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2. 前夜(2)

 次の日の夕刻、私はアネットと共に殿下の執務室を訪れていた。

 開けた扉から中に入った私が礼をすると、彼女も荷物を置いて礼をする。

 すると、本当の意味では二百年振りにこの部屋の主となった彼が、顔を上げてこちらを見つめる。


「よく来た、サフィーナ。今日は何用だ?」

「本日は殿下の認可を受けたき事柄があって参りました。殿下のご即位後の件なのですが」

「どうした? もちろんお前には相応の行賞を用意しているが」


 そう言葉を掛けてくる殿下。

 論功行賞に関しては彼と少数の者達によって様々な試案が検討されているようだが、私はそちらの方には全く関わっていない。


「殿下の御心に感謝致します。しかし、此度は別の事柄ですわ」

「言ってみるがいい」

「エルティーユ・エクラール公爵の血を継ぐ正統な子孫を発見致しました。レナータ・クローツァーという十八歳の少女です」

「……本物か?」


 さすがに、殿下の顔が驚きに染まる。

 ベルファンシア公爵家の力によって断絶させられたとは言っても、ほとんどの家の場合は当主こそ処刑された家も多いがそれ以外の者に関しては単に貴族としての地位を奪われたに過ぎず、身分こそ平民となっても元が貴族であり実務能力を持っているためにどこかの大きな家の陪臣として登用されたりして現在まで家名を残している。

 それ故に二百年の時が過ぎていても見つけることはそれ程難しくはなく、また陪臣として政に携わっている者の場合は再び貴族となってもそこまで身の振り方などで困ることはない。

 だが、直接的に当時のベルファンシア公爵と対立したロートリベスタ家とエクラール家の場合は違う。

 どちらも親類や家族にまで処断の手が伸ばされたので、そのようにして公に生き残っている者がいないのだ。

 故に既に完全に血統が断絶していると思われていた末裔が発見されたのだ、驚かれるのも当然だろう。


「アネット」

「はい」


 私が促すと、アネットが抱えるようにして持っていた書類の数々を机上に並べていく。

 その数は膨大であり、大きな机の上が瞬く間に埋め尽くされる。

 それらは、昨日顔を合わせたレナータという少女がエルティ卿の血を受け継いだ正統な子孫であることを証明する根拠である。

 卿の処刑とエクラール家の断絶からは既に二百年もの時間が過ぎており、ましてや受難を恐れて卿の嫡子は身分を隠して市井に身を潜めていたために、子孫を探し出すことは砂漠の中で一粒の砂金を探すようなものであった。

 そもそも血筋を伏せたまま二百年もの間平民として暮らしていては、レナータ嬢自身がお伽噺だと思っていたように当人達でさえそのことを忘れてしまうだろう。

 しかしながら、七百年の歴史故に強固な統治機構を持ち、かつ文字が存在しているこの国には非常に多くの文字記録が存在している。

 納税記録などの資料をくまなく集めれば、それを根拠として目的の人物を探し出し、またその血統を証明することは決して不可能ではなかった。

 もちろんかなりの時間と手間は要することとなったが、逆に言えば時間と手間さえ十分に費やせば見つけ出すことは十分に可能であるということである。


「こちらが証拠ですわ。傍証が大半ではありますが、これだけの数があれば証明には十分かと存じます」


 さすがに直接的な証拠は皆無ではないにしろほとんど無いが、しかし僅かなそれを補強する膨大な傍証がある。

 極めて広大な領土を持つエクラール公爵家は国内に多大な影響を及ぼし得る大貴族であり、その末裔を私が連れてきたとなれば私が自分の身内をそう仕立て上げようとしているのではないかと出自を疑う者も当然出てくることが予想されるが、そういった意見を論駁するにもこれだけの証拠があれば十分だ。

 何より、私自身が彼女がエルティ卿の子孫であることを確信している。


「事がさすがに大き過ぎるので即決は無理だ。その者の血の正統性についてはこちらで検討しよう。それだけか?」

「いえ……彼女の血統が証明された際には、彼女の教育役をお任せいただきたいのです」


 わざわざ殿下の元を訪れたのは、このことについて話をつけるためだ。

 彼女の血統が認められた場合、さすがに次期エクラール公爵を私の権限だけで手元に置いている訳にはいかなくなる。

 やはり彼の許可が必要だった。


「俺としては、大貴族同士が密接に手を組むような自体は避けたいのだがな。力関係が崩れる」

「亡き前エクラール公爵と、私自身の誇りに誓って、完全に中立な教育を行うことを約束致しますわ」


 エクラール公爵家はかなりの大貴族だが、論功行賞の際には私もまた大貴族と呼ぶに相応しい程度の領地は与えられることとなる。

 そのため、そんな私が教育係を務めることによって、大貴族同士があまりに蜜月になるのではないかという懸念を伝えてくる殿下。

 無論、しようと思えばそれは可能だ。

 教える内容を意図的に恣意的なものにすることで、彼女及びエクラール家を半ば私の傀儡のように動かしていくことくらい容易であるし、出来るか出来ないかと言われれば出来ると答えよう。

