15. Deciperis
学園で様々な科目の講義を受ける中で、分かったことが一つある。
それは、現代では二百年前と異なり男性しか爵位を継げなくなっているということだ。
生憎と継承法について扱った本は実家の書架には無かったので、数日前に講義で触れられるまで改定されていたことを知らなかった。
何でも、逆クーデターに失敗したフォルクス陛下が廃位された後に当時のベルファンシア公爵が継承法の条文を変えたらしい。
理由はすぐに思い当たった。
私もそうであったし、私の死後にベルファンシア公の政敵になったエクラール公もまた女性だったからだろう。
エクラール公爵家は王国の北西部に広大な領地を持つ大貴族であり、建国初期から続く由緒正しき家だった。
だったと過去形なのは、既に廃されて家名が途絶えているからだ。
エルティーユ・エクラール。
二百年前にエクラール公爵家の当主の座にあった彼女は、フォルクス陛下に次ぐ私の有力な支持者であり、またよき友人でもあった。
ベルファンシア公と並び当時のベルフェリート王国で特に大きな力を持っていた彼女の後援が無ければ、いくら陛下の支持があろうとも私は宰相補佐の座に就くことは出来なかっただろう。
そして私はクーデターで命を落とし、王都と王宮を武力で制圧したベルファンシア公が宰相の座に就いて政権を握った訳だが、当然私を支持していたエルティ卿はそれと対立することになる。
クーデターに伴い王都にいた前宰相派の貴族は皆粛清されたものの、折りしも事件の際には偶然領地に帰っていた彼女はそのまま王都には戻ることなく、現地に留まって反宰相の色を鮮明にした。
両者の対立は一年程続き、双方共に大軍を擁しているために情勢は膠着状態に陥ったが、しかし王都でフォルクス国王による逆クーデターが勃発したことにより事態は一変。
敢えなく失敗に終わったそれの結果ベルファンシア公は陛下を廃位してオルタナシア城という古城に幽閉し、王家の血筋から傀儡の新王を擁立。
そのことに激怒したエルティ卿は激怒して挙兵し、王都へと進撃した。
もちろん彼女とて貴族であるからには、ただ感情に任せて行動した訳ではないのだろう。
元々、貴族達の間では前例の無い政策を連発した私への支持率は高くなく、その分謂わば保守派であるベルファンシア公に支持が集まっていた。
ましてや、その時点では既に私を支持していた貴族の大半は粛清されている。
つまりは私の死後エルティ卿とベルファンシア公が対立していた際も、大半の貴族は政権を握っているということもあって後者の側を支持したはずなのだ。
王都と国王を掌握されている上に味方まで少なくては、いくらエクラール公爵家が大貴族であろうともいささか分が悪い。
故に彼女はすぐに王都に進撃することはしなかった訳だが、しかし、相手が国王の廃立という暴挙に出た直後であればその限りではなかった。
貴族とは、名誉や名聞を気にする生き物だ。
いくら内心では支持していようと、表立って国王を廃した者の味方には付き辛い。
逆に彼女からすれば、そのタイミングで挙兵すれば反逆者を誅するという大義名分が立つことになる。
私がその立場だったとしても、きっと同じ決断をしただろう。
エルティ卿が権力を奪還する機会は、そこしかなかったのだ。
好機と見て挙兵した彼女に対し、予想通りほとんどの貴族は中立の立場を表明。
数少ない粛清を免れたり領地に戻っていて助かった前宰相派の貴族や、それまでは中立だったが公然と行われた暴挙に憤った王家への忠誠が深い貴族達も呼応するように挙兵し、ベルフェリート王国は一年近くにも及ぶ内戦状態に陥った。
これは余談だが、廃位され幽閉されたフォルクス国王もこの内戦の最中に病死している。
確証は全く無いものの、私は病死ではなく暗殺されたのではないかと思っていた。
