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8. 桂林一枝(2)

 そして騎士団の屯所を後にした私達は、そのまま寮へと戻ると三人で私の部屋の円卓を囲み、茶会をする。

 ユーフェルによっていつの間にか購入され食器と共に送られてきた茶葉や茶菓子のおかげで、二人を順調に歓待することが出来た。

 セリーヌ嬢の一件が解決したら、何か彼に礼の品を渡しておかなければならないだろう。

 最初からそれが目的だったのだから必然とはいえ、茶会の中ではやはり事件についての話題がメインとなった。

 少女から聞き出したのだが、どうやらあの場所には実家の使用人に呼び出されたために赴いたらしい。

 何でも、彼女の侍従がそこで待っていると言われたのだそうだ。

 これまで実家の屋敷の中で箱入りで育ってきて、つい最近学園に入ったばかりの令嬢であれば、まだ外の世界の危険性を知らずとも何ら不思議は無い。

 ましてや、顔を知っている実家の使用人の言葉になら疑わずに従ってしまっても仕方がなかった。

 だが、となると彼女自身の実家が絡んでいる可能性が出てくる。

 もしもそうだとすれば、事態はかなり面倒だ。

 身内に命を狙われているとなれば単純に彼女の安全を守りにくいということもあるし、何より事態がモンテルラン子爵家の内々の問題ということになってしまう。

 王族ならばともかく、同じ子爵家の、それも当主でもないただの令嬢に過ぎない私では口出しをすることが叶わないのだ。

 簡単な話、今回のことが彼女の両親も承知のことなのであれば、適当な理由をつけて少女を実家に呼び戻してそこで確実に暗殺してしまえばいいということになるが、私の力ではそれを阻止することは出来ないだろう。

 前世で侯爵の位を継いだ後の私であれば影響力を生かして有形無形の圧力を掛けることも出来たのだが、残念ながら今の私にはそれも叶わない。

 これといった大義名分が無い以上は、先程の騎士団長にとて介入は不可能だろう。

 もしそうなってしまった場合、どうにか第一王子に泣きついて助力を請うしか方法がなかった。

 幸いにも相手は小貴族なので、彼ならば王族の我が儘ということで強引にこの子を保護することが出来るはずだ。

 別にそうだと決まった訳ではないが、最悪の場合に備えてその時の対応は頭の中で練っておく。


 そこまで考えたところで一度思考を止め、私は自分のカップに入ったアネットが淹れたまだ熱い液体を口にする。

 ここが学園だからこそ味わうことが出来る高級な茶葉によって淹れられた紅茶は、唇に触れると共に芳醇な香りを口の中に広がらせた。

 茶葉の質もそうだが、アネットの腕がいいこともありとても美味しいそれを、目を閉じて味わう。

 軽く喉を鳴らして飲み干すと、私は手にしたカップを皿の上に戻す。

 そして、左側の席に座るセリーヌ嬢を見つめる。


 騎士団の屯所に行く際もそうだったが、本来であれば当然令嬢に付き添っているべき侍従を彼女は連れていなかった。

 それについて尋ねてみたところ、どうも事件の前日から行方が知れなくなっているのだそうだ。

 犯人に捕らわれるか殺されるかしているのか、或いは侍従も犯人の一味なのか。

 姿を晦ましている上にセリーヌ嬢を呼び出す口実に使われている以上、テオドールという名前らしいその少年が何らかの形で事件に関係していることは疑いの余地が無いだろう。

 私としては後者の可能性が高いのではと何となく感じているが、それは彼女には告げなかった。

 小さな頃から共にいる令嬢と侍従の間には絆と言ってもいいような信頼関係が生まれるものだが、侍従について話す時の口調や表情を見るにそれはセリーヌ嬢も例外ではないらしく、強い信頼を抱いているようなのだ。

