3. 螺旋
市内のあちこちを循環するように進み続ける馬車。
その中で、私とラファエルはそれなりの大きさのソファーに座っていた。
侍従であるカルロは剣技大会へ向けての調整のために残してきたし、護衛である騎士達は車内に入ってくることはない。
どちらも特に言葉を発することなく静まり返った車内で、二人きりであった。
ふと隣を見れば、そこには無表情に窓の外を眺める整った横顔。
その顔立ちからは、何を考えているのか読めないのは相変わらずだった。
宰相という役職は言うまでもなく国政を統括する最高位であるが、しかしその職責はそれだけには留まらない。
外交に関しても強い権限を持っているために、その必要がある場合には他国からの施設との交渉を行う必要があり、故に宰相という要職にある人物には内政面における事務処理の能力だけでなく、ある程度の交渉能力なども求められる。
つまり、表情から他人に内心を読ませないというのは宰相にとって重要なスキルの一つであり、当然ラファエルも上手く表情を隠す術を身につけているらしかった。
ともあれ、これまで国内の敵と向かい合っており国外にまでは手が回らなかったので、私はラファエル・セルージュという人物の人となりをあまり知らない。
もちろん手を組むことを考えていた以上フェーレンダールという国の近況については調べていたし、その中で国王としてのエルリックと宰相としてのラファエルの業績なども知ってはいるが、しかし等身大の彼の人物像について私が知っていることは僅かだった。
フェーレンダール王国宰相、ラファエル・セルージュがどのような人物なのかと考えた場合にまず思い出すのは、前回この国を訪れた際に、両国が手を結ぶ上での条件などを折衝していた時のことである。
あの時も現在と同じく二人きりであったが、彼は折衝が終わった後に私のことを嫌いであると言い、そしてこちらをからかってきた。
それによって戸惑いと羞恥を覚えた私を見て楽しんでいたことを覚えていたが、逆に言えばその程度しか彼の人物像に関しての知識を持っていないということでもある。
その時のことを思い出しながら、同じく二人きりとなるということで警戒していた私であったが、しかしラファエルは特に何か動きを見せることはなく、それどころか前回訪れていた際と比べても明らかに態度が冷淡である。
単に主であるエルリックから仕事を押しつけられて苛立っているだけなのだろうかとも思うが、果たして内心がどうであるのかはよく分からなかった。
もっとも、仮にあの時のようなことをしてきたとしても馬車なので騒げば簡単に外にいる騎士達が気付いてくれるだろうし、それが分かっているためかもしれない。
この国の宰相である彼の思惑をベルフェリートの正使として掴んでおきたいのも確かであるし、何よりあれ程挑発されたラファエルにこれ以上翻弄されるのも腹が立つ。
最低限の会話すら無いので窓の外を眺めるしかすることのない私は、どうすれば逆に彼をやり込められるだろうか、などと考えながらも馬車の揺れに身を任せていた。
そして、ラファエルの案内による市内の視察を終えた私は、やはり行きと同じように馬車で王宮へと戻っていく。
元々山城であったこの都は、防衛に適した地形が選ばれて建築された結果、最奥である王宮に近付く程坂の傾斜が激しくなる。
故に、貴族の屋敷が立ち並んでいる区域を抜ける頃には坂はかなり角度が厳しくなっており、もしも馬車が無ければ移動にも困るだろうなという感想を抱かされた。
移動に支障があればその分物流も滞ることになるので、そういった意味においては我が国の王都のように平地に築かれた都の方が経済面では優れていると言えるだろう。
もっとも、実際に首都まで攻め込まれるような自体が発生したと考えた場合、王都は篭城することは事実上不可能であるため、軍事拠点という面で見ればここの方がずっと優れているのだが。
つまりは、経済性と軍事性のどちらを取るかということであり、ベルフェリートは前者を、フェーレンダールは後者を取ったということである。
それはともかく、王宮へと帰り着いた私は城壁の門を潜ってすぐの場所で止まった馬車を降りる(この時もラファエルは手を取ってくれた)と、そこで結局ほとんどずっと黙ったままであった彼と別れて、残った護衛の騎士達と共に自室の方向へと歩き始める。
当然私が降りた場所と王宮の建物との間には広大な庭園があるので、歩きながらも私は周囲に咲いている花々を眺めていく。
庭園は広大ではあるが、しかし門から建物の間までを真っ直ぐ歩く限りでは複雑な構造にはなっていない(そこにまで生け垣を巡らせてしまうとそれこそ人の往来に支障を来たしてしまうので当然であるが)。
まだそれ程遅い時間ではないのでこの後何をしようかと思考を巡らせながら進んでいると、ふと何やら喧騒の気配があることを感じた私。
本当に危険な事態が起きているなら遠巻きに護衛に当たっている密偵達が姿を見せて伝えてくれるだろうし、そもそもここまで来る前にフェーレンダール側の誰かに止められているだろうはずである。
そうではないということは喧騒の原因は王宮を訪れた芸術家や劇団の類が何かを披露しているのだろうと思い、そちらへと近付いていく。
