28. 紫の未亡人(2)
その後も、私とカトリーヌ女史とのお茶会は盛り上がっていた。
私は頭のいい彼女と話していて実に楽しいし、彼女の方も本音までは分からないが少なくとも表面上は楽しげだ。
とは言っても、話している内容はといえばフェーレンダールの貴族社会で流れているという噂話やベルフェリート王国がどんな国かなどの他愛のないものばかりである。
会話だけを文章に書き出せば、十代の娘同士の会話と言っても大して違和感が無いはずだ。
与えられた領地の館に閉じ籠もっていることがほとんどだったというカトリーヌ女史のことだ、こうして普通の貴族の女性のようにお茶会を楽しむような機会もほとんど無かったのかもしれない。
それでなくても、現宰相と激しく対立しているという話が広まれば周囲は自然と疎遠になっていくだろう。
彼女にとって私は、久々に現れた雑談を楽しむことが出来る相手なのだろうか。
「この菓子も美味しいでしょう? もうこの国に来て食べていたかしら」
「いいえ、初めて口にしましたわ。甘味がたまりませんね」
「気に入ったのなら、もっと持ってこさせるわよ。大量に用意させておいたもの」
少女のようにと言えばさすがに大袈裟だけれど、それでも若々しく声を弾ませるカトリーヌ女史。
彼女が話題に出してきているのは紅茶と共に饗されたお茶請け、簡潔に説明すればスウィートポテトだった。
セルージュ家の菓子職人に作らせたのか或いは菓子店で買ってきたのかは分からないけれど、およそ品質は上等と言えるだろう。
地球にいた頃から食べ慣れている私の舌を以てしても、とても美味しいと感じられた。
これを私のためにわざわざ用意してくれたということは、少なくとも私とのお茶会にそれだけ力を入れて準備してくれていたということ。
もてなしてもらっている私からすれば、その気持ちだけでも非常に嬉しかった。
「そうですね、よろしければいただきたく。叶うのなら我が国にまで持って帰りたいくらいですわ」
純粋に美味しかったので、カトリーヌ女史の言葉に甘えてお代わりを所望することにする。
日本と違い冷蔵保存技術が発達していないこの世界では途中で腐ってしまうので、菓子をベルフェリートにまで持って帰ることなど不可能なのだけれど。
幸いにして、作り方は尋ねずとも大体分かっている。
これもフェーレンダールに来て味わった他の菓子と同様に、我がロートリベスタ家領で量産して特産品の一つにしてしまうのがいいだろう。
残念ながら未だベルフェリート王国に特許や著作権といった概念は無いのでいずれは模倣されてしまうだろうけれど、それまでの間にロートリベスタ家領産の菓子の数々をブランド化して付加価値をつけてしまえばいい。
その辺りの商売のやり方は、元々OLだった私の得意分野中の得意分野である。
年によって出来不出来の差がある平民からの税収だけに頼っていると凶作の年に困ったことになってしまうし、農作物の収穫量に左右されない安定した領地の収入源の一つとして様々な商品が私の頭の中に羅列されていた。
しかも、私がベルフェリートに帰国したら再現するつもりの菓子の数々はどれも甘くて美味しいものばかりである。
もし私がお茶会の席などでご婦人方や令嬢達に振る舞えば、新鮮な甘味としてブームになるのは間違いなかった。
そこで求められるのは、ブームになっているうちにどれだけ量産して多く売り捌くことが出来るかである。
ただ菓子を集めて再現するばかりではなく、商機を逃さないように大量生産出来る体勢の構築も求められた。
適切と思われる需要と供給のバランスを頭の中で見積もりながら、私はティーカップに手を伸ばして一口中身を含ませる。
当然ながら最早毒などは入れられておらず、口腔へと広がる濃密な紅茶の香りと味わい。
前回は楽しむことが叶わなかったそれを楽しみつつ、私は脳裏という名の黒板に無数の数式を展開していく。
視線の先では、カトリーヌ女史が壁際に控えていた侍女に対してスウィートポテトをもっと持ってくるように命令している。
それに頭を下げた侍女がやはり非の打ち所の無い所作で退室すると、幽かに鳴った扉の音と共に室内の雰囲気が微妙に変化した。
もちろん、変わらせたのはカトリーヌ女史。
彼女は何やら考え事をするように顎に手を当てると、真っ直ぐに私を見つめる。
「どうかなさいましたか、カトリーヌさん」
「少し考え事があるのよ」
「何か憂いでもおありですか? 私でよければお話を伺いますが」
当然のことながら、貴族には他人に話す訳にはいかないこともある。
ましてや他国からの使節である私に対してであればなおさらだ。
カトリーヌ女史の悩みがそういったものであったとすれば私には力になることが出来ないけれど、私に話しても構わないようなものであればいくらでも力になろう。
そう思う程度には、私はいろいろあったけれど何だかんだと会話に花を咲かせるような関係になった彼女に対して親近感を抱いていた。
「そうね、言ってしまいましょうか」
侍女が退出したタイミングを見計らって話を切り出したということは、なるべく私達二人の間に留めておきたい話であるということ。
