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過去編 サン・コロナとジン・コロナ(4)

 サンは孤児院職員とサマーをひとりずつ呼んで、魔獣が潜んでいることを説明した。


「いなくなるまで様子を見ます。安全が確保されたら子どもたちを連れて街へ帰りましょう」


 同意を示した二人は不安を隠せていなかった。

 サンは休憩も取らず魔獣の影をにらみ続ける。真昼の太陽は少しずつ動き、傾いてもなお魔獣に動きはない。

 そのしつこさは噂以上で、ピクリとも動かない様子にサンは何度か石の見間違いかと思ったほどだ。

 動きがあったのは青空の鮮やかさもかすみ、子どもたちも丘に飽きてきたころにようやくだ。


「……っ! 魔獣が、」


 草が風もないのに揺れた。

 そうかと思いきや、するすると這うように離れていく。


「ジン!」


 すぐにジンを呼びつけて彼の目でもいなくなったことを確認させる。

 彼は大きくうなずいた。


「周囲にも魔獣の影はなかった。今なら安全だろう」


 サンは安堵に顔をほころばせた。


 慌ただしく子どもたちをまとめ、人数に欠けがないことを確認し、互いに手をつながせて街への帰り道を急ぐ。

 計算が外れたのはそのときだ。


「ほらみんな、頑張ってください。帰ったらお風呂に入って眠りましょう……!」


 サンの声掛けにも反応が鈍い。

 子どもたちが遊び疲れていた。うつらうつらと歩きながら揺れたり、足の疲れに歩みを止めたりと、虫の歩みほどに進みが鈍い。

 サンは空を見上げて内心の焦燥を押し殺す。

 慈悲深き陽の光は大いに傾き、空の果てでは宵の藍色と黄昏の茜色が溶け合っている。草の影が暗く広がり、亡霊のような波が風に合わせて這い回る。

 市壁を見上げる。街までの距離はもどかしいほどに変わらない。

 焦れるサンに駆け寄って、ジンが苦々しく言った。


「これ以上は無理だ。野営の準備をしよう」

「そんな!」


 言い返しかけて、サンは顎を引く。

 野営の装備など用意していない。慣れていない子どもたちを十何人も囲って野原の真ん中に居座るなど無謀だ。だが、それは夜中行軍とて同じこと。

 日が暮れてから無理に進んでも、眠気に注意力を失った子どもたちのはぐれるリスクが高まるだけだ。

 不安げな孤児院職員と、目を伏せて神に祈るサマー。市壁の内側に生まれ育った二人にはサンとジンに己の命運を託すしかない。


(私だって、壁の外なんて初めてなんですよ!)


 叫びたい気持ちをかみ殺した。ぐっと飲み込むように顎を引く。


「わかりました。急いで準備を始めましょう」

「任せろ。冒険者をやったときはコキ使われてたんだ。野営の準備ならお手のものだ」


 ジンは誇らしげに笑う。たった一週間の経験を、まるで歴戦の勇士であるかのように強調して。

 励ましてくれるジンに笑い返して、サンはうなずいた。


「なにをすればいいか、教えてください」


 ジンの指示は的確だった。

 まず草原の真ん中に枝で作った杭を打ち、ロープを結んでサークルを引けるようにする。範囲内の草をジンが筋肉に任せて引き抜いて、子どもたちを含めた全員がかり踏み固める。