 確たる根拠がある訳でもないし、ただでさえ事件で傷ついているのだからこれ以上彼女の心を傷つけるようなことは避けたかった。

 とはいえ、まだセリーヌ嬢の身内が黒幕だと決まった訳ではない。

 少なくとも少女を呼び出した使用人が何らかの形で関与していることは間違いないにせよ、それ以上のことを断定してしまうのはまだ早計だろう。

 傷心の彼女をあまり問い詰めてしまうような形になるのは憚られたので、本人から入手できた情報はこれくらいだ。

 残りの時間は、通常の茶会のように茶の味や好きな音楽などの話題で会話を交わした。

 元々私の知識は二百年前で止まっていたのだが、さすがにそれではまずいと思い王都に来る前に実家の書斎で教養絡みの書物を読み漁っておいたのだ。

 そのおかげで、前世の時代には無かった新しい茶葉の銘柄や最近の作曲家の話題にもついていけるようになっていた。

 会話を交わす中でセリーヌ嬢も最後には表情に笑顔を浮かべさせていたので、少しは心を開いてくれたのだと思う。

 余談だが、ユーフェルが音楽にかなり深い造詣を持っているのは意外だった。

 ただ様々な楽器に詳しいだけでなく、自身でもかなりの種類の楽器を演奏出来るようだ。

 私も音楽は好きなので、機会があればぜひ聞いてみたかった。

 そして夕刻まで続いた茶会は終わりを迎えたのだが、ここで早速悩ましい事態に直面した。


「ユーフェル様」

「うん、分かってる。この子を一人にはしておけないよね」

「どう致しましょうか……」


 互いに椅子から立ち上がって少年と向かい合い、ひっそりとそんな会話を交わす私。

 議題は、もちろんセリーヌ嬢についてのことだ。

 今の彼女は、侍従が身近にいない状況にある。

 いくら学園の敷地内、それも寮の中であるとはいえ、身柄を狙われている可能性の高い少女を一人で行動させる訳にはいかないのだ。

 自室に戻ればメイドがいるとはいえ、女だけでいるところを襲われたらひとたまりもないだろう。

 貴族の子女が住むために建造された寮だけはあり防音に関しては非常にしっかりしているので、万一襲われても助けを求められない。

 もっとも、侍従がいたとしても立ち位置がはっきりしない者と二人きりにさせるのはそれはそれでまずいのだが。


「それじゃ、ここに泊まってもらえばいいんじゃない?」

「ここに、ですか?」


 思わず聞き返したが、しかし私の思考は少年の意見を名案だと判断していた。

 ここならばカルロがいるし、襲撃を受けても安全だろう。

 彼は訓練を受けた兵士数十人を相手にたった一人で勝てるくらいには強いのだ。

 寮の中にあるこの部屋にまで侵入出来る程度の人数が相手であれば、まず心配は無い。

 この案に問題があるとすれば、まだ私と彼女がそれほど親しくないことだろう。

 本来ならば親しい友人同士の間で行われることを、半ば強引に少女に強いてしまうことになるのだ。

 どうすべきかと束の間悩んだが、結局は無理を言ってでもひとまず今夜はこの部屋に泊まってもらうことにする。

 無論だがこの手は単なる一時凌ぎであって、いつまでもは使えない。

 なるべく早いうちに事件を解決してしまわなければならないということだ。

 ひとまず思考を纏めた私は、早速少女の方を振り返る。


「セリーヌ様、今夜はここにお泊りいただけませんか?」

「え、あ、あの……」


 単刀直入に告げた私の言葉に、戸惑いの表情を浮かべて狼狽える彼女。

 親しくもない相手にいきなりこのようなことを言われては、戸惑う気持ちもよく分かる。

 とはいえ、どうにか頷いてもらわなければ話にならない。

 さすがに無理やり閉じ込めてしまう訳にはいかないのだから。

 私は、続けて口を開く。


「お願い致します。もっとセリーヌ様のことを知って親密になりたいのです」

「……そ、そんな、っ」

「どうかなさいましたか?」


 何やら目を背けて何かを言い淀んだ様子の彼女に尋ねる。


「いえ……。わ、分かりました」

「ありがとうございます。とても嬉しいですわ」


 セリーヌ嬢が了承してくれたため、思わず安堵の笑みを浮かべる私。

 すると彼女は顔を赤くしてふいとこちらから目を背けた。

 もしや、無理押しをしたせいで嫌われてしまっただろうか。

 後で謝っておかなくてはと思いつつ、私は再びユーフェルの方を向く。


「昨日はありがとうございました。ユーフェル様のおかげで、無事に茶会を行うことが出来ましたわ」


 この機に、彼に感謝の旨を伝えておく。

 無いものは仕方がないので茶葉や茶菓子については私達が騎士団の屯所に出向いている間にアネットに買いに行ってもらおうと思っていたのだが、取り調べがかなり早く終わったのでそれでは間に合わなかっただろう。

