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34. 帰路へ

親しい人々への別れも済み、親しくなった人々を惜しむ気持ちと故郷を恋い焦がれる気持ちとを置き去りにするかのように太陽は沈み昇る。

いよいよ私サフィーナ・オーロヴィアを正使とするベルフェリート王国の使節団が帰国の途につく日が訪れていた。

マリア嬢ともカトリーヌ女史とも別れるのが寂しくないと言ってしまえば嘘になる。

けれどこれが今生の離別という訳ではないし、しようと思えば文通とて出来るだろう。

前世でも様々な出逢いと別れがあった、現世でも同じように数多の出逢いと別れを繰り返すのだろうなと考えながら私は帰国のための準備を進める。

準備と言っても荷物だとかその類いのものはとっくに終わっている、要するに正使として正装をしなければならない私のドレスアップだ。

見送りにはエルリックやラファエル達も来ることになっているので、普段から纏っていることが多い真紅のドレスではなくロートリベスタ家の礼装を纏うことになる。

それに伴って髪の纏め方などもドレスの時とは変わってくるのだけれど、その辺りの差異も物ともせず専門家である侍女達は手際よく事を進めてくれた。

……それにしても、鏡を見て自分の姿を確認してみると礼装があまり似合わないなと思う。

ダリアと呼ばれていた時の身体はそれなりの身長があったので自分で言うのもなんだが男装も似合ったのだけれど、この小柄な身体には丈だけを合わせたところであまり相性が良くないのである。

前世では礼装も軍服も男物を使って男装をしていたけれど、こうも似合わないようでは女物バージョンのデザインを再現することを考えるべきかもしれない。

動きにくい上にダリアの背の高い身体には今とは逆にスカートは似合わなかったのですぐに男物に変えたが、ロートリベスタ侯爵の位を継いでからほんの短期間だけ女物の方を着ていた時期もあったのである。

まあ、私はまだ十三歳なのでこれから先身長がダリア時代と同じくらいにまでぐんと伸びる可能性も無きにしもあらずではあるのだけれど。

とはいえそんな不確定な可能性に期待をしても仕方がないし、領地に帰ったら大人しく女物版の礼服のデザインの再現を検討することにする。

いずれにせよ、似合っていようがいまいがこの場ではこの格好で姿を見せるしかない。

カトリーヌ女史の小説の翻訳の書きかけの草稿もアネットへのお土産ももう馬車に積み込んだし、使節団の出発準備も既に終わっている。

後は私がこの部屋を後にして一団の中で最も豪奢な専用の馬車に乗り込み、エルリックが見送りに出て来るのを待つだけだ。

最後にもう一度鏡を見て自分の身なりに瑕疵が無いことを確認し、私は身だしなみを整えてくれた侍女達を連れて部屋を立ち去った。









少なくとももうこの先しばらくは来ることが無いだろうフェーレンダールの王宮を後にすると、私は白銀に煌めく鎧を全身に纏った第三騎士団長にエスコートされながら待機していた馬車へと乗り込む。

帰り道の時間はカトリーヌ女史の小説を翻訳しながら進もうと考えて紙とペンを用意させつつ、エルリックが王宮から出てくるのを待つ。

別に予定の時間に遅れているという訳ではないけれど、彼が出てこないことには私達は帰るに帰れないのである。

ということで既に準備万端の私達は、静かにしながら綺麗に整列していた。

これはベルフェリート王国の使節団であり、即ちベルフェリート王国の代表として国の威信を背負っているということでもある。

我が祖国の国威を損なわないためには、膨大な人員が整然と隊列を整えて統制の取れた様子をフェーレンダール人に見せつけることが重要だった。

そんな思惑で黙って待っているように命じると、馬車の中の私は悠然とふかふかの座席に腰掛けつつペンを走らせていた。

途中でスランプに陥ったりする可能性を考慮すれば一概には言えないけれど、このペースならば貴族としての実務と並行してもおよそ三ヶ月程度で全文の翻訳が終わるのではないだろうか。

両国語を解しているので翻訳はしたことがない訳ではないとはいえ専門外(ましてや今回の対象は文学的表現が求められる小説だ)なので初めは戸惑った面もあったけれど、作業を行っているうちに段々と慣れてきていた。

こんな時ダリアと呼ばれていた頃は所謂作業用BGMとしてアルベロに即興で何かしらの音楽を演奏させて集中を高めていたことを思い出しつつ、エレルチェーダに帰ったらリヒャルトに即興演奏を頼もうかと考える。