オルタナシア城が奪われ、陛下の身柄がエルティ卿の側に渡れば、ベルファンシア公にとっては困ったことになる。
なので、身柄を奪われる危険を無くすために密かに食事に毒でも混ぜたのではないだろうか。
ともあれ、そうして公爵同士が大規模な私闘を演じることになった王国。
しかし、自領の兵が主力であったエルティ卿側に対し、フォルクス陛下を幽閉し傀儡を立てたベルファンシア公は自らの私兵に加え王家の直轄領の兵も動員することが出来る。
また、エルティ卿は軍の指揮がそれほど得意ではなかったこともあっただろう。
戦況は次第に劣勢に陥り、遂には追い詰められ立て籠もった居城も落城。
捕らえられた彼女は数ヵ月後に処刑され、同時にエクラール公爵家も廃された。
……というのが、いつか読んだ歴史書から読み取った私の死後の出来事の経緯だ。
圧力を恐れたためか本には簡易にしか記述されていなかったため、いくらかは私の想像も混じっているが、まあ大体合っているだろう。
その後、最大の政敵を倒し権力を確固たるものにしたベルファンシア公は継承法を改定、爵位を継げる者を男性のみとした。
封建社会であるベルフェリート王国において、継承法は最も重要な条文の一つだ。
それを自分の一存で変えてみせたことは、それだけ彼の権勢が圧倒的なものとなったことを如実に示している。
そういった経緯により、私はオーロヴィア子爵家を継ぐことが出来ない。
ベルファンシア公の権勢については十分に分かっていたことなので別に構わないが、しかし爵位を継げないというのは実にまずかった。
これまでは、学生のうちは学園生活を楽しみつつ領地の開発計画を練り、卒業して実家に戻ったらそれを実行して、当主になるまでに税収を黒字にして官吏をしなくてもいいようにしようと思っていたのだ。
私には現代知識というカードがあるし、当主になればゆっくりと内政に専念しつつ力を蓄え、いずれ機を見て反乱を起こせばいいだろうと。
だが、爵位を継ぐことが出来ないとなれば話は全く変わってくる。
実家は田舎なので、戻ってしまってはそれこそもう何かをするチャンスは巡ってこないだろう。
どこかの貴族に輿入れし、大人しく余生を過ごすしかなくなってしまう。
いっそ前世とは全く違った世界に転生したのならば隠居気分でそれもよかったかもしれないが、しかし私はまたこの国に生まれてしまったのだ。
幸いにも、王都には様々な貴族がいる。
どうにか学生であるうちに、現宰相を打倒するために行動する必要があった。
しかしながら、現代知識を使えないとなれば、小貴族の娘である私が切れるカードはたった一つしかない。
女として生まれたこの身体だけだ。
そうであるからには、どうにか有力者を篭絡して反乱へと繋げるしかない。
要は色仕掛けということなのだが、狙うならばまずはなるべく位が高い人間だろうということで、私は夜伽の際等に用いられるような露出の多いドレスを着て寮にある第一王子の部屋を訪れていた―――のだが。
……どうしようか。
あまりの恥ずかしさに、目の前に立つ王子を直視出来ない。
思わず顔を背け、露わになっている肌を少しでも隠すべく身を縮めてしまう。
こういった状況の経験の無い私には、この方法は間違いだったようだ。
今更ながら後悔を覚えるが、しかし王族の前に出てしまったからには身を翻して逃げる訳にはいかない。
早くも、窮地に追い込まれる。
「それで、何の用だ?」
「あ、あの……」
目の前の王子が尋ねてくるが、答える余裕が無い。
非礼だと頭では理解しつつも、びくりと身体を震わせて反応してしまう私。
彼の目線が、まるで矢のように私の肌に突き刺さってくるような錯覚さえ感じていた。
「どうした?」
「……っ!?」
掛けられた声に反応して視線を正面に戻すと、すぐ目の前に王子の顔があった。
