20. 思惑と愛情と
久々にサフィーナに会うことが出来る。
そのことに、自身が愉悦と期待を覚えていることに気付いていた。
最近が気が滅入ることが多い。
書類仕事ばかりである上に王という立場上なかなか外に出られないのが理由の一つであるが、王になれば書類仕事が増えることはあらかじめ分かっていたし、責務を怠るつもりは無い。
ただ身体を動かすのが好きな自分には気性に合わないというだけで、別に頭を抱えるような難事ではなかった。
それも働きに対する対価であると思われては困るので論功行賞の席では発表しなかったが、近いうちに宰相を置けば俺が手ずからしなければならない仕事の量も減るだろう。
気が滅入る最大の原因は、このところ縁談の話が立て続けに舞い込んできていることであった。
妃がいなければその話が舞い込んでくるのは当然であるし、王家に娘を娶らせることで立場を上げようとする者達の思惑も理解出来るが、あまりに何件も続けば煩わしく思えるのも自然だろう。
曽祖父などは精霊神殿にいた娘を妃にしていたそうであるし、絹文を送るという故事があるように巡察などの際に見初めた平民の街娘を妃とした王も何人かいる。
なので俺も好きな者を選べばよいだけの話なのだが、妃にするならば俺には一人しか思い浮かばなかった。
そんな折、ロートリベスタ家の領地に赴いていたサフィーナから王都に戻るという手紙が届き、少し気分が晴れたのは決して気のせいではないだろう。
執務を行いながら、それ以降は顔を合わせることを心待ちにしていた。
そして手紙に王都に到着すると書かれていた日になると、その前日までに書類を全て片付けていた俺は居室でくつろいで扉が叩かれるのを待つ。
お互いにこの王宮の中にいたとしても、向こうは何も無い状態から大貴族としての全てを新たに築いていかなければならない状態であるために多忙であり、こちらもまだ宰相を任じていないために俺がする必要のない仕事までもをせねばならなかったため、なかなか顔を合わせる時間が無い。
つい時計に目を遣りながら、かつて機械時計を与えたことがあったのを思い出す。
「サフィーナ・オーロヴィア様が謁見を求められております」
「通せ」
すると扉が外から叩かれ、入室を許可すると姿を見せた侍女が待ち人の到着を告げる。
当然通すように伝えると、侍女は廊下へと消える。
だが扉はすぐにまた開かれ、サフィーナが姿を見せた。
「失礼致します、陛下」
「よくぞ戻った、サフィーナ」
後ろで結い上げられたあたかも純金のように煌き糸のように細い金髪に、翠玉のごとく強い光を放たせて輝く瞳、そして彩やかに紅い唇。
それらに飾られた容貌は伝説的な彫刻家、或いは人形師によって形作られたと言われても疑いを持たなかっただろう程に美しく、背はそう高くはないが衣装から覗く手足も驚くくらいに細く雪のように白い。
胸部も衣装の布の上からでもはっきりと分かる程の豊かさであり、その非の付け所が無い容姿にはおよそ完全という言葉はこの少女のためにあるのではないだろうかと感じさせられる。
サフィーナは扉を閉めると、こちらへとそれ自体に美しさを感じるような、動きに淀みの無い見事な礼をした。
絶世と言ってよい美貌のみではなく、このとても年齢相応ではない成熟された作法もまた魅力の一つだろう。
「フェーレンダールとの盟約を遵守すべく、正使として再び赴く所存です。承認をお願い致します」
「向こうの王から告げられているのだったか。分かった、準備させておこう」
顔を上げ、サフィーナは早速俺へと用件を切り出す。
フェーレンダールと手を結ぶために正使として赴いた際に、向こうの王から戦いが終われば再訪するよう条件を出されていることは、俺も報告を受けていた。
本人から聞いた訳ではないが彼の国と手を結ぶことにした理由は大体理解出来るし、今向こうと手切れになる訳にもいかないので、予定通りそれを許可する。
数日中に親書を書いておかねばならないだろう。
「用件はそれだけか?」
「はい。では、臣はこれより出立の準備を致しますわ」
「まあ待て」
要請を済ませるとそのまま退出しようとするサフィーナを呼び止める。
