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4. 地に花を(3)

現在、アルファポリス様の恋愛小説大賞にベルフェリートに咲く花を応募させていただいております。

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 その後も人々の口から聞いて回ったところによると、やはり今宵の儀式とはスタート地点から馬に乗り中心部に深い崖のある山を踏破して初めに逆側にあるゴール地点に辿り着いた者を勝者とするレースであるらしい。

 現時点で把握している情報を頭の中で整理していきつつ、私は少女から買った簡単な地形図を補完していく。

 儀式が行われる神聖な山だということもあってか詳細な測量はされていないようで、結局誰が売っているものも彼女から買ったものと精度は大差無かったのである。

 当然平面に描かれた地形図とは二次元的なものだけれど、それを立体的なものへと描き直して私は自らが走るべきルートを考慮していく。

 もちろん実際に自分の目で見てみなければ分からないような部分もあるので、その辺りの不確定要素に関しては臨機応変に対処するしかないのだけれど。

 何度も儀式を経験していて私より遥かに山中の地形に詳しいだろうレヴギルと比べれば、こちらは情報面で大きく遅れを取っていることは否めない。

 ではどうすればその分のアドバンテージを埋めることが出来るのか、私は様々なシチュエーションをシミュレートすることで考察していく。

 今のところ、私の演算では想定し得る限りの状況においてレヴギルとの勝敗は五分五分といったところである。

 ではレヴギルですら把握していないような要素は何か無いものだろうか――勝率を百パーセントに少しでも近付けるため、私は思考を巡らせる。

 ある策は発生条件を整えるまでに偶然性に頼る部分が大き過ぎるので却下、また別の策はたとえそれを用いて勝ったとしても卑怯だと思われて遊牧民達が納得してくれないだろうから没。

 作戦が何も思いつかない訳ではないものの、実現可能性と説得力の両方を兼ね備えたものをとなると一段と難しかった。


 結局、情報量の不足もあって確実に戦略目標を達成出来ると確信するに足るような策略は思いつけぬままに夜を迎える。

 太陽が沈み代わりに満月が天に昇ると、私とレヴギルを含む十数名程の参加者がスタート地点へと自らの愛馬に乗って集まっていた。

 言うまでもないことながら、私が命を預けるのは最も信頼する愛馬たる我がヴァトラである。

 こんなことを言うと手前味噌になるかもしれないけれど、ヴァトラの体躯は遊牧民達が乗っている馬と比べても全く劣っていないどころかむしろ上回っているくらいだった。

 せいぜい、一番大きなレヴギルが乗っている馬でようやく対等に近いかどうかといった程度である。

 実際に山中を駆ける馬の質では私が最も優れている、これはこれから行われる儀式における私の数少ない優位性の一つだと言えた。

 スタートの合図は先端に火が灯された木の棒が真上に掲げられたらとのことである、これから大きな勝負に臨もうとする私達は最早誰一人声を発することなくその時を待つ。

 ――そして。


「さあ、ヴァトラ。今宵は誰にも気兼ねする必要など無いわ、思う存分二人で駆けましょう」


 吹き過ぎる風に揺らめく赤い光が虚空に掲げられると、参加者達はほとんど一斉に乗っている馬の腹を蹴ってスタートダッシュをする。

 私もそう語りかけて首筋の毛並みを軽く撫でると、心なしか歓喜の感情を漲らせながらヴァトラの蹄が乾いた地表を踏み締めた。

 果たしてそれは馬としての本能なのだろうか、ヴァトラもまた速度を抑えることなく全力で疾駆出来るという事実を喜んでいるらしい。

 斜面が始まるまでの数百メートルの距離はみるみるうちに縮まり、私達はいよいよ山中へと突入する。

 この時点で既に参加者同士の距離は広がりつつあり、何もかもを振り切らんと先頭を駆ける私達に食い下がってこれているのはレヴギルくらいだった。

 山には直進を妨げんとする木々が生い茂っていたけれど、それらを避けるようにという指示などわざわざ私が出すまでもない。

 何の合図もせずともぎりぎりのところで身を躱してひたすらに前を目指すヴァトラ、やや遅れてレヴギルが細やかに指示を出しているようで目まぐるしく手綱を握った手を動かしていた。

