2. 地に花を(1)
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見た目とは裏腹な軽やかな身のこなしでレヴギルが馬の背から飛び降りると、彼は立ち並ぶ移動式住居の中でも一際大きなそれの中へと天幕を捲って入っていく。
要するにここが彼の営舎だということなのだろう、我が祖国で言えば王宮に相当するその内部に同じように馬を降りた私とカルロも続いて足を踏み入れる。
「適当に座れ。で、わざわざ何の用だ?」
巨大な樽を軽々と持ち上げて中に入った馬乳酒を盃へと注ぐと、それを私とカルロに手渡したレヴギルは自らの分も同じように注ぐとどっかりと地面に腰を下ろす。
無論のこと、彼はそれでよくとも私も同様にするという訳にはいかない。
戦場では地面に腰を下ろして休息を取らなければならないような事態も想定されるために持ち歩いている敷布をカルロに床に広げさせると、私はその上に貴族としての作法を保ちつつ座った。
たとえここが我が国の社会システムの及ばない地で相手が作法など知らないであろうレヴギルであっても、私の心を衝き動かすものはあくまでもベルフェリート貴族だという自覚と誇りだからである。
ともあれ両手でようやく持ち上げられるサイズの盃を受け取った私は、その中になみなみと注がれた白い液体を口に含んでいく。
ベルフェリート王国で普通に貴族をしていれば馬乳酒を飲む機会などまずあるものではない、途端に鼻腔にまで広がってくる発酵した馬乳の味わいを私は堪能する。
その製造法からして然程度数が高いという訳ではないものの、物珍しさもあって酒好きとしては風味を楽しむに十分だった。
「美味ですね。今日貴方に会いに来たのは貴方がたの処遇について話すためですわ、レヴギル」
数口程飲んでもまだまだ中身が残っている盃をひとまず置いた私は、目線を上げて早速本題を切り出す。
こちらを見つめるレヴギルの目つきはあたかも猛獣のそれのように野性的に鋭かったけれど、私も一寸たりとも目を逸らしはしない。
何しろ遊牧社会は農耕民のそれと比べて権威より実力が重んじられる傾向が強いのである、相手に見くびられた時点で負けに他ならなかった。
まあこちらの実力に関しては戦場で既に示しているのだけれど、これから私はレヴギルに言うことを聞かせなければならないのだから気圧されているようでは話にならない。
「処遇? お前の国に逆らった俺に何か罰でも与えようって話にでもなってるのか?」
「いいえ、貴方がたの処遇に関しては私に一任されています。我が国に帰順すればそれで十分、罰など与える気はありません」
確かに、降伏してこちらに協力したとはいえ元は敵方の有力者だったレヴギルを処罰すべきだという意見は王宮内でも上がったのだけれど。
内戦勃発の当初は逆賊として処刑された前ベルファンシア公爵の側についていて戦況の推移と共に陛下の側に寝返った貴族も多いのである、そんなことをすれば後々の戦乱の種になりかねないという私とベルクール先生を中心とした強硬な反対によってそういった話は既に潰えていた。
結果、そう主張するのならば私が帰順させたのだから私が問題の処理に当たれということになったのである。
ベルフェリート王国は農耕民による国家であり、そこに君臨する支配層も自分で畑を耕したりはしないにせよ当然農耕民の生活様式を持っている。
そんな貴族達から見れば遊牧民などという扱いが厄介な集団とは関わり合いになりたくないという厄介払いが本音なのだろうけれど、それは手っ取り早く軍事力が欲しい私にとっても望むところだった。
どちらも損をすることのない、所謂相利相益の関係というものである。
自然界やビジネスの世界と同じように貴族の世界にも様々な利害関係が存在しているものの、双方がメリットを得られる関係性が最もよいのはどんな環境においても同じだろう。
「なら何をしに来た? 貴族って連中はどうにも話が回りくどいからな」
