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25. 北上

 兵は拙速を尊ぶ。

 速攻の重要性を説いた孫子の有名な一節(機動力を生かした奇襲攻撃によって勝利に勝利を重ねたアレクサンドル・スヴォーロフの輝かしい戦歴がこの言葉の正しさを証明していると言えるだろう)であるが、現在は拙速を以て動くべき状況である。

 現在、クララが広めた流言によってラーゼリア軍の動きはほぼ完全に停止しており、本国からの指示が届くまでは再び動き出すことは無いだろう。

 故に私達は、今や二十万を優に超えることとなったほぼ全軍で北上し、王都へと向けて進軍していた。

 ラーゼリアが動けないこの期に未だ余力を残している現宰相側との決戦を行い、そのまま一気に王都を奪還してしまおうという目的である。

 ここで決戦に勝利して王都を奪還することが出来れば現宰相の勢力はほぼ失われるし、主に地理的な事情でまだ旗色を鮮明にしていない(私達が南部にいるために遠く離れた北部や西部に領地を持つ諸侯はこちら側に味方する意思を持っていてもそれを表明することが難しい)諸侯に参陣を求めることも出来、余裕を持ってラーゼリアと対峙することが出来るのだ。

 だが、現宰相側も未だ総勢で二十万程度の軍勢は保持している。

 兵数ではやや優勢であるし大義名分がこちらにあるため敗れる要素は少ないとはいえ、油断は出来なかった。

 王家の紋章が描かれた旗を本陣の付近に掲げながら、ゆっくりと街道の上を進んでいく軍勢。

 目標が王都の奪還であるということで、今回は殿下と第二王子の二人も共に来ているのだ。


「いよいよだね、サフィーナちゃん。まさか本当に勝てそうなところまで来れるとは思ってなかったけど」

「そうですね、まるで学園にいた時が遠い昔であるような時間でした」


 そんな会話を、馬を並べているすぐ隣のユーフェルと交わす。

 ほんの数ヶ月前までは彼と共に学園に通っていたというのに、あたかももうその頃が遠い過去であるかのように感じられる。

 それ程に、激動にして濃密な数ヶ月を過ごしてきたということになるのだろうが。

 彼の言うように、かなり不利な形勢からスタートした私達がいよいよ勝利を視界に収めかけていることには、幸運が味方してくれた部分も多くある。

 しかしながら、ユーフェルの力があったからこそという部分もまた大きいと思っていた。

 彼が副官として力を貸してくれなければ、騎兵の指揮に専念出来ずに勝利を収めることが出来なかった場面も多くあっただろう。


 私達のすぐ横にはここから南西の方向へと向けて水を供給する水道橋が見えた。

 近くに他の上質な水源がある場合はそこから水が運ばれるが、しかし国内の大半の地域へは王国の中央部にある山脈の清水が水源として利用されている。

 これは標高が高いために高低差がつけやすく、故により遠くまで重力を用いて水を流すことが出来るためであるのだが、つまり目の前に見えている水道橋も、ここまでに限っても水源から数百キロに渡って伸びているということだ。

 そう考えれば、いかに建造が大事業であったかがよく理解出来る。

 ただ建造するだけでも数十年がかりの大事業であるが、ましてやそれだけの水道網を維持し整備し続けるには相当な国力を必要とする。

 それは現在利用している街道も同様であり、そうした社会基盤を維持するためにもあまり長く内乱を続けている訳にもいかない。

 速やかに王都まで制圧し、とりあえずであっても国を纏めなければならなかった。


 二十万を超える大軍は百メートルも幅のある街道を横に埋め尽くし、しかしそれでも足りずに遥か先にまで長蛇の列を作っている。

 私達の部隊がいるのは、全体から見てやや前寄りの辺りだった。

 歩兵が大半であるためにゆっくりとした歩みで行軍を続ける軍勢。

 隣にいるユーフェルと様々な会話を交わしつつ(彼が次々と話を振ってくれるので話題に困ることはなかった)、私はヴァトラの背に身体を預けていた。


 


 


 