 その間に千里眼を駆使したサンが川原まで駆けて大きな石を集めてくる。かまどを作るためだ。木材も用意して柱に、枝と葉を編んで簡易な壁と天井を建てる。

 日光を操るサンがいれば、ジンの抜いた草を乾かして着火させるのは簡単だ。着火剤にしない分の干し草はベッド代わりになる。


 人数分のスペースを確保するという根気と体力のいる作業を、筋肉と加護に物を言わせて猛スピードで終わらせた。


「晴れてよかった。屋根の隙間を埋めなくて済む」


 燃え盛る焚火の横で、子どもたちがお日様の温かさを宿す干し草にはしゃぐ。ジンは夜の闇に怯えていない彼らを見て安堵の息を吐いた。

 空には満天の星空が広がっている。


「なんとか寝床は間に合いましたが……食事はどうします?」


 焚き火に当たりながら、サンは眉尻を下げてジンと大人たちに尋ねた。


「お昼の残りが少し。ですが、これではとても足りませんね」


 サマーがバスケットを開けて言う。お昼のサンドイッチが数切ればかり残っている。食べ盛りの子どもにはとても足りないだろう。


「動物を獲るべきでしょうか」

「獲って(さば)いて調理して……道具がないから骨が折れるな」


 ジンは太い腕を組んで唸る。


「木の実と、あとは虫、とかになるだろうか」


 うげ、と女性陣の顔が強張った。


「昆虫食は……町育ちにはちょっとハードルが高いですね……」


 サンのうめくような拒絶に声もなく同意する大人二人。「栄養価は高いんだがなあ」と言いつつもジンは提案をひっこめた。


「早く支度をしないと子どもたちがお腹を空かせてしまいます」


 焦るサンの肩を叩いて、孤児院職員が干し草のベッドを指し示した。

 疲れ果てた子どもたちは、すっかり眠りについている。

 ジンは肩の力を抜いて苦笑した。


「……今日のところは我慢してもらおうか」

「ですが、サンとジンには食べていただかないといけませんね」


 サマーが言って、バスケットを二人に寄せる。


「お昼をあまりお召し上がりになっていませんでしょう」

「そんな。いいんですよ私たちは。明日の朝、子どもたちに食べさせましょう」

「ダメです。お二人ともお疲れなんですから。少しでも食べて、お休みになられてください」


 でも、いや、とバスケットを押し合うサンとサマー。間のバスケットを取り上げてジンが苦笑した。


「明日の朝まで置いても傷むだけだろう。サン、ここは俺たちが頂こう。もしものときに空腹で集中力を切らすのが一番まずい」


 サンは困った顔でサマーと職員、そして子どもたちの寝顔を見た。誰もうらやむ者はいない。大人二人はわずかな余り物に申し訳なさそうにうなずく。


「わかりました。いただきましょう」


 サンはようやく受け入れた。

 焚き火で炙って温めたサンドイッチを食べながら、ジンはサンに切り出す。


「夕食を食っても、俺たちはまだ休めないぞ。番をしなければならない」

「不寝番ですね」


 ジンはうなずく。


「交代制にしよう。サンは先に眠ってくれ」

「いいえ。お互い慣れているとは言い難いでしょう。うっかり眠ってしまわないよう、お互いを監視しながら番をしたほうが安全です」


 ジンは困惑した顔でサンを覗き込んだ。その顔にはサンの疲労を気遣う表情がありありと浮かんでいる。

 サンは微笑んで胸を叩いた。


「大丈夫ですよ。こういうときのために、私は日頃から寝貯めているんです。ね?」

「どれだけ備えてるんだ、お前は」


 冗談めかした物言いに、ジンは少しだけ表情を緩めた。

 その顔にサンはひそかに胸をなでおろす。

 唯一の壁外経験者として、必要以上に気負っていた。サンはそれが分からないほどジンを軽んじていない。


「それでは二人で番をしましょう」



 焚き火の弾ける音色と揺らめく暖かさとに、サンの目はぼんやりとする。

 月は高く上り、夜半も過ぎて夜も深まっていく。

 焚き火のまばゆさは衰えず、この一帯だけが夜のなかにぽっかりと浮かんでいた。

 サマーと孤児院職員も、子どもたちの面倒を見続けた疲労か、暖かな干し草に包まれてぐっすりと眠り込んでいる。

 火が絶えないよう定期的に薪を継ぎ足して、サンは次の枝を手に選り分ける。


(しばらくしたら薪を足そう……しばらくしたら薪を足そう……それまでは、少しだけ……まぶしいから…………めを、とじ…………)


