10. 侯爵家の秘密(4)
2話纏めて更新しましたので、一つ前の話からお読みください。
馬車に乗って王宮に戻り、与えられている部屋に入った私は置かれているソファーに座り、会場にいる間中張り詰めさせていたために疲れた心を休めようとする。
「少し疲れたわ、カルロ。紅茶を淹れてきてもらえるかしら。レナータさんもお呼びして」
「畏まりました、お嬢様」
せっかくお茶請けになりそうな菓子も貰ったことであるし、カルロとレナータ嬢と三人で紅茶を飲みながら歓談でもしてくつろぎたい。
そう思い、私はカルロに紅茶を淹れるように頼む。
アネットの仕事を奪ってしまうことになるので、普段は彼はそういう仕事をしないけれど、それは別に出来ないということを意味している訳ではない。
それが仕事であるアネットに味に関しては少し劣ることは否めないが、カルロの淹れる紅茶も十分に美味しかった。
私は、ソファーの背もたれに身体を預けながら、準備が整うのを待つ。
「お疲れ様です、サフィーナさん」
「ありがとう、レナータさん。どうぞ、お座りになって」
すると、カルロに呼ばれたレナータ嬢が自分の使っている部屋から姿を見せる。
彼女が私の正面に腰を下ろすと、程なくして準備を終えたカルロがカップや皿を運んできた。
そしてそれぞれの前にカップが置かれると、彼もソファーに腰を下ろす。
カルロが持ってきた皿の上に中身を空けようと、私は布の袋に手を掛けた。
けれど、その動きは途中で中断させられることになる。
何故ならば、誰かに手首を掴まれたからだ。
「駄目だよ、お嬢様。そのお菓子には致死性の毒が入ってるから」
そして、それと同時に私に背後から声が掛けられる。
声のした方向を向くと、そこには私に仕える密偵であるクララの姿。
元々正使としてこの国に赴いた際にベルフェリート国内に残してきていた彼は、僅か数ヶ月のことなので当然といえば当然だけれど、私の記憶の中の姿と全く変わらないままにそこに立っている。
再会を喜びたいところだけれど、私が不在の間の領地を任せる形でアネットと共に残してきたクララがここにいるということは、ロートリベスタ家の領地を離れて遥かここに来るだけの理由があるということだ。
ましてや、彼は今しがた非常に重大なことを口にした。
久々の再会を祝うのは後回しになりそうだった。
「毒、というのは本当なの?」
「間違いないよ。セルージュ家の内実を探るためにミュトラール夫人のところにも部下を潜り込ませてるからね」
本当に菓子に毒が入っているのかと尋ねると、クララは間違いないと断言してみせた。
私は、彼の密偵の仕事のことは全面的に信頼している。
つまり、毒が入っているのは間違いないだろう。
「助かったわ、クララ。貴方のおかげね。この功績には、帰国したら必ず相応しい恩賞をあげるわ」
「いいよ、お礼なんて。お嬢様に仕える身として、当たり前のことをしただけだからさ」
具体的な種類に関してはそれこそ調べなければ分からないが、致死性の毒ということは、量的に考えて恐らく小分けにされた菓子を一つでも食べたらまずいということだろう。
食べてしまう前に止めてくれて、本当に助かった。
けれども、私は貴族である。
ただ安堵しているだけでは一つの家を束ね動かしている者として失格だ。
「それで、この菓子は確実にカトリーヌさんの手で、もしくはその指示で作られたものなの? 先程話した時には、手ずから作ったと仰っていたのだけれど、摩り替えられた可能性などは無いのかしら」
「俺も、ミュトラール夫人が自分で作っていたって報告を受けてるよ。その時に、自分で生地に鈴蘭の汁を混ぜてたみたい。念のために行方を確認させてたらお嬢様のところに持っていったから、慌てて止めに来たんだ」
「なるほど、ね……」
いくつか確認すると、私は思考に耽る。
分からないのは、カトリーヌ女史が私にこんなものを食べさせようとした理由だ。
そもそも、彼女が対立しているラファエルはこの国の国王であるエルリックの盟友なのである。
対立がセルージュ家の一族内だけに留まっているが故に現状のような暗闘が続いているが、もしも仮にこれを私が食べて命を落としていたとしたら、他国からの正使が自国内で暗殺されるなどという事態は外交的にとんでもない失態なので、是が非でも犯人を捕らえようとするだろう。
この菓子は晩餐会の場という他人の耳目がある場所で渡されているので、犯人がカトリーヌ女史であると突き止めることなど容易い。
そんな大義名分をエルリックに与えてしまえば、彼女は逮捕されるだけだ。
私が当初安全だろうと判断して食べようと思っていたのも、そういった理由によりどう考えても毒など入ってないだろうという判断があったからなのである。
端的に言ってカトリーヌ女史にとっても自殺行為であるとしか思えないし、彼女の考えが全く読めなかった。
いっそ、彼女が継子への憎悪に狂っただけの女性であると考えれば一応筋は通る。
先妻の息子であるラファエルが爵位を継いでいることが許せなかった彼女は、他国の使者が義子と仲がいいように見えたのが気に入らず、その人物のことも暗殺しようとしたのだと。
もしも暗殺が成功していたとしたら、きっと人々は犯行の動機をそう考えただろうし、後世に残る歴史書にもそう書かれただろう。
けれども、実際にカトリーヌ・ミュトラールという女性と顔を合わせ、会話を交わした私にはそれはとても信じられない。
断言してもいいが、私が向き合った彼女は絶対に嫉妬と憎しみに狂い我を忘れた女性ではなかった。
