7. 桂林一枝(1)
そして、翌日。
パーティーが終わった後自室へと戻り眠っていた私は、閉じた瞼に採光窓から降り注ぐ太陽の光を受けて目を覚ました。
ひたすら三人で飲み続け、最終的にグラス百杯ではきかないくらいの量を飲んだのだ。
私も、今の身体のアルコール耐性についてはまだ把握出来ていない。
潰れる気が全くしなかったので久々の酒ということもあり飲みまくってみたため、翌日には二日酔いに襲われるかもしれないと覚悟はしていたが、全くそんな気配は無く気分はすこぶる好調だ。
どうやら、前世や前々世と同じように今の私の身体も酒に相当強いらしい。
好き嫌いは別としても酒に弱いとパーティーの重要性が高い貴族社会では何かと不便なので、素直にありがたい。
それにしても、王子もルウも酒にはかなり強いようだった。
相当な量を飲んでいたにもかかわらず、最後まで歩調を乱すことさえなかったのだ。
酔いはせずとも顔には出る体質のようで、ルウが長い前髪に隠れかけた頬を桃色に染めてこちらを見上げていたのを思い出す。
今日は騎士団による取り調べが行われる日だ。
普通なら騎士に状況とあらましを説明して終わりなのだが、今回は平の騎士ではなく責任者が来ているらしい。
取り調べとは言ってもこちらには何の非も無いし、別に嘘を吐いたりする訳でもないのでこちらの証言がそのまま認められるだろう。
だが、ということはつまり裏通りであるとはいえ騎士団が治安維持を管轄するこの地区で貴族が平民に襲われたということであり、これは騎士団の不祥事に他ならない。
わざわざ責任者が来ているというのは、恐らく彼らがそれだけ今回の事態を重く見ているということだろう。
或いは、私達が学園の生徒だからかもしれない。
中小貴族しか通っていない時ならばともかく、今は王子が通っている上に今年はヴェルトリージュ辺境伯家の嫡子であるルウが入学したばかりでもある。
辺境伯からすれば、大切な嫡子を人質に預けた形になるのだ。
国としては、今回の事件に厳正な対処をすることで辺境伯からの心象を良くしておこうという狙いがあるものと思われる。
とはいえその辺りの事情に関しては、私達には特に関係が無い。
それよりもむしろ、セリーヌ嬢が何故襲われたのかという問題の方が重要だ。
あの状況が何者かの手によって作り出されたものである可能性が高い以上、このままではまた危険に陥れられてしまうかもしれないし、最悪今度こそ命を落とす可能性もある。
私としても、一度関わったからには彼女を見捨てるつもりは無い。
騎士団による取り調べは当然あの場にいた四人が揃う形で行われるのだが、それが終わったらそのまま私の部屋に集まり茶会がてらにセリーヌ嬢から話を聞く約束を取り付けていた。
尋ねる内容や考えられる可能性などを頭の中で思索していると、廊下から扉がノックされる。
懐から懐中時計を取り出し時間を確かめたが、ユーフェルが来るにはまだ早い。
昨日彼女を助ける前に買い物をしていた食器屋で買った品々を届けに来た従業員だろう。
私は起き上がって衣装入れから普段着を掴みつつ、紐を引いてアネットを呼び出す。
彼女は、間を空けずに姿を現した。
「失礼致します、お嬢様」
「おはよう。きっと食器屋だと思うから、少し時間を開けてから通してさしあげて」
急いで寝間着から普段着に着替えていきながらアネットに告げる私。
さすがに、いくら平民が相手であっても寝間着のままで応対する訳にはいかない。
幸いにも晴れ着とは違って普段着用のドレスは一人でも着られるので、彼女に応対してもらっている間に手早く着替えてしまわなければ。
勉強用ということなのだろう、あらかじめ部屋に用意されていた執務机の上に私は手にしたドレスを置き、纏っていたランジェリードレスに似た服を脱いでいく。
そして今しがた脱いだそれを畳んで籠の中に入れると、そのまま青を基調にした色のドレスを纏っていく。
着終えた私は、姿見を使って乱れが無いかを確認していく。
髪型に関しては、今から結っている時間も無いので仕方が無い。
