9. 桂林一枝(3)
私は階段を降り寮の外へと出ると、そのまま騎士団の屯所の前を通り過ぎて表通りに面した門へと向かう。
騎士団長は、今日は学園内の屯所ではなく本来の営舎にいるのだそうだ。
営舎までは距離はあるが表通りを歩いていけば辿り着けるので、特に問題は無い。
少し曇り始めている空の下を進んでいく。
この国は比較的乾燥した風土であり、日本とは違い湿気が少ない。
季節がまだ春先であることとも相まって、曇っていてもとても快適だった。
一昨日ユーフェルと共に訪れた食器屋の前を通り過ぎ、なおも歩を進める。
さすがは中央区というべきか、通りの両側には貴族向けの商店が立ち並び、それなりの数の人間が歩いているにもかかわらず辺りには一定の気品が保たれている。
前世時代の癖か、気付くとつい視察のような感覚で街並みを眺めている私がいた。
靴を鳴らしながら、行き交う人々の間を通り抜ける。
やがて商店が立ち並んでいる辺りを抜けると、貴族の邸宅が立ち並ぶ区域に差し掛かった。
家格や領地の規模を問わず、ほとんどの貴族は王都に屋敷を持っている。
大貴族は自前で巨大な屋敷を建築することが出来るし、官吏として仕事をしている中小貴族にはそのための拠点として国からそれなりの大きさの屋敷が与えられる。
この近くではないが、前世の私もかなりの規模の屋敷を都内に保持していた。
私がベルファンシア公爵の私兵に奇襲を受けて捕らえられたのも、ちょうどそこに滞在していた際のことである。
当時の私は侯爵家の当主かつ宰相補佐であったのでそれなりの数の私兵はいたのだが、そもそも防戦を前提として設計している訳ではないただの屋敷だ。
こちらを上回る数の敵から奇襲を受けては、とてもまともな防戦など不可能だった。
良くも悪くも思い出深い場所ではあるが、僅かたりとも敵に技術を渡さないために捕らえられる直前に自分でも書類のある執務室に火をかけたりしたので、きっと燃え尽きて壊されもう跡形も残っていないはずだ。
人々の暮らしがほとんど変わっていないのに芸術だけが進歩しているのは随分と歪に感じるが、それも技術が失われたためだと考えれば特に不思議はない。
地球でも、様々な要因によって特定の技術が忽然と失われることは多くあったのだ。
歴史書によれば私の味方と見做された者はかなり徹底的に粛清されていると聞くし、恐らく私がやった改革や技術革新の成果は今にはほとんど受け継がれていないだろう。
私のせいで死んだ人達と力を合わせて成し遂げた成果が奪われて結果だけを利用されるなど、彼らに申し訳が立たない。
持っていた技術が公爵の手に渡らずに済んだことが不幸中の幸いだった。
まあそれはともかく、そういった理由もあり二百年前からほとんど技術が進歩していない様子なので、街の様子も二百年前とほとんど同じだ。
もちろんかつてあった店が無くなっていたりなどの時間経過に伴う小さな変化はいくつも見られるものの、軽く眺めただけで分かるような大きな変化は一切見られなかった。
この辺りまで来ると、商店のある辺りからは遠く貴族の邸宅しか立ち並んでいるため、人の姿はかなり少ない。
先程から私は、静寂の中で既視感と懐かしさを同時に覚えていた。
そしてなおも歩き進み、それに伴って第三騎士団の営舎との距離も徐々に近付く。
まだ目視は出来ないが、前世と場所が変わっていないので後数分ほどで到着するだろう。
そう思っていると、ふと近くの裏路地からおかしな気配を感じた。
完全に感覚的なものなのでこればかりは言葉で説明するのは難しいが、まあ要は殺気のようなものだ。
宰相補佐になる前は侯爵家の当主として私兵を率いて戦場に出たりもしていたし、実際に敵兵と剣を交えたこともある。
その中で身につけた感覚が、私に危険を伝えていた。
こういった感覚は、理屈抜きに信じるべきものだと私は思う。
