5. 初戦
そして翌日。
昨日は騎士団長が無事に初戦を突破したのであるが、今日はカルロの初戦である。
私はせねばならないことが特に無いので、余った時間を用いて昨日から大会の最終日までのカルロの三食の献立を全て組み上げており、それに基いて厨房に注文した食事をレナータ嬢も含めて三人で共に取っていた。
単に栄養学的な効率だけではなく、彼は私相手には決して何が苦手な食べ物かなどを口にしないので、さりげなく実家にいた頃に侍女に聞き出してもらった(アネットが尋ねると警戒するだろうから他の侍女に頼んだ)好き嫌いも考慮してメニューを組んだのだが、どうやら満足してくれたようだった。
幼い頃から早く剣を振るいたいという以外の望みを口にしているのを聞いたことがないし、最近でもいい剣を買い与えると言っても頑なに遠慮したりすることなどもそうだが、全般的にカルロは私に憚ってあまり自分の好みを明らかにしない傾向がある。
休みとて、通常であればいくら常に主の傍に侍っていることが原則の侍従であっても月に一度くらいは取るものであろうに、彼の場合はあまりに休みを取らないのでこちらから与えると言っても遠慮するくらいであった。
もちろん彼がそれ程に忠誠を誓ってくれていることに関しては嬉しいのだが、だからこそそれに対してはきちんと報いたいと思っているので、遠慮ばかりして何が好きかや何が欲しいかなどの意思を全く示してくれないのもそれはそれで逆に困り物なのだが。
まあそれについては追々考えるとして、食事を終えるとカルロは早速大会のための準備に入る。
出場者は先に会場に行っていなければならないので、観衆の立場である私よりかなり早くに部屋を出ることになるのだ。
「ロートリベスタ殿、よろしいか?」
「ええ、お入りください」
しばらくして、外から扉が叩かれると共に騎士団長の声が聞こえ、私は入室を許諾する旨の言葉を返す。
すると、銀糸が綴られた白銀の軍服に身を包んだ彼が姿を見せる。
「おはようございます、クラスティリオン様。本日はご足労いただきありがとうございます」
「貴女をお護りするのは私の役目です。いかなる危機が訪れても、貴女の肌には決して触れさせないと約束致しましょう」
「とても頼もしいですわ」
参加人数が然程多くなく、整然と日程が進んでいく貴族部門とは違い、平民部門の場合は試合がある日の拘束時間がそれなりに長い。
私の侍従であるカルロが試合の準備のために会場に行っている時は、彼は私の傍から離れることになるので、つまりその間私の傍らには侍従がいないことになる。
現在地は国外であり、かつ私はベルフェリート王国の正使という立場なので、身近に護衛がいないのは何かとまずい。
そこで、彼の試合のある日は、代わりに騎士団長が護衛を務めてくれることになっていた。
貴族であるからには身の安全には常に気を配っているが、カルロと互角に戦ってみせた程の人間離れした強さの彼が護衛であれば、カルロ不在の間も安心して過ごすことが出来るだろう。
護衛のために部屋を訪れてくれた彼と、私は挨拶を交わす。
「カルロ、君の腕前ならば必ずや優勝出来るだろう。私も観戦を楽しみにしている」
「ありがとうございます。差し出がましい言葉ですが……。お嬢様のことをお頼み致します」
「ああ。ロートリベスタ殿の安全は私の剣と誇りにかけて必ず護り抜く故、憂いなく全力で試合に臨むといい」
既に準備を終えて自らの代役である騎士団長の到着を待っていたカルロに対して、彼がそう声を掛ける。
やはり、実際に戦場で剣を交えた二人の間には、傍目から見ているだけの私以上に互いの腕前への理解と信頼があるのだろう。
言葉を交わす二人からは、何か言葉以上のものが伺えた。
「では、行ってまいります」
「カルロ」
「はい、お嬢様」
元々、準備自体は既に終わっている。
騎士団長とのやり取りを終えると、会場へと向かうために立ち上がり扉の方へ向かったカルロを、私は呼び止めた。
「貴方なら、誰が相手でも勝てると信じているわ。だから、勝って必ず無事に私の許に帰ってきなさい。私の侍従は、ただ一人カルロ・レシュリールだけよ」
「お嬢様の御心のままに!」
声を掛けた私にその場で礼をしてそう答えると、革の鎧に身を包んだカルロは部屋を後にする。
幼少の頃に、彼と引き合わされてからもう十年近くになるだろうか。
私がサフィーナとしての生を受けて以来、最も長い時間を共に過ごしてきたのはカルロであるし、また最も多くカルロと共にいたのも私である。
誰よりも彼の成長と強さを傍で見てきたからこそ、誰よりも私は彼のことを信じていた。
「そちらにお座りください。茶をお出ししますわ」
カルロが会場に向かうと、室内には騎士団長との二人きりになる。
まだ彼の試合までにはそれなりに時間があるので、わざわざ私のために出向いてくれた騎士団長を労うべく、室内にある円卓に座ってもらう。
