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19. 謁見と思惑

 少女とすれ違った後、四階へと上った私は近くを歩いていた侍女を呼び止め、陛下への謁見を申し入れる。

 王子のいる私室の扉を叩いた後に入室し、姿を消した彼女。

 その帰りを少し待っていると、中から扉が開かれ、入室が許された旨を伝えられる。

 私室にいるということは、特に他の用事が無いということだ。

 緊急事態が発生して押し掛ける形になることが多かったこれまでとは異なり、今回はこの後すべきことがはっきりとしているために、あらかじめ使者を送り王都へ戻ることと謁見を願うことを伝えておいていた。

 なので、それに合わせて時間を空けてくれていたのだろう。


「失礼致します、陛下」

「よくぞ戻った、サフィーナ」


 扉を潜った私は、いつものように礼をして彼に声を掛ける。

 室内に目を遣ると、陛下は部屋着であろうシンプルな衣装を纏い、椅子に腰を下ろしていた。


「フェーレンダールとの盟約を遵守すべく、正使として再び赴く所存です。承認をお願い致します」

「向こうの王から告げられているのだったか。分かった、準備させておこう」


 早速用件を切り出す私。

 我がロートリベスタ家領の態勢を整えるための時間を稼ぐ手段とは、このことである。

 そもそも、我が国の正使として赴いた折に、盟約を結ぶ条件として私はフェーレンダールの現国王であるエルリック王より内乱が終結したらまた訪れるようにと伝えられていた。

 今後も手を結び続ける必要がある以上、条件として提示されたからにはきちんと履行せねばならないことは言うまでもないが、その場合当然ながら私はまたこの国の正使としてあちらに赴くことになる。

 正使とはベルフェリート王国が送る正式な使節であるため、その役目を任されるのは貴族に限られていた。

 当然正使として目的の国に赴いている間はその者は領地を留守にすることとなるが、もしも戻ってくるまでの間に領地に何かあれば、言うまでもなくそれを送り出した王の面子は丸潰れである。