 何日行軍を続けただろうか。

 元々平地の多いこの国であるが、こと王都の周囲に関しては起伏が皆無であると言っていい。

 そういった場所が選ばれたのは街の発展と繁栄を優先しているためなのだが、しかし裏を返せば極めて護り難い地形であるということである。

 ましてやあまりにも長大な城壁を用いて防衛戦を行うことなど事実上不可能(にもかかわらず城壁が築かれているのは賊の襲撃を防ぐためだ)であり、そうであるからには、王都を支配している側は敵が迫ってきた場合野戦で迎撃しなければならないということを意味していた。

 斥候からの報告によれば、現宰相側は当然のように残っている軍勢で平野に陣を敷き、私達を迎え撃つ準備を整えているという。

 兵数はおよそ二十万。

 あちらも、ラーゼリアの動きが止まった機会を利用して最低限の備えだけを残して残っているほぼ全軍を出してきたのだろう。

 私達は、敵軍が待ち受けているという場所へと向けて移動を開始する。


 やがて戦場となるだろう平野へと到着すると、そこには遥かに見渡してやっと陣の端が見える程の大軍が陣形を整えていた。

 そこには最早引き返せなくなった現宰相派の諸侯のものである様々な旗が翻っているが、最も目立ち最もこちらの目を惹くのは、やはり中央に翻る巨大なベルファンシア公爵家の旗であろう。

 この国最大の貴族家の旗印であり、私にとっては憎悪の象徴でもあるそれは、嫌でも目を惹いた。

 その間にも、徐々に近付いていく彼我の距離。

 今更、対峙して様子を伺ったりする理由などこちらには存在しない。

 大義も勢いもこちらにあるのだから後はもう開戦するのみであり、移動のために長蛇であった陣形は敵軍に合わせるように横へと広がっていき、あらかじめ決めてあった担当の場所へとそれぞれの部隊が移動していく。

 総大将である殿下は当然ながら中央。

 第二王子が右翼の指揮で、ベルクール伯爵が左翼の指揮。

 それぞれの部隊の配置が終わると、いよいよ決戦の幕が下ろされる。

 そのきっかけとなったのは、第三騎士団長であった。

 こちらの布陣が完了すると、先鋒を任されていた第三騎士団が悠然と、それでいて凄まじい速度で敵陣への突撃を開始したのだ。

 敵として向かい合った先日は迎撃に必死であり分からなかったが、積み重ねられた訓練により一糸乱れぬ動きが可能であり、かつ騎士団長によって率いられた軍勢の動きは一種優美とさえ表現しても間違いではないようなものである。

 まだそれなりに残っていた距離を瞬く間に縮めた騎士団は、そのまま敵陣へと突入していく。

 動きの優美さとは裏腹に凄まじい突破力を持った彼らの突撃を止められるはずもなく、まるで紙の壁を突き破るようにあっさりと敵の壁を打ち砕いて先へと進んだ。

 無論、他の友軍も黙って見ている訳ではない。

 全軍はその間にも前進を続けており、少し遅れて彼我の歩兵達が衝突する。

 第三騎士団の突撃によって敵の陣形が大きく乱されていることもあって、押し始めたのはこちらの方であった。

 彼我の先陣同士が衝突している前線が、徐々に前へと進んでいくのが分かる。

 私の部隊が今いる位置は、中央の先鋒からやや下がった場所だ。

 歩兵と共にいても機動力という最大の利を削いでしまうだけであるので、通常であれば騎兵は歩兵同士の衝突からは離れた位置で敵の騎兵と戦うように運用されるのであるが、しかし現在は大軍同士のぶつかり合いである。

