ex.11 友情と野心
元来山城として築かれたフェーレンダール王国の首都の最奥。
その場所を街としてではなく山として捉えた場合には頂上に位置する地点に位置する王宮の四階、執務室と呼ばれている部屋には、柔らかな長椅子に身体を預けて向かい合う二人の男の姿があった。
彼らの手には葡萄酒の入った硝子の杯があり、場の雰囲気も張り詰めておらず穏やかである。
「どうだ、サフィーナとの逢引きは楽しかったか?」
にやにやと整った顔立ちに悪戯げな笑みを浮かべた男が、杯を傾けて酒精を楽しみながらもう一人の男に対して話し掛ける。
その瞳は左右で色が異なっており、彼が誰であるのかは一目瞭然であった。
そう、フェーレンダール王国の若き国王、エルリック・フェンドロードである。
「……私はただ君に押しつけられた職務を果たしただけだ」
それに対して、話し掛けられた男は軽くエルリックを睨みながらそう言葉を返す。
葡萄色の髪をした彼は、この国の宰相に異例の若さで任じられたラファエル・セルージュ。
王位にあるエルリックに対して、唯一このような言葉遣いを許されている存在であった。
「そう言うなよ。せっかく素直ではないお前のために適当な名目を取り繕ってやったのに。それより、逢引きはどうだったのかを聞かせてくれ」
「君が楽しんでいるだけだろう。私は命じられた仕事をしただけで、それ以上のことは何もない」
悠然とした態度を崩さない主君をなおも睨むと、普段と変わらない口調で言葉を返すラファエル。
先程市街地へのサフィーナの案内を終えて王宮へと戻ってきたばかりである彼は、そのまますぐに主君であるエルリックによってこの部屋に呼び出されていた。
他国の正使が相手とはいえ本来街の案内は宰相位にある者の仕事ではなく、それを強引に押しつけてきた主に対して彼は不満げな様子を見せる。
「照れ隠しに冷淡な態度を取るのもいいが、そのことを知らないサフィーナの前でもそうした態度を取っていては嫌われるぞ?」
「だから他意はないと言っているだろう」
「嘘だな。お前は本当に興味が無い相手には関心すら示さない。仮にもお前とは幼馴染なのだ、サフィーナに好意を抱いていることくらい分かるさ」
年齢が一つしか違わない彼らは幼い頃から互いのことを知る親友同士であり、故にもし嘘を吐いたとしても大抵のことは相手に見破られてしまう。
簡単に論駁されてしまい、ラファエルは返答に窮して黙り込む。
「まあ、お前の反応を見るに全く進展は無かったようだな。好きな相手に対すると冷淡な態度を取り始める面倒な性格では、さもありなんと言ったところだが」
「余計な世話だ」
自分のことをよく知る親友のまるで見てきたかのような言葉に、そう言い返す彼。
だが、それに対しエルリックは再び先程のものと同じ笑みを浮かべさせる。
「共に諸侯を抑え込み、宰相に任じた腹心。そして友でもあるお前の恋愛の世話を焼くのがそれ程不自然か?」
「……そうだな。誰よりも傲慢で、自分が楽しむためにこちらを強引に振り回して、それでいて世話を焼くことも忘れない。君は昔から変わらない」
「お前こそ、無駄に堅物で、しかも素直ではない性格は昔から変わらないがな。私が引きずってやらねば自分の望みさえ素直に叶えられないのは、最初に会った時からそうだった」
「君の悪戯の後始末をどれだけ私がしたと思っているんだ。そのせいですっかり振り回されるのに慣れてしまった」
まだ幼少だった頃の出来事の数々を思い出して溜め息を吐きながらも、しかし穏やかな表情をしているラファエル。
互いの性格をよく理解し、それをよしとする関係が二人の間には構築されていた。
「ならば、此度も覚悟をしておくがいい。私が世話を焼かねば、面倒な性格のお前は一生誰とも結ばれそうにないからな。また何か口実を作って逢引きさせる故、その時はもっと素直になれよ」
「それを言うなら、君こそ未だ王妃を迎えていないだろう。早く迎えてくれという声を抑えるのが大変なのだぞ」