 招いた客を待たせてしまうのは、貴族としては恥ずべきことだ。

 二人を待たせることなく済んだのは、紛れもなく目の前の少年が気を利かせてくれたおかげだった。


「お礼なら、サフィーナちゃんの笑顔が見たいなー、なんて」

「こう、ですか?」


 そう言った彼の言葉に応じ、私は表情に笑顔を作ってみる。

 思えば前世も前々世も仕事にばかり夢中になっていたので、必要とされる公の場以外で笑顔を浮かべるのは随分と久々かもしれない。

 すると、驚いたように黙り込むユーフェル。

 何だろう、反応から窺うにそれほど私の作り笑いは下手なのだろうか。


「ユーフェル様?」

「あ、いや、何でもないよ!」


 柄にもなく慌てた様子を少し不思議に思いつつも、私はひとまず彼の返しに納得しておく。

 恐らく、冗談で言ったつもりの言葉を私が本当に実行したので戸惑ったのだろう。

 わざわざ言うまでもないが、今回の件の礼を笑顔一つで済ませる訳にはいかない。

 返しとして、何を送るべきだろうか。

 私がそんなことを考えていると、彼はおもむろにズボンのポケットから時計を取り出して時刻を確かめた。


「あ、もうこんな時間。そろそろ帰ろうかな」


 言われてみれば、それなりに長時間茶会をしていたため窓から見える外はもう暗闇に包まれている。

 確かに、そろそろ散会しても構わない時間だ。


「じゃあ僕は部屋に戻るよ。またね、サフィーナちゃん、セリーヌちゃん」

「ええ、またお会いしましょう」


 扉へと向かいながらこちらに手を振ってくる彼に対し、令嬢らしくドレスの裾をつまんで礼を返す。

 ユーフェルが自室へと戻るのを見送り、その姿が消えると室内に二人きりになった私達。

 本当であればこれから夕食を取りに食堂に向かうところであるが、つい今しがたまで茶菓子を食べていたために食欲は満たされている。

 少女も同様のようなので、特に外に出る必要は無かった。

 なので、とりあえず風呂に入ることにする。

 この寮では小規模ながら浴槽付きの風呂が各部屋に用意されており、浴室の中にある紐を引けば、給湯室から温められた湯が浴槽へと供給されるようになっていた。

 電力を用いない形での高層建築の上層階への揚水は地球では紀元前には既に行われていたくらいなので、システムそのものの仕組みはわりと単純なのだが、しかし人力を動力とするそれは相当に大規模なものであり、とても並みの財力で構築出来るものではない。

 前世の実家は侯爵家の中でも特に領地の広い家だったので屋敷にシステムが存在していたが、無い侯爵家の方が多かったくらいだろう。

 もっとも、無いなら無いで単に浴室で直接火を焚いて水を温めればいいだけなので、必ずしもシステムが必要という訳ではないのだが。

 それはともかく、侯爵家ですらそうそう作れないようなものが普通に用意されている辺りは、さすが王立学園と言う外なかった。

 客ということもあり先にセリーヌ嬢に入ってもらい、私は彼女が戻ってくるのを待つ。

 しばらくすると、寝間着を纏った彼女が浴室から戻ってくる。

 その身に纏われているのは私の服だ。

 彼女は当然着替えなど持参していなかったので私のものを貸したのだが、幸いにも少女は比較的華奢な身体つきでありそれほど背丈が無いので、特に支障なく身につけることが出来た。

 先にベッドで休んでおいてくれと少女に伝えると、続いて私も自らの分の着替えを手にし浴室へと赴く。


 そして風呂から上がった私は髪と身体を拭いて寝間着を身につけると、居室へと戻る。

 戻ってみると、セリーヌ嬢は円卓の椅子に腰掛けて私を待っていた。

 あまり親しくないということで、きっと先に休むのを遠慮したのだろう。

 私が促すと彼女はベッドへと入り、私も照明の蝋燭を消すとそれを追うようにシーツに身を横たえる。

 巨大なベッドは二人どころか三人並んでもまだ十分な余裕があるほどなので、他に人がいても快適さは健在だった。

 大は小を兼ねるという言葉があったが、真にその通りだと思う。

 この学園では、日本と同じように仲のいい生徒同士が互いの部屋に泊まったりすることはよくあるそう(賓客をもてなす練習になるためか、学園側も別に咎めたりはしていない)だが、まだセリーヌ嬢とは知り合ったばかりでそれほど親しいとは言えない。