 戦場全体が地平の向こうまで陣形が続いている程にあまりに広大なため、歩兵が中心である本隊の中にあっても十分に運用が可能なのだ。

 とはいえ、戦いが始まったばかりであり乱れているとは言っても敵陣はある程度強固なままなので、まだ騎兵を動かすことはない。

 第三騎士団のように全身鎧を纏った重装備であるならばともかく、軽騎兵である私達が正面から敵陣に突撃を仕掛けることは単なる無謀でしかないのだ。

 故に、突入出来る程の乱れが敵陣に生まれるまでは、様子を伺いつつ指揮下の歩兵を動かすことに専念する。

 ダリアの旗が翻る傍でじっと前を見つめる私の隣には、侍従であるカルロと副官であるユーフェル、そして密偵であるクララ。

 今は私が歩兵を指揮しているが、騎兵を動かすとなればいつものようにユーフェルに歩兵の指揮を任せることになる。

 彼らと事務的な会話を交わしつつ、私は敵陣の方を見つめていた。


 軍勢の規模が大きくなればなる程、当然ながらそれに比例して指揮は行き届きにくくなり、柔軟に軍勢を動かすことが難しくなっていく。

 況や、二十万の大軍をや。

 時折アクセントになるような動きはあるものの、全体としては単調なぶつかり合いが続く戦況。

 その中において、優勢を保っているのはこちらであった。

 今も前線で暴れ回っている第三騎士団の活躍や、王族という大義名分の存在などその要因はいくつもあるが、私達は現宰相側の軍勢を大きく押し込んでいる。

 とはいえ、あちらもまた一歩も退く気配を見せず激烈な抵抗を見せていた。

 何しろ彼らにとっても現状は背水の陣であり、この戦いで敗れれば失脚がほぼ確定するのだ。

 現宰相本人は言うに及ばず、この期に及んであちら側に味方している貴族は公爵家に近過ぎて一蓮托生となってしまった者達であるため、どのような戦況であってもこちらに寝返ることはまず無い。

 それらの事柄が、彼らの見せる抵抗をより激しいものとしていた。

 だが、それだけで戦線を維持出来るはずもなく、こちらの攻勢に押されて次第に敵の陣形は綻びを見せつつあった。

 ―――となれば、私の出番である。


「ユーフェル様、歩兵の指揮はお任せしますわ」

「分かった。サフィーナちゃんが安心して戦えるように頑張るから、気をつけてね」


 そのような会話を交わすと、私はヴァトラの首を撫で、それに反応した彼女が疾駆を開始する。

 隣には侍従であるカルロ。

 猛加速した我が愛馬に続く一群は、その最高速度ならば第三騎士団を凌駕するだろう。

 瞬く間に味方も敵も置き去りにしていく私達は、一直線に敵陣の隙を駆け抜ける。

 いくら乱れていようとも、敵はかなりの大軍だ。

 軽装である私達がその中に突入するにおいて重要なのは、敵中で決して立ち止まらないことである。

 元より二十万の軍を相手に僅か五千で打撃を与えられるはずもないので、機動力を生かして敵の隊列を撹乱することに専念していく。

 高速で駆け巡りながらも、遥か向こうに翻るベルファンシア公爵家の旗をじっと見つめる私。

 ここからそれが翻る場所までは、同じ戦場の中とは言っても距離にして一キロ以上は優に離れているだろう。

 彼我の間は、歩兵の大軍によって隔てられている。

 たとえ突撃したとしても、とてもそこまで手は届きそうになかった。


 手薄な場所を探しながら、敵陣の中を駆け続ける。

 その際に、同じように動き回っている第三騎士団とすれ違う。

 手薄な箇所を狙って撹乱に専念している私達とは違い、重装騎兵である彼らは敵が固まっている場所に正面からぶつかっては突き崩すことを繰り返している。

 同じ騎兵であっても役割が異なるためにあまり近くで戦うことはなかったのだが、しかし偶然ながらある時併走することになった。

 いつものように、部隊の最前を駆ける私。

 第三騎士団でも騎士団長が前に位置しており、故にすぐ隣で馬を並べる形となった彼と言葉を交わすことが出来る距離になる。


「意図は分かるが、貴嬢は先頭を駆けているのか……。その細腕では剣は振るえないでしょう。無謀な行動は避けてほしい」

「ご心配ありがとうございます。気をつけることに致しますわ」


 先に声を掛けてきたのは騎士団長の方だった。

 こちらを心配してくれたらしい彼の言葉に対して、そう返事をする私。

 全体で見ればこちらが押しているのだ、戦場では不測の事態が起き得るので場合によっては無謀をせねばならないことも起こり得るとはいえ、優勢であるからには積極的に危険を冒す必要はどこにも無い。