「では直截に言うわ。この地を離れて私の元に来なさい、私の民として土地と日々の糧は保証しましょう」
貴族が相手ならば互いに腹の中を探り合いながら遠回しに話を進めていくのだけれど、貴族社会とは無縁なレヴギルからすればそうした話術は煩わしく感じられるものでしかないらしい。
別にこちらに探られて困るような思惑がある訳でもなし、ならば手早く用件を言ってしまうことにする。
たった一つの正解がある訳ではなく相手の性格に合わせて話し方を変えるのが正しい話術、それもOLをしていた頃に学んだことだった。
「駄目だな。この山は父祖代々からの聖なる地だ、そう易々とは離れられん」
「悪いけれど、この地の領主から貴方たちについて苦情が来ているの。貴方、私にしか従わないと公言しているそうね」
「お前以外の奴の命令なんぞに従ってやる義理は無いからな。俺を従わせたくば、それ相応の実力を見せてみろと言ってきてやれ」
一つの社会があればそこには共同体を維持するために紡ぎ上げられた祭祀があり、それは集団を住んでいる土地に強固に結びつける。
或いは歴史の重みと言ってもいいかもしれないけれど、要するに歴史が長ければ長い程そう簡単に見ず知らずの地へと移住するのは難しくなるということだった。
「貴族社会は何かと面倒なことも多くてね、私には私の都合があるの。貴方にも都合はあるのでしょうけど、悪いけれど私の領地に移住してもらうわ」
「俺はお前の元に移り住んでも構わん。が、諸部族の連中がそれでは納得せんだろう」
「そこを説得するのが族長である貴方の仕事でしょう?」
だが、だからといってこちらにも事情があるのだからはいそうですかと引き下がる訳にはいかない。
一歩も引くことなく、私はあくまでも移住要求を突きつける。
「そうまで言うなら、お前が自分の力で皆を納得させろ。そうでなければ、民どもにお前への恨みが残るぞ」
「それもそうね。けれど、貴方を戦場で破る以上の力の示し方などあるのかしら」
レヴギルの言うことにも確かに一理あるし、移住への不平不満が燻っていればそれはいずれ大きな炎として燃え上がりかねないとはいえ。
自分で言うのもなんだけれど、先日の会戦は見事なまでの完勝だった。
あれでも足りないと言うのならば、具体的に何をすればこの地の遊牧民達が私に心服するというのだろうか。
「月の祭りに参加しろ。そこで俺に勝てば、お前の力を疑う者など最早誰もいまい」
「そういえば、そんな祭りの最中だと言っていたわね。それで、具体的に何をすればいいの? 見れば分かるでしょうけど、生憎と私には一騎討ちなんて無理よ」
せめて前世の私くらいの身長があれば男性とも対等に刃を交えることが出来たのだけれど。
まだ成長期が始まってもいない小柄な身体では、全身の力を振り絞ってもレヴギルの片腕の筋力にも到底及ばないだろう。
族長として君臨する彼に勝てば誰もが力を認めるというのは遊牧民らしいごくシンプルな図式だったけれど、問題は具体的な勝負の内容だった。
かといって明確に私に有利な条件で勝ったところで何の意味も無いので逆もまた然りだけれど、私に勝ち目が無いようなもので対決しろというのならば到底話にならない。
あくまで私とレヴギルが対等な条件で勝敗を競い合えるようなものであることが重要だった。
「月の祭りは次の族長を決める儀式でもある。聖なる山を馬で越えて、初めに向こう側に辿り着いた者が勝者であり次の族長だ。無論、俺も参加する」
「なるほど。勝者が最も馬の扱いに長けている者という訳ね。いいわ、私も参加しましょう」
遠目に眺めただけだが、彼らが聖地として扱っているらしいそれはなかなかに峻厳そうな山である。
落馬せずにそこを踏破するには、当然のことながらそれ相応の技術が求められることになる。
武力でも血筋でも容姿でもなく指導者を馬術の優劣で決める、如何にも騎馬遊牧民らしい発想だった。
