18. 太陽の聖女(1)
頭を整理したいということで、自らが普段使っている執務室へと戻っていったラファエル。
カトリーヌ女史も居館からここまでの強行軍で疲労困憊している(一般的な貴族のご婦人は常日頃運動など嗜まないのだから当然だろう)ということで、身体を休めるべく一度セルージュ家の屋敷へと去っていった。
消去法的に、この場に残っているのは私とカルロと侍女のふりをしているクララと第三騎士団長とエルリックということになる。
ずっと横たわっていた問題自体は解決してみせたものの、目の前の二人には私の失踪で散々迷惑をかけてしまっているのでどことなく気まずい空気を覚えていた。
「そ、そういえば剣技大会の結果はどうなりましたか?」
「ロートリベスタ卿の捜索のため、中断されている。貴公が失踪するなど緊急事態だからな、平然と続けられるものか」
第三騎士団長は陛下により任じられた私の護衛役であり、エルリックは私を国賓として招いている身だ。
即ち、もしも私に何かしらの危害が及んだとすれば二人はかなりまずい立場に陥ることになる。
そのことを考えれば彼らは気が気でない思いだっただろうし、仕方が無いことだったとはいえそのような思いをさせてしまったことに関しては私が悪い。
重い空気を打破しようと思いついた話題を咄嗟に口にすると、藪蛇だったようで既に自信を漲らせた態度を取り戻しているエルリックから返ってきたのは私を咎めるような言葉。
「左様ですか。ですが、敬虔なベルフェリート人として私には精霊の意思を無視出来ませんでしたの。陛下にはご迷惑をお掛けしましたけれど」
「ふ、このような状況で卿を誰が責められるものか。ここぞとばかりに騒ぎ始める貴族共を抑え込むのは手間だったがな」
だが、私がしたことに正当性をもたらすためにはどのようなことを言われたとしてもあくまで精霊の意思だと胸を張っていなければならない。
敬虔なベルフェリート人などという自分でも失笑してしまいそうな言葉を真顔で口にしつつ、私は正面からエルリックの整った顔立ちを見据える。
図らずもボイコットする形となった剣技大会のことはカトリーヌ女史の問題の解決を図っている間も少なからず気に掛かっていたのだけれど、どうやら新たに同盟国となった隣国からの正使の失踪という事態を受けて中断されていたらしい。
よく考えるまでもなく、大会をしているどころではない事態なのだから中断なり中止されていても何も不思議ではない。
「しかし、精霊は陛下にも恩恵を与えられたかと」
「ああ。卿には見事という言葉を掛ける他無かろう。褒美に我が后にしてやってもよい程の功を立てたのだからな」
先にも述べたように、今回の一件で得をしたのは何も当事者であるカトリーヌ女史とラファエルだけではない。
結果としてエルリックにも利益をもたらしたのだから、多少の苦労には目を瞑ってほしいところだった。
……などと考えていると、にやりと笑ったこの国の王からいきなり巨大な爆弾が投げ込まれる。
「そ、それはつまり」
無論のこと、その意味の分からない私ではない。
そうなるように行動してきたのだから当然であるが、客観的に見て私はベルフェリート王国再興の英雄の一人である。
聞くところによれば、フェーレンダール王国も王妃選びに苦慮しているという。
ただでさえ貴族達を抑え込むことに苦慮している身、外戚に好き勝手されて事態を更にややこしくさせるようなことは避けたいのだろう。
だからといっていつまでも正妃の座が空位であればそれはそれで政争の種となってしまい厄介であり、いつまでも現状維持を続けるという訳にもいかない。
その点、私であれば。
貴族階級の人間であるので身分云々の問題は起こらないし、そもそもフェーレンダール人ではないので外戚を作ることもなくて済む。
王妃が自国の人間ではないことに対して批判はあるだろうが、私が太陽神の意志を衆人環視の状況で示してみせたからには文句のつけようなどあるはずもない。
それどころか、神意を示すことが出来る私を娶ることが出来ればエルリックの王権は更に強化されることとなるだろう。
即ち今日この時、エルリック・フェンドロードにとってサフィーナ・オーロヴィアは最も都合のいい王妃候補になったということだった。
ひとまず困ったような素振りを見せつつ、私は内心で事態を冷静に俯瞰する。
「はっきりと言ってやろう。私の后となれ、サフィーナ」
「申し訳ありません。私は我が国の陛下に忠誠を誓った身。まずは陛下のご尊旨を伺いませんと……」
だが、生憎と私は彼の思惑に乗ることは出来ない。
オルタナシア城の七階でフォルクス陛下に誓った通り、あの方が愛されたベルフェリート王国という国を私も愛しているし今後も護っていかなければならない。