自室の中であるため下ろしていても別に問題はないので、ひとまず櫛を通すに留めておく。
続いて、化粧箱から化粧品を取り出す私。
普段はアネットに任せているが、私とて女なのだから化粧くらいは出来る。
あまり時間を掛けられないので、最低限の化粧だけを手早く施していく。
服装はこのままでいいとしても、騎士団の屯所に行く際には髪と化粧に関しては改めて装い直さなければならないな。
当たり前であるが、貴族といえども普段から正装をしている訳ではない。
着るのに数時間もかかるような服を頻繁には着ていられないので、パーティーや式典などの公式の場以外では普段着でいるのが普通だ。
それは学園でも例外ではなく、私も含め皆講義には普段着で出席することになる。
とはいえ部屋にいる時のようにはいかないので、取り調べに出向く際には改めて装いを整える必要があった。
「アネット、こちらにお連れして」
ひとまずの装いは整えたので、私は執務机のところにある椅子に腰を下ろすと部屋の外に声を掛ける。
すると、幽かに音を立てながら入り口の扉が開かれた。
厚い木製の扉にはかなり高価な木材が使用されており、こういった些細な部分からも王家の威光を見せつけようという意図が感じ取れる。
相手が平民である今のような場合は基本的に座って出迎えるのが礼法だ。
私は椅子に腰掛けながら、顔を入り口の方へと向ける。
玄関の方から先に姿を見せたアネットと、彼女に先導されるように後に続いてきた男。
男の腕には木箱が抱えられており、これが購入した食器セットだろう。
アネットが後ろに下がり扉の横に控えると、男はそっと床に箱を降ろしてこちらに跪いた。
「お初にお目にかかります、オーロヴィア様。ご注文なされていた食器をお届けに参りました」
「ありがとう。アネット、支払いをお願い」
「いえ、お代は結構で御座います。アヴェイン様より既にお支払いいただいておりますので……」
一般的な貴族と同じように、私も持っている金銭の管理はアネットに任せている。
彼女に代金の支払いをするように言おうとすると、横合いから男に止められた。
どうやら、ユーフェルが私の分の払いも済ませていたらしい。
「それでは、失礼致します。これからも、我が食器店へのご愛顧をお願い致します」
「ええ、いずれまた伺わせていただくわ」
そう言って男が退出し、彼を見送るためにアネットも部屋の外に出る。
再び部屋に一人になった私は、椅子から立ち上がって箱に近付いた。
そして、木で出来た蓋を開く。
届ける途中に割れてしまわないよう羊毛を敷き詰めて厳重に梱包された箱の中には、昨日店で目にしたのと同じ苺柄の食器類が五セット入っていた。
それらを手にした私は、落としてしまわないように気をつけつつ壁際に配置されている食器棚の中へと運んでいく。
食器棚とはいってもそれほど大きなものではなく、せいぜい七、八揃えを入れればいっぱいになる程度の大きさだろう。
生徒同士が大人数で茶会をする際にはそのための部屋がいくつも用意された専用の建物があり、学園側はそこで行うことを推奨している。
いくら寮の個室が広いといえども限度があり、あまり大人数になると個室で茶会を楽しむのに無理があるためだ。
大規模な茶会など想定されていないし、食事に関しては厨房から直接運ばれてくるのでこちらで食器を用意する必要も無い。
そのため食器棚はそれほど大きいものではないのだろう。
もっとも、生徒(というよりもその従者)も使えるように解放されている厨房も別にいくつかあるのだが。
学園の料理人が作れないマイナーな郷土料理が食べたくなった際などに利用されているらしい。
だがその場合にも厨房に食器は備え付けられているそうなので、いずれにせよそれほど多くの食器が不要であることには変わりがなかった。
いずれ暇な時に、厨房を借りてこっそりと日本の料理でも作ってみるのもいいかもしれない。
生態系と植生が地球のそれに近似していることもあって、それらを材料にした料理も洋食にかなり近いものがほとんどなのだが、この世界には和風の文化を持った国が無いため日本で生まれた料理のいくつかが存在しない。
