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過去編 サン・コロナとジン・コロナ(3)

「え……冒険者さん来れなくなっちゃったんですか!?」


 聖都の西門を前にして孤児院の職員は高い声をあげた。

 門番を務める初老の男性がうなずく。


「そうらしい。なんでもリーダーの親御さんが危篤らしくてな。本当に申し訳ないと言っていた」


 こっちが申し訳なくなるくらい恐縮してたよ、と門番が気まずげに伝える。


「親御さんご無事だといいですね……。しかし、そうなると困りました。子どもたちはピクニックをすごく楽しみにしていたんです」

「ギルドから代わりの冒険者が派遣されるもんじゃねぇのかい?」

「いえ、冒険者ギルドに依頼したわけじゃないんです。孤児院育ちだっていう冒険者さんが、ご厚意で護衛してもらえることになっていたんです。危険手当だけで、あとは食事と宿泊のお約束で」


 深刻そうに話し合う職員と門番を遠巻きに見て、サンとジンは顔を見合わせる。


「どうもトラブルが起こったらしいな」

「孤児院が遠足なんて珍しいと思っていましたが、ご厚意があるはずだったんですね」


 サンは門前広場の端に整列する子どもたちを見た。

 彼らは不穏な空気を感じ取っていて、それは気のせいなんだとお互いに言い聞かせるように、めいめい楽しみを語り合っている。

 強張った笑顔たちに落胆の冷や水を浴びせるのも気後れして、サマーが足早に職員と門番の話し合いに加わりに行った。

 その背中をジンも見送る。


「つっても、選べる道は多くないな」


 ジンは筋肉塊のような腕を胸の前で組む。

 道は二つ。

 諦めて帰るか、()いて進むか。


 いくら聖都の周辺で魔物の報告は少ないとはいえ、子どもたちを連れて護衛なしで行く無謀はありえない。

 市壁に囲まれた都市に、自然公園はわずかに三つ。いずれも市民の寄付で作られたもので、出資していない『孤児院の子どもたち』は微妙な立場だ。だからこその遠足計画だっただろう。

