13. ノスタルジア(2)
貴族が領地において生活を送る場所であるために館と呼称されているが、城壁に囲まれており有事の際には兵を入れて立て籠もることもあるそれは実質的には軍事拠点としての機能を保持した一種の城であると言ってよい。
更に、領主の一族が暮らすそこはベルフェリート王国という国全体から見た場合の王都と同じように、領内における政治的な中枢としての機能も果たしている。
そして、その二つの機能を同時に持っている館の周囲には自然と人や物資が集まり、それらはやがて街へと発展していくこととなる。
かつて、ロートリベスタ家の館が存在していた場所。
中央に存在したそれは焼け落ち、その後に攻め寄せた敵兵によって残骸まで破壊されたことによって今は跡形すらも残ってはいないが、しかしその周りを取り囲むように広がる街並みは依然として顕在であった。
広大な侯爵家領のやや南寄りに存在している領内最大の街、エレルチェーダ。
一月近い旅の末、遂に私はかつて生まれ育った地であるこの場所へと辿り着いていた。
二百年もあれば街並みはある程度変化するものであるし、ましてや中心に堂々と存在していた館の姿も無い。
それ故に光景そのものは私の記憶の中にあるそれとはかなり異なっているが、しかしここに暮らす人々の活気だけは全く変わっていなかった。
ロートリベスタ家の断絶によってこの街は政治的な意味合いを失ったとはいえ、しかし軍事や交通といった面における要衝であることには変わりがなく(そもそもだからこそここに館が建てられたのだが)、それから二百年が過ぎた今も賑わいだけは保ち続けている。
いくら見掛けの光景が大きく変わっているとはいえ、様々な思い出のあるこの地が懐かしくないと言ってしまえば嘘になるだろう。
感慨や懐かしさといったいくつもの感情が心の中に渦巻いてきているし、更にその下からこみ上げてくる大きな衝動も確かに私の中に存在していた。
そんな多くの思いを抱えながらも、馬車の揺れと共に次第に近付いてくる街並みを眺める私。
「こちらが我が領土最大の街、エレルチェーダですわ。我々は当面の間この地に滞在することとなります」
内心を外に出してしまわないように気をつけつつ、私は隣にいるレナータ嬢へとそう解説する。
いくらもうここには館が存在していないとはいえ、しかし拠るべき場所がまだ存在していない以上、一時的に拠点として利用するにはこの街が最適だろう。
人を集めるにも困らないし、手配せねばならない物資などもここならば向こうから集まってくる。
「残念ながら、宿に共に泊まっていただくことになってしまいますが……。ご容赦くださいね」
「もちろんです! こんなによくしていただいて、私こそどうお礼を言ったら……」
客人でもあるこの子のことは本来であれば館に迎え入れなければならないところであるが、肝心のその館が無いのではどうしようもない。
しばらくのうちは市街でも最高級の宿を貸し切って、そこに共に滞在してもらうこととなるだろう。
私自身もそこに滞在せざるを得ないのだから、こればかりはどうしようもない。
とはいえ、侍女がアネットしかいない段階では滞在するにしても彼女にそれなりの負担を強いてしまう問題もある。
もちろん高級宿であれば従業員のスキルもそれなりに高いので彼女らにも侍女としての仕事は十分にこなせるだろうが、しかしいくら高級宿とはいえ以前から付き合いがあった訳でもない店の人間に仮にも侯爵である私やいずれ公爵となるレナータ嬢の身の回りを任せることは出来ない。
故にきちんと侍女を雇わなければならないのだが、未だ候補は王都を中心に選定中(数多くの候補の中から誰にするかを迷っているのではなく、そもそも最低限必要な条件が厳し過ぎてなかなか候補すら見つからないのだ)である。
かといってエクラール家やロートリベスタ家に仕えることになる侍女なのだから条件を緩める訳にもいかないし、頭が痛い問題は未だに何かと山積していた。
私がそのようなことに頭を悩ませている間にも、馬車はゆっくりと進んでいく。
二十台にも上る馬車の周囲には五千の騎兵が固まっており、その中心にある私が乗る馬車の傍らにはロートリベスタ家の旗が掲げられている。
そうした様子は当然遠くからでもよく目立つし、故にこちらが街へと近付いていく度に存在に気付く住民が多くなっていき、次第に耳目が集まっていくのが分かった。
二百年に渡って断絶しており、また存在自体を歴史から抹消されていた家である以上、掲げられている旗が何であるのかを知っている者は誰もいないだろうが、それでも当然ながらこちらが貴族であることに関しては傍から見れば一目瞭然である。
また、貴族社会の内部の状況などに関しては伝わっておらずとも内乱が起きていたことそのものはもちろん平民の間でも広まっており(各地でつい先日まで三つ巴の戦闘が続いていたのだから当然だ)、そのことを鑑みれば私が新しい領主であるという推論に至るのも不自然ではない。