別に料理というほど大きな違いではなくとも、同じ材料同じ調理法でも少し味付けを変えるだけで日本食らしさは十分に出る。
そういった味わいのものが食べたくなったら、自分で作るしかないのだ。
食器類を全て棚に仕舞い終えてから改めて箱を見ると、緩衝材として中に敷き詰められた羊毛が不自然に盛り上がっているのに気付いた。
私が頼んだのは食器だけであり、他のものは一連の出来事もあって買えていない。
首を傾げつつ羊毛を取り出してみると、箱の底には茶葉や茶菓子が入っていた。
恐らく、これもユーフェルが私宛に注文したものだろう。
料金を払ってもらい他に必要なものまで用意してもらったともなれば、私としても後で何かしらの礼を用意しておかなければならない。
何がいいだろうか。
椅子に戻って私が思考を巡らせていると、扉が開く小さな音が聞こえる。
そちらに視線を向けると、アネットが戻ってきていた。
「ただいま戻りました」
「お疲れ様。朝食も来ていたのね」
「はい。先程の方を見送った際にちょうど厨房から使用人の方がいらっしゃったので、受け取って参りました」
彼女の手には、朝食のサンドイッチが載った皿が持たれていた。
もしかしたら二日酔いでぐったりとしてしまう可能性があったのと、既に茶会をする予定が決まっていたため、朝食は軽めのものを昨夜のうちに注文しておいたのだ。
私は彼女から皿を受け取り、机上に置く。
そして玉子とレタスが挟まれたサンドイッチを掴み、口に含んでいく。
貴族であれど、別にこの辺りの作法は普通の日本人と変わらないのだ。
シンプルなサンドイッチという料理といえども、作っているのが学園に雇われている超一流の料理人であるため味は日本ではまず味わえないほどに絶妙である。
味の良さに加え、元々それほどの量も無かったこともあってあっという間に皿が空になる。
手が空いたので時計を取り出して時刻を確認すると、そろそろ準備を始めた方がいい時間に差し掛かっていた。
「アネット、仕度をお願い」
「畏まりました」
そう言って頭を下げると、こちらへと近付いてくる彼女。
生徒の食事と同時にその従者用の食事も届けられるため、今頃カルロは自室で食事を取っているだろう。
茶会の準備があるためアネットは同行しないので、彼女には私達が騎士団の屯所へ出かけている間に食べておいてもらえばいい。
私は今後の予定を頭の中で整理しながら、髪をアネットに任せたのだった。
身支度を終えた私は、学園の敷地内にある騎士団の屯所へと向かうべく扉を開き廊下へと出る。
こういった場合いつもならば部屋の前で私を待っているユーフェルだが、今日はその姿は見られない。
私と彼は部屋が隣同士だが、セリーヌ嬢の自室は違う階にある。
そのため、待ち合わせ場所は寮の入り口に決めておいたのだ。
彼は先にそちらに向かったのだろう。
まだ集合時刻までは少し間があるので、或いはまだ部屋で準備をしている最中なのかもしれないが、その辺りは私には分からないことだ。
この世界の貴族の朝は遅い。
今日は授業が無いので、生徒達は皆まだ休んでいるか、もしくは二日酔いで倒れているのだろう。
時折学園側のメイドとすれ違うのを除けば無人の廊下を、私とカルロは歩き進んでいく。
両側の壁に貼られた壁紙の材質はとても優れたものであり、各部屋の入り口の扉と扉の間に飾られている絵画もどれも著名な画家が描いた最高級の作品ばかりだ。
知らないと貴族として実にまずいため、学園に来る前に実家の書架にあった本でこの二百年の間に登場した芸術家達について勉強しておいたのだが、飾られている絵には本の中で紹介されていたものも多い。
宰相補佐になってしばらくした頃だったか、この学園には前世にも一度だけ講師役として講義をしに来たことがあるが、当然ながらその際には寮の中には入ってはいない。
だから内装については入寮してみて初めて目の当たりにしたのだが、予想していた以上に豪華だった。
頭上の照明一つ見ても、王宮の謁見の間で使われるような一級品が用いられている。
