21. 帰郷
王の名の下に他国に派遣される使節団は、単に目的地を訪れて外交を行う役目のみに留まらず、我がベルフェリート王国の威光を相手に対して示すという役割をも担うことになる。
故に、一行は膨大な人数が随行し数百台もの馬車が用意される極めて大規模なものとなるが、しかしながらあらかじめ分かっていたことであるので事前にある程度の準備は整えられており、出立可能になるまでには然程の時間を要しなかった。
それは数日で終わりを告げ、属吏達や護衛の軍勢を伴った使節団は目的地であるフェーレンダール王国へと向けて数日前に王都を発っている。
随員は、総勢でおよそ八千人程度だろうか。
そのうちの過半数の五千人は第三騎士団長が自ら率いる護衛役の騎士達(当然ながら使節団の護衛も騎士団の職責の一つである)であり、残りの三千人が属吏及びその下で働いている者達となる。
もっとも、いくら他国への使節団とはいえ当然三千人もの数でこなさなければならない仕事量など無いので、そのうちの二千人以上は特に仕事が与えられておらず、一行の規模を大きくするためにただ同行しているだけだったりするのだが。
ともかく、この数日私は侍従であるカルロと共に馬車に揺られて街道を北東に進んでいた。
無論のこと、これ程の大人数ともなればいかに街道がきちんと整備されているとは言えども然程の速度は出せないので、日が暮れると野営するか、或いは近くにどこかの貴族の館があった場合はそこに立ち寄ることとなる。
そして現在、私は実家でありこの十数年慣れ親しんだ地でもあるオーロヴィア家の領地へと差し掛かろうとしていた。
王都からフェーレンダールを目指す場合、意図的に通常とは異なった道程を選ばない限りその途上でオーロヴィア家の領地を通過することとなる。
もちろん敢えて避ける必要など私には無いし、個人的に二人と会いたいという気持ちもあったので通常通りのルートを利用しており、今しがた境界線を越え、故郷へと足を踏み入れた。
言うまでもないが、たとえ大貴族であっても八千人もの人員を迎えることは事前の準備無しでは難しい。
そのため道中に位置する諸侯には事前に立ち寄る旨を手紙という形で伝えており、それを受け取った両親からも出迎えの準備を整えておくという返信を受け取っていた。
境界線を越えてすぐの辺りで野営をして(街道の傍らに点在する宿場町ではこの人数を受け入れるのは不可能であるためだ)夜を明かし、翌朝には再び歩みを再開する一行。
そのまましばらく進んでいくと、周囲にはほんの半年と少し前まで見慣れていた懐かしい故郷の風景が広がる。
私はもうこの地の領主となることはないが、しかしながらサフィーナとしての生を受けて以来十数年を過ごしたオーロヴィア家領への愛着は確かにあった。
窓越しに見慣れた光景を眺める私は、懐かしさはもちろんのこと、様々な感情を心の中に去来させつつも馬車の揺れに身体を委ねていく。
大貴族の領地であれば境界線を越えてから領主の館が存在する場所までに五日以上も要することも珍しくないが、しかし小貴族であるオーロヴィア家領の場合はそれ程の時間を要することはない。
夜明けと共に昇った太陽が中天を通り過ぎた頃、やがて視界の先には城壁に囲まれている私が生まれ育った館が姿を現した。
すると、私が乗る馬車のすぐ横に馬を並べて進んでいた第三騎士団長の指揮で、私が乗っている馬車と第三騎士団の一部が一行から分離して、先に館の方向へと進んでいく。
貴族の館は有事の際には籠城を行うことも可能な軍事拠点としての役割も要しているためにオーロヴィア家のような小貴族の館であっても援軍を考慮して数万人程度が籠城することは可能なように作られているので、私達も野営ではなく兵舎を利用して館の内部で身体を休めることとなるのだが、館の周りには当然街があり乱雑に建物が建ち並んでおり、八千人もの大人数が全てそこを通り抜けるまでには数時間を要するためだ。
なので、幼少の頃に第二王子の行幸があった際などもそうだったが、一定以上の規模の一団が諸侯の屋敷を訪れる際には、そうして先に入るのが慣例であった。
ここで過ごしていた頃の私はそう頻繁に屋敷から外に出ていた訳ではないが、それでも十年以上の歳月を過ごした場所であるために、街並みは見慣れている。
王立学園へと入学するためにここを離れた際、そして両親を迎えるためにここを訪れた際と街並みは何も変わっていない。
それを眺めていると、やがて城門を潜った馬車がその先で停止する。
「ありがとうございます、クラスティリオン様」
完全に停止すると外から第三騎士団長によって扉が開かれ、彼に対して礼を述べた私は、そのあれ程の剣術の使い手とはとても思えないような白くしなやかな指をした手に掌を預ける形で馬車を降りる。
そして続いてカルロも馬車から降り、扉が閉められると、屋敷の方へと身体を向ける私。
そこには、既に王都から領地に戻っていた両親の姿があった。
「ようこそおいでくださりました、ロートリベスタ侯、クラスティリオン殿」
口を開いた父が、そう告げるとこちらへと礼をする。
名乗っている姓こそオーロヴィアであるが、封建制の国家であるこの国において、今の私はオーロヴィア家の人間ではなく侯爵位が与えられているロートリベスタ家の家長という扱いとなっている。