 しかし、私は絶対にそれをしない。

 彼女を公爵として育てることは、一貴族としての損得や利害を無視した私個人としての行いである。

 中立な内容のみを伝えた結果として、たとえ公爵として政務を執り始めたレナータ嬢が政治的に不倶戴天の敵となったとしても構わない。

 亡き親友への返さなければならない借りを返すためにも、一人の貴族として彼女が貴族社会を生き抜けるようにしてみせよう。

 エルティ卿との友情と、私の誇りに誓って。


「大貴族としての心得を教えられる者は限られるが、既に囲われている者を使うことは出来ぬからな……。お前に任せるのも手か」


 しばらく考え込むような仕草を見せた彼が、やがてそう口にした。

 通常大貴族の子女の教育は家庭教師によって行われるのであるが、そもそも大貴族に相応しい程の知識を教えることが出来るような人材は当然ながらかなり限られている。

 故に有能な者は既に大貴族によって囲い込まれていることが多く、そのような者にレナータ嬢の教育を任せるのはそれこそ中立性の面で問題がある。

 そういった事情まで含めれて考えるならば、彼女の教育係の候補として挙がるのは私かベルクール伯爵かのどちらかくらいだろう。

 ベルファンシア公爵の圧力にも全く屈しなかった彼ならばやはりきちんと教育してくれるだろうし、そうであるからには別に彼に任せても問題は無いのだが、しかしこの件に関しては私が手ずからしたいと思うのは彼女の姿や顔立ちにエルティ卿の面影があるからだろうか。


「はい。臣にお任せを」


 ともあれ、殿下の承認は得られたので、私は彼に対し礼をして言葉を返す。

 これで、彼女を屋敷に招いても(まだ貰っていないので皮算用であるが)問題は無くなった。


「では、本日はこれにて失礼致します」


 事前にアポイントを取っていたのですんなりと会うことが出来たが、しかし今の殿下はまだ正式には即位していないとはいえ実質的な王としての政務に加え、戴冠式に関する打ち合わせや論功行賞に関しての話し合いなどで極めて多忙である。

 奏上すべき用件が片付いた以上素早く立ち去らねば迷惑であろうし、私は挨拶をしてアネットと共に執務室を立ち去った。


 


 


 



 アネットと共に王宮の廊下を歩き進む。

 何の因果かこうして再びこの場所を歩くこととなった私であるが、しかし王宮という極めて公的な空間であるためか、飾られている美術品が異なっていることを除けば然程変わっていなかった。


「レナータさんに付ける侍女の件だけれど、進捗はどうかしら?」

「条件に合致する女性を探すのはかなり困難ですが……しかし数人は候補を見繕っております」

「本当は領地まで行って探せたら一番よいのだけれど、そのような訳にもいかないものね。済まないけれど、そちらはお願いするわ」

「畏まりました。必ずや侍女の素養を持った人物を見つけて参ります」


 そんな言葉を交わしながら、廊下を歩いていく私達。

 レナータ嬢は当面の間は王都や私のこれから与えられる領地に滞在することになるとはいえ、将来的にはエクラール家の領地に戻って公爵として政務を執ることとなり、従って彼女付きの侍女の勤務地もまたエクラール家領である。

 故に侍女となる女性も出身地がかつてエクラール家の領地があった場所の生まれである必要があり、それが重要な条件の一つだった。

 また、当然であるが侍女という職業には優れた人格と高い家事などのスキルが求められる。

 ただの侍女ならばまだしも、レナータ嬢のお付きになるということはつまり何百人もの数が雇われることとなるだろうエクラール家の侍女の長となることを意味しているのだ。

 故に彼女の侍女となるのは高い素質や優れた人格を持っている人物である必要があり、これがもう一つの重要な条件である。

 しかしながら、この二つの条件をどちらも備えている女性をいくら百万人都市であるとはいえ王都で探したところでなかなか見つかるはずもない。

 本来であれば当のエクラール家が再興されるだろう領地に行って探すべきなのだろうが、しかし今から行って探して戻ってきていては時間的にとても間に合わない。

 故に、旧エクラール家領の出身でありかつ現在王都に来ている女性の中から候補者のピックアップと選定を行っていた。


「あまり無理をしては駄目よ、アネット」

「お気遣いいただき感謝申し上げます。お嬢様も、どうかお身体にはお気をつけを」

「ふふ、私は大丈夫よ。この程度なら何でもないわ」


 晴れてこの国には平穏が戻った訳だが、むしろ今の方が忙しいくらいであり、それはアネットも私も同様である。

 レナータ嬢の侍女選びに手を取られて多忙を極めている彼女の身体を気遣うと、しかし彼女からも同じような言葉が返された。

 とはいえ、宰相としての仕事をしていた頃の私は今よりもずっと忙しかったことがあったし、きちんと自分で調合した薬湯を飲んでいるので彼女の気遣いとは逆に体調は特に悪くない。

 その後も取り留めのない会話を彼女と交わしながら、私は自室へと戻ったのだった。

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