この学園は前世の私が生まれるより更にずっと前からあるので、絵画類は数百年かけて集められたのだろうが、それにしても全て合わせれば各地の貴族達の領地の分も含めたこの国全体の収入の十年分を優に超えるだろう。
逆に言えば、もしもこの学園にある芸術品が全て盗まれ、秘密裏に大貴族達に売り払われたりしたとすれば経済が破綻しかねないということだ。
いざという時のために、その可能性を選択肢の一つとして頭の中に入れておくことにした。
それなりの幅がある階段を降りてそのまま正面へと進むと、そこには寮の入り口がある。
防犯上の理由か、寮の一階には生徒達の居室は作られていない。
入り口の付近は広く空間が作られており、ソファーがいくつも置かれ歓談の場となっていた。
互いに距離の離れた左右の壁にはいくつか小部屋へと続く扉が設置されており、内部は談話室として用いられている。
まだ午前であるためか今は人の姿があまり無いが、普段であればソファーに腰を下ろして読書や会話を楽しむ生徒達の姿が見受けられるところだ。
そして数多くあるソファーのうちの一つに、少し距離を取る形で見知った少年と少女が座っている。
誰であるかは言うまでもない、待ち合わせていたユーフェルとセリーヌ嬢だ。
まだ時間にはなっていないが、二人とも早めに来ていたらしい。
「おはようございます、ユーフェル様、セリーヌ様。お待たせさせてしまい申し訳ありません」
詫びの言葉を口にしながら、二人に近付いていく。
私の声に反応して、彼らはこちらへと視線を向けた。
「お、おはようございます……」
襲われたショックがまだ大きいのだろうか、セリーヌ嬢はその整った顔つきにどこか翳りを滲ませている。
無理もないだろう、前世の経験のせいですっかり慣れてしまった私とは違い、彼女は内面も歳相応の少女なのだ。
爵位が低いとはいえ貴族の息女として大切に育てられてきたのが突如として暗い路地裏でならず者に襲われ、あまつさえ目の前でスプラッタを見せ付けられたともなれば、トラウマにならない方がむしろおかしいとさえ言える。
そんな彼女より手前、ソファーのほぼ逆側に座っていたユーフェルは半ば身を乗り出すような形で近付いた私の耳元に顔を寄せる。
「おはよー、サフィーナちゃん。あの子、僕が話しかけても怯えるんだ。どうにかしてあげて」
彼はひそひそと小さな声で私へとそう伝えてきた。
いつものような調子でセリーヌ嬢に声を掛けたら怯えられたのだろうか。
あんなことの後ともなれば、男性そのものに苦手意識を持ってしまっても仕方がないだろう。
とはいえ、そのまま成人してしまうとあまりに支障が大きすぎるので、どうにか学生のうちに克服してもらわなければならない。
だが、それについては追々考えればいいことだ。
少年に向かって頷くと、そのままセリーヌ嬢に近付いて声を掛ける。
なかなか眠れなかったのか、彼女の少し幼さを残しつつも整った顔には化粧で隠されてはいるが目の下にうっすらと隈が出来ているのが見える。
「さあ、参りましょう、セリーヌ様」
私は少女へと向けて手を差し伸べる。
こちらを見上げながらもおずおずとその手を取り、彼女は立ち上がった。
淑女をエスコートするのは本当は男性の役割なのだが、この場合は仕方がない。
別に礼法で禁止されている訳でもないし、前世では長身だったせいか舞踏会で令嬢達にダンスの相手を求められたこともある。
不本意といえば不本意なのだが、まさかその経験がこんなところで役に立つとは。
セリーヌ嬢の歩調に合わせつつ、足を進める私。
ユーフェルとカルロは、少し離れて後ろをついてきている。
王都の中心近くにあるとはいえ、十分過ぎるほどの敷地が用意された学園はとても広大だ。
各建物と建物の間の距離もそれなりに離れており、見通しはとてもいい。
寮の出口から外に出ると、外には青空が広がっていた。
春先の少し冷たい風が肌の上を吹き抜け、心地がいい。
扉の両側には見張りの騎士が二人立っており、彼らからの礼を受ける。
