28. 浮上
ラーゼリアの軍勢に対応するために王都を出撃してから十数日程の後。
情勢は、私が思い描いた通りに推移していた。
ベルファンシア公爵が籠城していた館は陥落し、彼や未だ命運を共にしていた貴族は身柄を確保され、王都へと護送される。
私の打った策によって足止めされていた三十万の軍勢は館を陥落させた友軍が撤退を開始した直後に中央部へと進入したのだが、それを見計らって私は軽騎兵で相手の背後を襲って兵站の輸送路を断ち、同時にクララに命じて輜重を焼くことで敵の兵糧を失わせた。
ほぼ同時に、第三騎士団及び第四騎士団ががら空き状態になっている東部へと侵入し、分散していた守備兵を各地で撃ち破って東部地域の大半を奪還する。
更には、そのタイミングで公爵家の攻撃を終えた第二王子の部隊が戻ってきたことによって、ラーゼリアの軍勢は敵地深くで私達に包囲されることとなった。
いくら兵数で多少上回っていようとも、地の利も無く兵糧までもが不足していては勝利など望めるはずもない。
包囲された彼らは数日の交戦の末にその多くが降伏し、西から辺境伯家を牽制していた五万もルウの管轄下にある軍勢と連携した第四騎士団によって数日前に撃破されていたため、それによってラーゼリア王国の遠征軍はほぼ壊滅することとなった。
そして、辺境伯が自ら率いる軍勢と越境した第二騎士団とに挟撃されたことによって国境沿いで攻防を続けていた敵軍も散々に撃破され、辺境伯家の元からも脅威は過ぎ去る。
そう、これを以て、ベルフェリート王国は再び王家の下に一つになったのだ。
しかし、これでゆっくり出来るという訳ではない。
軍議の場で、私は初めから思い描いていた更なる献策を行う。
「全軍を二路に分け、このままラーゼリア王国に侵攻致しましょう」
私の提案を耳にして、どよめきが広がる部屋。
そもそも、戦いが終われば即位式が行われて殿下が新たなベルフェリート王となる訳だが、その際には王となった彼によって論功行賞が行われることになる。
では、それがどのような方針に基いて行われるかといえば、それは二百年に渡って続いた現宰相の政権を否定することが基本理念となることは疑いがない。
例えばナポレオン戦争後のヨーロッパがウィーン会議においてタレーランが唱えた正統主義に基いて戦前の状態へと戻されたのと同じように、我が国においても戦後処理に関しては二百年前のクーデター以前の状態へと戻すことが基本的な方針として掲げられることとなる。
つまりは、断絶させられた家に関しては子孫を探し出して復活させ、クーデターの際に加増された現宰相の派閥の家からはその分の領地を召し上げたりするということだ。
その際には私もそれなりの領地を与えられることとなるだろう。
とはいえもちろん国内の状態を二百年前そのままに戻すだけという訳ではなく、功があった諸侯には当然加増を行ったりする必要があるのだが、そうなるととても功績に見合うだけの土地が足りないのだ。
十分な加増が出来なければ当然諸侯の間に不満が生まれることになるし、そうなれば殿下の治世に大きな禍根を残すこととなってしまうのでまずい。
というのが理由の一つであるのだが、それだけでなく、長年に渡る宿敵であるラーゼリア王国からの脅威が無くなれば国内は安定するし、殿下の業績として後代まで語り継がれるような実績を作ることが出来る。
そういった面においても大きなメリットがあった。
ラーゼリアの国力は我が国とほぼ同等であり、総兵力(あくまでも常備軍に限定した数字だが)もまたほとんど変わらない百万である。
だが、そのうち我が国に侵攻してきた四十万は壊滅しており、また国境で辺境伯家と攻防を繰り広げていた軍勢も撃破されているため、単純計算で残っている兵力は半分ちょっとの五十万強だ。
しかしながら、残っている兵力のうちの大半は北から侵攻してきているフェーレンダールの親征軍の迎撃に回っており、他の地域に関しては防衛体制がかなり手薄になっている。
また、あちらは内乱を終えたばかりの私達がそのまま侵攻してくるとは夢にも思っていないだろう。
今こそが、ベルフェリート王国の七百年の歴史の中で歴代の王が誰一人成し遂げられなかった偉業を達成する絶好の機会だった。