 一歩間違えれば落馬して大怪我を免れないところだが、そのくらい覚悟出来ずしてどうして戦場に立つことが出来ようか。

 枝葉に覆われて薄暗い山中だけれど、隙間から差し込む蒼い光によってまったくの暗闇という訳ではない。

 事前に頭の中で組み立てていた立体的な地形図と実際の山中が然程違わないことを確認しつつ、私は目まぐるしく行き過ぎる木々の間に真紅のドレスの裾を靡かせる。

 この地の遊牧民達にとって聖なる山とは言っても体積的に見れば並外れて巨大という訳ではない、あらかじめ集めておいた情報が正しいとすればそろそろ崖が見えてきてもおかしくない頃なのだけれど。


「ああ、恐らくはあれね」


 前方を見渡すと、かなりの遠方だけれどある地点で突如として地表が途切れているのが見えた。

 即ちはあれが崖ということになる、通常ならばそろそろ右ないし左に進行方向を変えて崖っぷちを走っていくことになるのだろうけれど。

 だが生憎と、私が導き出した最適解は右でも左でもどちらの選択肢でもなかった。


「おい、死ぬ気か!? 早く避けろ、サフィーナ!」

「行けるわね、ヴァトラ。突入するわよ!」


 さすがは遊牧民を統べし者というべきか、レヴギルはどうやら私が何をする気かを悟ったらしい。

 後方から聞こえる彼の山中に轟くような大声での制止を無視して私が訊ねると、無論だと言わんばかりに嘶いたヴァトラは全く速度を緩めることなく真っ直ぐに駆け続ける。

 それなりに有名なので知っている人は知っているだろうが、私が生きていた時代から数えて千年程前の逸話である。

 かつて、一ノ谷の戦いと呼ばれる戦場において源義経は麾下の武士団を率いて敵へと断崖絶壁からの逆落としをかけたという。

 ――現に源義経に出来たことが、一体どうして私に出来ないはずがあるものだろうか。

 最早説明の必要すらも無いだろう、私が勝利のために選んだのは最短距離……つまり崖を駆け下りて直線的にゴールを目指すルートだった。


「サフィーナ! ちぃ、儀式を終わらせたらすぐに人を遣る! 生きていてくれ!」


 九十度とは言わないものの体感で七十五度くらいの角度はありそうな崖である、恐らくすぐ後ろに食らいついてきていたレヴギルからすれば私達の姿が一瞬にして消え去ったように見えただろう。

 私とヴァトラが落下していったと思ったのか上方からはそんな大声が聞こえてきたけれど、生憎とヴァトラの太い四本の脚は確かに鋭利な断崖の岩を踏み締めていた。

 無論のこと、私の身体もその大きくて頼もしい背中の上にある。

 木々の枝葉に頭上を覆われていた先程までの地表とは異なり、崖の斜面は何にも遮られることなく玲瓏な月明かりに照らし出されているので視界という観点で述べるならば今の方がむしろ広がっていると言えるかもしれない。

 とは言っても薄暗い夜にしかもまともな下見も無しに崖を駆け下りるというのは私にとってもかなりの賭けだったけれど、遊牧民達に敬意を示されつつ確実に勝利する方法はこれくらいしか思いつかなかったのだ。

 私が落下したと見るや救出することよりも儀式に勝利することをすぐさま優先したレヴギルはさすがの決断ぶりだと言えたが、より安全な道を選んで彼と崖っぷちのレースを繰り広げたとしても確実に勝利出来るとは言い切れない。

 ならば崖を駆け下りるという誰もしたことのない勇気を見せた上で最短距離を進むこの選択こそが私にとっては最善のものだと言えた。

 しかしながら、いくらヴァトラに乗り慣れているとは言ってもこの急角度では乗っている私も安穏と身を任せているだけという訳にはいかない。

 何しろ窮屈なのか本人が嫌がるのでこの子には鐙も鞍も一切の馬具を着けさせていないのである、それらが本来果たすはずの役割は私自身の馬術で補わなければならなかった。

 蒼い光によって見える一歩先の斜面の角度から私の身体にかかるだろう衝撃の方向と強さを絶えず計算し、それを受け流すように体重を移動させることで横乗りの体勢を維持し続ける。