だが、馬術に関しては常日頃からヴァトラに身体を預けている私とて引けを取らない自信がある。
これならば体格がハンデになったりもしないし、私としても願ったり叶ったりの勝負内容であると言えた。
「言っておくが、俺は手を抜かんぞ。戦場では引けを取ったが、馬術ではどうかな」
「当然、馬術でも私が勝たせてもらうわ。私が勝てば、私が貴方がたの長ということでいいのね?」
「ああ、そうなれば俺達全てがお前に従おう。お前の統べる土地に移り住めという命令にもな」
挑戦的に唇を歪めたレヴギルに対して、私も表情を笑みの形に変える。
戦場で敗れている彼としてはここでリベンジを果たしたいのだろうけれど、生憎と私とて負けるつもりは毛頭無かった。
刃を交えることなくこの地の遊牧民達の指導者の地位を得ることが出来るのだ、農耕民である私にも参加資格があるらしいからにはこの好機をみすみす逃しはしない。
そうした打算を抜きにしても、正使として一言一句のみならず細やかな立ち振る舞いにまで気を配らなければならなかった窮屈な日々で溜まったストレスを発散するにはちょうどいい機会だろう。
瑕疵の無いように正使としての役目は完璧に果たしてきたつもりだけれど、だからといって全く何のストレスも溜まらないという訳ではないのである。
「儀式は今宵行われる。お前は客人だ、家を用意させるからそれまで身体を休めておくがいい」
「それはまた、随分と急なのね」
「今宵は満月だからな」
「なるほど。勝負は太陽が沈んでから始まるのかしら」
「ああ。故に、この儀式を無事に乗り切れるのは真に勇気と技倆を持った者だけだ」
言うまでもないことではあるが、日光に照らされて周囲の視野が広い昼とは違っていくら月明かりがあるとはいえ薄暗い夜に山野を駆けるのはより危険な行為である。
逆に言えば、だからこそわざわざ日中ではなく夜に儀式を行うということなのだろうけれど。
ましてや場所が峻厳な山なのである、さぞ落馬に伴う怪我人が儀式の度に続出することは想像に難くない。
確かに頭の中で月齢を計算してみると今宵はちょうど満月の日だとはいえ、到着したその夜に勝負というのは何とも急な話だった(手っ取り早いと言ってしまえばそれまでだが)。
「では、私達はそれまで適当に休ませていてもらうわ」
「近頃は骨のある奴が少ないが、お前とならばいい勝負が演じられそうだ。無論、勝つのは俺だがな」
残っていた馬乳酒を飲み干して立ち上がった私達に向けて、盃に二杯目を注いでいるレヴギルが意気を漲らせた口調で言う。
それだけ私へのリベンジに燃えているということなのだろうけれど、こちらとしては自らの馬術の腕前とヴァトラを信じて粛々と儀式に臨むだけだ。
私が立ち上がると、すかさずカルロが今しがたまで私が座っていた布を回収して丁寧に折り畳んでいく。
元は両親と共に暮らしていた実家にあったものだけれど、この布のおかげでクララが縫い上げてくれた私のドレスは全く汚れていなかった。
領地にいる時ならばアネットに洗濯を頼めばいいが現在いるような場所では気軽に洗濯という訳にはいかないのである、なるべく汚れてしまわないようにするのは重要なことである。
「夜明けが楽しみね、レヴギル。では、儀式が始まったら遣いを寄越して頂戴」
最後にそう言い残すと、私達はレヴギルが営舎として用いている移動式住居から外に出たのだった。
ここまで共に駆けてきた麾下の兵達にも休息を与えなければならないものの、かといってあまり自由な行動を許しても農耕民と遊牧民という根本的な価値観の差異によって無為な諍いが起こりかねない。
こちらの精強さは身を以て思い知っているだろうから向こうから積極的に敵対的行動を取ってくることは無いだろうけれど、だからこそ諍いを防ぐためにはこちらが気をつける必要がある。
建物の壁代わりである分厚い布地が捲られて青空と馬群が私の視界に広がった時には、既に思考は別の問題に関してへと切り替わっていた。




