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5. 式典の日

 そのまま一夜を明かして翌日、いよいよ戴冠式が開かれる。

 新たなる国王の誕生の日ということで式典には国中の貴族が参加しており、会場となる間には当主やその夫人を合わせて四千人を超える貴族が犇いていた。

 本来であれば貴族家の当主でも当主夫人でもない私は今いるような席次の高い場所には居合わせることが無いはずなのだが、接待責任者であり後程奉祝曲を披露するということで家の爵位以上の場所にいることが許されているのだ。

 先日完成したピアノは前方にある壇のすぐ下に配置されているのだが、まだ布が掛けられて隠されており、諸侯がそちらへと向けて時折不思議そうな表情を浮かべていた。

 先程までは何やら後ろの方で揉め事が起きていたようだが、それも既に収まっている。

 とはいえ、既に会場の準備は万端に整っており、後は今宵の主役である殿下の登場を待つのみであった。

 そして、束の間待っていると会場の最も後ろにある扉が開かれ、そこから武人らしく大きな殿下の身体が姿を見せる。

 やや赤みの強いローズブラウンの髪色をした彼は堂々と、今現在は新たな国王となる者にのみ通ることが許される中央の絨毯の上を両側に並んでいる諸侯に見守られながら歩き進む。

 さすがに二列という訳ではなく何列かに分かれているとはいえ、四千人もの人間が入ることの出来る空間ともなれば非常に広大であり、かなりの距離を数分間掛けて歩み続ける彼。

 やがて数段の階段を上り、最も奥に玉座がある壇上へと辿り着いた彼は、その手前にある台の上に置かれた王冠を手に取り、自ら頭上へとそれを乗せる。

 そのまま彼は奥へと向かい、玉座へと腰を下ろした。

 本来かなり巨大なサイズであるはずのそれも、かなり大柄な体格である()()が座ると、まるで通常のサイズの椅子であるように見える。

 彼が玉座につくと、続いて青を基調とした神官服を纏った精霊神殿の神官長が一歩前に進み出て、祝いの言葉を読み上げていく。

 もう七十歳近い老人である彼の声は然程大きなものではなかったが、しかし誰一人として話すことも物音を立てることもなく静謐に包まれている会場にはよく響いた。

 先例に則って作成された、神官長による形式的な祝いの言葉。

 十分程に及んだそれが終わると、次は私によるスピーチだ。

 列から進み出た私は、あらかじめ考えて暗記してきた言葉をそのまま述べていく。

 とは言っても棒読みなのはどうかと思うので、時折身振りなども交えつつこの場にいる諸侯全員に聞こえるように読み上げる。

 この辺りは、昔OLだった頃の経験が生きていると言ってもよいだろう。

 それなりの文章に仕上がったという自信はあるが、どうだろうか。

 先程の神官長と同じく十分程度の朗読を終えたところで、次はいよいよ私と王立楽団による奉祝曲の演奏である。

 私はもう一歩前に進み出ると通路を通り、ピアノの方へと歩き進んでいく。

 すぐ目の前へと辿り着くと侍女の手によって布が取り払われ、白く塗られたグランドピアノが姿を露わにした。

 全く未知のものを目にして、ざわめきに包まれる場内。

 ピアノのことについては話していなかった(さすがに好きにやっていいという許可は貰っているが)ので、玉座の上の陛下もまた少し驚いたような表情を浮かべている。

 まずは、掴みは成功したと言えるだろう。


 ピアノ協奏曲であるということで構成は私が演奏を担当する独奏楽器としてのグランドピアノとオーケストラというものであるのだが、後者を担当する王立楽団の演奏者達は会場の上部にあるギャラリーに配置されている。

 この国においてはそれが普通であり、より立体的な音響で演奏出来るという利点があるのだが、一箇所に全員が纏まっていないということはどのパートをどこに配置するかの影響が強く曲の音色に現れるということだ。

 例えば、左右のギャラリーに全く同じように人を配置すればバランスのよいオーケストレーションを会場全体に届けることが出来るし、また曲によっては意図的にバランスを崩して不均等に配置されることもある。

 そういった演奏者の配置もまた作曲家が指定する事柄の一つであるのだが、私はピアノが全体から見てかなり前方の位置にあるということで、高音楽器を低音楽器で挟むようにして配置していた。


 私がピアノの前に置かれた椅子に腰を下ろすと、演奏を担当する全員から見える会場の中央付近に立った指揮者が手で全員に対し合図をする。

 そして、ゆっくりと始まる演奏。

 楽譜は暗記してきたために持ってきておらず、ただ手を動かすことに集中する私。

 これは陛下への奉祝曲であるが、しかしそれと同時にピアノという楽器の大掛かりなプレゼンの場でもある。

 何故ならば、ピアノという楽器の音色を諸侯に認めさせなければ、陛下のために全身全霊で書き上げたこの協奏曲の価値そのものが無くなってしまうためだ。

 評価するのは私自身ではなく他者であるので、この曲が聴き手にどのように受け取られるかは分からないが、しかし少なくとも今ある実力の全てを尽くして書き上げた私の最高傑作である。

