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25. 祝宴(1)

 延期されていた剣技大会が無事に幕を下ろしてから小一時間程の後。

 王宮の広い廊下の先、私は鎧から軍服に着替えた第三騎士団長の姿を認める。


「お疲れ様です、クラスティリオン様。拝見しておりましたが、見事な戦いぶりでした」

「お褒めには及びません。ベルフェリートと第三騎士団の名に懸けて、成し遂げるべき結果を勝ち取っただけですので」


 終始一方的に相手を翻弄していた、まったく見事としか言いようのない戦いぶりだった。

 私がねぎらいの言葉を掛けると、第三騎士団長は何でもなかったように言う。

 実際、彼自身の言う通り彼にとって剣技大会における優勝は必須であり必然だったのだろう。

 何故ならば、遥か異国にまで勇名名高き団長として第三騎士団の名誉を一身に背負っているのだから。

 精鋭であるために常日頃厳しい訓練を課しているからこそ、よりにもよって団長である自分が敗れる訳にはいかない。

 生真面目で公正な彼は、そう自分に課してトーナメントに臨んでいたに違いなかった。


「ご謙遜を。我らが偉大なるベルフェリート王国の威光を示し、クラスティリオン様程の剣の使い手はどこにもいないと証明なさいましたわ。私のカルロは別ですが」

「カルロも見事でしたね。まさにロートリベスタ卿に相応しい侍従と言えましょう」

「ありがとうございます。クラスティリオン様からお褒めの言葉をいただき、カルロも喜んでいると存じますわ」


 視界には映っていないが、私の後ろで褒められたカルロが喜んでいるのが気配で分かる。

 彼とは幼少の砌よりずっと傍で育ってきた間柄なのだ、たとえ表情や姿が視認出来ずとも大まかな感情を理解することくらい出来た。

 あるいはそれこそを私とカルロとの絆と呼ぶのかもしれない。

 幼馴染でもあり戦友でもあり主従でもあり、思えば私達は地球ではまず考えられもしないような関係性を築いてきた。

 以心伝心であるのはもちろんのこと、一心同体と言ってさえ過言ではないだろう。

 それは容易く名付けられるようなものではなく、それこそそのまま侍従としか呼びようのないものである。

 何が言いたいかというと、第三騎士団長に言葉を返すのにわざわざ振り返る必要は無いということだ。

 騎士といえば、ベルフェリート王国において少年達の憧れの職業ランキングを取れば間違いなくトップに輝くだろう職業である。

 ましてや、五つある中でも最精鋭として知られる第三騎士団であればなおさらのこと。

 その勇猛ぶりからつい忘れそうになるけれど、カルロとてまだ私と同じ十三歳の少年なのである(それを言えば第三騎士団長もまだ若干十六歳という異例の若さなのだけれど)。

 現役の騎士団長の位にある人物に対して、憧れの感情を抱いてもごく自然なことだった。

 また、直接剣を交えているが故の相手の実力への経緯もあるだろう。

 そして、憧れの対象から褒められれば嬉しいもの。

 カルロの喜びの理由は、よくよく理解することが出来た。


「ところで、クラスティリオン様はこの後何かご予定がおありですか? 私達はこれから祝い酒をしようと思っておりますの、クラスティリオン様も如何でしょうか」

「ありがとうございます。せっかくのめでたき日ですし、私もご同伴に与りましょう」

「まあ、それは何よりですわ。酒は大量に用意させてあります、思う存分お飲みくださいね」


 断られても不自然ではないと思いつつもダメ元で誘ってみると、意外にもと言うべきか快諾する第三騎士団長。

 彼とてまだ十六歳の少年である、たまには飲んで勝利の喜びに耽りたい時もあるのかもしれない。

 私の場合は二人の勝利を祝うというのを名目にただワインを飲みたいだけというのも否定出来ないのだけれど、と苦笑する。

 ともあれ、見事に優勝者の栄冠を勝ち取った二人が楽しんでくれればそれでいい。

 何しろベルフェリート代表の揃っての優勝は、帰国してから我が国の王宮で改めて祝宴が開催されてもおかしくない程の快挙だ。