見張りといえど単に寮への不審者の侵入を防ぐための役割であり、別に門限も無いので夜中に外に出ようとしても身の安全に気をつけるように言われるくらいで止められたりすることは無い。
必要であれば護衛に同行を申し出たりはしてくれるそうだが、ただの見張り役である彼らには生徒の行動を制限する権限は無いのだ。
彼らに礼を返すと、私達はそのまま歩き進む。
目的の場所、騎士団の屯所は当然ながら正門の近くにある。
それなりの距離はあるが、とはいっても間に遮るものが何も無いためセリーヌ嬢の歩調に合わせてもそれほどの時間は掛からない。
きちんと全面舗装されている地面を歩き、私達は騎士団の屯所の前へと辿り着いた。
騎士の駐屯する建物ということもあり生活性よりも実用性が重視されているのだろう、火攻めを防ぐためか、屯所の建物は木ではなく石をメインに作られている。
「お呼び出しをいただいたサフィーナ・オーロヴィアですわ」
当然、屯所の入り口の両側には見張りの騎士が歩哨している。
私は彼らにそう伝えると、右側に立っていた男が扉を開いて中に入っていく。
威圧感を覚える大柄で鎧を纏った騎士の姿が怖いのか、いつの間にか私の手を離していたセリーヌ嬢は半ば私の陰に隠れるような形になっている。
そのまましばらく待つと、先ほどの男が再び中から姿を現した。
「お入りください」
そう言って腰を折り礼をすると、彼はそのまま私達を先導するように歩き始める。
その背中についていく私達。
屯所に過ぎないので、それなりの広さはあるが二階建てになっていたりする訳ではない。
数名の騎士達とすれ違いつつもしばらく廊下を進むと、突き当たりの扉に行き着く。
さすがに扉は木製だ。
案内役らしい騎士が扉を叩くと、そのまま開かせる。
「失礼致します、お呼び出しをいただいたサフィーナ・オーロヴィアですわ」
私はそう中に伝えつつ、室内に足を踏み入れた。
屯所の最奥の部屋に足を踏み入れた私達四人。
相変わらず石造りの壁はとても無骨であり、高価な調度品の類も置かれていないひどく殺風景な部屋だ。
壁に武具が飾られている他には内装らしい内装も無く、部屋の中央には向かい合わせになったソファーと机が置かれているのが強い違和感を放っている。
あまりセンスがあるとは言えないが、まあ男所帯である騎士団の建物であればこんなものだろう。
そして私から見て右側、部屋の壁際には一人の男がこちらに背を向けて立っている。
背が高くすらりとした身体つきに、腰まである長い銀髪。
先日護衛された際に身につけていた全身鎧は今はその身に纏われていないが、その人物が誰であるかは火を見るよりも明らかだ。
「このような朝早くにお呼び立てしてしまい申し訳ありません。第三騎士団長、ベリード・クラスティリオンです」
王都への道中で私の護衛を務めてくれていた彼は髪を揺らしながら振り返ると、こちらへと優雅な仕草で騎士としての礼をした。
貴族がするそれとは若干違う動作の礼は、しかし彼がすると思わず見蕩れてしまうほどに美しい。
騎士団は一つの集団ではなく、第一から第五までの五つの指揮系統に分かれている。
まだ十六歳という若さながらそのうちの一つ、第三騎士団の団長を務めている彼は、もちろんクラスティリオン伯爵家の次男であるという背景もあるにせよ、それを差し引いてもなおやはりその地位に昇ることが出来るだけの剣の腕と指揮能力を持ち合わせているのだろう。
決して実家の力だけで今の地位にいる訳ではないことは、護衛の際の指揮を見ていてよく分かった。
その身に騎士の平服である白と青が基調の薄手の上着とズボンを纏い、腰に剣を佩いた今も騎士としての風格が漂っている。
ちなみに、数字はただの便宜上のものであり、それぞれの騎士団の間には特に格の優劣はなく団員の数も同じだ。
違うのは担当する職掌のみであり、したがって各騎士団長も五人ともが対等の存在である。
まあ、公爵家が国に一つきりではないのと同じようなものだ。
ユーフェル達は、団長の一人が自ら来たことに驚きと緊張の表情を浮かべている。
