8. 後夜(1)
晴れて大貴族となった私であるが、故にこれからせねばならないことはまた大量に生まれている。
大きなところで言えば家臣団を作ることや領地の統治機構を整備することであり、小さなところでは王都に滞在用の屋敷を建てることや家中で用いられる様々な立場の者のための制服をデザインし用意することなど。
どれも重要ではあるが、その中で今すぐに始められることは少ない。
人材についてはクララに手伝ってもらいつつしばらくの間探し回らなければならないだろうし、屋敷の建築には当然それなりの日数が必要となる。
すぐに出来ることと言えば、まずは自らが着るための礼装を作らせることだろう。
一貴族家の当主となった以上、普段はともかくこれから公式の場へと出る際にはそれに相応しい衣装を纏わなければならない。
別にそれはドレスでも軍服でも構わない(もちろん、さすがに王宮内で鎧はまずい)のだが、とはいえそれとは別に礼装もやはり貴族であるからには必要であった。
早速、現在使っている客室の机の上に白紙を広げる私。
とは言っても、別に新しくデザインを考える訳ではなく、前世の私の代まで使われていたそれをそのまままた使うことにする。
私の中では、やはりロートリベスタ家の当主が身に纏うべきはあれであるという意識が強かった(もっとも、当時の私は軍服ばかり纏っていたので実際に着たことはほとんど無いのだが)。
故にそのデザインを思い出しながら、それを白紙の上へと書き記していく。
しばらくして書き終えた図面を畳んで封筒に入れると蝋で閉じ、宛て名として城下の貴族向けの仕立て屋の名前を表にこの国の文字で記す。
記し終えたそれを机上へと置くと、私は壁際で控えていたアネットにレナータ嬢を呼びに行ってもらう。
少し待つと外から扉が叩かれ、二人の女性が姿を見せた。
言うまでもなく、それは今回エクラール公爵家を継ぐこととなったレナータ嬢とアネットである。
「急にお呼び立てしてしまい申し訳ありません、レナータさん。今茶の用意をさせますわ」
彼女に円卓の側へと腰を下ろすように勧めると、アネットが紅茶の用意をするために部屋を退出していく。
私は執務机の前の椅子から立ち上がって円卓の方へと近付き、レナータ嬢の正面の席に身体を預けた。
「この度ご足労願ったのは、エクラール家の礼装を作っていただくためですわ。今後、何かと必要になりますからね」
「はあ……」
私の言葉に、戸惑ったような様子で曖昧な返事をする彼女。
レナータ嬢に対しては私がしばらくの間貴族としてのあれこれを教えることとなっており、やや異例ではあるが彼女の叙任に関してはそれが完了した後ということで陛下との間で話はついている。
仮に何も分からないままに爵位を継ぎ、利権を求めて近付いてきた他の諸侯によって大貴族である公爵家が好きに動かされてしまっては、陛下もまた困ることになるためだ。
であるから今の彼女はまだエクラール家の当主ではないのだが、とはいえ既に貴族として扱われることには変わりがなく、そうであるからには何か公の式典などの際に纏う礼装が無くてはならない。
せっかくなので、私がロートリベスタ家のものを仕立て屋に作らせるついでに彼女の分も作ってしまおうという算段だった。
「今すぐにとは申しませんので、数日のうちに意匠を考えておいてくださいませ」
「い、いきなり仰られましても、どのようにすればよいかさっぱり……」
「ある程度の作法に則る必要はありますが、基本的にはレナータさんの自由ですわ。礼法から見て問題があれば私がその部分のみ修正致しますので、お好きなようにお考えください」
貴族の服装になど疎いであろうから当然ではあるが、そう言って戸惑いを見せる彼女。
とはいえ、礼装は末長く着る物でありある意味で家の顔ともなるものであるのだから、私が決めてしまう訳にはいかない。
あくまでも彼女が自分の意思で決めるべきものであるし、私に出来るのは助言だけだ。
「何か参考が無くては、とても……。サフィーナ様はどのような意匠になさったのですか?」
「私は、断絶前までロートリベスタ家で用いられていたものをそのまま利用することに致しました。素敵な意匠でしたので」
新しく当主となった者によってその折にデザインが変えられることも多いが、デザインが気に入らないのでなければ変える理由もない。
私は軍服も含めて意匠をなかなか気に入っていたし、そのままでいいと思っていた。
「でしたら、私もそのまま使うことにします。私のような素人が考えるより、きっとその方がいいでしょうから」
「レナータさんがそう決められるなら、それでよいかと存じます。―――少しお待ちを」
困惑した様子の少女からの質問にそう答えを返すと、彼女は同じようにかつて用いられていたものをそのまま採用すると言う。
私がするのはあくまでも助言であり、決定権はレナータ嬢にある。
貴族の服装に関するマナーが分からないので既存のものをそのまま使うというのは合理的な選択であるし、特に問題は無かった。
それを受けて、立ち上がって執務机の方へと向かう私。
引き出しからペンと白紙を取り出すと、その上に記憶の中にあるエクラール家の礼服と軍服のデザインを手早く描いていく。
そして、それが終わると、円卓へと戻って今しがた描き終えたそれを彼女へと手渡した。
