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榊、旅立つ

 雅を野太刀が刺し貫く。


「──は、──」


 血を吐くように紫の火を吐いた。


「ここまでだ。雅」


 榊は野太刀を手放し、右手を掲げる。黄金色の火が渦巻く。次なる武器を湧き起こす──前に、痛烈な蹴りをかろうじて腕で防いだ。


「ち。顎を蹴り抜いてやろうと思うたのじゃが」

「まだ動けるのか」


 榊は飛び退りながら驚く。

 雅は背中から貫通する野太刀で地面に線を引き、皮肉っぽく笑う。ぼたたっ、とバケツの水をこぼすような量の血が土に跳ねて蒸発した。

 致命傷には間違いない。

 ゴウキが吠える。


「力を戻せ!!」


 その途端に彼の内側から炎が溢れて身を包む。巨躯を紫炎の巨人に変じさせながら、走りだした。

 榊に迫る。炎に包まれた腕を振りかぶった。


「俺たちに送る力があるなら、自分に使えェ!!」


 全力の殴打。

 拳に掌底を合わせて払ってみせた榊だが、表情はかすかにこわばった。


「この力、巨人の身体能力か……!」


 ゴウキはすでに左腕を振りかぶっている。

 凄まじい連打が雨あられと打ち下ろされる。顔以外が紫炎に覆われたゴウキはまるで炎の鎧をまとうかのようだ。一打のたびに榊の足が後ろに滑る。

 だが。


「ギリギリだが──見える。見えれば余裕で体が追いつく」


 榊は拳を受け流した。

 榊の瞳が蜂蜜色に揺らめく。全身から萌え立つ黄金色の炎は、ゴウキの紫炎を押し返す。


「ぐ、ぉおおおおぉお!!」


 連打を次々と捌いていく。猛烈な拳の乱打から音が消える。そして、


「捉えた」


 ゴウキの手首を掴み、ひねった。

 そのまま肩までねじり上げて足を払う。風に飛ぶ枯れ葉のごとく、ゴウキの巨躯を軽々と投げ飛ばした。


「悪いが、雅はここで止めさせてもらう」


 榊は両手に渦巻く炎から槍と矛を生み出した。それぞれを握り、構え──

 ニ槍をまとめて打ち払う剣戟。

 ルガ将軍。砕けた鎧から血を垂らしながら、振り払った大剣を返してニの太刀を振るう。

 榊は飛び退って避けた。体勢を立て直す。ルガ将軍は忌々しげに舌打ちして、大剣を構えた。


「雅、退()け。お前が死んだら我が軍はどうなる」


 山の麓、聖都のまわりでは未だに激しい戦闘が続いている。フランの紅い炎と無数の紫炎が混じり合うように競り合っていた。

 雅の力が兵を動かしているからだ。

 まだ戦争は終わっていない。


「それでも!」雅は叫ぶ。「妾は守る側でいたい!」


 雅は逃げなかった。

 顕体が綻び、血のように炎が漏れ出している。燃え尽きようとしている。

 燃え尽きながら進む。


「妾は、誰一人として見捨てぬ! 害する敵がいるならば──敵をすべて呑み込むのみ!」


「邪神同士、エゴの比べ合いなら応じるとも」


 榊は応じて槍を振るう。

 ルガ将軍の大剣を払って彼の首を柄で打ち据える。竜巻のように回りゴウキをニ槍で絡めて投げ転がす。そして雅に突き刺した。

 だが、


「舐めるなァ!」

「なに? っ、」


 雅は己を貫く槍を、身体ごとねじった。榊の手からもぎ取る。

 驚愕する榊の、がら空きの右腕。

 雅は脚をしならせて、榊の首を刈り取る蹴り──環が守る。

 首に迫った鎌のような鋭い蹴りを、唐突に生えた環の手が受け止めた。榊を包む黄金色の炎から環が生じている。


「終わりじゃ、雅」


 榊の左手の矛が雅の背に突き立てられた。

 さらに両手に渦巻く炎から、鎌と斧を生み出す。突き立てる。雅の口から呼気の代わりに炎が漏れた。

 ようやく雅は膝を屈した。

 黄金色の炎を引き剥がすように、環が榊から脱する。普段の幼げな少女の姿だ。


「雅」


 牙を剥く雅を抑えて、環は彼女の目を見詰める。


「わらわは、おぬしが間違っているとは思わぬ」


 その放言に雅は鼻白む。環は微笑んだ。


「人を守りたい気持ちはわらわも同じじゃ。手段が違う。じゃから、お主を止めねばならんかった」


 雅は何かを言う代わりに唇を歪める。誰かを嘲るような笑み。

 炎を失ったゴウキと、膝をつくルガ将軍に榊が立ち塞がる。雅のことを環に任せている。

 環は真剣な表情で雅を覗き込んだ。


「雅よ。わらわに力を貸してくれ。──習合するのじゃ」

「……は?」


 雅は目を見開いた。

 環は雅の手を握っている。

 神の習合。互いの伝承を混ぜて同じ神とすることで、信仰をより強く大きくする。伝承が自然と混同される場合だけでなく、日本の神仏習合のように政治的意図で行われることもある。

 なればこそ雅は鼻で笑った。


「……妾が歩み、行ってきたことを……貴様に捧げろと? 妾を信じて、ついきてくれた信者たちを、貴様に任せろと?」

「傲慢なのはわかっておる。じゃが、お主の信者を救うためにはこれしかないじゃろう」


 雅は討たれ、消え果てようとしているのだから。


「……ふ。くく……」


 雅は笑った。

 含み笑いは大きくなり、弾けるように笑い声をあげる。首を反らして大いに笑った。

 突如、環の(くび)を握る。


「──死なせたら赦さぬ」

「覚悟の上じゃ」


 頸を握られたまま、環は動じずうなずいた。

 雅はフッと微笑んで環に身を寄せる。

 身体が崩れていく。ドロリと溶けて炎に変じる。

 散って消えていく火の粉もあるが、多くは環の身体へと流れ込んでいった。

 目を伏せていた環は、顔をあげる。


「──そこまでじゃ!」


 声は音ではなく、神託として。

 この地にいるすべての者に等しく言葉が与えられた。


「戦争は終わりじゃ。カラマンダの民よ。今、目の前に怒りをぶつけるよりも重要なことがある。家族を生かし自分を生かすために、命を活かすために──武器を捨てよ。膝をつき投降するのじゃ」


