然とした笑みを浮かべさせて、こちらに撓垂れ掛かってくるはずだ。
だが、少女は何かに怯えているとしか思えないような反応を示しているのみ。
誰かに脅されでもしているのかと不可思議に感じ、近付いて尋ねてみると、彼女は怯えたように後ろへと飛び退く。
その様子を見て、一連の不可解な態度の訳を理解する。
要は、俺の前で露出の多い格好をしていることを恥ずかしがっているのだろう。
ならば何故このような格好をしているのかという疑問も生まれたが、しかしそれを押し退けて俺の思考を占めたのは全く異質の感情だった。
不意に普段とは異なる一面を見せた時こそが最も女が魅力的な時だと言っていたのは誰だったか。
あれ程理知的で、俺に付け入る隙を全く与えない少女の、普段ならば決して見せないような弱々しい姿。
それに惹かれつつある自分が自覚出来た。
「面白いな、お前」
俺は、笑みを浮かべさせてそう口にする。
面白い、実に面白い。
ただの駒だとしか思っていなかった少女に、まさかこれ程惹かれるとは。
もっと慌てさせてやりたい、もっと恥ずかしがらせてやりたい、もっと可愛い姿が見たい。
感情を自覚すると、途端にそんな気持ちが湧き上がってくる。
喜ぶべきことに、俺の前でこうして羞恥に身を震わせているということは少なくとも異性として意識はされているということだ。
飛び退いた姿を追い掛けるように近付いていくと、彼女は獣に追われた小動物のように後退る。
そしてそのまま壁際にまで追い詰めた。
逃げ場を無くしたことを知り怯えにも似たような表情を浮かべた彼女の小さな背に腕を回し、俺は雪のように軽い身体を抱き上げる。
「きゃっ……!?」
彼女の喉から、悲鳴が零れ出す。
形容に窮する程に美しいその声さえ、今は俺を魅了する道具となる。
俺はそのままやや強引にベッドの上へと寝かせて、素早く掴んだ手首をシーツへと抑えつける。
これで逃げ場は無い。
さて、どうしてやろうか。
「で 、殿下……!」
逃げようとでも思っているのか身体を暴れさせる少女。
だが、大した力ではないので抑え込むのは余裕だった。
彼女はこちらから顔を背け、ぎゅっと目を瞑らせる。
それにより、必然的に露わになる白い首筋。
俺は、真雪のように染み一つ無いそこにそっと口付けた。
「サフィーナ」
「ひあ……!?」
そして、少女の名を呼ぶ。
首筋に息が掛かったためか、悲鳴を上げて身体を震わせるサフィーナ。
それに構うことなく舌で白磁を思わせる素肌をなぞり、彼女の身体を遡っていく。
そのまま耳元まで辿りつくと、そっと囁き掛けた。
「何故こんな格好で俺の所に来た?」
「そ、それは……」
口籠るサフィーナ。
しかし、逃がすつもりなど到底無い。
「言ってみろ」
「お待ちくださ、んっ……!」
制止の言葉を無視し、俺は再び彼女の首筋へと唇を落とすと強く痕をつける。
その際には、わざと見えるか見えないかの場所を選ぶ。
隠そうとする度に、俺のことを思い出すがいい。
「サフィーナ」
そんな欲望に近いような悪戯心を抱きながらも、もう一度目の前の少女の名を呼ぶ。
右手で細い両手首を固定していたのを開放し、代わりに白く柔らかな頬へと手を触れさせる。
そして、少女の翠玉色の瞳をじっと見つめた。
「お前は俺のものだ」
しばらくの間そうした後、俺はまた耳へと唇を近付け、そっと囁く。
そうした後耳朶を優しく唇で噛み、舌を這わせた。
時折息を吹き掛けてもみる。
すると、その度に身体をぴくりと反応させるサフィーナ。
だが、しばらくそうして責めていると、たまらずといった様子で彼女は身体をばたつかせる。
既に手首の拘束を解いていたこともあり、脱出されてしまった。
もちろん再び捕らえるのは容易だが、今回はこの辺りが潮時だろう。
普段は知性に満ち溢れていて隙の無い少女の予想外に弱い一面を見るのはとても楽しかっただけに、少し残念だ。
「し、失礼します!」
追い掛けてくるとでも思っているのか、ひどく慌てた様子で部屋を飛び出していくサフィーナ。
不敬だが、まあいい。
男女の間のことにそんなものを持ち出すのは鄙陋というものだろう。
今の俺はとても機嫌がいいので、許してやることにする。
……さて、次あった時にはどうしてくれようか。
そのことに想像を巡らせ、俺は口元を歪ませた。