楽しげな表情で言葉を紡いでいた王であったが、ふとラファエルに言い返され、今度は彼が言葉に詰まる。
「せっかく諸侯を抑え込んだのだから、今更外戚などを作りたくないからな。それを前提にするとなかなか候補となる娘が見つからないのが問題だ」
「それはそうだが、このまま王妃不在の状態が続けば今度はそれが国内が乱れる原因になりかねない」
「分かっている。だから、以前よりお前に候補となる娘を探させているだろう」
「適した候補なら既に見つかっている。ロートリベスタ卿だ」
「……何を言っている?」
宰相が返した予想外の答えに、それまでの余裕が崩され僅かだが驚きの表情を浮かべるエルリック。
彼が一方的に生真面目なラファエルを振り回す形になることが多いこの二人の関係において、このように彼の側が余裕を崩されるのはかなり珍しいことであった。
見慣れない親友の表情を眺めながら、ラファエルはなおも言葉を続ける。
「他国の貴族であるが故に我が国に柵が無く外戚が生まれ得ない点、そして並外れた能力と容姿。私の私情はともかく、客観的に見れば彼女程君の后に適した人物はいないと断言出来る」
「その私情が最も重要な点だろう。彼女のことを好きなのは私ではなくお前なのだ。それに、私は昔からお前と欲しいものを取り合って勝ったことが無いからな。大人しくお前の世話を焼かせてもらうよ」
問い返した主へと、サフィーナを王妃として推薦する理由を挙げていくラファエル。
それに対し、エルリックは杯を傾けて葡萄酒を一口味わうと、幼い頃の出来事を持ち出しながらその気が無い旨を口にする。
「……君がわざと手を抜いて負けていたことに気付いていないとでも思っているのか? いつも、私が欲しいものを自分も欲しがる振りをして、わざと負けてくれていたことくらい分かっている」
「お前は初めて会った時からその歳にしてはだが非常に優秀であったし、それにお前の方が一つとはいえ歳が上だからな。とても勝てる気はしなかったよ」
「そうやって認めないのも君らしいな。だが、君とてロートリベスタ卿に好意を寄せているだろう。私は君を応援させてもらう」
「いいのか?」
中に残っていた葡萄酒を全て飲み干して杯を机上に置くと、親友の言葉を遮るように一言そう口にするエルリック。
その表情には比較的穏やかだった先程までとは違い、強い野心と傲慢さが現れていた。
いきなりの豹変に、その表情を見慣れている男でさえ思わず息を呑む。
「内政の手腕に関しては未知数だが、冠絶した指揮能力と交渉力、そして並外れた美貌。ベルフェリートの新王は彼女に執心であると音に聞くが、あれ程の娘を欲しがらぬ王などまずいないだろう。そのことは否定しないが、本当にいいのか? 私が本気を出してしまっても」
「……ああ。欲しいものは傲慢に全て手に入れようとするのが君らしい。今持っている権力とて、そうして手に入れたのだろう」
最早感情を隠すことを完全に止めた主からの問いに対し、ラファエルはそう答えを返す。
彼にとって、本来のエルリックは自身が手にすると決めたものは全力で手に入れる人物である。
即位した当初は若年である上に諸侯の力がかなり強く、ほとんど傀儡でしかない状態であったところを、実権を握るために政争を重ね遂に実現させたエルリックの戦いを側近として傍らで支えてきた彼は、そのことをよく熟知していた。
「そうか。では、お前も本気でサフィーナを奪いに行くがいい。争いもせずお前に道を譲られて勝つ気は私には無い」
「分かった。どちらが勝とうとも恨まぬようにしよう」
「無論だ。お前とこうして何かを奪い合うのは久々故、血が昂ぶっているよ。もっとも、争う相手はお前やベルフェリート王だけではないようだが、それも面白い。当然、勝つのは私だがな」
生来の強い自信で、そう断言をするエルリック。
そんな彼の表情を目にしながら、ラファエルもまた心の中でサフィーナを手に入れてみせるという強い決意を抱いていたのだった。