もちろんそれはこちらにとっても国力的な意味であまり楽ではなく、多少無理はすることになるが、しかし多少無理をすることによるリターンは非常に大きい。
元より、ラーゼリアの数ある隣国のうちから手を結ぶ相手としてフェーレンダール王国を選んだのも、ただ牽制してもらうためだけでなくこちらから逆に侵攻することを前提にしていたためなのだ。
その後のことまでもを考えれば、手を結ぶ相手は他のどの国でもなくフェーレンダールである必要があった。
私の献策を聞いて、こちらに顔を向けながらにやりと唇を吊り上げた殿下と、楽しげなものを見つけたような笑みを幼い表情の上に浮かべさせた第二王子。
同じ薄茶色の瞳を除けば一見まるで血の繋がった兄弟であるようには見えない二人であるが、しかしそんな彼らの似通った反応は二人が兄弟であることを見る者に確信させるようなものだった。
その間にも、席にいる他の貴族達によって口々に意見が交わされていく。
そんな場の様子を伺っていると、ふとかなり上座の方の席に座っている銀髪の騎士団長と目が合い、彼はこちらへと向けてふと穏やかな笑みを浮かべた。
「私は賛成です。確かにいささか苦しくはありますが、我が国の国力であれば十分に可能ではあるのではありませんかな」
「余も賛成。名案だと思うよ」
ベルクール伯爵と第二王子が、私の意見にそう賛意を示す。
前者は高名な大学者として若くして名が轟いている人物であり、後者は王族の一員。
ましてやそうした名だけでなく実際の能力までも備えているのだから、彼らの言葉は場の流れを左右し得る程の重みや影響力を持っていた。
議論が続くにつれて、流れは次第に結論へと向けて収束していく。
―――そして。
「では、二路から侵攻しよう。奪われていた領土を今こそ取り戻す時だ」
黙って議論を聞いていた殿下が、場の意見が纏まったのを受けてそう結論を口にする。
封建制国家であるベルフェリート王国においては、いかな王族であり次期王位継承者である彼でも、諸侯の意思を無視して自由に方針を決定することは出来ない。
まだ戴冠式すら済ませていない現状であればそれはなおさらであり、故に彼は場の流れがある程度定まってから発言するのが常だった。
史学にも精通している青髪の伯爵の言葉によって、二百年前の内乱の際にベルファンシア公爵がラーゼリアに対して領土を割譲したことは既にこちら側の諸侯には知られている。
その事実を利用して、侵攻の名目としてはその際の領土を取り戻す(私達が二百年前のクーデターを認めないという立場である以上、当然割譲の際に交わされた当時の公爵とラーゼリアとの取引も認めない姿勢である)というものになった。
ともあれ、そのことが決定されたからには、今度は二路の軍勢の編成をそれぞれどのようにするかというのが議題に上がった。
まだ内乱が収まった直後であるために、国内を落ち着けるためにある程度の軍勢は抑えとして残しておく必要がある。
だが、ラーゼリア征伐という偉業を殿下の功績にするのであれば彼自身の親征という形を取る必要があり、その二つの事情を合わせた結果として第二王子と第三騎士団を初めとした軍勢が国内に残ることとなった。
となれば軍を三つに分けることになるのだが、王都を制圧して少し時間が過ぎていることによって、周囲から諸侯が集結しつつあることによって兵力はかなり増えているので特に問題は無いだろう。
またもや白熱する室内。
二路は私の中では辺境伯家の領地から越境してほぼ直線であちらの首都を目指す北路と、そのまま南に大きく迂回して向こうの南部地域を制圧しながら進む南路を想定しているのだが、当然殿下が率いるのは前者である方がいい。
となれば、どのような編成にするべきかもある程度定まってくる。
発案者として時折発言したり騎士団長や伯爵の意見を受けて案を修正したりしつつ、それなりに長い話し合いの末結論が出たのだが、予想通り私は南路を進むこととなっていた。
兵数は、北路軍がおよそ二十万で南路軍が十万である。
やがて軍議の終了が殿下から告げられたが、私が廊下に出ると開始前にはまだ明るかった窓の外がすっかり暗くなっていた。
そろそろいささか空腹も覚えてきた頃である。
今夜の夕食は何を食べようか、などと考えつつ、私は自室へと向かったのだった。




