14. 推挙
この度再興したばかりのロートリベスタ家には現在家臣団は存在しないが、しかしこの地が今まで統治されていた以上、末端でその実務を行っていた平民の属吏は存在している。
そういった者達に命じて領内に関する様々な書類の写しを提出させたのだが、やはり様々な問題点が存在しているようだった。
かなりの部分がベルファンシア公爵家の領地として、そして残りが様々な諸侯の領地に分割されて併合され、ここだけが一続きの領地では無くなっていた以上仕方のないことであるが、物流や金銭の流れがかつて私が領主であったそれなりに少なくなっているのだ。
とはいえ原因はそれだけではなく、もっと大きなものが最大の要因として考えられるのだが。
先日終結した内乱の前まで実権を掌握して国政を動かしていた先代のベルファンシア公爵であるが、必然的にマイナス方向に大きくバイアスが掛かる私の視点から見ても彼は無難に政を執っており、私が知る限りこれといった失政は見受けられない。
名宰相とは言えないが、彼一人にフォーカスを絞って論じるのならばそう悪い宰相であるとは言えない(むしろ建国からの歴代で見れば有能な方と言える)だろう。
しかしながら、ベルファンシア家による宰相位と実権の世襲体制には根本的に致命的な問題が内包されていた。
そもそも、二百年前まではこの国においては自らの領地で悪政を行う貴族などほとんど存在していなかった。
それは広く教育が行き渡っているために平民の力がかなり強い(王都において暴動を起こした市民がベルファンシア公爵家の軍勢を追い出したことが記憶に新しい)というのも理由の一つであるが、もう一つの理由として歴史的な経緯がある。
封建制を統治システムとして採用した国家であるベルフェリート王国は諸侯の力が強く、たとえ名目上の絶対者である王家と言えども何の見返りも無しに貴族達に強制的に命令を聞かせることは出来ない。
王家と国内にいくつか存在する大貴族の力は均衡しており、いくつもの派閥に分かれては少しでも自分達への利益を引き出すべく日々政争を繰り広げているのだ。
そんな我が国において、かつて第十四代国王であったヴラチェナ・レストリージュ(名前からも分かるようにこの人物は女王であった)の代に、後の世にまで影響を及ぼす一つの出来事が起きる。
当時は王家とカロッカ公爵派とが政治的に対立していたのだが、ヴラチェナ女王によってカロッカ公爵派として争いの中心にいた当時のランデル伯爵が領地において悪政を行っていたことを咎められたのだ。
正確には地元の住民が王都へと請願書のようなものを送りつけてきたのを女王が利用した形であるのだが、ともあれ咎められただけであり罰は無かった(さすがに与えられるはずもない)とはいえ実際にはともかく名目的には目上の存在である王家から咎められた形になるランデル伯爵は対立から退かざるを得ない状況になり、この出来事によって悪政を行うことは即ち政敵からの攻撃材料を与えることになるという先例が生まれることとなった。
元々国土の大半が農業に適した土地であり豊かなベルフェリート王国においては、税率が高くなくとも十分に領地の運営が可能である。
そういった経緯によって、それ以来領地で悪政を行う貴族などまず存在していなかったのだ。
だが、先述のような事柄が先例として効力を発揮するのは、あくまでも王家と大貴族達との間で力関係が釣り合っている状況においてこそである。
クーデター以来この二百年に渡って続いてきたベルファンシア家による政権下では力関係は彼らの一強であり、かろうじてヴェルトリージュ辺境伯家がその意向を無視出来る程度だった。
そういった状況においては政争も宰相の意を得た側が無条件に勝利することになり、たとえ政敵からの攻撃材料があったとしてもそれが全くマイナス要素にならない。
貴族達はいかに宰相へと擦り寄るかを問われることとなり、そのための手段として金銭や美術品などを送ることは有効である。
故に、中には税率を上げて収入を増やし、それを資金として美術品を購入してベルファンシア公爵へと送る貴族も出てくるようになっていた。
経済的に考えても、王家と各大貴族の力が均衡していればそれぞれの下に富が集まり、彼らはそれを自らに近しい貴族へと配分するために、富が一箇所のみに集積されてしまうことが無い。
だが、バランスが崩壊して完全な一強となってしまっていた先日までの体制においては、国内の富のかなりの部分がベルファンシア家へと集まってしまうという致命的な問題点も存在していた。
前回私が死んでから新たに生まれるまでの二百年もの間この国の技術水準が完全に停滞して全く発展していないのも、そういった経済的な停滞と戦乱がほぼ無かったことが理由だろう。
それでも然程繁栄を曇らせることなくそれなりの水準を維持することが出来たのは腹立たしいことに歴代のベルファンシア公爵の政治的手腕あってこそなのだが、とはいえその体制そのものに欠陥があるのだからどうしようもない。
私個人は、封建制社会においてパワーバランスが均衡していることは全般的によいことだと考えている。
二百年続いた体制が倒され、再び均衡が取り戻された今、これからベルフェリート王国は再び更なる繁栄への道を歩き出すはずだ。