それも当然だろう、貴族ではないので領地こそ持たないが、騎士団長ともなれば名だたる大貴族ともまったく対等の立場に当たるのだから。
何故そのような地位の人間が私のような単なる弱小子爵家の息女を護衛していたのかといえば、恐らくたまたまだろう。
そもそもこの学園に、騎士団長が護衛に着かなければならないような大貴族の子息が入学してくることは滅多に無い。
あったとしても、恐らく今年のルウもそうだったと思われるように、護衛の重要度が高い大貴族は大規模な私兵を持っているので騎士団に頼らず自前の軍勢で王都まで来るのだ。
どこの貴族も、子女の道中の安全は身内である私兵に任せた方が安心出来るに決まっているのだから当然だ。
となれば、それほど重要度が高くない一般生徒達の護衛役の割り当ては、優先順位が存在しないために完全にランダムになる。
その結果、偶然私の護衛役が彼になったのだろう。
そもそも何故騎士団長が自ら護衛の指揮に当たっていたのかは知らないが、経緯としてはそれくらいしか考えられない。
「お久しぶりです、クラスティリオン様。サフィーナ・オーロヴィアですわ」
私は彼に礼を返すと、そのまま室内へと進んでいく。
各々も私に続いて中へと入る。
室内にはベリード一人の姿しかないが、それでもやはり異性は怖いのか、セリーヌ嬢は私の背中に半ば隠れるようなポジショニングだ。
「そちらにお掛けください」
騎士団長はこちら側のソファーを腕で指しつつそう言うと、自らもその対面にあるソファーの中央に腰を下ろした。
私はそれに従い、ソファーの中央に腰掛けてベリードと向かい合う形になる。
背中に隠れていたセリーヌ嬢をエスコートして自らの左側に座らせると、ユーフェルは右側に席を取る。
カルロは従者であるため、私の背後に立って控える形だ。
「セリーヌ様はまだ心傷が癒えておりませんの。ご配慮をお願い致しますわ」
少し怪訝な表情を浮かべさせた騎士団長にそう告げる。
本来ならば直接的な被害者であるセリーヌ嬢が中央に座らなければならないのだが、そうすると必然的に男性であるユーフェルと隣り合わせに座ることになってしまう上に、ベリードと正面から向かい合う形にもなってしまう。
まだ心の傷が癒えていない彼女には、それは酷だろう。
この場には同性である人間は私しかいないのだから、少しでも力にならなければ。
「分かりました。それでは、取り調べを始めましょう。取り調べとは言っても軽く事実を確認する程度なので、ご安心ください」
私の言葉にあっさりと頷くと、彼は取り調べの開始を宣言した。
「中央区の裏通りにて、ならず者に襲われていたセリーヌ嬢をサフィーナ嬢が保護。その従者であるカルロ・レシュリールが下手人を斬った。証人はその場に居合わせたユーフェル卿。以上の点に相違はありませんか?」
「ええ、間違いありませんわ」
騎士団長が机上の書類を読み上げた内容に対し、私は頷きを返す。
別にどちらかに有利な内容が述べられている訳でもない、まったくの事実だ。
「では、そのように処理させていただきます」
貴族と平民との間には歴とした身分差が存在するので、仮に領主が自らの領地の民を理由も無く殺したとしても咎めを受けることはない。
しかし、今回の出来事の舞台は王都である。
王都は当然ながら王家の直轄領に含まれているので、そこに住んでいる住人もまた王家の下にあるものとして扱われる。
つまり故もなく王都で平民を殺めれば、たとえ貴族であっても咎めを受けることになるのだ。
そのため、こちらに非が無いことが明らかであっても、こうして騎士団の取り調べは形式上ながら行われることになる。
正面に座る彼はそう言うと、手にした書類にこちらからは見えないが何かを書き記した。
「これにて取り調べは終わりです。お疲れ様でした」
そして、あっさりと終わりを告げる取り調べ。
単なる事務的で形式的なものに過ぎないので、それも当然だろう。
揃ってソファーから立ち上がる私達。
ユーフェルが先に扉の方へと向かい、それに続いて私とセリーヌ嬢も歩を進める。
しかし二人が室外へと出たところで、私は足を止めた。