「カルロ、必ずやサフィーナ嬢を護り抜くように。君の腕ならば容易いはずだ」

「はい!」


 そしてカルロの方に顔を向けた(とは言っても甲冑で全身が覆われているので彼の麗しい顔はこちらからは窺い知れないのだが)騎士団長はそう声を掛ける。

 それに対してカルロも答えを返すと、併走していた軍勢はそれぞれ標的を見つけて左右に分かれ、敵とぶつかっていく。


 


 


 



 数十万規模の軍勢同士による戦いであれば、一日や二日では決着がつかないことも決して珍しくはない。

 開戦から四日が過ぎた今も、依然として戦いは続いていた。

 とは言っても、既に趨勢は圧倒的にこちら側へと傾いている。

 あちらは普通であればとうに退却していてもおかしくはないだろう程に押し込まれているのだが、しかし一歩たりとも退く気配を見せずに抵抗を続けているのだ。

 まあ、彼らにとってはもしここで敗れれば事実上内乱における敗北が決定し態勢を立て直すことが不可能に近くなるのだから、踏み止まろうとする理由はよく理解出来る。

 それこそ、本陣のすぐ近くにまで私達が迫らない限り決して退くことはないだろう。

 だがしかし、その抵抗も最早限界に達しつつある。

 踏み止まるのも限界に近付き、半ば崩壊しかけている敵の陣形。

 それでも敵が未だ壊走していないのは兵が各々の貴族の領地で編成された常備軍であり、かつ指揮官である貴族達が退かずに踏み止まっているからだろう。

 とはいえ、まるで強い圧力を加えられたコンクリートにいくつも亀裂が走るように敵陣には綻びがいくつも生まれており、私達はそういった場所に突入しては更に瑕を広げていく。

 こちらが押し込めば押し込むほど敵の先鋒は後退することになり、初めはあれ程遠かったベルファンシア家の旗が徐々に近付いてきていた。

 まだ足りないが、いずれは手が届く距離になるはずだ。


 もうこれ以上撹乱は必要無い。

 味方の歩兵が一方的に押し込んでいく展開にそう判断した私は、少し後方で動きを止めて馬を休ませながら、じっと戦場の様子を見つめる。

 そして、しばらくの後、敵陣に一本の綻びが生まれた。

 その綻びはまるで蜘蛛の糸のように細くではあるが、敵の本陣へと繋がっている。

 ―――道が見えた。

 いつものようにヴァトラの首筋を撫でた私は、そちらへと向けて駆け出していく。


 細い綻びの道を辿るようにして敵本陣を目指していく私達。

 近付いたとは言っても、それでもなお未だ数百メートルの距離は彼我の間に存在している。

 天高く翻るダリアの旗。

 風に靡いて揺れるそれと共に、時折曲線を描くような進路を取りつつも旗印だけを見つめて進み続ける。

 味方の姿も、敵の姿もどちらも遥か後方へと流れ去っていく視界。

 もう直線距離にすれば百メートルは切っているだろう。

 後少しで現宰相に手が届く。

 だが、ふと私の視線の先にあるその旗が大きく翻った。

 それと同時に、目に見えて周囲の兵からの圧力が小さくなっていく。

 そう、遂に彼らは退却を始めたのだ。

 追いつけるか、と咄嗟に思案するが、しかし逃げる現宰相の背中に迫るにはまだいささか距離が離れ過ぎているし、こちらの馬も疲れている。

 つまりは、ほぼ不可能であるということだ。

 ただでさえ劣勢の中でどうにか踏み止まっていた敵軍は、総大将が逃げ出したとなれば戦線を維持出来るはずもない。

 彼らが同じように逃げ出したり、或いはこちらに降伏している姿があちこちで見受けられる。

 ひとまず決戦はこちらの勝利に終わったので、私は友軍へと合流すべくそちらの方向へと向かった。

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