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30. 砂漠の王者

 降伏してきた遊牧民達を武装解除し、しばらくその場で待っていると、やがて残りの歩兵達がユーフェルの指揮でこちらへと追いついてくる。

 彼らと合流した私は、今しがたまで戦っていたしそろそろ日が落ちかけているので今日はもう休息にすることを告げた。

 そして用意された指揮官用の幕舎へと入った私は、簡易的な机の上に書類を広げてそれと睨み合う。

 物資の消費量を計算し直すためだ。

 先程戦った彼らを捕虜として遇している訳であるが、となれば当然彼らの分の食事も出さなければならないので、必然的にその分だけ食料や水の消費量が増えてしまうことになる。

 敵地深くであり不毛の地であるためにそのどちらも新たに補給することが難しいので、きちんと計算し直した上でその結果を元にどのようなルートを取るかや一日にどれだけの距離を進むかなどの行軍の計画を練り直さなければならない。

 このような場所で食料や水が尽きたとなれば、それこそ全滅しか待っていないのだ。

 もちろんそうなれば全滅する前に撤退しなければならないのだが、報告によれば殿下の率いる北路軍は既に城を六つ程陥落させて順調にラーゼリアの首都へと進んでいるというから、こちらが足を引っ張るわけにはいかない。


 そして計画を改めて再考し終え、そろそろ夕食を食べようかなどと考えていると、入り口の布の外からユーフェルの声が掛けられる。

 入室を促すと、その向こうから姿を現した彼は困惑したような表情を浮かべていた。


「どうなさったのですか?」

「捕虜になってる騎兵の隊長らしい男が、サフィーナちゃんに会わせろって騒いでるんだ。どうしようか」


 口を開いた彼は、そのような言葉をこちらに伝えてくる。

 彼らの隊長ということは、即ちどこかの部族の長であるのだろう。


「分かりました。これより向かいますわ」

「いいの?」

「ええ。ちょうど手が空いておりましたから」


 もう計算は終わりそれに基いて物資の管理担当の者に一日辺りの分量を伝えてあるし、すぐにしなければならないことは特に無い。

 食事は別に後でも構わないし、何か私に話があると言うのならば聞いてみてもよいだろう。

 私はユーフェルにも折を見て休むように伝えると、念のためにカルロを連れて陣内の捕虜達のいる場所へと向かった。


 


 


 



 騎馬遊牧民の部族長という地位がラーゼリア王国において(そしてベルフェリート王国に当てはめた場合)どのような地位に当たるのかは知らないが、ひとまず貴族の捕虜と同じように遇している。

 即ち、武装解除はするし指定の場所以外を歩かせたりは(機密を守るためだ)しないが、その二点以外においては軍勢を率いて参陣している自国の貴族と全く同じように扱うということだ。

 つまり専用の幕舎も与えられており(武器になるようなものは中に置かれないし入り口の外には勝手に外に出られないように兵が立ってはいるが)、私はそこを訪れる。

 白い布が上から垂らされるような形になっている入り口を潜り、内部へと足を踏み入れた。

 すると、そこには一人の男が椅子の上に腰を下ろしていた。

 歳はまだ二十をいくつか過ぎた程度だろう若い男である。

 彫りがかなり深く引き締まった輪郭、外側に大きく吊り上がった三角眉とそのすぐ下にある獣を連想させるように鋭い眼光を放つほの赤い蘇芳色の瞳。

 髭などが生やされていないその顔立ちは極めて男性的なものではあるが、美形であると言って差し障りは無いだろう。

 頭には羽毛か何かで作られたと思わしき白い帽子を被り、大きな両耳からは恐らくはスピネルであろう透明の宝石があしらわれた装身具が下げられていた。

 彼らの部族の普段着なのだろう薄い布地の衣装の上から防御のためだろうか左胸の辺りにおもむろに獣の皮を巻きつけている彼は、その上からでも分かる程に筋肉質でかなり大柄な体躯をしている。

 優れた剣士であり相当に大柄な体格の持ち主である我が国の殿下よりも、体格だけで比べるならば更に大きいだろう。

 一言で表現するならば精悍とか凛々しいという表現がぴったりだろう彼は、入ってきた私の方を見つめている。


「お前がこの軍の長か?」

「ええ、そうですわ」


 こちらへと向けてラーゼリア語で口を開いた男。

 その仕草や口調は粗野という印象を受けるものであったが、しかしあちらに悪意がある訳ではないことが分かるので特に不快には感じなかった。


「俺は栄光あるチェレルの族長エドゥレンだ」

「星と月ですか、素敵な名前ですね」

「分かるのか?」


 チェレル族の長を務めていると自らのことを紹介する彼。

 この地域に暮らす遊牧民達には元々苗字という概念は無く、ラーゼリアの国民としてどうしてもフルネームを名乗る必要がある際には部族名が苗字の代わりとして使われる。

 即ち、この男であればフルネームはエドゥレン・チェレルということになるのだが、しかし彼らは風習や文化だけでなく言語も他の地域で広く用いられているラーゼリア語とは異なるものを話しているのだ。

 現在男がラーゼリア語を話していることからも分かるように、ラーゼリアの国内で国民として暮らしている彼らはそちらも話せることも多いのだが、しかし日常生活において使われているのは彼ら独自の言語であり、ということは名前もまたそちらで付けられているということである。