しかしここまで来て引き返す訳にもいかないので、道の中央に寄って警戒しながらも歩き進むと、差し掛かった左側の裏路地の奥から私を目がけ男が数人走ってくる。
理由は分からないが、近くに人影がほとんど無い以上狙いが私であることは明白だ。
私はドレスを掴まれないように注意しつつ、先頭の男が振るった腕をサイドステップで回避して距離を取る。
人通りが少ないと言っても、全く無い訳ではない。
視界の端で、今まで悠然と歩いていたメイドの女性が悲鳴を上げて逃げ去っていくのが見えた。
白昼堂々、人目も憚らずにそれも表通りで襲ってくるなどいい度胸だと思う。
数分時間を稼げれば、巡回の騎士達が姿を見せるはずだった。
とはいえ、どうやって男達を相手に立ち回るかは問題だ。
誰も刃物を手にしていないからには目的が私の殺害ではなく拉致であることははっきりとしているが、だからといって数分間も相手取るのは難しいだろう。
今の私は剣など佩いていないし、仮に佩いていたとしても小柄で非力なこの身体ではまともに振り回すことはおろか持ち上げることさえも危ういと思われる。
その上に、昔は戦場に出る際は男性用の軍服を身に纏っていた(喜んでいいものか悪いものか、当時の私は背が高かったのでサイズがぴったりだったのだ)が、今は当然ながら着たままでの戦闘など想定されておらず素早くは動きにくいドレス姿だ。
単純な身体能力においても、まだ十三歳でしかない私は男達に大きく劣っているだろう。
辺りには得物になりそうなものも見当たらない。
考えれば考えるだけ、状況は圧倒的に私に不利だった。
表通りが安全だからといって、油断し過ぎたのかもしれない。
「いきなり肌に触れようとするとは無礼な。何者です」
だが、どれほど不利だろうとも、きちんと帰るとカルロに約束したからには大人しく勾引かされる訳にはいかない。
ひとまず、時間稼ぎにでもなればと男達へと向けて言葉を発する。
しかし、彼らは私の問いには答えずに無言のままじりじりと近付いてきた。
男達が誰の差し金かについては、タイミング的に考えて逃走しているというモンテルラン子爵家の元執事だと考えて問題は無いだろう。
私を襲ってくるということは、学園内に彼らの手の者がいると思われ、セリーヌ嬢が私の部屋に泊まったことも筒抜けになっているものだと考えられる。
やはり、カルロを部屋に残してきて正解だった。
となれば当然自室も襲われている可能性があるが、それについては彼がいる限りは一安心だろう。
今私がすべきことは慌てて寮へと戻ることではなく、どうにか営舎へと辿り着いて騎士団長に事態を知らせることだ。
とはいえ、この状況ではそれも厳しい。
いくら近くまで来たといえども、ここから営舎までは走り抜けてそのまま逃げ切れるような距離ではないのだ。
身体能力の差で、途中で追いつかれてしまうだろう。
周囲には貴族の屋敷が立ち並んでいるが、どこも門が閉まっていて駆け込むのは不可能だ。
駆け寄って門を叩いたところで、開けてくれるとも思えない。
手段を選ばずに時間を稼ぎ、どうにか巡回の騎士が現れるまで耐えるしかなかった。
とりあえず、私はじりじりと後ずさり距離を稼ごうとする。
しかし、私を追って前進してくる彼ら。
徐々に詰められる彼我の距離。
この世界に来てから、今ほどドレスを鬱陶しいと思ったことは無かった。
実用性が重視されていないのでとても動きにくいのだ。
先頭の男が、再び私へと手を伸ばす。
ドレスを掴まれないように地を蹴り、バックステップで回避する。
相手は複数だ、回避一つにも囲まれないように気をつけながら方向を決めなければならない。
純粋な身のこなしならば引けを取るつもりは毛頭無いが、如何せん体格があまりにも違いすぎるのだ。
敵意を持った男に囲まれてしまえば、それ以上女に出来ることなど何も無い。
そのことは、クーデターの際に嫌というほど思い知った。