大切な人を護れるための力を手元に持っていたいという私の個人的な思いを別にしても、祖国に忠誠を捧げた身として他国に嫁ぐ訳にはいかなかった。
陛下の下で再び宰相ないしそれに準ずるような地位に就き、今度こそあの方が愛された国に繁栄をもたらさなければ。
――それに、一度失敗している身としては心の通じ合わぬ相手と結婚するなどもうごめんである。
政略結婚にメリットがあることは否定しようのない事実であるが、相手に裏切られる可能性という多大なデメリットを考慮すれば私には不要なものだった。
利害だけで結ばれた婚姻関係など、私は金輪際信用はしない。
この身がロートリベスタ家の当主という地位にあるからには跡継ぎのためにいずれ結婚は避けられない未来であるけれど、その相手に心が通わない人物を選ぶつもりは毛頭無かった。
ともあれそれは私の私情、言うなれば我が儘でしかない。
私が正使という立場でここに立っている以上、私一人の独断で隣国の王からの求婚をきっぱりと拒絶して両国間の関係に無用なしこりを残す訳にもいかないのであり。
結果として、陛下の名前に託けて言葉を濁すことにする。
「ならば親書を認めてやろう。貴国の聖女に求婚したいとな。ベルフェリートに戻ったらレオーネ殿に渡しておいてくれ」
「……かしこまりました」
ここで明確な答えを出すことを避けた私に対して、親書という形でこちらの逃げ道を塞ごうとするフェーレンダール王。
わざわざ公式な親書を認めて正使たる私に託けようとは、エルリックはかなり本気らしい。
まあ時計をくれた時からその気があるのかもしれないとは推測していたけれど、今回の一件は導火線に火を点けるようなものだった訳だ。
そのレオーネ陛下からも非公式にとはいえ求婚されている私は面倒な事態に陥ったことに溜め息を吐きたいような気分になりながらも、それを表に出さぬように頷いた。
何しろ、二人の王の間で板挟みなのである。
普通の令嬢であれば最高の玉の輿だと大喜びするのだろうけれど、生憎とどちらの元にも嫁ぐ気が無い私からすればこれが面倒事でなければ一体何だという話だった。
しかしながら、相手国からの親書を持ち帰るというのはれっきとした正使の仕事の一つだ。
私がベルフェリート王国の正使という立場でこの場所に立っている以上、エルリックの言葉を拒絶することは出来なかった。
無論のこと、彼も私が易々とは断れないのを知っていてこの話をしている訳で。
「もう休んでもよいでしょうか? 申し訳ございませんが、疲れておりますの」
「構わん。剣技大会は三日後より再開する。それまで休んでいろ」
今の私は、さながら地雷原に立たされているようなものだ。
これ以上フェーレンダール王と長話を続けていたら、一体いつ更なる爆弾が飛び出してくるか分かったものではない。
それに、いつまでもレナータ嬢に一人で不安な思いをさせておくことは私の本意ではない。
なので穏便に話を切り上げようと申し出ると、彼は鷹揚に頷いて王宮の方へと戻っていく。
整った横顔が何か考え事をしている様子なのは、親書の文面を考えているのだろうか。
――あくまでも私が見たところだけれど、陛下とエルリックは性格的に相性が然程良くない。
どちらも一国の王らしい傲岸さは持ち合わせているのだけれど、微妙にその性質が異なっていると言えばいいのだろうか。
少なくとも私には二人が直接会話を交わして意気投合する光景は互いの立場や利害関係などの要素を差し引いても想像出来なかったし、それはたとえ親書の文章を通してのやり取りであっても同様だろう。
つまりは、いざとなれば板挟みになっている私が上手く両者の間を取り持たなければならないということだ。
「ありがとうございます、クラスティリオン卿。……はぁ」
ごく自然にエスコートをしてくれた第三騎士団長に礼を言いながら馬車に乗り込むと、私はここまで我慢していた溜め息を思わず吐く。
次から次へと新たな面倒事が生まれることにはうんざりとせずにはいられなかった。
とはいえ、私の立場と力ではどうしようもないことで頭を悩ませても仕方が無い。
レナータ嬢への詫びとして何か菓子でも買っていこうかと思考をポジティヴに切り替えると、私は停止させていた馬車に出発を命じたのだった。
タスク過多と体調不良のため、来週はお休みをいただくかもしれません。
本日の更新分は何とか間に合いましたが、昨日から体調が非常に優れないのです。
ですので、もし来週のこの時間に更新が無ければ調子を崩したままなのだと思っていただけましたら。
無論、書ける限りは全力を尽くしますけれど。