 ベルフェリート王国の国威を高めたという意味で、地球で例えればオリンピックのフェンシングで優勝したようなものと言えるだろうか。

 ちょうど、複数の部門に分かれている点もオリンピックに類似している。

 第三騎士団長は英雄としての名を更に高めた形であるし、カルロは単なる「サフィーナの侍従」ではなく一人の剣士としての評価を得ることになるだろう。

 そんな二人が一足先に自らの業績を酒で祝うことは何も不自然ではない。

 ましてや主催者が正使、即ちベルフェリート王国の代表たる私であればなおさらのこと。

 フェーレンダールに来てからというものセルージュ家のお家問題に巻き込まれたりエルリックと政治的暗闘をしたりしていた分の鬱憤を、浴びる程にワインを飲んで晴らしても問題はどこにもないのだ。

 ……と自己正当化をしつつ、私は使節団の役人達に命じて用意させた大量のワインに心を馳せる。

 せっかくなので様々な銘柄を集めさせたのだが、この国のワインは当然ながら普段飲むことのないようなものばかりなので味わうのが楽しみだった。

 しかも、購入に要した費用は使節団の経費から出している(王家が出してくれた経費の使い道の裁量権は当然正使である私にある)ので私の懐は全く痛まないというのも嬉しいところ。


「さあ、では参りましょうか。酒が私達を待っておりますわ」

「ふふ、ロートリベスタ卿は酒豪としても知られておられましたね。そうですね、早く参りましょうか」


 いつまでも廊下で立ち話をしているのもなんである。

 部屋に行けばワインが待っているのだ、つい先を急ぎたくなるのが人間の心情というものだろう。

 傍目からは余程そわそわとして見えるのだろうか。

 微笑ましげにこちらを見る第三騎士団長の言う通り、それがベルフェリート王国の社交界でも酒豪として知られている私なのだからなおさらのこと。

 私が促すと、それに頷いて彼は私の部屋の方に向けて歩き始める。

 斯くして、私は祝勝会の祝い酒に第三騎士団長を招待することに成功したのだった。









 髪の毛を扉に貼りつけておくというごく初歩的なセキュリティ。

 まあクララの配下達が私自身すら気付かない形で守ってくれているから安心とはいえ、念には念を入れて行っているそれで私が不在の間誰も部屋に入っていないことを確かめてから鍵を開けて入室する。

 ここは他国というアウェイの地であるし、どこに私を狙う動機を持った人間がいるか分からないのだ。

 鍵など誰がスペアキーを持っているか分からないのであって無いようなものと言えるし、これくらい身の回りに気をつけておいても無駄にはならないだろう。

 そして私達が室内に入ると、使節団の一員として同行してきたベルフェリート人の侍女達を呼び出して給仕をするように命じる。

 クララがいれば彼に頼むところなのだけれど、そもそも彼がフェーレンダールに来た用件が終わったので一足早く帰国しているのだ。

 何しろ、クララがこちらにいる間は我がロートリベスタ領はアネットたった一人で全ての問題を差配しなければならないのである。

 彼女には他に侍女を育てる仕事やドロテアの侍女長としての教育などの仕事もある、いつまでもそのような激務を続けさせる訳にはいかなかった。

 なので本音を言えば私も早く戻って本来私がすべき仕事の数々を引き受けたいところなのだけれど、生憎とこればかりは使者という相手のいる仕事なので私だけの一存ではどうにもならない。

 既に外交的な折衝はほぼ全て終わっているので近いうちに帰れるだろうが、エルリックのことだから特に理由も無くこちらを留まらせても不思議ではない。

 それに、まだ兵力が万全ではない領地の安全をもうしばらくの間維持しておくためにはフェーレンダールに留まっている方が軍事的には都合がいいのが正直なところ。

 そのため、私のために目が回るような激務を続けてくれているアネットへのせめてもの助けとしてクララに仕事の一部を手伝わせているのだ。

 もちろんクララはクララで諜報面の役割を一人で担当しているので、そこに更に書類仕事が加わるのは十分に激務と言えるのだろうけれど……こればかりは絶対的な人材不足(特に内政要員)なのでどうにもならない。