「そちらが、エクラール家で用いられていた服の意匠ですわ。ご確認ください」
再現には当然正確な資料が必要になる訳だが、もう二百年も前に滅んだ家の、それも代々政権を世襲していたベルファンシア家の敵として滅ぼされた家の礼装について記述されている本が果たしてあるのかは怪しいし、仮にあったとしてもそれを探し出すにはかなりの時間を要することとなるだろう。
あるか分からないものをずっと探すのは時間の無駄でしかないし、私の頭の中に正しい答えがあるのだからそれを利用すればいい。
「わあ、素敵な意匠ですね。私、これにしたいです」
それを見た少女は、どうやら一目見て気に入ったようで、目を輝かせてそう口にした。
エクラール家で最後に使われていた礼装は、エルティ卿が当主となって程なくデザインしたものである。
レナータ嬢の選択に干渉する気は無いが、しかしかつての親友が作ったものがそのまま引き継がれることは素直に嬉しかった。
「ふふ……。では、こちらの図面を仕立て屋へと送っておきますわ。アネット」
「はい」
「この図面を封筒に入れて、向こうに置いてある封筒と共にウェストンの店に届けておいてもらえるかしら」
「畏まりました。早急に手配致します」
壁際に控えていたアネットは私の呼び声に従ってこちらに近付くとエクラール家の礼装のデザイン図を描いた紙を受け取り、それから執務机の上にあった私の分の封筒を手に取ると、入り口のところで一度こちらに頭を下げて室内を後にしていく。
宛て先として指定した先は、城下に店を構える貴族向けの衣服を扱う仕立て屋である。
現在はカルミオ・ウェストンという男が店主を務めており、その腕前は並外れたものであるとして非常に高名であった。
もちろん、高名であるということはそれだけ多くの依頼が集まるということであり、故に通常であれば注文した品が届くのはかなり先のこととなってしまうのだが、そこは家格の問題でもある。
公爵家と侯爵家の名で注文を出せば、恐らく優先的に作ってくれるだろう。
採寸の日時もこちらを優先して決めてくれるだろうし、そう遠くないうちに届けられるのではないだろうか。
「では、こちらに関してはこれでよいとして……。その他の衣装を買いに参りましょうか」
今アネットに注文の手配をしてもらったのは当主としての礼装と当主用の軍服の二種類であるが、しかし言うまでもなくそれらを日常的に着用する訳ではない。
当主用の服を着なければならない場などごく限られていて一生に数度程度しか無いので、もちろん以前の私のように公私を問わず軍服を纏っていても問題は無いが、私の場合は身長がかなり伸びてしまったためにドレスではやや動き難かった上にあまり似合わなかったという理由があったためであり、そういった事情の無いレナータ嬢であれば問題なくドレスを着こなすことが出来る。
まあ何を着るかは好みの問題であるが、しかし舞踏会のようにどうしてもドレスを纏う必要のある場が無い訳ではないし、それを買いに行く必要があった。
これもまた二度手間になっては仕方ないので、これから共に向かおうと思っている。
「とはいえ、失礼ながらその衣服のままという訳には参りませんね……。私のものをお貸し致しますわ。お好きなものをお選びください」
私達が貴族である以上、服を買いに行く先も当然貴族向けの高級な店だ。
そのような場所に、失礼ではあるがレナータ嬢が今纏っているような街娘の服装で向かっては、それこそ彼女自身の悪評に繋がりかねない。
もちろんドレスなどの貴族らしい服装で赴く必要があるが、しかし当然急に貴族となった彼女はそのようなものを持ち合わせていなかった。
これから多忙を極めることを考えれば先程注文の手筈を整えた礼装が完成するまで待ってはいられないし、それならば私のものを着てもらえばいいかと思い、立ち上がった私はドレスが収納されたクローゼットへと近付くとその扉を開ける。
軽く促すと、彼女も立ってこちらへと近付いてきた。
「素敵な服がこんなに……。私、こういう服を着るのは初めてです」
「どれでも気に入られたものをどうぞ。きっとレナータさんに似合うと存じます」
この子は美しかったエルティ卿の血を引いて面影を確かに残しているのだ、きちんと髪や化粧を整えてやれば、たとえそれがどんな豪華なドレスであろうとも着こなすことが出来るだろう。
「それなら私、これが着たいです」
「ええ、どうぞ。着替えは手伝わせていただきますのでご安心ください」
「ありがとうございます、サフィーナ様!」
そう言って彼女が手に取ったのは、白を基調としたややシンプルなドレスであった。
白であるが故に汚れが目立ちやすいので戦場に出ることが多かった最近は滅多に着ていなかったが、しかし気に入っているうちの一着であり、きっとレナータ嬢にも似合うだろうと思われた。
とはいえ、いくら比較的シンプルな方であるとは言ってもこれまでドレスを着たことが無い彼女が一人で着用するのはまず無理であるので、着付けを手伝うことにする。
王宮の外に出ているアネットはしばらく戻ってこないだろうし、それが終わったら化粧の方も手伝わなければならないだろう。
笑顔を浮かべて礼の言葉を伝えてきた彼女に鏡の前に移動してもらうと、私はドレスの構造や着方について説明しながら着付けをしていったのだった。