「お二人とも、申し訳ありません。少し外でお待ちいただけませんか?」
「わ、分かりました」
「分かった」
怪訝そうな様子の二人にそう告げると、彼らは頷いて部屋を退出していく。
そして最後に出たカルロの手によって扉が閉められると、私は背後を振り向いた。
同じく立ち上がっていた騎士団長と、ソファーと机を挟み向かい合う形になる。
私は、早速本題を切り出す。
「クラスティリオン様、貴族であるセリーヌ様があのような裏路地に一人でおられたとは、不自然だと思われませんか?」
「そうですね。セリーヌ嬢からその点について事情を伺おうと思っていたのですが、憔悴していたので取り止めました」
「お心遣い、感謝致しますわ。このままでは、彼女の身が危ないと思いますの」
学園内にいれば比較的安全ではあるが、それとて絶対ではない。
当然ながら、科学的なセキュリティシステムなどこの世界には存在しないのだ。
全て合わせれば千人どころではない程の数のいる学園の使用人達の顔を、残さず覚えることなど誰にも不可能だろう。
使用人も住み込みにすることで曲者が紛れ込む可能性を低くしてはいるが、何らかの手段で一度敷地内に入られ、使用人の格好で紛れられてしまえば容易に発見出来ないことは間違いが無い。
昨日の事件が計画的なものであったとすれば、真相を突き止めて犯人を捕らえるまでは暗殺者が送られてくる可能性も警戒しておく必要があった。
「学園の警備を強化してはみますが……。恥ずかしながら、外部からの侵入を完全に防ぐのは不可能でしょう」
そのことは理解しているらしく、そう答えを返してくる彼。
電子機器が無いこの世界で、完璧に死角を無くすことはどれほど警備を厳重にしても不可能だ。
それどころか、街の隅々にまでセキュリティシステムが配備された私が生きていた頃の日本でさえ、警備の間隙をすり抜けた犯罪は度々発生していたのだ。
人間がすることである以上、どこかしらに隙が出来るのは仕方がないと思う。
出来ることは、少しでも隙を減らすことだけだ。
前世の私とて、日本人だった頃に仕事の中で学んだ現代的なセキュリティ理論を生かして兵を屋敷に配備していなければ、きっとクーデターを起こされるまでもなく暗殺者の手に掛かり命を落としていたに違いない。
宰相補佐に就任してからは、何度も私へと送り込まれた暗殺者が兵達に捕らえられていたのを思い出す。
「私の方でも調べてみるつもりではおりますが、しばらくの間は可能な限り彼女の側に付き添うつもりですので、どうしても行動範囲が限られてしまいます。クラスティリオン様の方でも、捜査をお願い出来ませんか?」
「裏通りであったとはいえ、中央区で貴族が襲われるというのは由々しき事態です。捜査させていただきます。ですが、サフィーナ嬢もどうか身の安全にはご注意ください。くれぐれも危険は冒されませんよう」
「ご心配、恐れ入りますわ」
よし、騎士団長の言質は取った。
自由に動き回ることが可能な状況ならともかく、しばらくはセリーヌ嬢の身の安全のためにある程度彼女の様子にも注意していなければならない。
その状態では満足な捜査を行うことは難しいと思われるので、どうしても騎士団の手を借りる必要があった。
たとえ行動に制約が無かったとしても、やはり一介の弱小貴族の令嬢に過ぎない私と本職である騎士団とでは、やれることが全く違うのだ。
私の伝で可能な限り情報を集めつつ、騎士団の捜査結果を待つべきだろう。
伝とは言っても、元が田舎の小貴族の令嬢であり王都にも出てきたばかりである私は伝などほとんど持ち合わせていない。
むしろ、この期に王都にある程度の伝を作っておきたかった。
黙っていても向こうから情報が転がり込んできた前世とは違うのだ。
こちらから行動しなくては、何も手には入らない。
「それでは、私もそろそろ失礼致します」
今は外に三人を待たせている。
用件が終わったのならば、早く彼らに合流するべきだろう。
私はドレスの裾を掴んで礼をすると、そのまま部屋を後にしたのだった。