私は不快な記憶を思い返しつつも、なおも壁を背にしないように後退を続ける。
だが、いつまでもこのまま動き続けることは出来ないだろう。
今のところはまだどうにかなっているが、悪いことに現在私が履いているのはヒールの高くなった靴だ。
履いたまま運動をすることなど当然想定されていないこの靴で、いつまでもバランスを崩さずに逃げ回れるとは到底思えなかった。
「きゃっ!?」
その後も石畳の上を逃げ回っていた私だが、遂に限界が訪れる。
後退して地面へと着地した拍子に靴の踵部分が折れ、そのために全身のバランスが崩れたのだ。
思わず喉から洩れ出す悲鳴。
しかし、体勢を立て直すまで敵が待ってくれるはずもない。
すぐ目の前に迫る男が、私を捕らえようと手を伸ばした。
もうそれを避けることは出来ない。
私は捕らわれの身となることを覚悟する。
だが、その刹那。
「……えっ?」
ふわりと身体が浮き、次の瞬間には男達が全員石畳の上に倒れ伏していた。
咄嗟には何が起こったのか分からず、困惑した声を上げてしまう。
「お怪我はありませんか? サフィーナ嬢」
そんな様子の私に声を掛けられたのでそちらを向くと、振り向いたすぐ後ろに騎士団長の整った顔があった。
「クラスティリオン様……?」
少し呆けた後、状況を把握する。
どうやら、私は彼の腕に抱かれているらしい。
腰には固定するように腕が回され、もたれかかるような形の背中にはその胸板の感触が伝わっていた。
右腕一本で私の身体を抱き上げていて、一方で下げた左腕には剣が握られている。
実際に触れてみて感じる騎士団長の腕はわりかし細く、胸板も決して厚くはない。
男性としてはかなり華奢な類だろう。
しかしその身から弱々しさなどは微塵も感じられず、むしろ力強さと安心感を感じるのはその卓越した技量故だろうか。
小柄な相手とはいえ片腕で軽々と人間を一人持ち上げながら重い剣を振るうなど、さすがという外なかった。
そして、何やら咎めるような目で私を見つめてくる彼の方から視線を逸らし、地表を見下ろすと、その先には先程まで私に襲い掛かってきていた男達がぴくりとも動かずに倒れていた。
石畳の上に血が流れ出す気配は無いので、斬ってはいないだろう。
あの一瞬で全員に峰打ちを浴びせて場を制圧するなど、実際に戦うところは初めて見たがやはり並みの腕ではないらしい。
何しろ、気付いた時には既に全てが終わっていたのだ。
剣筋を見るどころではなかった。
「峰打ちです。斬ってはいませんよ」
そんな私へと、騎士団長がそう声を掛けてくる。
……そうだ、あまりの強さに唖然としていて失念していたが、窮地を救ってもらったのだから感謝しなくては。
私は、再び彼の方へと顔を戻す。
「助けていただきありがとうございました。クラスティリオン様が来てくださらなければ、どうなっていたことか……」
至近距離から見つめ合うような形になった彼に、そう感謝の言葉を述べる。
貴族ともなれば本音を他人に晒さないよう建前を駆使することも儘あるものだが、これはほとんど本音に近い。
捕らわれた挙げ句に殺された経験と記憶があるので、また捕らわれの身になるのはとても怖かった。
「ご無事ならいいのですが……。何故お一人でこのような場所に?」
先ほどと同じ咎めるような視線と共に、そんな疑問を投げ掛けられる私。
確かに、いくら表通りであっても貴族の女性が一人で歩くことなどほとんど無い。
常に側にあり主の身を護るからこその侍従なのだから。
「お呼び出しをいただいた通りにクラスティリオン様のおられる営舎に向かっているところでした。侍従は、セリーヌ様を一人にしてはいけないので残してきましたの」
彼は私が一人で歩いていたことを咎めているのだろうと思い、そのことについて説明していく。
しかし、聞き終えた彼は眼光を更に鋭くした。