かつて、という接頭辞が付くとはいえ元々ロートリベスタ家領の中心都市であったこの街の繁栄ぶりは今でも健在であり、中心を真っ直ぐに貫く大通りは人波で賑わって混雑していたが、こちらの存在に気付いた彼らは両側へとそれぞれ寄って道を開けてくれていた。
しかし、これだけの人手であるし万が一何かがあっては困るので、先に兵を数人程そちらへと向かわせて、先触れとして新領主の到着を伝えさせておく。
しばらくして遂に街の入り口へと辿り着いた私達は、その中央を通り抜けるようにして内部へと足を踏み入れる。
両側に立ち並ぶ建物は稀に木造のものも混ざっているもののほとんどが白い石造であり、そのすぐ手前側では住民達が立ち並んでこちらを見つめていた。
彼ら彼女らの顔には、家紋が描かれた旗を見て一体どこの家なのだろうかという困惑や、新しい領主が一体どのような人物なのだろうかという不安などが浮かんでいる。
そのどれもが、新たな領主を迎える領民として極めて自然な感情だろう。
今はまだ影響は現れていないようだが、統治機構が整備されていない時間が長引けば、次第に領民達の生活に悪影響が現れることに繋がる。
彼らの表情を明るくするためにも、早く人材を集めて統治機構を整えなければならない。
それは追々考えていかねばならないことであるが、今はひとまず宿へと到着して心身を落ち着けたいというのが本音である。
目指す宿(当然あらかじめ使者を送って貸し切りの旨は伝えてある)は大通りをこのまましばらく進んだ右手にあるという。
元々この街にロートリベスタ家の館が存在していた時代には訪れた貴族はそちらで迎えられて宿泊することになるので貴族向けの高級宿など存在していなかったのだが、やがて館が焼け落ち、それでもここエレルチェーダが大きな地方都市として依然繁栄を続けるようになると高級宿の需要が生まれるようになり、誕生することとなったのだ。
そこに至るまでの道中、両側に並んでいるのは民家や商店のみではなく、市民向けの劇場や馬車競走などを行う競技場も存在している。
かつて存在していた貴族向けの劇場(私もよく利用したものだ)に関しては主要な客であったロートリベスタ家の断絶により既に廃れてしまっているようなので、いずれ再建しなければならないだろう。
「いかがですか、レナータさん。エレルチェーダの街並みは」
「私が住んでいた街より大きいです。美味しそうなお菓子の店もたくさんあって、あの焼き菓子なんかもすっごく美味しそうで……って、あ、ごめんなさい!」
「いえいえ、気に入ってくださったようで何よりですわ。気に入られたのならば、後程人を遣って取り寄せておきましょう」
街並みを眺めていたレナータ嬢はいくつかの菓子屋を眺めて無邪気な笑顔を浮かべてそう言った後、ふと我に返ったようにそう謝罪する。
とはいえ、この子が街並みを気に入ってくれたのならば何よりだった。
沿道の店で焼かれているこちらへと美味しそうな香りを漂わせているクッキーが気になるようなので、後で取り寄せることにする。
共に茶を楽しむ時の茶菓子にちょうどよい。
と、そんな会話をしているうちに、私達を乗せた馬車は目的としていた宿の前へと到着した。
例外も儘あるにしろ一般に貴族は馬車に乗って移動することが多いので、貴族向けの高級宿には馬車を留めておくためのスペースも用意されている。
馬車を引いている御者の乗った馬がそちらへと頭を向けると、先に並んでいた民衆の列が割れ、その間を通って進んでいく。
そして馬車が停止すると外から扉が開け放たれ、外へと下りる私達四人。
既に市内に入っていたとはいえ、馬車の窓越しに眺めるのと実際に地に降り立つのとではやはり感じる心情も異なったものになる。
石畳に舗装された地面に降り立ち、頬にふと吹き過ぎた風が触れた瞬間、心の中に去来した様々な感情。
古い概念ではあるがノスタルジアと表現するのが適切なのだろうか、その中でも最大のものが痛みにも似た何かである。
交通手段が発達して数時間と要さずに各地を移動することが容易になっていくと共に廃れていき半ば死語となりかけていたものの、地球に存在したノスタルジアという単語はそれぞれ帰郷と苦痛を意味する二つのギリシャ語に由来するそうであるが、確かに私の心の中には現在痛みのような感情が存在していた。
この街そのものに対してではなく、ここで過ごした二度とは戻れないあの日々を思い返しては。
「どうかなさいましたか?」
「……いえ、何でもないわ。行きましょう」
数秒に渡って立ち止まっていた私を不思議に思ったのか、カルロが声を掛けてくる。
いつものように右斜め後ろに立っている彼に対してそう言葉を返してから宿の建物へと向けて歩き始める私。
未だ一種の古傷として心中に残っていた前世の事柄を清算し終え、これから本当の意味での人生が始まると言ってよい。
そう決意を新たにして。