 現在はクララの部下がベルフェリート国内のあちこちで有能な人材を捜索している最中だ、それが成果を挙げてくれば次第に改善していくことだろう。

 私がこの一ヶ月程見ていない大切な侍女――アネットの顔を懐かしんでいると、その間にも使節団に同行してきた侍女達の手によっててきぱきと私達の前にグラスとおつまみとして用意させた山羊のチーズが配されていく。

 テーブルを囲むのは、私とカルロと第三騎士団長。

 平民であるカルロは本来貴族である私と騎士団長とは同席出来ないのだけれど、剣技大会の平民部門で優勝した彼は騎士になる権利を持っているも同然なので問題は無い。

 加えて、これは公的なパーティーではなく極めて私的な宴だということもある。

 もし公的な集まりであればきちんと身分を弁えるけれど、私も第三騎士団長も祝勝会の場にまで目くじらを立てる程に狭量ではないということだ。


「どちらも私が用意させたものです。上質なものを選びましたから、安心して舌鼓を打ってくださいませ」

「わざわざありがとうございます。いただきましょう」


 私とカルロの二人で個人的に楽しむならまだしも第三騎士団長を招待するのである、半端なものを出しては私の沽券に関わるというか貴族としての名望が落ちてしまう。

 どうせ経費であり私の懐は痛まないこともあって、出来る限り上質(で高い)ものを買ってこさせていた。

 第三騎士団長にワインとチーズを勧めると、グラスを手に取った彼は優雅な振る舞いでそれを唇に触れさせる。

 社会的身分としての騎士は貴族も平民も無く対等であるが、第三騎士団長は元々貴族の出身であり正しい礼法をしっかりと身に着けているのだ。

 そして、それを見目麗しき銀髪の騎士が実践すると実に絵になる。

 ただワインを飲む、それだけの行為が他者の耳目を釘付けにするのだった。

 剣技大会でも第三騎士団長はこの国の令嬢がたの黄色い声援を一身に集めていたけれど、パーティーに出席すれば彼の周りには多くの令嬢で人だかりが出来るだろう。

 そんな状況でも戸惑ったりすることなく一人一人物腰柔らかに対応していく彼の姿が容易に想像出来た。

 ともあれ、一応客人という扱いである第三騎士団長がグラスに手をつけたので私も同じようにグラスに手を伸ばす。

 硝子の向こうで、鮮血の如くに鮮やかな色で揺れている赤ワイン。

 葡萄の芳しい香りを楽しみながら、私は口づけたグラスを軽く傾ける。

 すると、瞬く間に口腔を覆い尽くすように支配する濃密な風味と渋さの混じった苦さ。

 飲んだ経験自体は日本人だった頃に当然あるが、ベルフェリートでは甘みの強い白ワインが主流なので甘味より苦味が強い赤ワインの味わいはなかなかに新鮮だった。


「珍しい味わいですね。苦味が強いのに不味いという訳ではない。この国の人々はこのような酒類を嗜むのですか」


 それは第三騎士団長も同じであったようで(赤ワイン初体験の分彼の方がより感覚が強いかもしれない)、ちびちびとグラスを傾けながら赤ワイン特有の風味を吟味している。

 普段から甘い白ワインを飲み慣れているベルフェリート人には赤ワインは口に合わないのではないかとも思ったが、少なくとも彼に関しては杞憂だったらしい。


「ええ。我が国の酒と同じく葡萄から作られているそうですわ。製法次第でこれ程に味が変化するのですね」

「同じ葡萄酒が製法次第で……なるほど、実に興味深い」


 中身が半分程になったグラスを一度置くと、考え込むように顎に手を当てる第三騎士団長。

 そんな仕草も実に見目麗しく、給仕を終えて壁際で待機している侍女達が彼の姿に見蕩れているのが分かる。

 彼女達の中には異国行きが決まって内心では嫌がっていた者もいるだろうが、今は役得で選ばれて良かったと思っているのではないだろうか。

 ましてや、同じ部屋の中で直接給仕をするとなればなおさらレアな出来事である。


「……っ、苦いですね」


 一方で、ぎこちないながらも母からの教育で最低限の礼法は身に着けているカルロは赤ワインを飲むやいなや顔を顰めさせる。

 平民なので最後にグラスに手を伸ばした私の侍従だったが、まだ十三歳の彼には苦味の強い赤ワインは早かったらしい……などと自分も十三歳であることを棚に上げて評してみる。