 にもかかわらず半ば強引に泊まらせてしまったことは、とても申し訳なかった。

 親しくもない相手の部屋に泊まるのは、彼女にとってもきっと気まずいだろう。

 なるべく早く事態の始末をつけなければ。


「セリーヌ様」

「は、はい」


 やはり気まずいのか、ベッドに入ってからずっと部屋を包み続けていた静寂を私の声が打ち砕く。

 小柄なためそれほど声量の無い私だが、遮るもののないその声は暗闇の中へと響き渡った。


「必ずお守り致しますわ」


 少しでも安心させようと、彼女にそう声を掛ける。

 前世では結局何も守れなかった私だが、この子一人を守ることくらいなら出来るだろう。

 そう考えながら視線を向けると、ふと彼女と目が合う。

 そのまま見つめ合う形になって数秒、少女はそっと口を開いた。


「……何故ここまでよくしてくださるのですか?」

「ふふっ、何故でしょうね」


 彼女からの小さな問いかけ。

 それに対する答えは、私自身でさえ持ち合わせていない。

 かつて屋敷に攻め寄せた敵兵に捕らわれて処刑された際、そして生まれ変わって巻き添えにしてしまった大切な人々の末路を知った際。

 何もかもを壊してやろうと心に決めたのに、何故私はこの子の命を助けようとしているのだろうか。

 誤魔化すように笑って言葉を返すが、答えは自分でもよく分からなかった。

 その後は再び静寂が戻り、室内を沈黙と闇が支配する。

 そうして、私達は眠りに就いたのだった。









 翌朝。

 採光窓から差し込む眩い陽光を瞼に受けて目を醒ました私は、身体を起こしカーテンを開け放つ。

 貴族の居室は、通常の窓と採光窓が別に作られていることが多い。

 日が暮れると通常の窓の方はカーテンで覆っておき、上部に作られた細い採光窓はそのままにしておくのだ。

 差し込む光が目の辺りに来るようにベッドを配置しておけば、それで目を醒ますことが出来る。

 もちろん採光窓にも別途カーテンは付いているので、遅くまで仕事をしていて長めに眠りたい時はそれを閉じておけば睡眠時間の調整も可能だった。

 隣で眠っていたセリーヌ嬢も、もう眠りから醒めている。


「おはようございます、セリーヌ様。よく眠れましたか?」

「は、はい……」


 昨日は目の下に化粧の上からでも分かるほどの濃い隈が出来ていた彼女だが、さりげなく確かめてみると今日は大分それが薄れている。

 少しでも心身を休めてくれたようで安心だ。

 ひとまず私は、紐を引いてアネットを呼び出す。

 執務机からペンと紙を取り出して文字を綴っていると、入り口の扉が外からノックされる。


「入って」

「失礼致します」

「おはよう。これを厨房までお願い」

「畏まりました」


 言うまでもなく、姿を現したのはアネットだ。

 私は、彼女に書き終えた紙を手渡す。

 厨房へと宛てた二人分の朝食の注文を書いた紙だ。

 彼女は一つ礼をすると、そのまま部屋を後にする。


「さあ、お好きなものをどうぞ」


 朝食が届くまでの間に、寝間着を脱いで普段着用のドレスへと着替えていく私達。

 着替えを持参していないセリーヌ嬢には、衣装掛けの中から好きなものを選んでもらう。

 彼女が手にしたのは、白を基調にしたドレスだった。

 初対面の際の黒いドレスも似合っていて可愛かったが、白のドレスもまた華奢な彼女にとても似合っている。

 ちなみに、私が着たのは水色のドレスだ。


 それからしばらくすると、玄関の扉がノックされて料理が届けられた。

 学園のメイドが運んできたのは、鶏の卵をふわりと焼き上げたオムレツとサラダだ。

 円卓の上に置かれた皿を眺めながら、私達は椅子へと腰掛ける。

 超一流の料理人によって焼き上げられたオムレツは奇跡的なまでのとろみを持っていて、口に含むとまるでそのまま溶けるように形が崩れてしまう。

 前世でそれなりに高級な料理も食べ慣れている私でも思わず唸ってしまうほどの味と食感なのだ。

 況や、学園に来て初めてこのような料理を味わったセリーヌ嬢においてをや。

 軽く目を見開いて驚きの表情を浮かべさせているのも無理はなかった。


「これは……とても美味しいですね」