 一瞬でも計算式の構築が遅れれば、或いは一つでも計算ミスがあれば私の身体は他愛もなく愛馬の背から投げ出され重力に従って谷底へと落ちていくことだろう。

 その意味において、私は紛れもなく自らの命を賭した大博打の真っ只中にあった。

 決して過ちを犯すまいと限界まで五感を研ぎ澄まさせ、絶えず頭をフル回転させる時間は客観的に見ればせいぜい十秒もかかっていないだろうに私の主観から見ればひどく長く感じられた。

 そしてようやく揺れが収まり、ヴァトラの蹄が平らな地表を踏み締める。

 それはつまり、私達が無事に崖を下りきって谷底へと到達したことを意味していた。


「ふう……あの崖を無事に上りきれるかしら、ヴァトラ」


 脳の酷使による精神的疲労に思わず溜め息を吐いた私だけれど、のんきに気を抜いていられるのもほんの一瞬のことである。

 下りがあれば即ち上りもあるのは必然であり、今度はゴール地点へと向けて視線の先にそびえ立つ険しい崖を駆け上がらなければならないのだから。

 ヴァトラに崖を駆け上がれるかと訊ねると、当然と頷くかのように我が愛馬は高らかに嘶きを轟かせてみせる。

 崖同士の間を音の波が反射し合って生じた木霊、それさえも振り切らんといった勢いでヴァトラは迷うことなく激しい斜面へと突入した。


「……っ、さすがに上りは厳しいわね。ヴァトラ、悪いけどしがみつかせてもらうわよ!」


 斯くして今度は崖を駆け上がり始めた私達だけれど、体勢を維持するのは下りの際と比べてこちらの方が格段に難しい。

 馬具も無しに横乗りしている私の場合なおさらのことであり、さすがに落馬せずに耐え抜くのが厳しいと感じた私は両腕をヴァトラの太い首に回す。

 淑女としての優雅さにはいささか欠けると認めざるを得ないものの、今はなりふり構っていられるような状況ではなかった。

 別に貴族として優雅に振る舞わなければならない局面でもなし、勝利を得るためにも命を落とさないためにも途中で落馬しないことが再優先事項である。

 何気にこうしてこの子の巨躯にしがみつくのは初めてだなと思いながらも、腕を回しきれないくらいに太い首筋に半ば垂直にぶら下がるような体勢になった私はヴァトラに自らの命運を委ねた。


「後少しよ、ヴァトラ! 悪いけれどもう少しだけ頑張って頂戴、二人で勝利の栄誉を掴みましょう!」


 下りは勢いでどうにかなったにしても、重力に逆らわなければならない上りにおいては一歩でも脚を踏み外そうものならそのまま谷底へと真っ逆さまである。

 見上げてみれば険峻な崖の半ばを既に過ぎ、私は頑張ってくれているヴァトラのことを鼓舞した。

 後少し、無事にここを上りきりさえすることが出来れば最早勝利を掴んだも同然なのである。

 この子に力を振り絞ってもらうべき時があるとすれば、それは今に他ならなかった。

 私の励ましに応えてくれたのか、しがみついていることで普段以上に鮮明に伝わってくるヴァトラの地を蹴る力が更に強さを増したことが分かる。

 眼前の崖の模様はかなりの速度で後方へと流れ去っていくというのに、頂上へと辿り着くまでの時間はひどく長く感じられた。

 ――そして。


「本当にご苦労様。貴方に乗れることを私は心から誇りに思うわ」


 どうにか無事に上り終えて比較的平坦な山道へと復帰すると、乱れたドレスを整えて淑女らしく横乗りに座り直した私は愛馬の首筋を優しく撫でてその偉業をねぎらう。

 いくら名馬といえども垂直に近い角度の崖を駆け上がるという行為はさすがに負担がかからない訳ではなかったのか、ヴァトラの柔らかな黒毛がしっとりと汗で濡れていることが分かった。

 普段平地を全速力で駆けても汗一つかくことのないこの子が汗を滲ませているのだ、私の作戦が失敗と紙一重のそれだけ危険な行為だったのだという事実を如実に示していた。

 さて、これで山の中央を縦断したことになる以上ゴール地点までは後わずかである。

 いくらレヴギルが崖っぷちぎりぎりを迂回して走っていようとも、最早最短距離を踏破したこちらに追いつくことはあるまい。

 勝利の栄光までは後少し、束の間息を整えた私達は辿り着くべき場所へと向けて再び疾駆を開始したのだった。

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