それどころかむしろ、彼女の瞳は確固とした理性と意志の強さを宿した人間のそれだ。
私との間に交わした会話も、彼女が優れた頭脳を持った有能な人物であることを証明している。
とても感情に任せて自殺行為をするような人物ではないし、そうであるからには私を毒殺しようとしたことにも何らかの理由があるはずなのだが、その理由がどうしても分からない。
私に手紙を送りつけたり話し掛けてきたこともそれ程得策だとは思わないが、とはいえこれに関しては私がラファエル側につくことを警戒しての牽制であったと考えれば説明はつく。
だが、毒に関しては説明のつけようがない。
ラファエルを爵位から引きずり下ろして代わりにその弟を侯爵にするどころか、間違いなくカトリーヌ女史は処断され、ともすればセルージュ家自体が大幅に領地を削られたりするような厳罰を与えられてもおかしくない自殺行為だ。
一体何が目的なのだろうかと、紅茶を飲みながら頭を悩ませても答えはいっこうに出ない。
「とりあえず、証拠はこっちで抑えてあるから、お嬢様がその気になればいつでも告発出来るよ」
どれ程考えても答えが出なさそうだったので、カップを置いて一度頭を休めると、それを待っていたらしいクララがそう報告してくる。
私の手には証拠があり、この国の王であるエルリックにはカトリーヌ女史を逮捕したい動機がある。
ましてや、自国の貴族が他国の正使を暗殺しようとした証拠を張本人である私が持っているということそのものがフェーレンダール側から見れば外交的な大失態であるし、私がエルリックに働き掛ければ、明日にでも彼女が住んでいる館を兵が取り囲むだろう。
「……いいえ、まだやめておくわ。もう少し様子を見ましょう」
けれど、私は今の時点ではそれをするのはまだやめておくことにする。
何故ならば、彼女がどれくらい暗殺失敗の可能性を想定していたかは聞いてみなければ分からないけれど、成功しようと失敗しようともいずれにせよ数日中には逮捕するために屋敷に兵が送り込まれることになるのだ。
私には自殺行為だとしか思えないが、正否を問わず兵が来るであろうことは分かりきっているのだから、カトリーヌ女史はそれに対する何らかの備えをしているはずである。
逆に言えば、私が無事に生き延び、かつ暗殺されそうになった事実を握り潰すという最も可能性の低い行動を取ったのみ彼女の予測は裏切られることになる。
何しろ、ここまで考えが読めない相手は初めてなのだ。
向こうが一体どんな手を打っているのかが分からない上にこちらの態勢も万全には程遠い以上、ここは慎重に様子を窺うべきだろう。
「分かった、お嬢様がそう言うのなら。でも、こっちで警戒は密にしておくね。お嬢様が食べるものは、全部材料から俺達の目が届くようにするから」
「ええ、頼りにしているわ。私の命は預けたわよ」
「もちろん、必ず護り抜いてみせるから安心して」
警戒を密にするというクララに、私は頷く。
表ではカルロが、裏ではクララが護ってくれているから、私は安心して生きていられるのだ。
二人の働きには心から感謝していた。
「さて、驚かせてしまってごめんなさい、レナータさん。これまでのことは、全て演出ですの。レナータさんに、毒というものの怖さを知っていただこうと思いまして」
私は、カップを片手に呆然としているレナータ嬢に声を掛ける。
もちろん私が毒殺されかけたのは事実であるし、演出だということこそ嘘なのだけれど、恐怖で顔を引きつらせた彼女に安心してもらうためには仕方がない。
レナータ嬢に安心してもらいつつ、なおかつせっかくの機会なので毒の怖さを覚えてもらおうという企みだ。
古今東西、貴族だとか王族などと呼ばれる身分の人々にとって最も怖いものが毒であることは変わらない。
貴族というのは、食事さえも気をつけて食べなければいけない職業なのだ。
彼女も貴族になるからには絶対に毒の怖さを知っていなければならないし、見方を変えればそれを伝えておくいい機会だろう。
「え、そ、それじゃあサフィーナさんが命を狙われたとかじゃなくて……?」
「ええ。袋の中の焼き菓子は、本当に毒の入ったものを用意しましたから食べられませんけれど」
「よかったです。私、サフィーナさんに何かあったらと思うと怖くて気が気じゃなくて……」
きっとそれまで緊張し過ぎていたのだろう、安心した拍子に、涙を流し始めるレナータ嬢。
これに関しては、ここまで心配させてしまった私が悪いだろう。
本当は命を狙われているのにもかかわらず何事もないと騙すような形になっていることに少し罪悪感を覚えながらも、ソファーから立ち上がった私は、彼女の傍らに立つとその頭を抱き寄せて、そっと髪を撫でる。
「本当にありがとう、レナータさん。そうして心配してくださったことは、とても嬉しかったですよ。それと、急に驚かせるようなことをしてしまってごめんなさい」
「いいんです。サフィーナさんが私のことを思ってくださっているのは知っていますから……」
これは私の本音であり、だからこそこれ以上レナータ嬢を心配させてしまう訳にはいかない。
急に貴族社会の中に放り込まれてただでさえ不安に支配されているだろう彼女にこれ以上不安を増やす訳にはいかないので、何としても彼女の前では何事もない振りを続けることを決意する。
せめて、彼女が泣き止むまではずっとこうしていよう。
そう思いながら、私はレナータ嬢の然程長くはない髪を撫で続けていた。