 争いの音が消えた。

 紫の火柱は消え果て、雅の加護は失われ、それまでの方針とは打って変わった神の声に戸惑いが広がる。


 巨人から姿が戻ったばかりで状況を把握できない者は多かった。

 声に従う者、様子をうかがう者、力が失われて二の足を踏む者。

 誰もが戦いの手を止めた。


 唐突に訪れた静寂が一帯を支配する。


「──受け入れます」


 天から燦々(さんさん)と降り注ぐような、明朗な声。


「聖都は投降を受け入れます。皆様の身柄を保証し、傷つけないと約束します。聖騎士のみなさんも武器をお下げください」


 サンの声が朗々と響く。

 聖都側のトップが終戦の意思を示したことで、大勢は決まった。

 人間のままのカラマンダ兵は武器を捨てた。巨人に変じていた兵たちは混乱しながらも膝をつく。

 無抵抗の仇を傷つけようという暴走は聖騎士からは起こらなかった。サンが視ている。



 かくして戦争は終わった。



 環は空を見上げて目をつむる。胸に手を入れた。その手には稲荷神より賜ったお守り──祈りの篤さを数値にした木札が入っている。

 取り出して見る。

 更新される焼き印の数字は実に、一七〇〇〇。

 環は困ったふうに榊を振り返った。


「榊はこの中の一〇〇ぽいんとじゃ。もう特別扱いはできんの」

「それが良いでしょう」


 榊は淡々とうなずいた。





 聖都−カラマンダの戦争は終結した。

 雅を信奉する山賊ゴウキはあのまま立ち去った。


「習合したからって、雅様への祈りをそっくり鞍替えできるわけがないだろう。俺は、雅様を慕う仲間を連れていく。真摯に信じていれば雅様が再び生まれるかもしれない」


 狐村の民が大狐へ捧げた祈りから、新たに環が誕生したように。

 彼は姿を消した。




「神のことはよくわからん」


 カラマンダ軍の総指揮官ルガ将軍はため息をつく。


「俺たちは神のために戦っていたわけじゃない。姿形は変わったかもしれないが、変わらず俺たちを守ってくれるならそれでいい。そんな些事に関わっている暇もない」


 彼は終戦処理や本国との連絡、調整に奔走していた。

 王政のカラマンダで、国王の承認を受けずに実質的に終戦を迎えたのだから当然だ。

 国益にかなう結果を出していても、二度と前線に出ることはないだろう。

 最後に、ルガはポツリと付け足す。


「なにより張本人が託すと決めたのだからな。──俺はその決断を尊重する」




 カラマンダは、カテナの主張通り、聖都から穀倉地帯を割譲されることになりそうだ。

 聖都が歴史的な大敗を喫したことになってしまうが、サンの強弁で押し通された形だった。

 カラマンダの食料事情には焼け石に水であろうとも、無いよりマシには違いない。


 カラマンダ兵たちは雅の顔も遠巻きにしか知らなかった。環に気づいてすらいない者が多い。


 力は使えなくなった。

 だがそれも戦争のために急に授かったもの。紫炎の巨人に変じたこともあって、無償の力を惜しむ者はいなかった。

 カラマンダ兵たちは、そのまま割譲された聖都周辺領に農民として入植することになる。死と不退転を覚悟した彼らにとって、喜びよりも戸惑いのほうが大きいようだ。




 聖都にとっては三万人の入植者だ。


「大変です。だって三万人といっても霞を食べるわけではありません。衣服、資材に道具に畜産も。必要なものを売り、また買い取るような取引の環境を築くことが急務でしょう」


