6. 主従の再会
これといった波乱も無く無事に幕を下ろした晩餐会。
それを以て陛下が正式に王として即位した訳だが、明日には論功行賞も執り行われ、それと同時に国の要職なども新たに任命されて多くの貴族家が復活させられることとなる。
つまり、明日より陛下による新たな国政が本格的に動き始めるということだ。
戴冠式に出席しなければならない(無論のこと領地で敵と戦っていて手が離せなかったりする場合は例外であるが)のは王族全員と貴族家の当主及び当主夫人、一定以上の役職に就いている騎士、精霊神殿で一定以上の地位にある者に限られる。
まあ私は責任者としての役職があったのと奉祝曲の演奏を担当するということで特別にそれなりの席次での出席を許されていた(もちろん内乱時の戦功のおかげという部分もあるだろう)ものの、原則的にそれ以外の者、例えば爵位を継いでいない子女などは必ずしも出席する必要は無い。
そのため夫婦のみで出席する家も多いのだが、だからといって二人だけで王都を訪れている諸侯ばかりではなく、子女と共に来ている家も多かった。
そして、モンテルラン子爵家もそのうちの一つである。
あらかじめ茶の用意を済ませると彼らが宿泊している王宮の客間へとアネットを向かわせ、そしてセリーヌ嬢を呼び出す。
少しの間待っていると、やがて扉が外から叩かれて我が友人が到着したことを知らせる。
声を掛けて入室を促すと、開かれた扉の向こうからほとんど走るようにして一人の小柄な少女が入ってきた。
彼女は礼もすることなく進み、円卓の前の椅子に腰を下ろしている私の元に真っ直ぐに近付いてくる。
「オーロヴィア様!」
どこか責めるような、それでいて安心したような声色。
私の右腕を両手で掴んだ彼女は、そのままこちらへと顔を向ける。
こうしてセリーヌ嬢と顔を合わせるのもどれくらい振りだろうか。
子女は戴冠式に出席しなくてもよいのであってしてはならない訳ではないので、参加していたらしいこの子とはつい数時間前までにも同じ空間にいたのだが、しかし二千人を優に超える人並みと広大な式場の中では彼女の姿を見掛けることは無かった。
逆に、私は前でピアノを演奏したのでセリーヌ嬢の方は私の姿を目にしていたのだろうが。
ともあれ、学園にいた頃は同じ教室でベルクール伯爵の授業を受け、授業の無い休日でも夕食の際には隣の席で共に食事をしたりして毎日のように顔を合わせていたが、学園を出奔することとなって以降では会ったのはこれが初めてだ。
まだ日数にすればそれ程でもないにもかかわらず、彼女の顔を間近で目にして強い懐かしさと喜びを覚える私。
「お久しぶりです、セリーヌ様。お会いしとうございましたわ」
椅子から立ち上がった私は、すぐ近くにある彼女の身体を抱き締める。
いつぞや抱き締めた時と変わらないセリーヌ嬢の小柄な身体は、そう長くはない私の腕の中に完全に収まった。
「もう、いきなり出奔なさるなんて! どれだけ貴女のことを心配したか……」
だが、彼女は潤んだ目で私を睨みながらそう口にする。
彼女の、こちらを責めるような色を明確に含めた視線が私を射抜く。
「心配いただきありがとうございます。ですが、こうしてまたお会い出来ますことを信じておりました」
「当たり前です! まだ何のご恩もお返し出来ておりませんのに、お会い出来なくなってしまうなんてあまりに悲しいですわ」
「ご安心ください。私は無事にここにおります」
そう言って怒る彼女のことを宥めつつ、私は席に座るよう促す。
まあ心配させてしまったのだから怒られることは覚悟していたが、とはいえ久々の再会であるしせっかく茶の用意もしているのだから、ゆっくりと話したかった。
戴冠式が終わったばかりであり、今日は他にせねばならないことも無いので、時間を気にせずに話すことが出来る。
とはいえ、その前に一つ済ませておかなくてはならないことがあった。
私がアネットの方に目線を遣って合図をすると、彼女はそっと部屋を出る。
そして程なく外側から扉が開かれその、向こうから一人の少年が姿を現した。
「……お嬢様」
「テオ!?」
大きな声を上げて、椅子から立ち上がるセリーヌ嬢。
光沢のあるオレンジ色の髪に、どこか茫洋とした印象を受ける瞳。
身体は剣を使うために鍛えられていて引き締まっており、身のこなしからも優秀な剣の使い手であることが見て取れる。
それが誰であるのかは、少女が口にした二人称から明らかだろう。
アネットに呼ばれて入室してきたのは、セリーヌ嬢の侍従であるテオドール・ダルトゥであった。
「姿をくらましたと父が申されておりましたが……。父が疎んでいることは知っていましたが、一体私に黙ってどこにいたのですか!」
「申し訳ございません。いかなる罰でもお受け致します」
「彼を責めてはなりませんわ、セリーヌ様。責められるべきは私です」
怒りを見せるセリーヌ嬢に対し、膝を床に突いて謝意を口にする少年。
だが、この場合彼に非がある訳ではない。