アネットは領地に残って侍女達の教育をしてもらっているし、まだ貴族社会の右も左も分からないだろう彼女を残してくるのが不安だったので身分を隠してもらい侍女という名目でレナータ嬢が同行しているが、まさかエクラール家の次期当主である彼女に侍女としての仕事をさせる訳にはいかない。
まだロートリベスタ家にはアネット以外の侍女がいないので、つまり同行している侍女が(名目上はレナータ嬢がそうであるが)誰もおらず、また私は正使であるので外交機密的な理由でこの王宮の侍女を部屋に入れていない。
なので、専用の簡易のキッチンへと近付いた私は自分で火を点けて湯を沸かしていく。
本当は、侯爵である私が身内ではない騎士団長の前で手ずから細かな作業をするのはロートリベスタ家の面子的な意味であまりよくないのだが、茶を淹れるくらいならばこだわりが強く自分で淹れなければ気が済まない者も珍しくはないので大丈夫だろう。
水面を眺めながら、私は湯が沸くのを待っていた。
騎士団長と二人で茶を飲みながら話をして時間を潰した私は、彼と共に剣技大会の会場へと向かう。
平民部門であり、しかも一回戦ということで、当然王であるエルリック達は臨席しないし、見物している貴族の数もそれ程多くはない。
貴族用の席の、空いている場所に騎士団長と共に腰を下ろす私。
とはいえ、一回戦にしては席が埋まっている方だろう。
心なしか、昨日の貴族部門の時と同じく周囲には若い令嬢の姿が多いように感じる。
先述のように、平民部門の初戦や二回戦はかなりの過密日程であり、一日に行われる試合数もかなり多い。
なので、私達が到着した頃には既に眼下では試合が始まっていた。
もちろん、カルロの出番はまだ先であるので、しばらくは他の参加者の試合を眺めることになる。
剣技大会には、基本的に参加資格が決められていない。
予選を行う形にすると本選の参加者がどこかの貴族の息が掛かった者ばかりになってしまう可能性が高くなるので予選も行われておらず、本戦の緒戦が一種予選のようなものだと言える。
また国によるが少なくともベルフェリートやこの国では他国からの参加者も(ただし優勝しても騎士には取り立てられないが)特に禁止されていないし、つまりはそれこそ賊や罪人として追われていたりする者でなければ誰でも参加出来るということだ。
誰でも参加出来るということは、参加者間の実力差も大きいということである。
それ故に、初戦や二回戦は一方的な展開で勝敗が決することが多いのがお約束だった。
片方が相手を圧倒すればその分試合は早く終わるということであり、早く終わる試合がかなり多いので、それだけ限られた時間内に多くの試合を行うことが出来る。
予選も参加資格も無しで大会が運営出来るのも、このことが理由の一つだと言えるだろう。
眼下では、次々と試合が始まっては勝敗が決し、どんどんとスケジュールが消化されていく。
やはり武人であるためか、隣では騎士団長が熱心に試合を観戦していた。
真剣な表情でアリーナを見下ろす彼の整った顔立ちは、まるで芸術のようにとても美しい。
そして、数十分程観戦を続けていると、遂にカルロの出番となる。
いつも通り革の鎧を身につけ、騎乗してアリーナに姿を見せた彼。
当然であるが、カルロが馬に乗るのは基本的に私がヴァトラの背に乗る時のみであり、そうした時には彼は私のすぐ傍らで馬を並べて駆けることになる。
騎乗時とそうでない時とでは、見える景色はもちろん違う。
こうして隣以外の場所から彼が騎乗している姿を見るのは、幼少時に彼が乗馬の訓練をしている姿を目にして以来であり、かなり新鮮だった。
入場したカルロがこちらに顔を向けると、私と視線が合う。
すると、周囲の貴族用の席に座る令嬢達から大きな歓声が上がった。
束の間視線を重ねると、彼は再び相手の方に向き直り、そして腰の鞘から剣を引き抜く。
以前私が与えた青鈍色の鞘の剣ではなく、彼が私の侍従となった時に与えられたものだ。
彼が剣を構えると、対戦相手の男は目に見えて動揺を見せる。
客席であるここにいても剣が抜かれると同時に空気が変わったことがはっきり分かるくらいなので、至近距離で向かい合っている対戦相手の男にとっては尚更だろう。
とはいえ相手の男も剣を引き抜くと、互いに馬を駆らせて相手へと迫っていった。
陛下が剣圧、騎士団長が剣技ならば、同等の強さを持ったカルロの最も抜きん出た点は剣速だろう。
彼へと向けて剣を振るおうとする対戦相手であるが、カルロは腕が半ばまで動くよりも早く相手の胴体の鎧で護られた部分を剣で打った。
当然、それは剣の動きが圧倒的に早いからこそ可能なことである。
攻撃を受けた相手はそのまま衝撃で落馬し、カルロの勝ちが宣言された。
見事に圧倒的な勝利を収めた彼は、鞘に剣を戻すと、再びこちらに視線を向ける。
目線があった彼に、微笑みを返す私。
周囲では再び歓声が起こる中、私は彼の勝利に対してまるで自分のことのように誇らしい気持ちを覚えていた。