 エドゥレンという名前が彼らの言葉で星と月という意味を示していることを指摘すると、彼は驚いたような表情を浮かべて反応を見せた。

 そして、思わずといった様子でチェレル族の言語で問い返してくる。


「分かりますわ。して、此度は私に如何なるご用でしょうか?」


 ラーゼリア語ではない独自の言語で語り掛けてきた彼に対して、私もそれに切り替えて言葉を返す。

 昔宰相としての仕事をしていた頃にこの言語も覚えたのだ。

 今度はこちらから問い返す私。

 わざわざ指揮官である私を名指しで会いたいと言ってきたからには何らかの用件があるはずであるし、それが何であるのかは気になっていた。


「我らが栄光あるチェレルは荒野の王者だ」

「そうなのですか?」


 遊牧民達は部族間で覇権を巡って争っていることも多く、その栄枯盛衰は激しい。

 二百年もあれば勢力図などがらりと変わっているだろうから現在どのような状態であるのかは知らなかったが、エドゥレンが何を言いたいのかといえばつまり彼が族長を務めるチェレル族が現在他の部族達を従えてこの地域の覇権を握っているということなのだろう。

 その主張の正しさを判定するだけの知識を持っていないので、本当かどうかは私には判断出来ないが。


「ああ。俺が族長になってからはチェレルは一度たりとも敗れていない」


 そう口にする彼であるが、どう返していいのか分からないので黙って続きの言葉を待つ。

 彼が一体何を言わんとしているのかがまだよく掴めなかった。


「だがお前は俺に勝った。あれ程速い騎兵を見たのは初めてだ。悔しいが俺達よりも速い。俺はお前に従おう」

「それは頼もしいですわ」


 若干生返事な言葉を返しつつも、彼が何が言おうとしているのかが見えてきた。

 彼らは騎馬遊牧民であり、言うまでもなく幼い頃より馬と触れ合っており、馬の生育を得意としている。

 つまりそんな彼らは馬の扱いに誰よりも自信があったにもかかわらず、圧倒的な兵数差であるにもかかわらず騎兵同士の戦闘で敗れ、しかも彼らの売りである速度においても私の軽騎兵に上回られたためにその自負を破られたということらしい。

 そこで、こちら側についてくれる気になったようだ。


「俺を解放してくれないか? あれだけでも十分勝てると思っていたからな、全軍を連れてきた訳じゃない。残りの諸部族を纏めて戻ってくる」

「……そうね」


 そして男は本題を口にし、私はその提案について是非を考える。

 ともあれ、特にこちらにデメリットがあるとは思えなかった。

 彼が本当に残りの諸部族を纏め上げて戻ってきたとしたら楽にラーゼリア南部の制圧を成功させることが出来るし、仮に反故にして再戦を挑んできたとしても、その際に対峙することになるだろう残っている者達とはいずれにせよ干戈を交えねばならないだろうから、別にこちらにとってはマイナスではない。


「これを預ける。それでどうだ?」


 考え込み始めた私に対して声が掛けられ、それに反応して顔を上げると彼は両耳につけられた装身具の片方を外すとこちらに差し出していた。

 シンプルな意匠のそれの中心にある無色のスピネルの煌きが私の目に届く。

 この地域の騎馬遊牧民には、男の子供が一歳になるとその子を産んだ母親が宝石を選ぶ習慣がある。

 そして用意された宝石はピアスにされ、成人として認められるとそれを装身具として耳につけることを許されるのだ。

 彼らにとってそれは本人の分身と表現してもよい程に大切なものとして扱われており、そのようなものを預けてくるということはこの男がそれだけ本気だということである。

 それこそ、我が国で言えば貴族が自らの名や身を賭するのと同じようなものだ。

 そのような矜持を見せられたならば、私としても相応に応えなければ名が廃る。


「分かりました。皆解放しましょう。貴方の成果を期待しておりますわ」

「任せろ。月神とお前に誓って」

「では、こちらは貴方が戻られるまで私の誇りにかけて預からせていただきます」


 圧勝だったとはいえこちらが勝てたのは主に互いの戦術の相性の問題であり、自在に馬を操る彼らが精強であることには変わりがない。

 味方になってくれるならばかなり頼もしいし、水源や狩り場に恵まれていない中においてそういった場所を熟知している彼らが味方してくれれば行軍もかなり楽になる。

 互いに約し終えたところで、私は幕舎を後にした。

 もう夜が遅いし何かと準備しなければならないこともあるので今すぐにとはいかないので、彼らを解放するのは早くとも明日の昼頃となる。

 無事に戻ってきてくれればよいのだが、と思いつつ、私は自らの幕舎へと向かったのだった。


 そして、それから十日程の後、私達の陣の前にはその全てが騎兵である十万以上の軍勢が整列し、こちらに帰属する旨を明らかにしていた。

 彼らと共に、進軍を再開する軍勢。

 北路軍からは順調に進撃を続けており後少しで目標である首都に到達するという報告を受けているし、北から攻め込んでいるフェーレンダールの軍勢も既にラーゼリア北部の制圧を終え今は東部を半ば制圧し終えたところであるという。

 長い戦乱は、もうほとんど終わりを告げかけている。

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