 故に、私がフェーレンダールへと行って帰ってくるまでの期間は、王家を一時的な後ろ盾とすることが出来るのだ。

 陛下が後ろ盾になってくれている間に、ある程度態勢を整えてしまえばいいという画策である。

 そのため、ここまでを見通した上で再訪するようにと伝えてきたのかは分からないが、エルリック王の託は今の私にとってはかなりありがたいものであった。


「用件はそれだけか?」

「はい。では、臣はこれより出立の準備を致しますわ」

「まあ待て」


 要請を済ませたので立ち去ろうとした私であるが、陛下に呼び止められる。

 どうせ正使として発つための準備には数日は要するので急ぐ必要は無いし、何より彼に呼び止められてはその通りにするしかない。

 立ち去りかけていた私は、その場で立ち止まる。


「俺が即位してから数ヶ月が過ぎ、国内も安定しつつある」

「左様ですね。陛下のご威光あってこそかと存じます」


 即位式と論功行賞が終わってから現在までの間、国内でこれといった問題は起きていない。

 それは、諸侯の力を大きく借りつつも陛下が自身の力で実権を取り戻したことで、王家と諸侯との力関係がかつてと同じ程度のものとなったためである。

 もちろんこれから表面化する問題もあるだろうが、現在のところはおおよそ二百年前と変わらない程度に情勢は安定していた。


「大きな問題はこのところ起きていない。故に、王妃の選定が問題として挙がりつつある。ここ数日も、何件か奏上があった」

「皆、我が国の未来を思ってのことでございましょう」


 陛下が王位に就き、とりあえず国内は安定し権力基盤も整えられつつある。

 そんな現状において、最大の懸案事項は王位継承権に関してであった。

 王家の力が取り戻されたとはいえ、未だ彼には妃となる女性がいない。

 二百年前の継承法が復活することになり、現在王位継承権を保持しているのは、王弟である第二王子ただ一人であるのだ。

 継承権の保持者が一人しかいないというのも問題であるし、陛下自身まだかなり若いとはいえ、いつかは世継ぎは必要となる。

 そうであるからには、王妃に関してが問題として持ち上がるのは必然だろう。


「率直に言おう。俺はお前以上の女など知らないし、いるとも思えん。俺のものになるがいい」


 立ち上がった彼がこちらへと近付く。

 そして、目の前に立つと私の顎を指で持ち上げた。

 かなり大柄である陛下はそれなりの身長があったかつての私と比べてもまだ十センチ以上も背が高い。

 ましてや現在は三十センチ以上に及ぶ身長差があり、ずっと上を見上げる形となる。

 そして告げられた求婚としか解釈することの出来ない台詞。

 女性ならば誰もが見蕩れる程の美形の持ち主である彼に、低くよく響く美しい声でそのような言葉を告げられて何も感じない女性はごく少ないだろう。

 少しだけ身を屈めた陛下に正面から見据えられ、胸が高鳴る。

 元々日本人だった前々世から数えても恋愛経験がほとんどなく、故にこうした事柄に免疫が無いせいもあるだろう、羞恥で私の頬は熱く赤く染まっていた。


「な……なりませんわ。私より陛下に相応しい方はおられるかと存じます」


 だが、思わず目を逸らして言い淀みながらも私は彼の申し出を拒絶する。

 もちろん彼が嫌いだからという訳ではないのだが、陛下の申し出を受け入れることは難しかった。

 理由としては、現在の私はロートリベスタ家当主であり侯爵であるが、王妃となるならばそれを捨てなければならないだろうということが大きい。

 前世の私がそうであったように、貴族同士であれば婚姻を結んでいてもどちらもそれぞれの家の当主としてあり続けることが出来る。

 しかしながら、王族と貴族では根本的に身分が違うので、王妃として王族の仲間入りするには貴族としての地位は捨てなければならないのだ。

 例えば、十四代国王であったヴラチェナ・レストリージュという人物は女王であったが、彼女の王配であった人物はそうなる際に爵位を親族に譲っている。

 そもそも当主が王家に嫁ぐ、或いは婿入りするという事態がほとんど無いので前例はその一つくらいしかないが、しかし私もそうせねばならないのは明らかであった。

 そうなれば、私は王妃として社会的な地位こそ上がるが、手の中にある力は自分自身のものである現在とは異なり、全て陛下からの借り物になってしまう。

 もちろん陛下の代理として軍勢を率いる機会はあるだろうし、諸侯からも敬われるだろうが、それらは全て私ではなく彼の持っているものなのだ。

 ダリアと呼ばれていた頃の私は結局父の勧めで夫となった男に裏切られたために命を落とすこととなっている(あの男の裏切りが無ければ仮にクーデターが成功していたとしてもメイナージェやフォルクス陛下を連れて領地に逃れることくらいは出来ただろう)し、自分自身の手綱を異性に預けることなど、現在の私にはとても出来そうになかった。


「王として無理強いはせん。だが、お前以上の女などどこを探しても見つからないだろう。いつか、お前自身の意思で俺の元に嫁いで来い」


 そう言うと、彼はこちらに顔を近付けてきた。

 あまりに近くなったために逃れようと抵抗をする私であるが、手首を掴まれるとそれ以上身動きが取れなくなる。


「……ひゃっ!?」


 私の唇を割り裂いて発せられたのは、悲鳴のような声。

 陛下は私の額に口付けると、掴んでいた私の腕を手放した。

 鼓動が先程までとは比べ物にならないくらいに大きくなり、胸に手を当てたりしていないにもかかわらずはっきりと感じることが出来る。

 無論、頬の熱さも比べ物にならない。


「逃がすつもりはないからな」


 元通りに顔を離す直前、最後に彼は私の耳元でそう囁く。

 にやりと野心的な笑みを浮かべた彼に見つめられる羞恥にそれ以上耐えられず、慌てて部屋から退出しようとする私。

 きちんと礼などはしたものの、仕草などから完全に内心の動揺を隠せている自信は無かった。



明日も更新致します。

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