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過去編 サン・コロナとジン・コロナ(2)

 実際、公務のなかでも特別簡単なものを選んでくれたのだろうとサンは思う。


「「「ようこそ、聖女様!!!」」」


 整列した子どもたちと職員がにこやかに歓待の声をそろえる。

 挨拶を返したサンは、彼らが背にする建物を見た。

 頑丈さを主眼に建てられた、飾り気もそっけもない建物。過ぎた年月に相応しい古臭さとカビと汚れが浮いている。

 神殿が運営する児童福祉施設――孤児院の視察に、サンは派遣されていた。

 笑顔を作って応対しようとするサンを、筋肉が遮った。


「やあどうも。悪いけど聖女様は仕事で来たんだ。また後でな、子どもたち」


 聖女の尊顔を隠したジンに容赦なくブーイングが浴びせられる。ジンはサンを押しやって職員とともに事務所へ向かった。

 三々五々に散っていく残念そうな子どもたちを振り返って、サンは小さく訴える。


「少しくらい、話をしてあげてからでもよかったのではありませんか?」

「そんなことを言って、毎朝の礼拝みたいになりたいのか? 仕事をする時間が無くなるぞ」


 サンは口をつぐむ。毎朝の神殿掃除の義務を、サンは放棄し続けている。


「……ジンが来てくれて助かりました。私では上手に打ち切れませんから」

「なに、お礼なら俺の同行を許可してくれたシスターサマーに言ってくれ」


 ジンは振り返って、二人に付き従うサマーへと筋肉を見せる。サマーは完璧な微笑で受け流した。

 案内する職員は緊張に笑顔をはりつけて、ぎくしゃくと先導する。


「まさか聖女様がお見えになるとは思わず、ご無礼を申し訳ございません」

「お構いなく。こちらのほうこそ、私のような未熟者ですみません。お手数をおかけするかと思いますが、よろしくお願いします」

「とんでもない! 手前どもの手数で良ければいくらでも!}


 微妙におかしな応対になりながらも、職員は鍵も開けないまま施設の通用扉をガチャガチャと動かす。


「我々どもは誠心誠意の運営をしておりまして、そんな視察されるようなことは何一つありませんですが! 貴族に子供を売るとかそんなことは当院では起こっておりませんから!」

「そんなことが?」

「ありません!! 神に誓って!! 今のは物語での話です!!」


 職員は生で見るサンに緊張しているようだった。

 ようやく鍵を取り出す職員の背中を見て、サンは再び息をつく。

 緊張しているのはサンも同じだ。


「シスターサマー、視察って何を見たらいいんでしょう?」

「何でも構いませんよ。子どもたちに必要なことを正しく施設が行っているか、また施設では力の及ばないことはどんなことか、運営の現状を目で見て確かめるのです」

「……よくわかりません」

「そんなものです」


 サマーは微笑んで、それきりぴたりと黙ってしまった。

 サンは眉を寄せて視線を隣にずらす。ジンは顔の筋肉を動かして、目を丸くした。


「俺は分からんぞ。頭脳労働はからきしだ」


 サンは黙して正面を振り返る。


「問われないのは問われないで腹立つな。謙遜しただけで、俺も頭は使うほうだぞ」


 ジンのぼやきは黙殺した。

 ようやく解錠された扉を開いて、職員はサンを施設に招く。サンは決然と顔をあげた。


「では、子どもたちが実際に暮らしている環境を見て回りましょう」


 サンたちは一通り施設を眺めて回る。

 目立つ埃は浮いておらず、掃除が行き届いている。

 今日に備えて大掃除をしたに違いないものの、差し引いても必要十分な清潔さは保たれているようだった。割れた窓ガラスもなく、壁の落書きも懸命に消そうした努力がにじんでいる。

 遊戯室に差し掛かり、サンは職員を振り返った。


「おもちゃは人数分足りていますか?」

「はい。ご近所に木工細工を趣味にするご老人がおりまして、子どものリクエストに沿った木彫りのおもちゃを五歳の誕生日に贈ってくれています。まあ、取り合いのケンカも起こったりしますけど」

「それは少し数が足りていませんね……取り合いのケンカに負けたときに、避難所になる心の拠り所が必要なんです」


 サンは滑らかに出てくる自分の言葉に驚いたように目を丸くした。

 驚きを隠しながら、遊戯室のおもちゃ箱に目を向けて言葉を続ける。


「私もシスターコロナの受け売りなのですが……子どもは"他人"という概念を受け入れるために、お気に入りのおもちゃを挟むそうです。ですから自分だけのおもちゃは子どもにとって命綱に等しいのだとか」


 語りながらサンは、自分の玩具はどこにやったかな、と心のうちに問いかけた。

 忘れ去った寂しさは、無事にその生育段階を脱却した証だ。一抹の郷愁を振り払って、サンは職員に笑いかける。


「神殿でおもちゃの寄付を募ります。物を大切にするよう、よく教え説いてくださいね」


 職員はかくかくと高速で深く首をうなずかせた。

 サンは目を逸らし、天井や窓に視線を這わせる。


「ところでこの施設、通気性や猛暑対策は確保されていますか。これから夏は準備できていないと大変ですが……」


 そうして施設を巡り終えて職員室の前に着き、サンは息を吐く。


「こんなところでしょうか。だいたい必要なものを洗い出すことができましたでしょうか」

「そうかもしれませんね」


 サマーはサンにうなずいて笑いかける。そして職員を見た。


「では、帳簿を見せてください」

「えっ?」

「見せてください」

「あっあっ」


 まごつく職員を視線で急かして、サマーは孤児院の帳簿を引っ張り出させた。サマーは帳簿を手早く検めていく。


「食費、水道費、燃料費、それに人件費。ふんふん。雑費の領収証を見せていただけますか。神殿からの助成金を含めた収支の割合を教えてください。ところで、この帳簿は誰がどうやって記録していますか?」