 仮にピアノを使っているという理由だけで好きになってもらえないとしたら、それはさすがに悲しい。

 故に、初めは純粋にピアノの音色の美しさを伝えるために柔らかなタッチで、オーケストラと共に静かで穏やかなメロディを奏でていく。

 鍵盤の上に指を乗せた私が最初の一音を鳴らすと、これが楽器であることに気付いた諸侯が再びざわめいた。

 しかしそれもオーケストラの音が聞こえ始めると止まり、聞こえるのは始まったばかりの曲のみとなる。

 指揮者の身振りに率いられる形で全く別の場所で楽器を奏でている楽団と私の演奏が一つとなり、楽曲を成す。

 序盤はこの楽器の紹介という意味を込めて、しばらくの間高音を中心とした静かな旋律が続いていく。

 二、三分程度それが続くと徐々に盛り上がり始め、少しずつ演奏も複雑で激しいものへと変わっていくこととなる。

 もちろん指の運びもそれに比例して早くする必要が生まれるが、しかし今のところは失敗することなく弾き続けられていた。

 やがて第一楽章が終わりに近付くと、楽団の演奏者達が奏でていたオーケストレーションが止まり、ピアノの音だけが場内に響くようになった。

 ピアノ奏者にとって最大の見せ場であると言える、カデンツァだ。

 数分間に渡って独奏で即興演奏をすることとなるこの部分は私の見せ場であるが、それ以上にピアノという楽器の音色や表現力をアピールする最大のポイントでもある。

 もっとも、私の場合は即興ではなくあらかじめ演奏内容を考えてきているのだが、最も効果的にプレゼン出来るここではなるべく聴衆の注目を集められるような派手な演奏を披露したいところだった。

 ピアノという楽器が持つ音域の広さや表現力の高さといった長所を存分に示せるくらいに派手に、それでいて楽曲全体のバランスを崩してしまわない程度に。

 その匙加減は難しいものであったが、納得のいく楽譜を書くことが出来た。

 他に何の音も無い広い場内に、ただピアノの音だけが響く。

 独奏であるので、絶対にミスは許されない。

 また、聴衆へのアピールを優先させた(練習でも一度も成功出来なかった時のために簡単なバージョンも用意していたが)のでこの部分はかなりの難易度となっている。

 ブランクが極めて長い上に実質五日間しか練習していない私にはどうにか奏でるのがやっとであり、繊細なタッチなどとてもではないが出来ていないものの、しかしミスだけはしないように頭の中で次の音符を思い浮かべながら懸命に指を動かし続けた。

 どれくらいそれを続けただろうか。

 カデンツァ部分はやや長めに十分程度(第一楽章はおよそ二十五分なのでそのうちの五分の二を占める計算だ)となっているのであるが、しかしその十分がまるで一時間にも感じられた。

 やがて最後の一音を奏で終えるとオーケストレーションの音が戻り、そのまま第一楽章が終了する。

 束の間息を吐いた私であるが、しかしまだ全体の三分の一が終わったに過ぎず、これから第二楽章及び第三楽章を演奏することとなるのだ。

 まだまだ気を抜くことは出来ない。

 続いて、第二楽章の演奏へと入ったのだった。


 最後の一音を鳴らすと、感慨を覚えながらも鍵盤から手を離す私。

 第三楽章の途中でテンポが二百三(テンポ・ジュストの数字がおよそ八十なのでクラシック音楽における普通の基準は大体それくらいのテンポだと考えてよいだろう)に達する箇所に差し掛かった際などは、作曲していた時の私は一体何を考えていたのかと少し後悔したが、しかしどうにかミスをすることなく弾ききることが出来た。

 私は立ち上がり、殿下と諸侯へと向けて礼をする。

 すると、会場全体に万雷の拍手とどよめきが鳴り響いた。

 ちらりと玉座の方に目を遣ると、そこに座っている陛下もまた拍手をしている。

 どうやらこの曲が受け入れられたことを理解し、ほっと息を吐く。

 今度は先程とは逆の向きに歩を進めると、列の先程まで立っていた場所まで戻る私。

 次は、王冠を被ったことによって正式にベルフェリート王国の新たな国王となった陛下の演説だ。

 彼は玉座から立ち上がると、数歩前に進み出る。


「皆の者、ご苦労だった。皆の協力で我が国は甦ることが出来た。これからも力を貸してくれ」


 演説の内容には、かなりの部分その人物の性格が反映される。

 彼のそれは、僅かそれだけの簡素で短いものであった。

 しかし、だからと言って決して内容が無い訳ではなく、持ち合わせた威風もあってその言葉は耳にした者へと重みを持って届いていく。

 実に陛下らしいと感じた私であるが、ともあれ各々のことが終わればプログラムは進んでいくこととなる。

 戴冠が終わり、それに対する祝いのスピーチと奉祝曲の演奏が終わり、陛下の演説も終わったとなれば、論功行賞は明日であるので今日せねばならないことはもう特に無い。

 故に、このまま晩餐会へと移ることとなる。

 列を崩し、そのための用意がされた隣の間へと移動を始める諸侯。

 私もまたそんな流れに加わり、移動を開始したのだった。


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