「呼び出しですか? そのようなことはしていませんが……」
訝しむような騎士団長の様子に、私は事態を理解する。
彼は私を呼び出したりなどしていないにもかかわらず、私は呼び出されてここまで来た。
つまり、それは私の部屋の扉を叩いた使者は偽者であり、その男こそが敵の手の者だったということを意味している。
だが、わざわざこのような手で誘き寄せてまで私を狙った理由は何なのだろう。
戦闘能力を持ったカルロをセリーヌ嬢から引き離すためだと考えれば、私を誘い出した理由は理解出来るが、しかしその後私の身柄を狙った理由はよく分からなかった。
無関係な私を捕らえたところで、何一つ利益にはならないはずなのだが。
或いは、騎士団の捜査を受けたことで自棄になり、セリーヌ嬢の殺害を妨害する形になった私を逆恨みして狙ったのかもしれない。
だとしたら、無事に済んで本当によかったと思う。
そのような人間に捕らえられては、どんな目に遭うか想像もしたくない。
私は、思わず軽く身震いをする。
「申し訳ありません、駆けつけるのが遅れたせいで、怖い目に遭わせてしまいました」
どうやら騎士団長はそれを、男達に襲われたことの恐怖だと解釈したらしい。
そう私へと向けて口にした。
「いえ、護ってくださりありがとうございます、クラスティリオン様。もう大丈夫ですので、そろそろ降ろしていただけませんか? 」
「このようなことがあったばかりで、一人で戻るのは危険です。寮までお送りいたしましょう。……この男達を捕縛し、営舎に連行しておけ」
いつまでも多忙であろう彼の手を煩わせる訳にもいかない。
そろそろ帰ろうと思い降ろしてくれるように言ったものの、しかし騎士団長は私を片手で抱え上げたまま寮まで送ると宣言すると、いつの間にか近くまで来ていた巡回の騎士に命令を下す。
命令を受けた騎士は未だにぴくりとも動かない男達を専用の紐で捕縛し、逃げられないように全員の身体を繋ぐ。
気を失った状態で運ぶのは人数の差で不可能なので、意識を取り戻した後で歩かせるつもりなのだろう。
そんな様子を眺めながら、私を軽々と抱えたままの彼は学園の方へと歩を進めていく。
騎士団長直々の護衛とあればとても心強いのは確かだが、私などの護衛にかまけていても大丈夫なのだろうか。
いや、まあここでこうしているからには大丈夫なのだろうが。
そんな心配をしつつ、私は身体に伝わる軽い振動に身を委ねながら寮へと向かったのだった。
それから数日。
どうやって学園内に侵入したのかは知らないが、やはり私の部屋も襲撃を受けていたらしい。
それは部屋にいたカルロの手により容易く撃退されており、あれから騎士団長と共に戻ってみると玄関先に斬り殺された数人の男達の死体が転がっていた。
セリーヌ嬢に戦いを見せないよう、彼女がいる部屋の外で戦ったのだそうだ。
それを見た騎士団長は人を遣って屯所から騎士を呼び寄せ、現場の処理までも指揮してくれた。
そして今、私達は寮の廊下を歩いている。
私、騎士団長、セリーヌ嬢、ユーフェル、カルロの五人だ。
数日に渡り騎士団が捜査しているにもかかわらず、未だに犯人の男達の行方は知れていない。
捜査の進捗状況を伝えられる予定だったのだが、下手人が学園内に侵入した後ということで騎士団長本人が迎えに来てくれているのだ。
効率性を重視する企業で働いていた私としては、部屋まで来たのならばその場で伝えてくれればいいのにと思わなくもないのだが、そこは貴族社会であるが故に重んじられる儀礼というものだ。
爵位に換算すれば私達よりも騎士団長の方が格上である以上、そういった半公式的な話は彼が私達を招くという形で行われなくてはならないのである。
故に私達は、廊下を進み階段を下りていく。
そのまま入り口から外に出ると、空は今日は快晴で雲一つ無い。
暖かな日差しに包まれながらも、そう遠くない屯所を目指す。