 サンは目の下にクマを作りながら語る。


「私たちだって楽な状態じゃありません。とっさだったとはいえ、聖都だって半分消し飛ばしてしまいましたから……足りない物が多すぎます」


 戦争よりも書類仕事に慣れた聖都の首脳部は、戦争中よりも忙しそうに指示と紙が飛び交っている。

 嵐の渦中にあってサンは嬉しそうに微笑んだ。


「嬉しそう、ですか? それはそうかもしれません。たしかに忙しくて目が回りそうです。けれど、これは人を生かすための忙しさです。いっそ望むところでしょう」


 たゆまぬ訓練に支えられた筋肉の男、ジンは苦笑する。


「聞いてのとおりだ。しばらくは忙しくなる。……サンはまた少し目を離した隙に自分を犠牲にしようとしてたからな、あまり手放しにはできない」


 ジンは声を潜めて後半を言い、笑う。

 鍛えられた彼の体は平然と激務に耐えて、サンを完璧に補佐している。


「みんなには本当に世話になった。なにか困ったら知らせてくれ。必ず力になろう。なにせ太陽神殿は世界中にあるからな」


 そう言って巨大な肩筋を膨らませた。


「お前たちの前途に、太陽神の加護があらんことを!」




 カテナとフランは高台に並んで聖都を見下ろしていた。

 丸いビスケットをかじったかのように、美しかった聖都は半分が更地に消え去っている。


「恐るべき聖女の力、と讃えたいところだが……これは我らの不明だ。と今そんな話をしていたところだ」


 灰銀髪を深紅の鎧に垂らす女戦士、フランが肩をすくめた。

 その隣のカテナは、古く伝説の時代から生きる長命の傭兵であり、同時に戦と雷の神でもある。カテナは目を伏せる。


「あたしたちが雅の狙いに気づけていたら、聖女が無茶をする必要はなかった。この惨状はあたしたちの責任でもある」

「まったくだ。市民を守ると約定を交わしてこれとは、我ながら嘆かわしい。我が師が存命なら挽回を賭けた死合いを挑まれるところだ」


 フランは割り切った顔をしているが、カテナの表情は暗かった。僅かなりと自分を責めているようだ。

 フランが笑ってカテナを小突く。


「そう落ち込むな。最後に聖都に受け入れられたのはお前の腹案だっただろう。お前の目的は正しかったということだ。……敵の企みが上手(うわて)だった」


 素直に敵を称賛し、その上でフランはニヤリと笑う。


「してやられたまま済ますつもりはないだろう?」

「当然」


 カテナの怜悧な瞳に、鮮烈な戦意が燃え上がった。


「次はこうは行かない」

「そういうわけだ。我らは復興の手伝いをしていこうと思っている。……途中で放り出す形になって、すまないな」


 心底から申し訳なさそうな気配は、一瞬でしまい込まれた。フランは信頼のこめられた目でうなずく。


「復興に目処がつけば必ず追いつく。それまで野垂れ死んだりするんじゃないぞ」




「環様! よかった、お会いできました」


 呼びかけてやってきたのは、狐村の村人だ。

 気のいいおじさん、という顔をした男性のほか、無愛想な狩人も居た。

 村人はにこやかに言う。


「私どもは山の村に帰ります。子どもや老人を村に置いてますからな」


 冬の間は傭兵をやるという彼らはあっさりしたものだ。勝った負けたに感慨もなく、仕事が済んだら帰る当然さで支度している。

 村人は言葉にするかどうかためらって、付け足すように口を開いた。


「雅どのを取り込むという、環様のご決断。……私どもは支持しています。これからどうなるかはわかりませんが、どうも、かの神は嫌いになれませなんだ」


 食料の不安定な山に暮らし、武器の腕を磨く彼らにとって──山賊という選択肢は常にちらつくものだろう。

 彼は小さく笑って、励ますように大きくうなずく。


「私どもは狐塚を守る民として、これからも村に住み続けます。よろしければまた、お立ち寄りくださいませ。村の総力をあげて歓迎いたしますぞ」