「ええ、これほど美味しいもの、学園に来て初めて食べました……!」


 きらきらと目を輝かせながら、そんな感想を口にする少女。

 同じ感想は、恐らく学園に通う生徒の大半が抱いているだろう。

 中小貴族の食卓では、学園の食事に饗されているような高級食材などが出されることはほとんど無いのだから。

 時折サラダを口にするのも忘れないようにしつつ、円卓を挟みながら夢中で食べていく私達。

 二人とも小食のため量を少なめにオーダーしておいたということもあり、皿が空になるまでにはそれほど時間は掛からなかった。

 日が昇っている間は、警備のためと生徒の要望に速やかに答えるために寮の中を交代で常にメイドが巡回している。

 食べ終えた私は椅子から立ち上がって廊下に顔を出し、近くを歩いていたメイドを呼び止めて纏めた食器を手渡す。

 そして扉を閉めて室内に戻ると、椅子に腰を下ろして少女と向かい合う。

 今日は休日であり、かつ騎士団による捜査待ちで私達は身動きの取れない状態にある。

 特にすることがないので、彼女と二人で歓談を交わすことにした。

 貴族同士が交わす日常会話は、主に音楽や絵画などの芸術の話題か、或いは茶やワインなどの銘柄に関する話題であることが多い。

 これらは純粋に個人の見識に依存するので、つまりそれなりの知識を持つ貴族同士であれば初対面の人間とすら長く言葉を交えることが可能なのだ。


「セリーヌ様は、どのような絵画がお好きですか?」

「私は『木の家』でしょうか……。巧密な筆遣いによって描かれる架空の景色は、眺めているとつい夢中になってしまいます」


 会話の端緒として投げかけた質問に、彼女はそんな答えを返してくる。

 木の家。

 それはアルベール・カルヴェという今から三百年ほど前にこの国で活躍した風景画専門の画家によって描かれた名画だ。

 タッチの繊細さも特筆すべきほどのレベルだが、それ以上に彼の評価を高めているのはその画風の特異性だ。

 彼の描く絵にはモチーフが存在するものは一枚も無く、作品はどれもこの世界には存在しない架空の景色ばかりがまるで写真のようにリアルに描かれている。

 それらの作品群の中でも、特に評価が高いうちの一つが彼女が口にした木の家という作品だった。

 表題の通り崖の淵に立った一軒の木の家を描いた絵なのだが、崖の下に見える風景はやはり他の絵と同じようにどこにも存在していないのだ。

 前世では王宮の二階に飾られていたこの絵をよく眺めていたが、貴族への褒美に下げ渡されていなければ今でも王宮内にあるだろう。

 私もカルヴェは好きな画家の一人なので、この話題は上手く会話の端緒になってくれた。

 まだあまり打ち解けられていない目の前の少女と、ゆっくりと会話をすることが出来たのはよかったと思う。

 しばらく話してみて分かったが、セリーヌ嬢は別に今回の事件のせいで萎縮してしまっている訳ではなく、元々大人しく物静かな性格の少女であるらしい。

 あまり積極的に話題を出してくることがなかったので、必然的に私から話題を振ることが多くなった。

 幸いにも他人と話すのは日本人時代の商談で慣れているので、特に会話に困ることはない。

 そのまましばし談笑していると、再び玄関の扉が誰かに叩かれる。


「あら、どなたでしょうね、このような時間に」


 そう口にしつつ、懐からいつぞや王子から貰った時計を取り出して時刻を見ると、まだ昼前だ。

 昼食の配膳には少し早い。

 特に心当たりも無いので一体誰だろうと思いつつも、紐を引いてアネットを呼び、訪問者の用件を伺ってきてもらう。

 それほど間を空けずに戻ってきた彼女曰く、扉を打ち鳴らしたのは騎士団長からの遣わされた従者とのこと。

 無闇に男性と接触させるのを避けるために部屋の外へと出て玄関先で話を聞いたところ、男は私への言伝を預かってきていた。

 セリーヌ嬢の実家であるモンテルラン子爵家とも連絡を取り合いつつ調査した結果、彼女を狙った首謀者が判明したのだそうだ。

 何でも、侍従である少年の父親が犯人だったとのことだった。

 彼の年長の娘、つまりテオドールの姉に当たる人物は子爵家のメイドとして働いていたのだが、彼女はその中でセリーヌ嬢の父であるモンテルラン子爵の寵を受けて子を孕んだらしい。