やがてその半ば辺りまで差し掛かった頃、ふと先頭を歩いていた騎士団長が立ち止まった。
私も足を止めて彼の視線を辿ると、その先には血塗れの状態で手を後ろに縛られた少年がこちらに歩いてくるのが見えた。
当たり前だが、見覚えの無い顔だ。
一体誰だろうか。
「テオ……? テオなの……?」
「セリーヌ様!」
そんなことを考えていると、ふらふらと少年の方へ数歩足を進めながらセリーヌ嬢がそう呟く。
テオ、つまり彼が少女の侍従であり、また今回の事件の主犯の息子でもあるテオドールか。
私は、彼の方へと近付きかけていた少女の腕を掴んで止める。
事態が全く分かっていない状況で、少年に彼女を近付けさせるのはあまりに危険だ。
「……テオドール・ダルトゥか?」
そして、同じく少女の言葉から彼の正体を理解したらしい騎士団長が、いつでも抜けるよう腰に佩いた剣の柄に手を添えながら誰何する。
「お久しぶりです、お嬢様。いかにも、私がテオドール・ダルトゥです」
一言セリーヌ嬢に返事をすると、そのまま騎士団長の方を向いて誰何に答える彼。
そして彼はその場に立ち止まり、罪人が裁きを受けるのと同じ姿勢でその場に跪いた。
後ろ手に縛った紐が胴体にも巻き付いているのも、またそれと同じだ。
身体を伝って血が石畳へと流れ落ち、紐は血を吸って鈍い色に染まっている。
「ああ、テオ、誰があなたを縛ったの……?」
「これは誰の手によるものでもありません、自分で自分を縛りました」
悲しげに口にした少女の言葉に、しかし少年は冷静なままそう答えを返す。
これが本当に私と同い年の少年だろうか。
そう疑問さえ浮かぶくらいに彼の纏う雰囲気は重く、そして冷静だった。
「どういうことですか? 姿を晦ましていたことも含め、事件について知っていることを供述しなさい」
「お嬢様が危機に陥っていた頃、私はあの男達に騙されて全く違う場所にいたのです。愚かにも騎士団の手を逃れようと彼らが逃げ出したことで初めて事態を知り、罪を償うべくここに来ました」
自らに投げかけられた質問に対し、淡々と回答していく少年。
「……私を処刑してください。あの謀反人は父ではありませんが、しかし私があの男の血を引いているのは事実。その上に私のせいでお嬢様を危険に晒してしまったとなれば、生きている訳には参りません」
そして最後に、彼はそんな言葉を紡ぐ。
少し体勢を俯かせ、首を差し出すような体勢になる。
「……そうですね。あなたは主犯の身内として処刑の対象です」
そう口にして、剣を鞘から引き抜く騎士団長。
今回の事件は、平民が貴族を殺そうとした形になるのだ。
通常の場合よりずっと罪が重く、場合によっては連座制さえも適応し得る。
そのため、少年が処刑されるのは決しておかしなことではなかった。
ましてや今回の場合、結果論とはいえ彼が側にいなかったこともセリーヌ嬢が危険な目に遭った大きな原因となっている。
まず処刑は免れない。
「お願いします」
「て、テオ!」
セリーヌ嬢が、大きく叫んで呼び慣れているであろう彼の愛称を口にする。
少年は、彼女の方を見て微笑んだ。
「ご安心ください、お嬢様に仇をなした謀反人達は、先程一人残らず殺してきました。これで安心して逝くことが出来ます」
「やだ、やだよテオ! そんなの……!」
先程から半ば暴れるようにばたついていた少女は遂に私の手から離れ、そして少年の方へと走ってそのまま抱きつく。
ドレスや身体がまだ乾いていない血で汚れるのも構わず、彼女は自らより大きい身体を力強く抱き締める。
その瞳から零れた涙が、そっと彼の皮膚へと落ちた。
涙が流れた部分だけ、血の赤に隠されていた少年の本来の皮膚の白さが露わになる。
「逝かないで! ずっと私を護ってよ! お願い!」
聞いている私にまで籠められた感情がはっきりと伝わるような、半ば絶叫に近いような叫び。
