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9. 後夜(2)

 それから数日の後、私は完成した礼装へと袖を通していた。

 そもそも、王家や大貴族であれば当然相応の腕前を持った職人を抱えているので、それが相当に飛び抜けた技量の持ち主であるか、もしくは余程斬新なデザインの服を作られてそれが評判にでもならない限りは他の職人に対して仕事の依頼を出すことは滅多にない。

 もちろん王家や大貴族の礼装を作るというのは栄誉ある大仕事なのだが、しかしそれらは何か特別な事情や気紛れでもない限りは当然抱えられている職人が作ることとなるので、故にどこの貴族にも囲われていない職人にはそのような機会はほとんど無かった。

 それは評判高いウェストンの店であっても同様である。

 そこに公爵家と侯爵家からの依頼が同時に入ったのだから、彼らがこちらを最優先して製作に取り組んでくれても不思議ではない。

 事実、図面を送った翌日には店の者達が来て採寸を済ませていったのだ。

 その際にカルミオ・ウェストン本人とも話したが、彼は自分の店のことを私やレナータ嬢へと盛んに売り込んできていた。

 まだお抱えの仕立て屋のいない私達に抱えられることを期待しているのだろう。

 無論、こちらとしても大貴族であるからには実務的な意味でも形式的な意味でも腕のよい仕立て屋を抱えることは必要不可欠であるし、それが腕前で名高い彼であるならば何も問題は無い。

 ロートリベスタ家とエクラール家のどちらで抱えるかはともかく、有力な候補であるのは確かだった。


 体格が当時とは大きく異なっているのでサイズは全く違うが、しかしかつて纏ったのと同じロートリベスタ家の礼装。

 まさかまた纏うことになるとは思わなかったので、鏡を見て姿を確かめた私は強い感慨に襲われた。

 改めて、ロートリベスタ家の当主という立場となったことを実感する。

 この国においては、例えば貴族同士が結婚しても姓はどちらも元のままであるし、今の私のように何らかの事情で他の家を継ぐことになったとしても姓は変わらない。

 貴族の姓が変わるのは唯一王族の一員となる場合のみ(王族が自らが寵を置く下級貴族や平民出身の愛妾に公的な立場を与えるためにその相手を自らの養女として迎えた例が過去に多くある)であり、それ以外の場合はいかなることがあっても人物の姓が変わることはないのだ。

 謂わば、姓の変更というものが王家の特権となっているということである。

 故に、今の私はロートリベスタ家当主のサフィーナ・オーロヴィア侯爵といういささか複雑な肩書きの持ち主となっていた。

 もちろんこのような状態は私の一代限りであり、いずれ跡を継いで侯爵となるだろう私の後継者はロートリベスタの姓を名乗ることとなるのだが。


 身に着けた礼装は男女どちらが当主となっても問題が無いように上がチュニックで下がズボンになっているのだが、さすがというべきか動きを阻害しない程度に私の身体にぴったりであり、高級な絹で作られた上質な布地はしっとりと私の肌に重なる。

 さすがは名店と名高いウェストンの店といったところだろうか。

 着心地は極上と表現するに相応しいものであり、更に黒を基調とした色合いもまたどこか深みと艶があってとても美しいものだった。

 金糸による装飾も寸分の狂いも無く再現されており、この服そのものが一つの芸術品であると言っても過言ではないだろう。

 しばらくそれを身に纏って満足した私は、脱いでから丁寧に畳んで卓上に置くと、今度は軍服の方を手に取る。

 こちらは、上品なベージュの色合いの布地を基調として作られたシックながらも貴族らしさを失っていないデザインであった。

 同じく絹が用いられた生地の柔らかな感触を覚えつつ、私はそれに袖を通していく。

 着用し終えた私は、鏡の方を見る。

 正直なところ、思い入れとしては片手の数で足る程度しか着たことのない先程の礼服よりも、戦場でも日常でもいつも着用していたこちらの方が遥かに強い。

 そして、かつての服もまた最高級の絹を用いて一流の職人によって作られたものであるために、着心地も当時と全く変わらない。

 まあこれからは昔と違って普段着として利用することは無いだろうが、それでも着慣れた服を纏って私の心は大きく安らいだ。

 数分の間目を閉ざしていた私は、やがて瞼を開けると元通りドレスへと着替えていった。


 さすがに一着ずつという訳にもいかないので礼服と軍服を二着ずつ合計四着注文したのだが、質の高さはもちろんのこと、この質の衣服を僅か数日で四着も作り上げた仕事の速さはまさに感嘆すべきものである。

 評判を全く裏切らない仕事振りだ。

 もちろんいくらカルミオ・ウェストンという男の腕が良くとも一人でこの短期間で四着を完成させることが出来るはずもないし、つまりその他のスタッフの腕も確かなものだということである。

 もし彼を職人として抱えるならば、彼一人ではなく店で働いている者達全てを丸ごと抱えることとなるだろう。

 無論のこと、ロートリベスタ家にはその程度の余裕は十分にあるし、エクラール家も同様のはずだ。

 未だ実務の方面は全くの手付かずである上に他にも職人を見つけなければならないためまだ手筈を進めることは出来ないが、一流の仕事が出来ることをこうして示した彼らの売り込みを断る理由など無いので、私かレナータ嬢のどちらかが彼らを抱えることとなるのは間違いがないだろう。