 狩人が歩み寄る。


「……(なぎ)様には、結局会わなかったのか」


 彼らは、環と同じく大狐を起源とする神に再会したという。


「大狐様は狐の姿をとった山の神だ、と村で信じられているフシがある。梛様がそうだと俺は思っている。……もし梛様に会ったら、一応、気をつけておけ」


 狩人は心苦しそうに声を潜めた。


「梛様は大狐様()()()()。環様を乗っ取って俺たちの信仰を覆すこともあり得る。環様が雅様を引き受けたのと同じように。……杞憂だと、思うが」


 心配しすぎる、というよりも、間違いであると願うような口ぶりだ。

 立ち去り際に足を止めて、狩人は小さく振り返った。


「……それと」


 忘れていた、と言わんばかりに。どうでもいい話と声を小さくして。


「ともに戦えて、光栄だった」


 そう言い残して立ち去った。





「来たわね」


 セナは腰掛けていた馬車から飛び降りた。


「私は行かないわよ。もともと聖都までって約束だったし。……太陽神のしもべの端くれが、今の聖都を放っていくのもどうかと思うしね」


 ちらりと聖都の大神殿を見上げる。

 貢献を期するより、義理を果たしてさっさと離れたい、そんな感情がありありと漏れ出ていた。


「私には私で目的があるの。ある、っていうか出来た。……マリを探すわ」


 雅が何度か口にした名前。山賊団の首領。


「マリってやつが、山賊団を工作員に鍛え上げて、この戦争を引き起こして、雅の信念を利用して罠にかけたんでしょう。野放しにはできないわ」


 淡々と、しかし決然とした意志を込めた宣言だった。


「あんたたちの旅も、まあ……正直めちゃくちゃ危ないと思うけど。勝手に死んだら許さないわよ」


 セナは指を突きつけて言う。嫌味っぽく本心をこめて。


「だから、まあ、その……」


 人差し指を曲げた彼女は、視線を泳がせた。言いづらそうに絞り出す。


「また会いましょう」


 口にしたら楽になったのか、彼女は肩の力を抜いて手をおろした。

 心配と信頼を等しく混ぜた微苦笑で視線を向ける。


「行って、探してきなさい。人々を救う方法を。雅の代わりにね。──カラマンダへ」



 §



「──環様」


 榊は環を振り返った。

 環はゴツゴツした白い岩に背伸びして、山の稜線から振り返って眺めている。

 山の尾根からはどこまでも視界が広がっていた。

 聖都、向かいの山を超えた先の都市、冒険者の街……これまで歩んだ道のりが見える。


「わらわたちは、いろんな人に出会ってきたんじゃのう」

「そうですね。助けられなければ、たどり着けなかったでしょう」

「榊は幾度も死にかけては治癒の祝福を分けられてきたからの」


 環はいたずらっぽく笑う。榊はぐうの音も出ずに口を結んだ。

 実際とうに死んでいたに違いない。


「のう、榊」

「はい。なんでしょう」

「おぬしから見て、この世界はどうじゃ?」


 環は曖昧な質問をした。

 榊は、ゆっくりと背後を眺める。見える景色は環と同じ。だが違う意味を持っている。

 命を落としてなお求めてきた信仰だ。その最果てに今がある。

 榊は口を開いた。


「……楽しいですね」

「そうか」


 環は小さく微笑んだ。

 そうか、ともう一度つぶやくようにうなずいた。


 顔を上げる。尾根の向こうに広がるのは、茶色い土がどこまでも続く不毛の大地だ。

 恵まれず、救われず、それゆえに雅が救おうとした国。


「行こう、榊」

「はい、環様」


 一人と一柱は、迷いなく歩を踏み出した。

 第一部「開宗編」完結!!


 第二部もいずれ書きたいと思います。やりたい展開や試したい表現があるんだよう。

 それではまた!

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