 まあ年齢を差し引いても、ベルフェリート人にとって葡萄酒といえば甘みの強い白ワインである。

 特別カルロの味覚が子供という訳ではなく、むしろ彼のような反応の方が普通なのではないだろうか。


「ふふ……この苦味を楽しめるのが大人よ、カルロ」

「僕はまだまだ半人前ですから」


 無論、私はこの苦味も平気である。

 私がからかうようにカルロに対して言うと、それを真に受けたらしい彼は深刻な口調で言う。

 カルロは十分に侍従として一人前だと思うのだけれど、本人的には今の自分に満足していないらしい。

 第三騎士団長と互角に戦ってみせる半人前が一体どこにいるのかと言いたくなるけれど、まだ十三歳たる彼が将来的に精神的にも肉体的にも技倆的にも成長しきって「一人前」になったら果たしてどれ程の強さになるのだろうかという興味は私にもあった。

 ベルフェリート王国最強格の三人の中で、最年少なのがカルロなのである(それ故に彼はパワーやテクニックではなくスピードを売りにしているのだけれど)。

 それは即ち、一概には言えないにしろ最も大きな伸び代を持っているのが私の侍従であると言うことが出来た。


「では、私もまだ一人前とは言えないわね」

「お、お嬢様は既に立派なお方です! 謙遜などなさいませんよう……!」


 自衛出来るだけの兵力が整っていなければ、人材も不足しておりアネットに激務を強いてしまっている。

 カルロが侍従として半人前だと言うのならば、私はロートリベスタ家の大領を与えられた貴族として半人前もいいところだった。

 そう客観的に自らを分析すると、途端に顔を上げたカルロが慰めてくれる。


「ありがとう、カルロは優しいのね」


 必要とあらば冷酷になることを厭わないけれど、本質的にカルロは優しい子だ。

 少し身を乗り出しながら手を伸ばして、微笑んだ私は彼の頭を撫でる。

 すると、カルロの引き締まった端正な顔立ちが心なしか赤く染まっていく。

 もう子供という年齢でもないのに、人前で頭を撫でられたのが恥ずかしかったのだろうか。

 戦場であれ程までに勇猛に暴れ回って私を守ってくれる頼もしさとは似ても似つかない様子を、私は年齢相応の少年らしくて可愛いと感じていた。


「お、お嬢様、これ以上は……」

「それもそうね。クラスティリオン様もおられるし、続きは後にしましょう」

「続き!?」

「冗談よ。カルロが可愛いから」


 可愛いカルロをもっと堪能していたいのはやまやまだけれど、客人である第三騎士団長を放置して遊びに耽るなど貴族としてあるまじきことである。

 残念ではあるが、ちょうどいい頃合いで切り上げてワインを楽しむ作業に戻ることにする。


「失礼しました、クラスティリオン様。まだ何本もありますので、いくらでもお楽しみくださいね」

「ロートリベスタ卿のご厚意に感謝します。それにしても、卿とカルロはよき主従ですね」

「ありがとうございます。クラスティリオン様のようなお方にそう仰っていただけて光栄ですわ」


 赤ワインを飲み干すと、控えている侍女達がすかさずお代わりを注いでくれる。

 他国への使節団に同行させる侍女なのだ、彼女達も精鋭が選りすぐられていた。

 雑談をしている間に私はかれこれもう五杯目であるし、第三騎士団長も三杯は既に飲んでいる。

 カルロは一口目で苦さにギブアップしたきりで、今はもっぱらおつまみのチーズに手を出していた。

 ともあれ、そんなこんなで私達は赤ワインと山羊のチーズを楽しみつつ雑談に耽り勝利を祝ったのだった。

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