14. 侯爵家の秘密(8)
カトリーヌ女史本人の協力を得られたのはいいが、問題はどのようにしてその事実をラファエルに信じてもらうかである。
単に誰かの証言だけでどうにかなるのならばここまで関係が拗れることはそもそもなかっただろうし、何かしら明白な証拠の提示が必要であることは確かだった。
けれども、ここはフェーレンダール王国である。
ここが日本ならば科学技術の力で証明など容易であるが、この世界にはそこまでの技術や医療水準は存在していない。
だからこそ、何か別の形ではっきりさせることが必要なのだけれど、これはかなりの難題だろう。
何しろ、それを知った者に悪意があれば悪用することも可能な情報なのだから、亡き前侯爵もそうそう証拠となるようなものを遺しておくはずがない。
本当であればいずれ自分で話すつもりだったのだろうが、ラファエルが爵位を継いだ年齢からして、恐らくはその前に急逝したのだと思われる。
証拠が残っていないとなれば、それを彼が納得してくれるような形で証明することは至難を極めると思われた。
だが、諦める訳にはいかないだろう。
前侯爵は家と妻の面子を護りたかっただけであるし、亡きルイーザ女史は血が繋がらない息子を実の息子のように愛しただけ。
ラファエルは自分に愛情を注いでくれた育ての母を慕っているだけであり、カトリーヌ女史はただ実の息子から母と呼ばれたかっただけなのだ。
全員が善意で行動した結果があまりに不幸なことにすれ違いに繋がってしまったに過ぎず、誰一人として悪者などいない。
だからこそ、悲劇に繋がってしまう前に憎み合いを止めなければならなかった。
それなりに進んでいるとはいえ未だ電気や火薬、原動機といったものを知らないこの世界の技術水準で、二人が母子であることを証明する。
いかにそれが無理難題であるかは、火を見るよりも明らかだった。
ヨルンが納得したのならばそれと同じようにラファエルも納得させられるのではとも考えたが、尋ねてみたところ、彼は単にマテウスの説明を聞いて納得しただけであるらしい。
憎しみ合いが家督争いにまで既に発展してしまっている上に、私自身も何故だかラファエルに嫌われているようなので、生半可な説得ではただ今以上に嫌われるだけで終わってしまうだろうことは想像に易かった。
とはいえ、先述したように私とカトリーヌ女史が接触していることが発覚するのはまずいので数日以内に解決してしまわなければいけないし、例えばエルリックに助力を求めたりするのも難しい。
それに、ともすれば死地になりかねなかったこの館にレナータ嬢を連れてくる訳にはいかなかったので、彼女を王宮の部屋に残してきている。
クララの部下を我が国の使用人の振りをさせて残してきているので、彼女が本当は侍女ではないことが発覚することは無いと思うけれど、何日もそうした状態では彼女に不安な思いをさせてしまうし、そういった意味でも早急に解決して王宮に戻らなければならない。
そして、ラファエルが宰相としての仕事を優先して王宮に詰めていることが多い以上、王宮に戻る時は彼を説き伏せる材料が揃った時である。
どうすればよいかと、あの後空いている客間に通された私は、椅子に座りながら物思いに耽っていた。
いくら極秘の事実であるとは言えども、セルージュ家とミュトラール家の取り引きであるという一面がある以上、さすがに一切何の書類も残っていないということは無いはずだ。
当然、カトリーヌ女史を愛人として迎え入れた際にはそれ相応の利益供与がミュトラール家へとされているはずであるし、そのことに関する書類は必ず残っている。
確実性という点で言うならば、セルージュ家の本邸にクララ達を潜入させて、それの存在を確かめてきてもらうのがいいだろう。
とはいえ、いくら彼が優秀な密偵であるとは言っても、どこにあるのかの目星もついていない状態で膨大な書類の中から目当てのものを探すのでは、それなりに時間を要してしまうだろう。
ある程度の目星は、こちらでつけておくべきである。
そもそも、嫡子に母のことを伝えておく暇も無い程の急逝であったのならば、爵位を継いだ直後のラファエルは前侯爵である父から領地の運営に関する引き継ぎをほとんどされていないはずだ。
いくら貴族として必要な教育を受けているので、能力的には十分に領地の運営を行っていくことが可能であると言っても、それはあくまで必要なデータが頭の中に入っていての話である。
軍勢の維持費や衣食住の購入費、維持費などの支出もそうであるし、領地からの税収入や領外との貿易による利益などの収入もそうだ。
他にも領内の税率や農産物の生産高、更には他の諸侯とどのような関係にあるか、有事の際に備えての物資の備蓄量など、領主としての仕事を果たすために最低限知っておかなければならないデータは数多い。
それらに関する知識が無ければ領地を運営することなど不可能であり、ということは彼は自分で遺された書類などにくまなく目を通して、領内の情報を把握していったはずなのだ。
にもかかわらず彼が未だ今回の件について知らないということは、もしかするとそもそも証拠になるような書類が本邸に存在していなかったという可能性も十分に考えられる。
ならばどこにあるのかと言われれば身内ではない私に分かるはずもないのだけれど、もしかするとこの屋敷のどこかにあるのではないだろうかという疑念が浮かんだ。
クララの報告によれば、ここは元々前侯爵の別邸のようにして使われていたものが、その死後にラファエルによってカトリーヌ女史に与えられたのだという。