久々に顔を合わせることが出来たにもかかわらず、このような短時間で会話を終えてしまうのは気に入らなかった。
呼び止められ、立ち上がりかけていた小柄な身体は再びその場で動きを止めた。
「俺が即位してから数ヶ月が過ぎ、国内も安定しつつある」
「左様ですね。陛下のご威光あってこそかと存じます」
「大きな問題はこのところ起きていない。故に、王妃の選定が問題として挙がりつつある。ここ数日も、何件か奏上があった」
ようやく国内が落ち着いてきたのは無論よいことだが、そのせいで煩わしい縁談に滅入らされることになっている。
とはいえ、ベルフェリートの王であり王位継承権の保持者が弟ただ一人しかいない以上、早く王妃を迎えるべきだという意見も正論だろう。
サヒャリ伯なども、最近は頻繁にそれに関しての進言をしてきている。
もっとも、伯の場合は一刻も早くサフィーナを娶って首輪をつけろという意見だったが。
「皆、我が国の未来を思ってのことでございましょう」
「率直に言おう。俺はお前以上の女など知らないし、いるとも思えん。俺のものになるがいい」
立ち上がりサフィーナの方に歩み寄った俺は、そのまま目の前で立ち止まると、細い顎に指をそっと添える。
かなりの身長差があるので少し身を屈める形となりながら、その宝石のように輝いている瞳をじっと見据えた。
あまり迂遠な言い方は気性に合わないし、好意を伝えるのならば率直に言葉にするべきだと考えている。
故に、俺は本題である言葉をサフィーナに対して告げた。
すると、瞬く間に頬が紅く染まっていき、常に大人びて冷静さと聡明さを崩さない表情が歳相応の少女らしいそれへと変化する。
「な……なりませんわ。私より陛下に相応しい方はおられるかと存じます」
だが、俺を映していた瞳がこちらから逸らされ、俺の求婚を拒絶したサフィーナ。
サヒャリ伯の言葉通り、もし王妃となれば現在手にしているロートリベスタ家当主としての力を全て手放さなければならなくなる。
そのため、拒絶される可能性が高いだろうことはあらかじめ予想していたが、無論だからといって何も思わない訳ではない。
「王として無理強いはせん。だが、お前以上の女などどこを探しても見つからないだろう。いつか、お前自身の意思で俺の元に嫁いで来い」
先程の言葉が王である俺からの求婚を体よく断るための台詞であることは分かっていたが、しかしサフィーナ程の者はどこを探しても見つからないだろう。
一点の曇りも無い絶世の美貌と貴族として完璧な礼節に加えて、ベルクール伯が絶賛する程の並外れた知力をも持っている。
斯様に欠点の無い最高の女など、一体どこを探せば見つかるというのだろうか。
王としての権力を振りかざすことも不可能ではないが、好きな女を手にするのに個人的な力ではなく権力を使うことは俺の個人的な誇りに反している。
これ程の人物なのだから当然であるが、俺の他にもサフィーナを娶ろうと考えている者は何人もいるだろう。
誰がその気にさせられるか、その者達との勝負になるが、レオーネ・レストリージュという一人の男として必ずそれに勝利してこの腕の中に抱いてみせよう。
「……ひゃっ!?」
逃れようとするサフィーナの腕を掴むと、その動きが止まる。
体格差もあるのだろうが、掴んだ手首は俺から見るとあまりにか細く感じられ、傷つけてしまわないように慎重に握ることとなった。
心の中で戦意を燃やしながらそっと額に口付けを落とすと、ほの紅く染まっていた肌は更に紅さを増し、唇の間からは悲鳴が上がる。
普段はあれ程に万能であり僅かな隙すらも見せないこの少女だが、どうやら色事には不慣れらしく、こうした行為を受けると途端に歳相応の少女のような姿を見せるのがたまらなく愛しかった。
「逃がすつもりはないからな」
腕を放し、最後にそう囁いてやると、慌てた様子でサフィーナはこちらに礼をし、部屋を退出していく。
作法としては問題なかったものの、普段とは違いその動きの一つ一つには動揺しているだろう内心が見て取れた。
こうして動揺を見せているということは、即ち俺にも脈があるということだ。
逃がすつもりはない、告げた言葉が嘘ではないことを証明してみせよう。