まあ黙って勝手に離れたことは非であるが、それとて私が唆したようなものなのだ。
横合いから、彼女を宥める私。
「それは、どういった」
「彼には戦場で部隊を率いてもらっておりましたの。そうするよう命じたのは私です。モンテルラン家がベルファンシア公爵側につくことは明らかでしたし、それによる悪影響が貴女に及ぶことは避けたかったのです」
セリーヌ嬢へと事情を説明していく。
既に全ては終わっているが、無断で侍従を使役した形になるのだから当然彼女には知る権利がある。
彼女とて貴族なのだ、こちらの意図そのものは理解してくれるだろう。
「ですが、そのことを貴女に告げぬよう彼に伝えたのは私です。たとえ許していただけずとも仕方がないと思っておりますわ。謝罪致します」
私は、そう言って彼女へと頭を下げる。
こちらの意図を理解してくれたからといって、許してもらえるかどうかはまた別の問題である。
主に黙ってその侍従を勝手に使役するなど、それこそ絶交されても文句が言えない程の無礼なのだ。
その判断は正しかったと今でも思っているが、たとえ許してもらえずとも仕方がないことだろう。
そうなったらどうにかテオドールとの間だけは取り持って、相愛である二人が結ばれて幸せになればそれでいい。
「お気持ちは嬉しいですが、だからって私だけ蚊帳の外だなんて……。もう知りません!」
そう言って、ふいと顔を背ける彼女。
しかし、その顔立ちに浮かんでいるのは怒りではなくむしろ不満の色であった。
どうやら、怒っているという訳ではないらしい。
「……二人の意図は分かります。でしたら、どうして仰ってくださらなかったのですか。仰っていただけていたら、私もご一緒させていただきましたのに」
「だからこそ、ですわ。お優しい貴女は、事情を知ればそう仰られるだろうと存じておりました。私も彼も、貴女を巻き込みたくなかったのです。どうかお許しください」
こちらから顔を背けたセリーヌ嬢は、その状態のままでそう言葉を続ける。
予想していた通りに同行したかったと述べる彼女に対し、私はそれ故に告げなかったのだと伝えた。
テオドールを誘ったのとて最も大きな目的はモンテルラン家の没落を防ぐためであるし、そうした備えはしておく必要があったにしろ、必要以上に大切な友人を巻き込んでしまいたくはなかったのだ。
「こ、これからサフィーナさんと呼ばせてくださったら許して差し上げます!」
「ええ、もちろん構いませんわ。セリーヌ様が友情の継続をお許しくださるのならば」
私が許しを願うと、再びこちらに顔の向きを戻した彼女は頬を紅く染めながらそのように口にする。
もちろん私としても否やはないので、それに対して頷きを返す。
既に友人同士であるのだから、敬称が何であるのかなど些細な問題だ。
「もう除け者にするのはおやめくださいね? サ、サフィーナさん」
「はい、セリーヌ様」
そして、私との間のことは全て落ち着いたが、しかしセリーヌ嬢にとっての問題はまだ他にももう少し残っている。
彼女はこちらから視線を外すと、近くで膝を突いたままのテオドールの方へと視線を向けた。
「貴方も、姿をくらましたと聞いてどれだけ心配したか……。もう離れたりしないでください」
「無論です。もう決してお嬢様のお傍から離れません」
そんな会話を交わしながら、二人はわだかまりを解消する。
元々、今日こうしてセリーヌ嬢を呼び出した最大の目的は二人を再会させるためだった。
彼女には告げずに離れる形となっていた以上は事情を説明して取り成す役が必要であろうし、それを私がすることにしたという訳である。
とはいえ、それも無用の心配であったようで、元々強い絆を持っていた二人はすぐにそれを取り戻した。
「積もる話もおありかと思いますが、茶を用意致しておりますのでよろしければどうぞ」
軽く二人きりの世界に入りかけている彼女らに対し、そう茶を促す私。
セリーヌ嬢が許したとしても彼女の父であるモンテルラン子爵は怒り心頭であろうし、このまま二人で彼女の部屋に戻らせるのは無理がある。
子爵に対していろいろと納得させるためには論功行賞の後である必要があるので、それまではここでゆっくりと過ごしていけばいい。
それに、せっかく久々に顔を合わせることが出来たのだから、私としてもゆっくりとセリーヌ嬢と話したかった。
「あ、も、申し訳ありません。ご一緒させていただきます」
そう言って円卓の方に向き直るセリーヌ嬢。
その侍従である少年も、私の促しに従って彼女の隣の席へとつく。
三人で、茶を飲みながら交わされる雑談。
話題は内乱時のテオドールの活躍(論功行賞時に持ち出す必要があるのでそれについては細かく把握している)についてなどが主であったが、しかし互いに積もる話は多くある。
彼女は茶菓子として用意したスコーンを気に入ってくれたようで、よく口にしていた。
そうして、私達はかなり遅い時間まで会話を交わしたのだった。