彼のための音楽堂とアトリエの建築も優先的に行うように命じてきたので順調に進んでいるはずだ、早く完成してリヒャルトが創作に没頭出来る環境を整えてやりたいところだ。

こと芸術に属する事柄なら何でも超一流の水準でこなしてしまう非常に多岐に渡るあの才能(建築にまで通じているようで自分用の音楽堂とアトリエの設計図も一部私が手を加えたとはいえ自らの手で描いてみせた)は希少どころか唯一無二と言っていいものである、そんな才能を存分に発揮させてやれないのは社会的損失であるとさえ言えた。

既に当代随一の芸術家として名前を上げているリヒャルトを飼い殺しにしているなどという噂が流れれば貴族社会における非難は免れ得ないところであるし、パトロンとなったからには十分な制作環境を用意することは貴族としての義務でもある。

何より私自身が早く彼の作品を鑑賞したいと思っているし、その意味でも音楽堂とアトリエの完成が待ち遠しかった。

特に音楽堂にはちょっとした仕掛けがある(それが私がリヒャルトの設計図を描き換えた部分だ)ので、実際に音が鳴り響く日を想像しただけでわくわくとした気持ちを覚える。

――などと静かな馬車の中で想像しつつ翻訳作業を進めていると、向かいの席からレナータ嬢がちらちらとこちらに視線を向けてきていることに気付く。

書物と何枚かの紙を膝の上に載せながらペンをひっきりなしに走らせて、果たして私が何をしているかが恐らくは気になっているのだろう。

そういえば翻訳の件についてレナータ嬢にはまだ話していなかったな、と私は彼女の様子で気付く。


「何をしているのか、気になられますか?」

「え……は、はい」


顔を上げた私が彼女に向けて微笑みかけながら訊ねると、突然の私からの問いかけにレナータ嬢は私より背の高い身体をびくりとさせて戸惑いながらも頷いた。

やはりというべきか、目の前でこうして作業をされれば気になるようだ。


「これは、この国の流行小説をベルフェリート語に翻訳しておりましたの。原作者から、ベルフェリートでの舞台化の承諾もいただきまして」


これは別に話しても問題の無い事柄であるし、私は事実をありのままにレナータ嬢へと伝える。

原作者という言葉でカトリーヌ女史の顔を思い出したけれど、そういえば私達使節団がフェーレンダールに滞在している間に考えておくと言っていた小説のタイトルをまだ聞いていないことを思い出した。

まあ得てしてネーミングというのは難しいものである、いくら頭脳明晰な彼女を以てしても自らの書いた傑作に相応しい作品名を思いつけなかったのだろうか?


「貴族になるには、サフィーナさんみたいに他の国の言葉も話せなくちゃいけないんですか……? 私、そんな自信ありません」

「ああ、私の場合は単にたまたまフェーレンダール語を話せるだけですわ。他国の言語を習得することが趣味のようなものですの。貴族になったからといって、他国語の学習の必要はありませんからご安心ください。――もっとも、ベルフェリート語の言葉遣いは変えていただきますけれど」


どうやら、平然とフェーレンダール語を使いこなしている私を見てレナータ嬢は自分も同じように他の国の言語を使いこなせるようにならなければいけないのではないかという懸念を抱いたらしい。

だが、これは日本でOLをしていた頃に使っていた言語習得メソッドを活用した私の半ば趣味のようなものだ(他国の貴族と意思疎通が出来るメリットも大きいので残りの半分は実益だけれど)。

当然の如くほとんどのベルフェリート貴族はベルフェリート語以外の言語を話せないし、レナータ嬢が貴族になる上でも何の必要も無いスキルだった。

むしろ、目の前の少女の場合問題となるのは他国語ではなく母語たるベルフェリート語の言葉遣いである。

具体的に言えば話し方や語彙が全く貴族らしくないのだ、エレルチェーダに帰ったらその辺りを矯正する必要があった。

何しろこれから一年以内には大勢の人間を従える立場となるのだ、臣下に見くびられない程度の最低限の威厳は私の元で行儀見習いをしているうちに身につけてもらわなければならない。


「が、頑張りますね」

「ええ。私であればいくらでもレナータさんのお力になりますわ」

「ありがとうございます。サ、サフィーナさん」


レナータ嬢はエルティ卿の正統な末裔にしてエクラール公爵家の正当な後継者なのだけれど、物心ついてからこの方ずっと平民として生まれ育ってきた。

そんな彼女はどうも貴族である私に対して気後れのようなものを感じているようでどこかおどおどとした態度を私へと見せてきたけれど、元々はそれなりに気丈な街娘だったという報告を受けている。