 サマーは帳簿を見ながら手帳につらつらと書き連ね、淡々と詰問する。

 いつしか職員は震えながらサマーの相手をさせられていた。


 §


「見たいものしか見えていませんね」


 事務所の裏口に三角座りをして、サンはうなだれた。


「神殿を運営するなんて私にできるんでしょうか」

「なにもかもをできる必要なんてないだろ。できる人に助けを求めればいいじゃないか」

「助けを求めるべき相手を、正しく見つけられるかどうかという話でもあるんですよ」

「それは……うむ」


 ジンもうなって顎を引く。

 サンは物憂げに細くため息を吐いた。


「シスターサマーが信頼できるからって、いつまでも頼ることはできません。そもそも一人に任せて捌けるものでもありませんから」


 海千山千の現神殿長が、誰一人として異論をはさまないサンを後任とするだけでも根回しが必要だ。

 問題は根深く、途方もなく大きい。

 言葉面で言うことはできても、実際のことを想像することができないほどに。


「でもまあ」とジンは声を出す。

 腕の力こぶ、腕の太さそのものを見せつけた。


「何とでもできると思うぞ。お前なら」


 隣に立つ筋肉を見上げて、サンは再びうつむいた。


「……その筋肉が少しだけ羨ましいです」

「お? お前も鍛えるか! 一緒に鶏肉を浴びるように食おう!」

「いやです」


 すげなく袖にして、サンは頬杖を突く。


「羨ましいのは脳の代わりに詰まっているものであって、体のムキムキしているやつではないです」

「オイ辛辣だなオイ」

「ジンって、いつからそんな筋肉馬鹿になったんでしたっけ?」


 あまりの言われように閉口したジンは、サンの視線に返事を促されて太い肩をすくませた。


「義母さん……シスターコロナが病床に臥せった頃だな。あの頃は俺の肉体も未熟だった」


 今を誇るように肩筋を盛り上がらせて、嘆かわしく鼻息を吹く。インナーマッスルに支えられた肺活量が暴風を作った。


「なんでそんなことになったんですか? 昔は線の細い儚げな美少年って近所で話題だった気がしますよ」

「そりゃお前」


 ジンは何を当たり前のことを、という顔でサンを見下ろす。


「筋肉は鍛えるもんだろ」


 話になんねえな、という顔でサンは前を向いた。


「……俺はそれなりに筋肉がついてきたが」


 ジンは表情を緩めてサンを見下ろす。


「お前も背が伸びたよな」

「まあそりゃ、伸び盛りですもの」

「もう成長期はだいたい終わったろ?」

「いーえ。まだまだ伸び盛りですよ。まだ伸びしろを埋めきっていません」


 ぺたしと胸を撫でる。

 ジンは優しい目でサンを見た。


「一緒に大胸筋を鍛えような」

「結構です」


 庭で遊ぶ子どもたちの声が聞こえてくる。

 聞くでもなく聞いて、サンは目を細めた。


「シスターコロナは、本当に偉大だったんですね」


 目を伏せて耳を澄ませる。


「私があのくらいのとき、自分が聖女だってことを意識したことはありませんでした。それはシスターコロナが気を使ってくれていたからですよね」

「そうなのか。俺は結構しつこく言われたな。サンは聖女だからと言ってはいけない、彼女は兄妹です、ってな」


 ジンのカミングアウトに、サンはぽかんと口を開けた。遅れてようやく声が出る。


「そうだったんですか?」

「おう。ま、俺だけだったかもしれない。他の兄弟たちが言われている様子はなかったし、大人たちはなおさらだ。俺とサンが対等に遊んでる姿が見せられればいい、って考えたのかもな」


 特別じゃないとしつこく説くほど、特異性が浮き彫りになる。物の分別がついた大人には諭しようのないことだろう。ジンしか適役はいなかった。

 サンは三角座りしている膝に腕を乗せて、顎を置く。


「……十年も未来のことまで、お見通しだったんですね」

「子だくさんだったからな。大方のことは経験済みだろう」


 うんうんとうなずくジン。お気楽な態度を、恨めし気に見上げる。


「――私も、シスターコロナみたいになれるでしょうか?」

「なれるさ。きっとな」

「だといいんですけど」


 サンは立ち上がって、お尻の土を払い落す。

 ちょうど報告会を終えた職員とサマーが戻ってくるところだった。


「査察はだいたい終わりました。運営には問題ないかと思います。加えて子どもたちの様子が見られればなおよろしいですね」


 ひと仕事終えた顔の職員が、サマーの話を聞いて手を合わせる。


「そういうことなら、サン様。お時間よろしければ、これから子どもたちと遠足なんです。ご一緒にいかがですか?」


 サンとジンは顔を見合わせた。

 断る理由はない。そもそもサンたちは視察に来たのだ。施設を見ての予想に対して子どもたちの実際の姿を確認できるのは渡りに船ですらあった。


「行きましょうシスターサン。子どもたちの様子も見られるいい機会です」


 サマーが快く同意したのもあって、サンは首を縦に振る。


「そうですね。ではご一緒させていただきます」

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