驚いた私は、微かな悲鳴のような声を上げながらつい後ろに飛び退いてしまう。
「面白いな、お前」
そう言ってにやりと笑った彼が、追い掛けてくるようにこちらへと近付く。
肉食獣に捕食されかけた獲物のように、後退る私。
数秒遅れて背中に伝わる固い感触。
これ以上後ろには下がれない。
私は、壁際へと追い詰められてしまっていた。
「きゃっ……!?」
すると、不意に私の身体が宙に浮く。
全身を襲う浮遊感。
混乱し小さく叫びつつも辺りを見渡すと、眼前に見える王子の身体。
背中には、力強い腕の感触がある。
どうやら私は、いつぞやのように彼に抱き上げられている状態らしい。
そのことを認識した途端、私の中で今まで以上に羞恥が膨れ上がる。
しかし、そんな私に構うことなく彼は歩き始めた。
流れていく部屋の内装。
やがて立ち止まったかと思うと、今度は身体が加速度をつけて落下していく。
どこかに放り投げられたようだ。
咄嗟のことなので受け身を取る間もなく、来たるだろう衝撃と痛みに備え目をぎゅっと瞑る。
しかし予想したそれは私を襲わず、代わりに柔らかいものに沈み込むような感触が走った。
未だ混乱が収まらない意識をよそに、少しだけ跳ねる身体。
それを抑え込むように、抵抗する間もなく掴まれた腕が頭の上へと持ち上げられ、そのまま合わさった両手首を押さえつけられて拘束されてしまう。
驚いて瞼を開けると、にやりとした笑みを浮かべた王子と目が合う。
私は、気付くと彼にベッドの上に押し倒され動きを封じられた状態になっていた。
「で 、殿下……!」
逃れようと身体をばたつかせるが王子の手を振り解けず、脱出することは叶わない。
小柄なこの身では、大柄で力も強い彼の拘束を解くのには無理があるのだろう。
なお悪いことに、ただ逃れることが出来ないだけではなく、両腕を抑えられているためにドレスから露出された肌を隠すことも出来ない。
羞恥で跳ねた心臓。
激しく刻まれる鼓動が、頭の中に音となって響き渡る。
私はどうにか顔を右に背けると同時に、大気に触れたばかりの瞳を再び瞼で覆い隠す。
「サフィーナ」
「ひあ……!?」
王子が、私の名前を呼ぶ。
露わになっていた首筋に吐息が掛かり、悲鳴を上げてしまう私。
それは私の肌をなぞるようにゆっくりと遡上し、そして耳へと触れた。
「何故こんな格好で俺の所に来た?」
「そ、それは……」
耳に掛かる息のこそばゆさに、身体が微かに震える。
自分から仕掛けていたにもかかわらず、私は思わず口籠もってしまう。
その様子を見て、王子は獲物を捕らえたかのような表情を浮かべた。
「言ってみろ」
「お待ちくださ、んっ……!」
制止の言葉も遮られ、王子は私の首筋へと唇を落とすと、きつく痕をつけた。
これでは、普通のドレスを着て髪を下ろしていても角度によってはきっと外から見えてしまうだろう。
まずい、それはあまりに恥ずかしい。
「サフィーナ」
再び、その低く美しい響きの声で名前を呼ばれる。
拘束していた手首が解放され、王子は私の頬に手を添えた。
どれくらいの間かは分からない。
王子のローズブラウンの瞳が、正面から私を射抜く。
「お前は俺のものだ」
そして耳元に唇を近付けた彼に、そっとそう囁かれる。
鼓膜を揺らしたそれは、そのまま私の脳漿へと届いてしまう。
混乱と羞恥で頭が回らない。
しばらく夢中で身体をばたつかせた後、私はどうにか彼の身体の下から脱出することに成功した。
「し、失礼します!」
その場に留まっていてはまた捕まってしまいそうなので、一言そう叫ぶと私はそのまま入り口の方へと走り、そして扉を開いて部屋を後にする。
王族相手に非礼であると頭では分かっているが、しかしとても平静でいられそうにない。
散々暴れたせいなのか、或いは王子の行動のせいなのか、息を乱しながら私は廊下へと飛び出したのだった。




