確執
翌朝。
ビオレッタは久々にすっきりとした目覚めを迎えた。
どのくらい寝ていたのだろうか。外はもう随分と明るい。
(え……私、昨日はいつ寝たかしら……?)
寝起きで朦朧とした頭を精一杯働かせてみる。
次第に、モヤモヤと記憶が蘇ってきた。
昨日はラウレルの仲間であるカメリアと出会い、カタラータ神殿でお茶をして、彼女に恋心を相談して……そこに怒りのラウレルが現れたのだ。
なんとか誤解を解き、彼の怒りを沈めたあとは、プルガの背中に乗って帰ったはず。そしてその背中の上で――
……思い出した途端、身体中から変な汗が噴き出してくる。
(そうだ……私、ラウレルと……!)
彼は今、どこにいるのだろう。プルガの背から降りた記憶は無いため、きっと彼がここまで運んでくれたに違いない。
ビオレッタは急いで身支度を整え、バタバタと一階に降りた。
すでに起きていたラウレルは、いつものように朝食を作ってくれている。
「おはようございます、ラウレル様」
「ビオレッタ、おはよう! もう起きても?」
彼は『ビオレッタ』と呼んだ。それだけのことで胸が跳ねる。
これまでとは違う、少しだけくだけた喋り方も、昨日のことが夢ではないことを証明するようだった。一気に顔が熱くなる。
「あの……昨日は、ありがとうございました。部屋まで運んでくださって。お、重かったでしょう」
「まさか。羽のように軽かったですよ」
ラウレルはいつも笑ってくれるけれど、今朝はひときわ機嫌が良かった。朝日に透ける金髪も相まって、輝く笑顔は発光している気さえする。
彼は「さあ」とビオレッタをテーブルまで促す。ビオレッタが遠慮がちに椅子に腰かけると、彼も一緒に朝食を取り始めた。
「昨日、ビオレッタの寝顔見ながら考えてたんですけど」
「えっ! 寝顔……見ていたのですか!」
「見ないわけないでしょう!? なんなら毎日でも見たいくらいです、世界一可愛かった……まあ、そのことは置いておいて」
彼は出来たてのマッシュポテトをすくいながら、何でもないことのように切り出した。
「俺、『勇者』を返上しようと思っていて」
「返上!?」
突然のびっくり発言に、ビオレッタは思わずむせてしまう。慌ててミルクで流し込むと、改めてラウレルと向き合った。
「そ、そんなこと出来るんですか?」
「俺が『勇者』なせいでビオレッタが悩んでるなら、『勇者』の肩書きは邪魔なんですよね」
「はあ……」
呆気にとられてしまった。なんというか、肩書きの扱いがとんでもなく軽い。
そんな雑に扱われていいのだろうか。
「魔王も倒したことだし、世の中的にも『勇者』必要ないですよね?」
「そう言われればそうかもしれないですけど……ラウレル様はそれでいいのですか」
勇者なんて、これ以上無い名誉ある称号だ。しかも魔王を倒したという実績付き。それを簡単に「要らない」と言えてしまうなんて……
「俺は『勇者』の称号よりも、ビオレッタが欲しいので」
彼が『勇者』を返上したいと言い出したのは、他でもないビオレッタのためだ。
ラウレルの気持ちが真っ直ぐに伝わってくるから。
ビオレッタはそれ以上、何も言えなくなってしまったのだった。
そうと決まれば行動の早い彼は、朝食を平らげるとすぐ転移魔法を使い、オルテンシア城まで向かってしまった。
「あの……オルテンシア王と、どうかケンカしないでくださいね」
「ビオレッタがそう言うなら気をつけます。けど、向こうの出方次第ですね」
(ふ、不安だわ……)
ビオレッタはというと、彼のことが心配で気が気ではない。無意味に店内をぐるぐると歩き回ったり、窓を何度も何度も拭いてみたりと、何をしても落ち着けなかった。
何せ、ラウレルはオルテンシア王相手に「勇者辞めます」と言いに行っているのだ。今更ながら、事の大きさに不安は募った。
その後、何度目かの窓掃除をしていると、意外と早くラウレルが帰ってきた。
時間にして、一時間もかかっていないだろうか。
「おかえりなさい、早かったですね?」
オルテンシアでのことが気になって、話を聞きたいけれど……ラウレルのその顔は、不満でいっぱいという具合だった。どうやら満足のいく結果ではなかったらしい。
「あの王は、話にならない」
つまりは『勇者』を返上できなかったそうなのだ。
『勇者』と名乗ることを辞めたいと申し出たラウレルを、王は「辞められては困る」と有無を言わさず退けたという。
『なぜ? 魔王がいなくなった今、勇者の役目は終わったはずでしょう』
『オルテンシアの勇者ラウレルよ。それはそなたの一存で決められぬことだ。魔王を倒したとて、まだ役目は終わっていない』
王は食い下がるラウレルへそのように言い捨て、さっさと姿を消したという。
「ある意味、魔王よりあの王のほうが憎い」
「ラウレル様、そんなこと仰らず……でもオルテンシア王の言う『役目』とは、まだ何かあるというのでしょうか……」
