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9. 侯爵家の秘密(3)

 同年代の少女の会話に混ざろうというのは、あくまでも私からこの国の諸侯に話し掛けないことで危険な状況に陥る可能性を少しでも減らすための小細工に過ぎず、例えば現在のように向こうから話し掛けて来ることまでもを防げる訳ではない。

 向こうから話し掛けられれば、当然応じるしかなかった。


「ごきげんよう。偉大なるベルフェリート王国が侯爵、サフィーナ・オーロヴィアです」


 私が一国の正使という立場でこの場に立っている以上、どれだけ気が進まずとも無視する訳にはいかないので、仕方なく振り返る。

 すると、そこには紫を基調とした落ち着いたデザインの、けれども地味という訳ではない上品なドレスを纏った一人の女性の姿があった。

 身長はヒールの高さを差し引いても百六十センチ台半ばはあるだろうか、この文明水準の世界の女性としてはそれなりに高い部類に入るだろう。

 やや釣り目気味で気の強そうな印象を与えてくる彼女はけれども相当な美女であり、正面から見つめ合うような形になった瞳の奥には、ともすれば圧倒されそうになる程に強い意志の光が宿っていた。

 そのように相手の様子を窺いつつも、私は挨拶をする。


「カトリーヌ・ミュトラールです。一度貴女とはお話したいと思っていたの」

「光栄ですわ。では、私はカトリーヌさんとお話して参りますので」


 すると、彼女も同じように自分の素性を名乗る。

 やはりと言うべきか、この人物こそ先代のセルージュ侯爵の夫人にして、ラファエルの義母であるカトリーヌ・ミュトラールであるらしい。

 隣で目に見えて青褪めているマリア嬢達が可哀想なので、私は彼女達にそう声を掛けると、カトリーヌ女史と共にその場を離れ、会場の片隅に向かう。


「それで、私にお話とは一体何でしょうか?」


 渦中の人物である彼女と話しているためか、遠目にこちらに注目が集まっているのを感じつつ、私は彼女にそう尋ねる。

 もし自分に味方しろという誘いならば、この場ではっきりと拒絶しなければならない。


「特に用がある訳ではないの。ただ、サフィーナさんの噂は私もいろいろ耳にしているから、お話してみたくなっただけ」

「貴女のお耳に届いているのが、よい噂ならいいのですけれど」

「それはもう。あの子の婚約者になるかもしれないという話も届いているわ」


 状況を考えれば仕方ないとはいえ、半ば皮肉のぶつけ合いのようになってしまう会話。

 一瞬誰を指しているのかよく分からなかったが、この場合のあの子という三人称代名詞が指しているのは恐らくラファエルのことだろう。

 少し表現に違和感を覚えたが、街中を案内されたりして、一見私と彼が親密であるかのように見えることを皮肉っているのだと思われた。

 冷たい笑みを浮かべる彼女との会話は、一瞬たりとも気が抜けないようなものになっていく。


「婚約者でしたら、貴女が素敵な方をご紹介なさるのでは?」

「ふふ、サフィーナさん程素敵な女性がそうよく見つかるかしら」

「そのような。私など、カトリーヌさんのような素敵な女性になれたらと憧れるばかりですのに」

「お上手ですのね。――あら、噂をすれば。では、私はこれで失礼しようかしら。お近付きの印に、どうぞ」

「これは」

「焼き菓子を久々に焼いてみましたの。亡き主人が、喜んで食べてくれたのを思い出しますわ。機会があったらまたお会いしましょうね」


 あたかも言葉の剣を使ってフェンシングをしているかのような張り詰めた空気の中、目を細めて一瞬どこかを見るカトリーヌ女史。

 すると、彼女は会話を打ち切ってこちらに何かが入った布袋を手渡してくる。

 受け取った後に中身を尋ねると、浮かべていた笑みを深めさせた彼女はそれが焼き菓子であると答えた。

 そして亡き夫のことを懐かしんでいるのか、最後にそう口にしたカトリーヌ女史は、この場を後にする。

 晩餐会の場でこのようなものを手に持ちながら歩くのはいささか無作法なので、とりあえず私は今しがた貰った菓子の袋をドレスの中に仕舞う。


「あの女と一体何を話していたのだ?」


 そんな私に、横合いから声が掛けられる。

 声のした方向を向くと、そこには今宵の晩餐会の主催者にして現セルージュ侯爵であるラファエルの姿。

 主催者が自らこんな会場の片隅にまで来ていていいのかとも思ったが、どうやらカトリーヌ女史は義理の息子である彼がこちらに近付いてくるのを察して、この場から離れていったらしい。

 ラファエルの近くにいるのも嫌なほど彼のことを嫌っているのか、或いは単に面倒事を避けただけなのだろうか。


「ただの世間話ですけれど……。素敵なお母様なのですね」

「ふざけるな。賢明な貴女なら事情は分かっているはずだ」

「突然そのようなことを仰られましても、一体何のことか」


 私が彼女と話していたのが不快なのだろうか、苛立った様子を見せる彼に対して何も知らない振りを装う。

 そもそも、私が事情を知っているという証拠はこの場には無いのだ。

 苛立っているせいか、普段の棘はあるけれど優雅な態度が少し崩れているラファエルに対して、あくまでも知らない振りを貫く。

 まあ、世間話をしていたのは確かなので、一応嘘を言っている訳ではない。

 出来ればこのまま、話をはぐらかして部屋に戻りたいのだけれど。


「知らないと言うのならば、この場で説明して差し上げよう。あの女は私の本当の母ではない。父の後妻だ」


 ……やられた。

 どうやら、苛立っていても頭の回転まで鈍ることはなかったらしい。

 さすがはこの若さで一国の宰相を務めている人物だと言うべきか、私が知らぬ存ぜぬを貫けないような手を打ってきた。

 このように説明されてしまっては、嫌でも事態を知らなければならなくなる。


「まあ、それは……。家族で争わなければならないなんて、お辛いでしょうね」


 渋々、仕方なく私はそう事態を認める。

 セルージュ侯爵家で起きていること自体は、我が国でも度々あったような然程珍しいものではないのだ。

 有力な棟梁を失えば、途端に一族、家族で権力を争わなければならないことも儘ある。

 もっともそれは、集団を国に、一族を諸侯に置き換えてみても同じなのだが。


「心配せずとも、あのような女狐は一月以内に抑え込んでみせよう。――私が言いたかったのはそれだけです」


 協力しろ、もしくは自分に味方しろと言われなかったことに、私は首を傾げる。

 てっきりラファエルはそのために私を招待したのだと思っていたのだが、違ったのだろうか。

 こうなると彼の思惑もよく分からないが、とはいえこの状況でわざわざ自分から藪を突きにいくこともない。

 私は、そう言い残して離れていくラファエルの背中を黙って見送る。

 ともあれ、敢えて事態をポジティブに考えるとするならば、まがりなりにも今の会話で招待主である彼に挨拶をしたことになるので、このまま会場を立ち去っても非礼には当たらない。

 私としても、自分の利害に無関係であるにもかかわらず気を休められない場所に長居するのはあまり嬉しいことではないし、早々に部屋に戻って休んでしまうことにする。

 少し離れた場所から心配そうにこちらを見つめているマリア嬢達に安心してもらおうと笑みを向けて会釈をすると、私は壁際に控えていたカルロを呼び寄せて、会場を後にしたのだった。


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