なので、この場のような公の場所においてはたとえ親子であってもこのように他人同士としての会話をすることとなるのだ。
そのことに対して寂寥感を覚えないと言えば嘘になるが、しかしこればかりは互いに貴族である以上仕方が無いことだろう。
「丁重な出迎え、感謝致します」
当然、父に対して私も他人行儀な言葉を返すこととなる。
そうして、両親に案内される形で私とカルロ、そして第三騎士団長は屋敷の中へと案内された。
王立学園に入学するために家を出る前まで使っていた部屋(家具などは当時のまま残っている)に案内された私は、部屋を出るとカルロと共に居間へと向かう。
言うまでもなく、この屋敷で働いている者達は皆知己である。
途中で久々に顔を合わせる侍女達に礼をされながら、歩き慣れた廊下を通り居間の前に到着した私は室内へと入った。
「お久しぶりです、お父様、お母様」
「ええ。お帰りなさい、サフィーナ」
室内にいた両親に対して、そう声を掛ける私。
公の場に近い舞台であり、隣に第三騎士団長もいた先程とは異なり、ここは私的な場である。
故に、ここではロートリベスタ侯爵としてではなく二人の娘として振舞うことが出来た。
私の挨拶に対して、いつものように優しげな笑みを浮かべた母が穏やかな口調でこちらに言葉を返す。
そうして、テーブルを挟んで両親の正面のソファーに腰を下ろす私。
私的な場であるということで、カルロも隣に腰を下ろして同席する。
久々の家族の団欒だった。
「なかなか顔を合わせる時間が無かったから今になってしまったが、侯爵叙任おめでとう、サフィーナ」
「ありがとうございます、お父様」
やはり穏やかな表情を浮かべた父が、論功行賞に関しての祝いの言葉を述べる。
いきなり大貴族に叙任された私はもちろん、オーロヴィア家にも多少の加増があったので両親の仕事量も一時的に激増しており、論功行賞以降にこうして顔を合わせるのはこれが初めてなのだ。
とはいえ、返礼の言葉を返したものの、それについては私にとって複雑な感情もあり、ただ喜ぶだけという訳にはいかなかった。
単にこうして団欒の時間を持ちたかったというのももちろん、それも両親と会いたかった理由の一つなのだが。
「ですが……お父様からオーロヴィア家を受け継ぐことは出来なくなってしまいました。本当に申し訳ありません」
ソファーから立ち上がった私は、その場で正面に座る両親へと頭を下げる。
貴族の姓は王族と結婚したり養子になったりしない限り変わることがないので私の姓も依然オーロヴィアであるが、しかし今の私はオーロヴィア家の人間ではなく、ロートリベスタ家の人間となっているのだ。
両親の娘として、もうこの家の当主にはなれないことが非常に大きな心残り、そして二人への罪悪感として私の内心に澱んでいた。
「いいんだよ。君が君の力で切り開いた道なのだから」
「オーロヴィアはシャルルに継がせるわ。いずれにせよ先日までの継承法であれば継ぐことは出来なかったのだもの、貴女は貴女の道を進みなさい」
「その通りだ。君は私達には過ぎた娘であったし、僕やオーロヴィアの力では何か手助けをすることは難しいだろうが、それでも僕とソフィアはいつでも君の味方だ」
母が口にしたシャルルという固有名詞は、カルロの兄のことを指している。
元々カルロは四人兄弟であり、私は彼以外とは面識が無いものの上からシャルル、カルロ、カール、チャールズという名前らしい。
彼らはオーロヴィア家の傍系の家の生まれでありいざという時には当主となる資格も持っているので、私が継がないとなればカルロの兄であるシャルルが継ぐのは最も自然だろう。
だが、そのことよりも、今は両親が掛けてくれた言葉の方が非常に心に響いていた。
「それでも、こうして継承法が正されたにもかかわらず……!」
正負、様々な感情が私の中で入り乱れていき、それに比例するように自分の声が揺らぐのが分かった。
かつて私も貴族家の当主を務めた私には二人の気持ちはよく分かる。
ベルファンシア公爵による独裁状態であった先日までならばともかく、こうして継承法が元のそれに戻り私が爵位を継ぐことが可能になったからには、当然私に跡を継いでほしかっただろう。
にもかかわらずそれが出来なくなったことに残念そうな表情を見せることなく、あまつさえこうして優しい言葉さえ掛けてくれている。
両親が与えてくれている強い愛情を感じて、大きく揺らいだ心。
それは制御しきれなくなり、肌の上を何かが流れていく感触と共に、いつしか私の頬は濡れていた。
「泣かないで、サフィーナ。フェルミールの言う通り、貴女は私達にはあまりに過ぎた子であったわ。貴女は私達の誇りよ」
「お母様、っ……!」
立ち上がった母がこちらへと近付き、そう言いながらゆっくりと私を抱き寄せる。
頭部に回された腕に然程強くはない力が籠められると、それに従って引き寄せられた私は彼女の胸に顔を埋めるような形となった。
柔らかな感触を覚えながら、私は嗚咽で震える喉でどうにか声を絞り出す。
そのまま、私は母の優しい腕の中でしばらくの間涙を流し続けていた。