しかし、その繁栄の中に我がロートリベスタ家が取り残されることなくついていけなければ何の意味も無い。
現在二百年前よりも繁栄度が下がっている以上、かつての水準を取り戻し、それ以上の繁栄を得るためにはかなりの労力が必要だろう。
「入って」
「失礼致します」
書類を眺めながらマイナスからのスタートという現状に焦りすらも覚える私であるが、そんな時外から扉が鳴らされる。
入室を許可すると、その向こうから姿を現したのは侍女であるアネットだった。
「お疲れ様。どうしたの?」
「クラフヴァ商会の方がお見えになられております。お嬢様への謁見を求めておられますが、如何なされますか?」
「向こうの部屋に通して頂戴。すぐに行くわ」
貴族家には御用商人は絶対に必要であるし、様々なことをこれからせねばならない現状では商人との伝手はなおのこと必須である。
思っていたよりも動きが早かったが、向こうからわざわざ出向いてくれたというのならば僥倖である。
会わない手など無かった。
私の答えを聞いたアネットは礼をして退出し、面会について手配しに向かう。
彼女の後ろ姿を見送った私は、机上へと広げていた書類をそっと揃えて纏めたのだった。
それから十分程の後、私は別室にてクラフヴァ商会の会長と面会していた。
柔らかなソファーに腰を下ろしながら、大きな机を挟んで向かい合う私と白髪で恰幅のよい老人。
言うまでもないことであるが、あちらの用件は大きく分けて二点、完全に空位であるロートリベスタ家の御用商人の座を狙うことと、そしてこれから何かと物入りである我が家へと商品を売り込むことだ。
とはいえ、一つの相手とだけ話して即座に決めてしまうのは大きな愚策である。
商人が数多いる以上、彼らを互いに競わせて最も好条件を出してきたところと契約すればよいのだ。
かつて会社の流通部門のトップとして数多く商談をしていた私にとって、こういった事柄は一種の本業であると言える。
ブランクが長いとはいえ、このような同じ腹の読み合いでも貴族同士のそれとはまた全く違う駆け引きがあるやり取りを交わすのは楽しかった。
「さて、もし適任者に心当たりがあればだけれど、誰か有能な者を紹介してもらえないかしら。見ての通り、今は人材不足で困っているの」
「よろしいのですかな、私のような者にそのような内情を明かしてしまわれても」
「構わないわ。隠す意味も無いことでしょう」
そして、あちらからの条件の提示を聞き終えた私は、少し細かい部分についてやり取りした後で本題を切り出す。
それに対してそう尋ねてきた彼に対して、更に言葉を返した私。
再興したばかりであるために家臣団をこれから作っていかなければならない状態であり、侯爵家に人材が全く足りていないことは誰でも分かることであるし、周知の事実であるのだからわざわざ取り繕う意味も無い。
それくらいならば、誰か有能な人物を紹介してもらった方がずっとよい。
もちろん、この男が推挙する人物は当然その息が掛かっている、恐らくは商家で働いている人物であろうし、ということは当然我が侯爵家の内情を伝えるようにあらかじめ指示されることとなるだろう。
およそ一種のスパイのようなものであるが、たとえそうだとしてもこちらがそれを分かっているのなら何も問題は無い。
言うまでもなく機密情報には触れさせることは出来ないが、こちらに送り込むからには優秀な人物を推挙してくれるだろうから、ある程度の警戒をした上で外に漏れても構わない仕事を処理してもらえばいいだけの話だ。
これが人材が足りている時であれば採用などしないのであるが、しかし今は早急に陪臣を集めなければならない状態である。
たとえ多少の問題があったとしても、とにかく有能な人材を確保することが急務であった。
「畏まりました。有能な者を用意しておきましょう」
「ええ、楽しみにしているし、働きに期待しているわ」
そうして商談は終わりを告げ、部屋を後にするクラフヴァ商会長。
内心での思惑はともかく、商会の面子を賭けている以上かなり実務能力が高い有能な人材をこちらに寄越してくれるのは間違いないだろう。
これで、これからせねばならない実務に関してはある程度楽になる。
とは言ってもただ一人だけで足りるはずもないし、ましてや送られてくる人物に機密に関わるような仕事をさせる訳にはいかない。
ロートリベスタ家の陪臣もエクラール家の陪臣も、まだまだ人材を求めていかなければならなかった。
それに、敵の手に収まる前に館が焼け落ちたということは、そこで働いていた者達は私からの命を全うした後にベルファンシア家の私兵の手から逃れて市井へと紛れたということだ。
多少時間は要するかもしれないが、その者達に報いるためにも人材を揃えるためにも、彼ら彼女らの子孫でどこの家にも仕えていない者がいれば探して召し抱えなければならない。
レナータ嬢を探し出したのと同じように、その者達もこれから探していかなければならないだろう。
すべきことは満載であるし、猫の手も借りたくなる。
とはいえ、今は少し気分を切り替えたい。
ちょうどレナータ嬢が食べたがっていたクッキーが届く頃であるし、届いたら彼女と共に食べようかと思いながら、私は席を立った。