 ざあっと隈取りの輝きがサンの顔に這いあがった。

 サンは顔を跳ね上げて目を見開く。

 焚き火の旺盛な火勢は消え失せて、とろとろと埋め火が舐めるよう。

 星空の輝きは弱弱しく夜明け前が迫っている。風が草を撫でる音と子どもたちの小さな寝息に異常はない。

 サンは周囲に首を巡らせた。目に太陽神の隈取りが巻き付いていく。千里眼。


「……いる! 二匹、ううん、三、四匹……もっと!」


 顔色を失いつつ、サンはジンの肩を揺らした。がっくり首を曲げていたジンは飛び上がる。


「サン、寝てていいぞ!」

「なにを言ってるんですか。目を覚ましてください、なにかいます!」


 ジンも表情を一変させて、手元に置いていた剣を取る。だが敵がどこにいるのか見定められない。


「すまん。油断した」

「疲れていただけでしょう。私もそう。無事に切り抜けて笑い話にしてから謝りあいましょう」


 サンは緊張に干上がる喉に唾を飲む。

 なにかの気配はある。だが夜の草陰には闇しか見えない。足音も唸り声も聞こえない。ただ不自然に草の揺れだけがめぐっている。


「昼の魔獣か? まさか、ここまでしつこいのか」


 ジンとサンが周囲を警戒する。

 不穏な気配を察して子どもの一人が身を起こした。


「どうしたの……?」

「大丈夫ですよ。気にしないで眠っていてください」


 サンはおそらく笑顔に失敗した。

 子どもたちが次々と目を覚ましていく。不安はあっという間に伝播して、ささやくような声が漏れだしてくる。


「く……」


 サンは唇を引き結んだ。焦りが募る。


(誰かひとりでも、子どもをさらわれたら……!)


 孤児院職員が、にっこり笑って両手を広げた。


「みんな」


 子どもたちの視線が集まったことを確かめて、彼女は口を開いた。


「それぞれ手をつなぎましょう。集まって、団子になるの。できるかな?」


 子どもたちはそれぞれ近く同士で手を取り合い、体を寄せ合って団子状に集まっていく。

 同時に不安のささやき声もやんだ。しーっと指を立ててお互いの顔を見合わせ、くすくすと笑い声すら漏れている、職員はサンにウィンクした。


「嵐の夜によくやるんです。お互いの体温で安心できて、お互いをつかんでいるので、はぐれる子も出ない。なかなか賢い方法ですよね」


 職員の声にも恐怖がにじんでいる。

 それでも彼女は懸命に役目を果たしている。


「すごい。助かります。ありがとうございます」


 冷静な対応に内心舌を巻きながら、サンは空を見上げた。

 遠く山の稜線に光がにじむ。朝が近い。


(だけど)


 じわりとサンの心は焦る。

 このまま朝を待っても魔獣が立ち去るかどうか。むしろ、敵は太陽のもたらす安堵感につけこむかもしれない。魔獣たちはサンとジンが疲れるのを待っている。あざ笑うように音だけを立てて草を駆け回り続ける。

 なぜこんなことになってしまったのか。


(私のせいだ)


 昼の時点で、気づいた時点で対応しなかった。

 希望的観測で楽な道を選んだ。

 そのせいで、今まさに子どもたちが危険にさらされている。


(まだ誰も傷ついてない。今ならまだ間に合う。だから、今)


 聖人として、

 いずれ神殿を背負うものとして。下すべき決断を。

 安寧の守護者として背負うべきもの。


(まだ何の罪もない生命だからって、殺すことを恐れちゃいけない――!)


 かみしめていた唇を、放す。

 口を開いた。加護の文様が、蔦の伸びるように腕まで広がる。

 吐息に決意を乗せて、

 練り上げた殺意に祈りを込めて。

 サンは叫ぶ。


「――死ねえっ!」


 太陽のごとき烈しい火焔がサンの腕からほとばしる、

 はずだった。


「えっ」


 炎が出ない。

 サンはきょとんとして己の腕を見る。輝く模様は消え失せて、ただの細い腕があるばかりだ。

 陽だまりのような温かい光がサンのなかのどこにもない。

 気づけば目に見えるものしか見えなくなっていた。千里眼も失われている。


「――えっ」


 自失するサンの背後、

 草を割って、うごめく紫焔のような獣が牙を剥いて飛び掛かり、

 古びた剣を食らって地面に叩きつぶされた。


「サンッ! 大丈夫か!?」


 ジンの肩や腕が込められた力に膨張する。渾身の筋肉で剣に噛みつく魔獣を押さえ込んでいる。

 サンは慌ててジンと揉みあう魔獣に手を向けた。

 しかし、腕は光を発しない。ただの人間の細い腕が伸ばされるだけだ。


「……炎が、出ない……?」


 指が震える。まさか。地面が抜け落ちたかのように愕然とふらついた。


「神様に、見放された……?」


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