本来内気であるはずのこの少女がこれほど叫ぶなど、この二人は余程強い絆で結ばれていたのだろう。
セリーヌ嬢が叫ぶ度、少年もまた少女からは見えない角度で悲しそうな苦しそうな表情を浮かべさせる。
「……クラスティリオン様」
剣を手にしたまま二人を見ている騎士団長へと、声を掛ける私。
テオドールというこの少年は処刑するべきではない。
私には、主のために父親を処断してみせたという彼が事件に関与しているとは到底思えないのだ。
主と侍従の間には強い絆が生まれることが多いが、それにしても二人の間の絆が尋常ではないくらいに強いことは見ていてよく分かる。
これほどまでに強い絆が生まれることは稀であり、その絆を失うことがセリーヌ嬢にとっていいことだとは私は思わない。
幸いにも、少年を処刑せずに済む名分は存在している。
例えば―――
「テオドール、父親達を斬ったと言いましたね」
「……あの男は父ではありません。私とは無関係なただの謀反人です」
少年に対して静かに問い掛ける騎士団長。
しかしそれを受けた彼は、その言葉を否定する。
その様子から主への絶対の忠誠が見て取れる彼にとっては、その主を殺めようとした相手のことは血は繋がっていてももう父と見做していないのだろう。
「その問答は後回しにしましょう。彼らの死体はどこにありますか?」
「向こうの建物の裏の木の陰に置いてあります。証拠のためにここまで運んできました」
そう言って、少年は私達から見て右奥、図書館の裏側に生えている木々の辺りを目で指す。
「確認してきなさい」
「はっ!」
それを聞いた騎士団長は、近くにいた騎士に様子を見てくるように命じる。
返事をすると、図書館の方へ走っていく男。
先程から、騎士達は野次馬の貴族が集まらないようにさり気なく周囲に集まってきていた。
そして、しばらくすると男が戻ってくる。
「ありました、七体です」
「ふむ、計算とも合いますね。……テオドール・ダルトゥ」
「はい」
どこか満足げに頷いた騎士団長が、少年の名を呼ぶ。
未だ少女に抱き締められながらも、一つ返事をする彼。
「本来であればあなたも連座で処刑するところですが、主犯とその一味を斬った功績により刑の執行を免じます。これから一生、何があろうともセリーヌ嬢の命と安全を護り抜くように」
「……それでは、子爵様が納得されないでしょう。それに、全ては謀反人の言葉を信じた私の責任です」
騎士団長の言葉に対し、そう口にする少年。
確かに、その言い分はもっともだった。
この場にいないセリーヌ嬢の両親には、二人の間の絆は理解し得ないだろう。
肝心な時に側にいなかった上に、娘を殺そうと計画した男の息子である彼がそのまま侍従を務めるなど、到底納得出来ないのも当然だ。
「私が説得します」
それに対し、そう宣言する騎士団長。
確かに、それであればセリーヌ嬢の両親も頷かざるを得ないはずだ。
「セリーヌ嬢、あなたのお気持ちを彼に伝えては如何ですか?」
「はい……。テオ、どこにも行かないで、ずっと私を護ってよ……!」
「お嬢様……。私をお許しくださるのですか?」
「テオは何も悪くないじゃない! 小さな時からずっと一緒にいてくれて、ずっと支えてくれて、ずっと助けてくれて……! いなくなる、なんて言わないでよぉ!」
少女は彼の身体を抱き締め、嗚咽を漏らしながらも少年への言葉を口にしていく。
彼は少し困ったような顔をしながらも、少女の華奢な身体を抱き締めた。
「決心はつきましたか?」
「ありがとうございます……!」
そんな少年に対し、少し微笑みながら語り掛ける騎士団長。
彼は、泣きそうな顔で感謝の言葉を口にした。
その言葉を聞くと、手にしていた剣が腰の鞘へと戻される。
果たして、少年の免罪が決まった瞬間だった。
強く抱き合う二人。
そんな彼らを祝福するように、空では太陽が凛と輝いていた。