「あいつは、『勇者』の力で他国を屈服させたいのですよ」
ラウレルが言うにはこうだ。
王は、外交面において『この世界を救ったのはオルテンシア王国の勇者だ』という強力なカードを持っておきたい。これからもその立場を利用して、他国へ恩を売り続けたいのだ。
出来ることなら勇者と姫を結婚させ、王族の威を確固たるものにして。
「もう俺は王に期待しない」
「ラウレル様……」
「俺は絶っ対、オルテンシアとの縁を切ってやります」
ラウレルはとうとう意固地になってしまった。よっぽど、オルテンシア王とは相容れないのだろう。
確かに彼から聞いた話だけでは、あまりにもラウレル側の意思を無視している気がする。
「でもラウレル様、王を相手とするのですから……くれぐれも無茶だけはしないでくださいね」
「……ねえビオレッタ、抱きしめてもいい?」
ラウレルはビオレッタの返事を待たず、彼女をぎゅうぎゅうに抱きしめた。
「ありがとう……いつも心配してくれて」
その体温に安心するような、恥ずかしくて逃げたいようなラウレルの腕の中。
ビオレッタは本心に抗うのを諦めて、彼の胸に顔を寄せたのだった。
こうなったら、なんとしてでも『勇者』という肩書きを捨てようとラウレルは躍起になった。
何度となくオルテンシア城へ向かっては王に話をつけようとするのだが、あちら側は相変わらずラウレルの意向を聞き入れることはない。
オルテンシアへの不満が溜まりに溜まっていたある日。
その日は朝から土砂降りの雨だった。
「ラウレル様いってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
ラウレルの行き先はクエバの工房だ。以前依頼しておいた指輪の進み具合を確認してきてくれるらしい。彼いわく、ピノの腕だとそろそろ出来上がる頃だという。
ビオレッタもクエバへ行きたい気持ちはあったが、今日はあいにく定休日ではない。道具屋に留守番だ。
ラウレルは風と共にまばゆい光に包まれると、道具屋からクエバの町へ旅立った。
(転移魔法って本当にすごいな……)
彼が発った後の静かな道具屋に、ザアザアと雨音が響く。
ラウレルはもうクエバの工房へ到着したことだろう。幾らか寂しさの残るカウンターで、ビオレッタはまた店番に戻った。
雨も降っているため、いつも以上に暇である。今日はお客を諦めて、備えつけたイスに座ると窓をぼんやり眺めた。
すると、雨が打付けるその窓を黒い人影が通り過ぎた。
謎の人物は物音も立てず、道具屋のドアを開ける。
「いらっしゃいませ……?」
ずぶ濡れのまま入ってきた男は、漆黒のローブを羽織っていた。間違いなく、グリシナ村の人間では無い。
ローブには、見覚えのある紋章が刻まれている。あれは確か……オルテンシア王国の紋章ではなかっただろうか。
となると、この男は間違いなくオルテンシア城からの遣いかだ。
ラウレルになにか仕掛けようとしているのかもしれない。
ビオレッタは、男の異様な雰囲気に思わず身構えた。そんな彼女を見て、ローブの男は口の端をわずかに上げる。
「勇者が贈ったとかいう、その指輪……貴女ですね。勇者をそそのかした女は」
「え……?」
「貴女が一人になるのを待っていました。一緒に来て貰いますよ」
身の危険を感じたビオレッタは、急いで店の裏口へと走った。しかしそこにもオルテンシアの兵が待ち構えているではないか。
ローブの男の後ろからも、控えていたであろう兵士が数人現れた。
もう、逃げ道が無い。
道具屋の娘に、なぜここまで……?
「勇者が選んだ女というから警戒していましたが……本当にただの道具屋のようですね。さあ、行きましょう」
「いや、離して……」
両側から兵士に捕らえられ、ビオレッタには逃げようが無かった。村の入り口には簡素な馬車が停められてあり、無理矢理押し込むように乗せられる。
「ビオレッタちゃん!」
「おまえら! ビオレッタをどこ連れてくつもりだ!」
雨のなか駆けつけたオリバやシリオ達も、必死になってビオレッタを助けようとしてくれた。けれど、ただの村民達は兵に押さえられれば身動きが取れない。
土砂降りの中を、シリオが羽交い締めにされている。泥々になった地面に、オリバが倒れ込んでいる――
「やめて! 村の人に乱暴しないで!」
「それでは素直についてきて貰えますか? 私共は、貴女さえ来てくれれば良いのですから」
なんて卑劣なやり方をするのだろう。
村の皆を人質に取るようなことを。
(ああ……ラウレル様、ごめんなさい……)
ビオレッタはローブの男に言われるがままに、ずぶ濡れの馬車へ乗り込んだ。
雨に打たれたまま取り残された皆のことが、心配でならない。シリオにオリバ、どうか怪我などしていないといいが。
ガタゴトと馬車が揺れる。
村が、海が、どんどん遠くなっていく。
次第に強くなる雨が、ビオレッタの不安を募らせていった。