一体それは何なのだろうと考えつつ、私は話すというカトリーヌ女史の言葉を待つ。
「――ねえ、『太陽の聖女』さん」
「ふふ、そう呼ばれると気恥ずかしいですね。何でしょうか、カトリーヌさん」
私のことを改まったように異名で呼ぶ彼女。
けれども今まで親しげに話してきた相手にそう呼ばれることに気恥ずかしさを覚え、私は思わず苦笑する。
「貴女は我が国の陛下に嫁ぎたくないのでしょう? それで芝居を打った」
「夢で見たことですので芝居などしておりませんが……嫁ぐ訳にはいかないのは確かですね」
素直に頷く訳にはいかないけれど、百パーセント正しいことを言ってくるカトリーヌ女史。
まあ、あくまで神託だという体裁は保っておくとしてもエルリックに嫁ぎたくないということくらいは認めても構わないだろう。
そう判断して私は返事をする。
これまでのガールズトークとは違い、貴族モードというか一転してシリアスな話に切り替わったらしい。
「それなら、私に名案があるわ。知りたい?」
「ええ。ご教示いただけるなら」
私の演技もあって和解したとはいえ、これまではラファエルと激しく反目していた彼女である。
現宰相にしてエルリックの腹心であるラファエルと敵対するということは、必然的な帰結として政治的に反国王派に与するということ。
明晰な頭脳を持っている上にエルリックと政治的に敵対を続けてきたカトリーヌ女史は、何か私には思いもつかない方策を腹案として持っているのかもしれない。
だとすれば、せっかく教えてくれるというのだからこれを聞かない手は無かった。
「あの子と結婚すればいいのよ。そうすれば陛下も文句のつけようが無いわ」
「私はまだ誰とも結婚する気は無いのですが……。あの子とは?」
エルリックとの結婚を回避するために他の誰かと結婚するのでは本末転倒としか言いようがないのだが……と思いつつ、とりあえず私は話を最後まで聞くことにする。
この国において、彼女が私以上の事情通である事実には何の変わりも無いからだ。
「決まっているでしょう。ラファエルよ。貴女があの子と結婚すればいい。あの子も満更でもないようだしね」
「セルージュさんとの結婚も私にとっては不都合なのですが……それ以前に、私はあの方から随分嫌われているようですよ」
エルリックとの結婚があり得ないのと全く同じ理由で、フェーレンダール貴族であるラファエルとの結婚もあり得ない。
私はあの方の愛された祖国であるベルフェリートを捨てられないからだ。
だがそれ以前の問題として、何が気に入らないのかはさっぱり分からないが私はどうもラファエルから嫌われている。
嫌われている相手との結婚など、愛の無かった前世での結婚と同じではないか。
前世での失敗を私は決して忘れはしない、たとえ見返りにどんな利益があったとしても私はもう愛の無い結婚を誰ともするつもりはなかった。
「確かにそう思うでしょうね。でも、あれはあの子なりの愛情表現よ。あの子も貴女のことを好いているわ、分かってあげて頂戴」
「……はあ。そうなのですか?」
「それに、あの子とサフィーナさんが結婚すれば貴女が私の義娘になるでしょう? それって、とても素敵なことだと思うのよ」
そう言って、まるで悪戯っ子のような笑みを美しい顔に浮かべさせるカトリーヌ女史。
その表情を見て、私はここまであれこれと理屈を並べてきた彼女の真の思惑を理解する。
――この人、私を自分の義娘にしたいだけだ。
「却下ですね。申し訳ありませんけれど」
頭脳の明晰さやすっかり邪気の抜けた人格的魅力を踏まえて考えれば、カトリーヌ女史が義理の母ということ自体はそう悪くない。
けれど、やはりラファエルとの結婚という前提条件は私にとって受け入れられるものではなかった。
ラファエルが私をどう思っているかはともかくとして、彼女の出した案は断固として却下だった。
ロートリベスタ侯爵サフィーナ・オーロヴィアは、ベルフェリート王国に生まれた生粋のベルフェリート人だ。
その事実は、私が私である限り変えるつもりは無かった。
「そう、残念ね。でもまだ諦めないわよ。だって貴女はこんなに可愛いのですもの」
はっきりと断った私に対して、残念がる様子を見せながらも悪戯っ子じみた笑みを消さないカトリーヌ女史。
もし互いの間をテーブルが隔てていなかったとしたら、今頃私はあの豊かな胸の中に抱き締められていただろう。
私の実母より幾つか歳上だというのに、こうした表情を浮かべていても全く違和感が無いのは彼女が上品かつ年齢相応に美しいからだろうか。
いつか私が年齢を経た暁には、私もカトリーヌ女史のような歳の取り方をしたいものだと思う。
「それを言うなら、カトリーヌさんもとてもお綺麗ですわ。ですが、この国の陛下との縁談は私が自力でどうにか致します」
今の話で、独自の思惑を持って私を巻き込もうとしている彼女がこの問題に関しては何の頼りにもならないことがはっきりとした。
……まあカトリーヌ女史なりの好意であることは分かるけれど、ありがた迷惑というか。
ということで、私が自分でどうにかするしかないなと思いつつ私は未だ残念そうな様子の彼女との雑談を続けたのだった。