 今しがた試着を終えた衣服を畳んで卓上へと置くと、アネットがそれらを受け取ってクローゼットへと収納していく。


 服を仕舞い終わるのを待って彼女と共に部屋を後にした私は、そのまま靴を履いて廊下へと出る。

 私の元に礼装が届いていたということは同時に注文したレナータ嬢のものも既に届けられているであろうし、それについていろいろと確認するためだ。

 エクラール家の人間として彼女が滞在している部屋も私の部屋と同じ三階にあるが、しかし極めて広大な面積を誇る王宮においてはたとえ同じ階にあっても部屋が離れていればかなりの距離を歩かなければならない。

 王宮の廊下を進み、目当ての部屋を目指す私。

 その途上の壁には様々な絵画が掛けられており、また同じように飾られた彫刻は窓の外から差し込む陽光を受けて床を覆う絨毯の上に影を作っている。

 時には他国からの使節が訪れることもある王宮という場所だけあって展示されているどれもが我が国の美術史に名を残しているような著名な芸術家の作品ばかりだった。

 絨毯や壁紙などは貼り変えられてはいるがそれまでと同じような意匠のものが用いられており、故に大きな印象はかつてと全く変わらない。

 もう何日も滞在しているので既に慣れたが、懐かしさを覚えるそれらを眺めているとこの場所に帰ってきたのだという実感が湧いた。

 しばらくの間歩き続けていると、やがて目的の場所へと到着する。

 当然彼女にもあらかじめ訪問は伝えてあるので、室内にいるだろう。


「あ、こんにちは、サフィーナ様」


 アネットが扉を叩くと、中から開けられたそれの向こうからレナータ嬢が顔を出す。

 こちらの姿を認めた彼女は、少女らしいあどけない笑みを浮かべてそう口にした。


「どうぞ、入ってください。まだ私、紅茶の淹れ方なんて分かりませんけど……」

「レナータさんにはまだ侍女がおられないのですし、構いませんわ。アネットに淹れさせてもよろしいかしら」


 そうして私達を部屋の中へと誘うと、数歩進んだ先で振り返り申し訳なさげな表情を浮かべさせる彼女。

 これまで貴族社会とは無縁に生まれ育ってきた彼女は茶の淹れ方など知らずとも当然であるし、まだ侍女も候補を探し始めたばかり(侍女長という立場を任せることになるからには公爵家の機密維持などの観点から既に王宮や他の貴族の下、また商家などで働いている者を採用する訳にはいかないため必然的に侍女の経験の無い女性から探すことになり、しかもエクラール家領の出身であることも最低条件となるので完全にそれらに合致し、かつ優れた才覚や人格を持った女性を見つけるのはかなり難しい)であるので仕方のないことだろう。


「もちろんです。よろしくお願いします、アネットさん」

「レナータ様、私への敬称は不要にございます」

「あ、ご、ごめんなさい……えと、アネット」

「畏まりました」


 アネットに窘められ、少女は戸惑った様子を見せながらもおずおずとそう口にする。

 すると、私の侍女は私とレナータ嬢へと礼をして茶の用意をするために設けられている簡易的な厨房の方へと向かっていく。


「さて、では準備が終わるまでの間に礼装の確認を済ませてしまいましょう」


 いくら彼女が有能な侍女であっても、湯を沸かすという物理的プロセスを経る必要がある以上、準備を終えて戻ってくるまでにはそれなりの時間を要することになる。

 その間に、特に構造や意匠に問題が無いかを確かめておきたかった。

 仮に届けられた完成品に何か問題点があったとしても、貴族の礼法に関する基礎知識をまだ持っていないレナータ嬢ではそれに気付けないだろう。


「ひとまず、身に着けていただけますか? せっかくですから着付けについてもご説明致しますわ」

「はい、よろしくお願いします!」


 箱を開けて中から二着の礼装を取り出すと、まずは礼服を身に纏っていく彼女。

 それは上下がそれぞれ市民達の間でも着られているチュニックとズボンであるので、レナータ嬢も一人で着ていくことが出来た。

 我がロートリベスタ家の礼服が黒を基調としているのに対し、エクラール家のものは白が基調である。

 純白の生地を用いて作られたそれを纏った少女の姿を目にして、私は先程自分の姿を鏡で見た際と同じくらいの感慨を覚えた。

 見たところ、特に作りに問題点なども無いようである。


「よくお似合いですわ、レナータさん」


 かつてよく目にしたことのあるその衣服は、エクラール家の血統を持つ彼女にとても似合っている。

 無論、違和感が全く無い訳ではないが、しかしそれも彼女がこれから貴族の世界に慣れていくにつれて徐々に消えていくだろう。

 平民のそれとは違い、貴族の正装としてのチュニックの場合には場によって釦の留め方などが変わってきたりする。

 これから、彼女がこの服が誰よりも似合う人物になればよいなと思いながら、私はそれらについて解説していった。


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