すると、その辺りに集まっているのが貴族ではなく一部警備のために巡回中だったのだろう兵の姿も混じっているが、主に侍女達がほとんどであることに気付く。
一体何なのだろうと思い近付いていくと、人垣を作っていた彼女らがこちらに気付いて左右に避けてくれる。
すると遮られていた視界が晴れ、その先にはどちらも知っている二人の人物の姿があった。
そこにいたのは、服を脱ぎ捨てて上半身を露わにさせたカルロと、全身鎧ではなく第三騎士団の軍服を纏った騎士団長の姿。
二人は手に剣の鞘を持つと、それを用いて激しく打ち合っていた。
「……凄い」
「まさか、団長様と互角に打ち合える人間が本当にいるなんて」
護衛として同行してきてくれていた騎士達が、その立ち合いを目にして驚いたような声を発したのが聞こえる。
目の前で繰り広げられている二人の戦いは、真剣を用いていない模擬的なものであるとはいえ、両者の強さがあまりにも突出しているために極めてハイレベルなものとなっていた。
それは最早美しいと表現しても何も問題のない程のものであり、非力な今の身体では不可能であるもののかつては剣を使っていた者として、私もつい見蕩れてしまう。
既にどれくらいの時間打ち合いを続けているのかは分からないが、途切れることなく絶えず剣を振るい続ける彼ら。
これ程の戦いを周囲から止めることなど、まず不可能だろう。
二人の技量が極めて高いレベルで釣り合っている以上、下手に外部からそのバランスを崩すようなことをしてしまうと大変なことになってしまいかねない。
故に、私はじっと彼らの戦いを見守っていた。
剣速ではカルロの方が上であるものの、剣技では騎士団長の方が勝っている。
なので、続けざまに何度も放たれるカルロの攻撃を最低限の動きでいなし、そして巧みな動きで隙を作り出しては騎士団長が打ち込む。
それをカルロは切り払うと、相手が二撃目へと入る前に反撃へと転じる。
そういった展開が主となっていた。
どちらも地に足をつけて戦っているので、本来であれば騎乗状態での戦闘を前提としている騎士団長よりも徒歩での戦闘を前提としているカルロの方が有利であるはずだが、しかし今の騎士団長は重い全身鎧を着ておらずその分動きが軽くなっているために、徒歩戦闘による不利は完全に相殺されているようだ。
一瞬先にどう転じるか全く読むことの出来ない互角の戦いが続いていく中で、不意に二人の動きが停止する。
そして同時に構えていた鞘を下ろすと、それまで場を支配していた緊迫感が霧散した。
その明白に変化した雰囲気によって終わったことが明らかとなる彼らの立ち合い。
すると、周囲に集まって眺めていた侍女達が一斉に嬌声にも似た歓声を上げる。
どうやら、彼女らは騎士や兵士達とは違った理由で二人の戦いに見蕩れていたようであった。
「お疲れ様です、クラスティリオン様、カルロ」
「ありがとうございます、ロートリベスタ殿。調整のために貴女の侍従をお借りしてしまいました。申し訳ありません」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
私は、激しい戦いでさすがに息を切らせている二人に近付くと、まずは労いの言葉を掛ける。
すると、彼らもこちらへと言葉を返した。
「頭をお上げください。素晴らしい戦いで、思わず見蕩れてしまいました。カルロも、本当に頼もしいわ」
こちらに頭を下げた騎士団長に対し、急いで言葉を返す私。
何かあったのかと少し不安だったのも確かだが、どうやら剣技大会へと向けた調整のために互角の腕を持ったカルロと立ち合っていただけらしい。
表情を見るにカルロの方も互角の相手との戦いを楽しんでいたようであるし、特に問題はないだろう。
一方でそんな彼の方は、私に礼をして挨拶をすると、そのまま剣を元通りに収めた鞘を腰に戻し、そしていつものように私の傍らへと控え始める。
「斯様に素晴らしい侍従を持たれているロートリベスタ殿は非常に幸せですね。これ程の剣士など探そうとして見つかるものではないでしょう」
「ええ。彼を侍従として迎えられたことは私の最大の幸運です」
銀髪が眩い騎士団長が言っている通り、二人程のレベルの剣士などどんな大貴族であっても見つけようとして見つけられるものではない。
カルロにはこれまでに何度も命を救われているし、今私がこうしてここにいられるのも彼のおかげだろう。
「では、あまり邪魔をしてしまいませんよう私はそろそろ部屋に戻りますわ。カルロも、湯浴みの準備はさせておくからそのまま準備を続けていなさい」
あまり長く話し込んでいては、調整中である彼らの邪魔になってしまうだろう。
そのため、私は早めに話を切り上げるとその場を後にしようとする。
「カルロならばきっと優勝の栄誉を勝ち取ることが出来るでしょうが、クラスティリオン様も必ずや優勝なさると信じておりますわ。応援致しております」
一人で百人と戦っても勝ててしまいそうな程の強さを持ったこの二人ならば、来る剣技大会においてもそれぞれ貴族・騎士部門と平民部門とで優勝することは容易いだろう。
そう言って応援の意を伝えると、私は王宮の入り口へと向けて歩き出したのだった。