 そしてセリーヌ嬢の腹違いの弟が生まれたのだが、無論のこと正妻の娘であるセリーヌ嬢がいる限りは生まれた子は爵位を継ぐことが出来ないため、学園に入り実家から離れた隙に暗殺しようと企んだのが今回の事件のあらましだった。

 随分と複雑な家庭環境だと元日本人としては呆れてしまうが、貴族の家であれば然程珍しいものではない。

 人間関係はややこしいが、起きたことは要は単なる跡目争いだ。

 息子が侍従を任されていることからも分かるように、犯人の男はモンテルラン子爵家に仕える使用人の中でもかなりの高位にあったらしい。

 真相が発覚したことに気付いた彼とその一味は自らの職掌を利用して兵が送られる前に姿を晦ましたそうなので、セリーヌ嬢の身の安全に気をつけるよう騎士団長からは伝えてきていた。

 彼女を助けることが出来たのは元はといえばたまたま教室で王子とルウが睨み合い始めたおかげだが、もし仮にあの場にいたならず者達の手にかけられてしまっていたとしたら、きっとより大掛かりな捜査が行われていただろう。

 学園に子女を入学させるということは貴族にとっては国に人質を差し出すのと同義であり、その人質が殺されたとなれば国の面子は丸潰れなのだ。

 必然、国は騎士団を総動員して本気で捜査に取り組むことになる。

 だが幸いにも未然に食い止めることが出来たため、今回捜査に取り組んだのは第三騎士団のみであり、また事件が未遂に終わっている上に直接的な下手人が既に死亡しているために優先度は比較的低いと思われ、それほどの人員は動員されていないだろう。

 最悪、一つ違えば単なるならず者の犯行と処理されてしまう可能性すらあったのだ。

 にもかかわらず僅か一日でここまでの結果を出してみせたことには騎士団長の有能さが窺えた。


「営舎ですか?」

「はい。事件のあらましを説明するので今から営舎に来てほしい、と団長は仰っておられました」

「分かりました。すぐに参ります、とお伝えください」

「はっ、確かにお伝え致します」


 強いショックを受けているセリーヌ嬢本人へはともかく、主犯の行方が知れない以上は当事者の一人である私には捜査状況を伝えておくべきだと判断したのだろう。

 私がすぐに向かうと答えると、そのまま使者であった男は退出していく。


「申し訳ありません、少し出掛けなければならなくなってしまいました。一時間以内には戻りますので、しばしお待ちいただけませんか?」

「は、はい」


 そして私は自室へと戻り、これより外出する旨をさりげなく少女に伝える。

 まだ犯人が捕縛されていない現時点で殊更に不安を煽ることはないだろうと判断して、あらましが判明した旨は伝えずにおいた。

 騎士団が追跡しているからには逃走中の男達も数日中に捕まるだろうし、彼女に説明するのはそれからで構うまい。

 再び玄関へと出て靴を履いていると、カルロが腰に剣を佩いて自室の扉から姿を現す。

 そして自らも靴を履き始めた彼へと私は口を開く。


「カルロ、貴方は部屋に残って彼女を守って差し上げて」


 私は、ついてこようとしていたカルロに部屋に残っているよう命じる。

 もしかしたら、学園の使用人に成り済まして刺客が襲い来る可能性もある。

 少女自身の侍従が不在である今、誰かがその身を守る必要があった。

 そしてそれが可能な人物は、少年を置いて他にはいない。


「ですがそれでは」

「安心して。裏路地には行かないわ」


 抗弁するカルロに、私はそう伝える。

 あのような事件の後なので心配してくれる彼の気持ちも十分に分かるが、表通りを歩いている限りは王都の中央区は絶対的に安全であると言っていい。

 実際、街中にはそこかしこに貴族が一人で歩いている姿が見受けられる。

 騎士団の巡回が行き届いているので、裏通りに入りさえしなければカルロを伴わずとも危険は無いだろう。

 それよりも、明確に命が狙われていて危険があるのはセリーヌ嬢の方なのだ。

 無理に部屋に引き止めた身として、何があろうとも彼女を危険に晒させてしまう訳にはいかない。


「……仕方がありません。ですが、くれぐれもお気をつけください」

「分かっているわ。心配してくれてありがとう」


 渋々といった様子ながら、そう口にする少年。

 それに対して私は感謝の言葉を返すと、単身で自室を後にしたのだった。

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