 子どもたちは期待に胸を膨らませていて、同時に期待が裏切られることに怯えていた。


「……選択の余地はありませんね」

「そうだな。子どもたちには気の毒だが、護衛なしでは無理だ」


 サンはジンの言葉を無視して、筋肉の図体を押しのける。

 彼は盾になって遮っていた。

 職員とサマーの、期待と後ろめたさがない交ぜになったサンへの視線を。

 神官服の胸に手を当てて、サンは凛と背筋を伸ばす。


「行きましょう。私が護衛します」




 サンは冒険者ではない。

 神の加護を賜りうる信徒は、その強力な力で冒険者となって活躍することも多い。

 サンはその道を選ばなかった。考慮に入れたこともない。

 聖女と呼ばれる立場にあって、神殿から離れる未来はありえなかった。

 だから、戦うために加護を使うのも初めてならば、そもそも街の外を歩くのも初めてだ。


「みんな足元に気を付けて。前の人と離れてはいけませんよ」


 よく晴れた空が遠くまで広がっている。

 市壁を背後に、遥か山々すら見通す草原へと街道を外れて踏み入って、遠足は始まった。

 緊張に干上がる喉の震えを押さえて、サンは子どもたちの様子を窺う。

 子どもたちはいい気なもので、サンの緊張など知らぬげに道の植物に目を輝かせている。

 子どもの様子を視察するどころではない。魔物だけでなく狼や猛禽、毒性の植物などありはしないかと神経を尖らせてしまう。

 肩を叩かれた。


「そう気を張るなよ。バテちまうぞ」


 ジンが苦笑していた。彼は鞘に収められた剣を肩に担ぐ。


「警戒は俺がする。サンはなにかあったときに対処してほしい」

「……ジンって冒険者だったんですか?」

「ほんの一週間くらいな。街の外へお使いに行ったついでに」


 その割には堂に入った態度で、使い古された剣を軽く振った。門番の備品を借り受けたものだ。


「少なくとも、初めての壁外にビビってへとへとに疲れる経験だったら、もう済ませてある」

「……それじゃ私が怖がりみたいじゃないですか」

「正しい怖がり方だろうさ。こんなに子どもたちがいて、全員を守らなきゃいけないんだから」


 黙するサンの肩を叩き、ジンは気取らない足取りで集団の先頭を進む。

 上背を生かして目印になるように腕をあげ、地に響くような大声をあげた。


「みんな、こっちだ。草原の丘までもうすぐだぞ」


 ぞろぞろと行列を引く道行きは驚くほど鈍く、百万からなる軍勢だってもうちょっと早く歩きそうなくらいだ。子どもたちは遊びながら道を行く。

 野良の動物や魔物が現れる気配はなく、天候は晴れ渡ってまさに散歩日和。

 子どもたち同士で多少の騒ぎはあったにせよ、浮かれた行軍にしては順調そのものと言えた。

 丘を前にしてジンが両手を広々と広げる。


「……着いたぞ!」


 わあっと歓声が上がった。

 日は中天に高く、子どもたちに囲まれたサマーがバスケットからお弁当を広げていく。

 サンはジンと分担し、子どもたちから離れた場所で草原の監視に立った。


「聖女様、今日はありがとうございました」


 サンの隣に職員がやってきた。


「もともとこの場所は冒険者さんにオススメされたんです。ぜひお昼はここでって。本当、綺麗ですよね。みんなも来たがっていました」

「そうだったのですね」


 言われて初めてサンは景色に意識を向けた。

 丘は小高く、青空の下を貫く茶色い街道を見下ろしている。なるほど確かに絶景だった。


「……わっ!?」


 重くて暑くて汗っぽい衝撃。

 小さな女の子が二人係でサンの腰に抱きついていた。少女たちは頭に野花で編んだ花冠をかぶっている。


「聖女様! 神子様も一緒にお昼ご飯食べよう!」「サンドイッチなんだって!」

「素敵なお誘いありがとうございます。でも残念ですが、私はまだお仕事中で離れられないんです」

「お仕事なの?」「お仕事中なのー?」

「はい。お二人とも、お腹いっぱいまで食べてきてくださいね。お日様の下でみんなと食べる食事はきっとおいしいですよ」


 女の子二人は顔を見合わせると、頭の花冠を取ってサンに手渡した。


「聖女様、あげる!」

「いいんですか? ありがとうございます」


 大人しく花冠を受け取って、頭にちょこんと乗せた。子どもサイズの花冠は少しだけ小さい。サンはにっこりと笑いかける。


「似合っていますか?」

「きれい」


 女の子二人はご満悦に笑う。そしてお互いを追いかけ合うように、ランチの支度をするサマーの方へと駆けていく。

 職員は苦笑して頭を下げる。


「すみません、元気の有り余っている子どもたちで」

「それでこそですよ。さあ、ここは私に任せてあなたは行ってください。シスターサマーひとりに子どもたちを任せるのは酷ですよ」

「そうですね。では聖女様、よろしくお願いします」


 職員はもう一度頭を下げて、急ぎ足で子どもたちのところに向かう。

 ふとサンが顔をあげると、丘の向こう側でジンがサンを見ていた。彼は頭の上を示すと、からかうように「良い」のジェスチャーを送ってくる。


「ちゃんと見張ってください」


 追い払う手ぶりをする。ジンは肩をすくめて背を向けた。

 サンは頭の花冠を外そうと手を上げて、


「……まったくもう」


 そのまま手を下ろした。


 爽やかな風が吹き、見渡す限りの草原が波を打ってゆるやかに広がる。

 街の外は危険……そんな言説が馬鹿馬鹿しく思えるほどの穏やかさだ。


「このまま何事もなく終わるといいんですけど」


 ――と。

 ざわっ、とサンの頬に輝く隈取のような文様が浮かぶ。春の日差しのような柔らかな光。太陽神の加護の表れだ。

 にわかに表情を険しくして視線を巡らせる。

 隈取が急成長して目を囲んだ。遠見の加護。遥か空から地上世界を見下ろす神の眼差しに等しい千里眼が、サンの双眸に宿される。


「ジン!」


 サンの呼び声に、幼馴染は誰よりも正確に意図を読み取って駆け寄ってきた。腹が減ったと言いながらサマーに近寄り、サンドイッチをひと切れずつ受け取ってサンに届けに来る。


「どうした」


 声は低く、聞かれないように。

 サンは草原を指した。


「草に隠れて伏せているようです。黒い毛の狼のような……あれはなんでしょうか」

「……さてな。狼ではなさそうだが」


 風に揺れる草の波に、ほんの一部、影を落としたように揺れの鈍い場所がある。その根に重しとなる何かがいる。

 姿を見通せるのはサンの千里眼があるからだ。


「狼ではないと思うのは、なぜですか?」

「狼は森の獣だ。木陰を縫って接近しながら包囲する。一匹だけが、あんな遠くで待っているのは不自然だろう」


 サンは目を凝らす。

 うずくまった何かは四足を折りたたんで姿を隠している。正体を決定づける特徴は見当たらなかった。


「獣でないなら……なんでしょうか」

「魔獣かもしれん」


 ジンが重苦しくつぶやく。

 野生の獣と魔獣とでは、習性や外見に大差がないことも多い。だがその実、致命的に異なる点がある。

 魔獣は怪我をしない。

 体を魔力で編みあげた生命体であるため、核でない場所へのダメージは無いに等しい。反撃を恐れないため好戦的で、諦めが悪く、凶暴になる。

 恐れ知らずの性向により、生物の常識から外れた行動を取る個体も珍しくない。

 何をしでかすか分からない純粋な脅威だった。


「厄介ですね」

「ああ。こちらの目を盗んでひとりふたりと攫われたら目も当てられない」


 サンは丘を振り返った。

 無邪気にはしゃぐ子どもたち。彼らをもし一人でもさらわれたら――サンは戦う力を持たない彼らを、『一人でも多く』街に送り届けるしかなくなる。


「どうする? 攻撃するか?」

「……様子を見ましょう。下手に手を出して執着されたらたまりません」

「確かにな。そうしよう」


 ジンはうなずいて、背を伸ばす。


「一頭ではないかもしれない。俺は周囲を見張っておくよ」

「頼みます」


 立ち去っていくジンを見送って、サンは深呼吸する。


「子どもたちを不安がらせるわけには、いきません」

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