この彼我の間にある見えない心の壁のようなものもエレルチェーダに帰ったら取り払わなければならないなと思いつつ、本来の彼女の姿を見られる日を楽しみの一つとして心に刻みつけたのだった。


「ところで、それはどんな小説なんですか?」

「それは翻訳が終わってからのお楽しみですわ。内容はご自分の目でお確かめを。けれど、とても面白いことは保証致しましょう」


街娘の楽しみといえば音楽劇に流行小説である。

故に流行小説と聞けばやはりレナータ嬢も気になるようで、こちらに気兼ねしながらもそわそわとした様子でどんな話なのかを尋ねてくる。

けれども、ここで内容を私の口からネタバレしてしまっては面白くない。

完了まで少し待たせてしまうことにはなるけれど、私の翻訳作業が終わったらテキストを渡すのでそれを自分の目で読んで楽しんでほしいところだった。

良くも悪くも生粋の平民育ちである彼女の反応を見れば、果たしてカトリーヌ女史の小説がベルフェリートで受け入れられるかどうかを確かめることが出来る。

いくら芸術に資金を供出するのは貴族としての責務であり私の趣味でもあるとはいえ、何も積極的に赤字を出したい訳ではないのだ。

もし舞台が好評で利益が出るのであればその方がいいに決まっているし、ある程度興行としての成功も考慮するのは当然のことだった。


「ロートリベスタ殿、エルリック王が参られました」


レナータ嬢とガールズトークと楽しんでいると(どちらかというと楽しんでいるのは私だけだけれど)、窓の外から第三騎士団長が声を掛けてくる。

少しその場で背伸びをして確かめると、確かに馬に乗ったエルリックが厩舎の方から大勢の従者を従えてこちらへと近付いてきたところだった。

相変わらずどことなく不機嫌そうな表情の彼が乗っているのは真っ白な毛並みが眺めていて何とも美しい馬である。

体格を見るにこうした場面で乗るための儀礼用に飼われているもののようであり、実戦で使用したりすることは考慮されていないのだろうと思えた。

何しろ我が国の陛下と違って(国王にもかかわらず自分で前線に出て勇猛に戦う陛下がおかしいのだが)、戦場で前線に出るようなタイプとは到底思えないエルリックである。

乗馬技術も儀礼や巻狩りの際に使える最低限のものがあれば十分であり、跨る馬も大人しく御しやすいものでよいのだろう。


「ロートリベスタ卿、これを受け取れ」

「……これは?」


私の乗る馬車へと近付いてきたエルリックが従者を通して私に手渡してきたのは、蝋で封じられた一筒の封筒。

その紙を彩っている模様などを見る限り、それはどう見ても国書であり。

……私は賭けに勝ったのだから、求婚の国書の話は無しになったのではなかったのか。

さすがに言葉には出来ないにせよ、私はエルリックを無礼にならない程度に軽く睨みつけることでその意図を伝える。


「私からレオーネ殿への国書だ。貴国の正使の働きぶりは実に素晴らしかった。近々、今度は私自ら貴国を訪問したいとな」

「左様ですか。陛下のご意志、確かに我が主に伝えさせていただきます」


国王としての矜持か、さすがに言外に交わした約束を違えるつもりは無いらしい。

つまり、求婚の話は無しにすることが出来たということだ。

そのことに安堵を覚えつつ、窓枠に近付いた私は正使としての役割を果たすべく恭しく差し出された封筒を受け取った。

正直なところエルリックがベルフェリートに来るというのも不安だけれど、まあ我が領地に押しかけてくるというのでもない限り特に害はあるまい。

私は内政でそれどころではないということにして領地に引きこもり、陛下とベルクール先生が王宮で上手く相手をしてくれるだろう。

――あまり使いたい手ではないのだけれど最悪、再びクララに命じてフェーレンダール国内をかき乱して我が国への外遊どころではなくしてしまうという手もあることでもあるし。


「ではな。また近いうちに会おうではないか、ロートリベスタ卿よ」

「はい。陛下に再び拝謁させていただけますこと、心待ちにしておりますわ。クラスティリオン様、皆に出立の伝令を」

「お任せを」


そういえばいつも彼の隣にいるはずのラファエルは見送りに来なかったなと思いつつエルリックに別れを告げると、私は使節団に出立を告げるように第三騎士団長に伝える。

彼の命令によって伝令の騎士達があちこちに走っていき、そしてゆっくりとベルフェリート王国の威信を示す大使節団はフェーレンダール王国の王宮を後にしたのだった。

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