彼の思惑とすれば、恐らくは義理とはいえ母でありしかも他家の出身である女史に対しての礼儀を失することなく、けれども仲の悪い継母を遠ざけたいといったところだったのだろう。
本邸に無いのならば別邸。
引き継ぎをする暇が無かったのならば当然何の書類がどこにあるかを纏めた目録も作られていないだろうし、もしかすると屋敷の倉庫かどこかを探せば目当てである書類が出てくるかもしれない。
もちろん見つからない可能性も高いけれど、どうせこちらにはっきりとした当てなど無いのだから、まずはこそこそとせずとも堂々と探すことの出来るこの屋敷の中から探し始めてみても損は無いだろう。
見つかったならば、それで今回の難しい問題はかなり解決に近付くことになるのだし。
ということで、私は隣の部屋にいるクララを呼ぶ。
「どうしたの、お嬢様」
「カトリーヌさんに頼みたいことがあるのだけれど、今は時間があるか尋ねてきてもらえるかしら」
元々、万が一カトリーヌ女史が実力行使に出た際に備えて屋敷内に潜入していた彼は、屋敷内をある程度自由に動き回るために侍女達が纏う服を身に着けてその中に紛れていた(別に私が指示した訳ではなく、本人がそれが最適だと判断したらしい)。
まだその変装を解かないままでいるクララのただでさえ少女と見紛わんばかりの美貌は、その上に薄く化粧を施されたことによって思わず見蕩れてしまう程に美しくなっている。
今の彼の姿を見て、実は男性であると一目で見抜くことが出来る者などまずいないだろう。
扉を開けて姿を見せたクララの姿を眺めつつ、私は彼に対して用件を伝える。
「分かった。聞いてくるよ」
私の言葉に頷くと、彼はそのまま退室していく。
カトリーヌ女史に時間があるのならば、このまま屋敷の中を探してもらえばいい。
クララの背中を見送った私は、しばらくの間これからの方策について物思いに耽る。
すると、少しして彼が戻ってきた。
「ただいま。ミュトラール様は大丈夫だって仰ってたよ」
「ありがとう。では、彼女の部屋に向かうわ。カルロを呼んで頂戴」
他に用件が無いのならば、これから彼女に探してもらえばいい。
私は、カトリーヌ女史の部屋に行ってこのことについて話すことにする。
「その必要は無いわ」
けれども、そう指示を出しかけたところで外から扉が開かれ、その向こうから一人の女性が姿を現す。
それが誰であるのかは言うまでもないだろう、暗い紅色のドレスがひどく似合っている彼女は、この屋敷の主であるカトリーヌ女史その人である。
相変わらず、少し陰のあるその姿はとても艶やかで美しい。
「ごきげんよう。貴女が何かよいことを思いついたようだから、こちらから伺うことにしたの」
「ご足労ありがとうございます。どうぞ」
「このままで構わないわ。これから、私は何かするのでしょう?」
どうやら、クララが尋ねたことで私が何かを頼もうとしていることを察し、こちらに来たらしい。
向こうから足を運んできてくれたことに感謝の言葉を述べると、私は彼女に席を勧める。
けれども、カトリーヌ女史はそれを辞した。
「どこから説明してよいのか難しいですけれど、貴女がこの家に嫁がれた経緯を考えれば、何も密約が無かったとは思えませんの。そのことを、現侯爵がご存知ないのは不自然だと思われませんか?」
「確かに、言われてみればそうね。つまり、あの人と私の実家との間に交わされた書面が、ここにあるかもしれないということかしら」
「ええ。ここはかつて前侯爵の別邸として使われていたと耳にしましたから、もしかするとどこかに眠っているかもしれません。それがあれば、現侯爵の説得も楽になると思うのですが」
相変わらず、思わずこちらが舌を巻く程に頭の回転が速い彼女は、私がほんの少し言葉を述べただけで残る大部分を推察してみせる。
きっと、ラファエルの並外れた実務能力も彼女から受け継いでいる部分が多くあるのではないだろうか。
とはいえ、私の考えを理解してくれたのなら話は早い。
カトリーヌ女史の言葉に頷くと、私は彼女に書類の捜索を依頼する。
「私もこの屋敷のことをくまなく調べた訳ではないから、もしかするとどこかに隠れているかもしれないわね。これから探させるわから、悪いけれどそれまで待っていてもらえる?」
「もちろんです」
その口ぶりからすると、もしかしておおよそありそうな場所には見当がついているのかもしれない。
こちらにそう伝えた彼女は、けれどもすぐに立ち去るのかと思いきや、悠然とした笑みを浮かべたままこちらに歩み寄ってくる。
「ごめんなさいね、毒など盛ってしまって。貴女が押し掛けてきたと聞いた時には、死を覚悟したのだけど」
少し戸惑っていると、カトリーヌ女史はそう言って私の身体を抱き締めた。
「何のことでしょうか? あの夜お贈りくださった焼き菓子は、全て美味しくいただきましたよ。今日は、そのお礼を申しに伺いましたの」
「……ありがとう、サフィーナさん」
それに対して、私はそんなシナリオを口にする。
言うまでもなく、毒を盛ったとなればとんでもない大事になるので、それを初めから無かったことにし、代わりにこれを真実にしてしまうつもりだった。
既に菓子は暖炉の火の中で灰になっているので、証拠などどこにも無い。
そんなこちらの真意に当然気付いたようで、彼女はそう感謝の言葉を口にする。
そして私の背中に回していた腕を離すと、カトリーヌ女史は私の頬に軽く口づけを落とした後、今度こそ部屋を後にしていった。
愛須さまより、ルウのとても素敵なイラストをいただきました。
これ程に美麗なイラストをいただけて喜びに堪えません。
改めまして、お描きくださいました愛須さまに心よりの感謝を申し上げます。




