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榊、信仰を示す

 ぞぐん! と顔面に矢が突き立った。

 矢傷から紫炎を吹き上げ、炎の巨人は歩みを緩めず追ってくる。

 二の矢を番えながら狩人は忌々しく吐き捨てた。


「もっと命を大事にしろ。命は命らしく射られたら死ね」

「言ってる場合!? ちゃんと追手を減らしなさいよ!」


 セナの放った矢は敵兵の足を地面に縫い止めた。長身が棒を倒すように激しく転倒する。受け身や庇う気配もない。

 だが一人二人減らしても、相変わらず無数の巨人がチャリオットを追っている。


「動きが鈍くなった代わりに、まるで減らせなくなったんじゃあ割に合わん! このままじゃいずれ逃げ切れなくなるぞ!」


 手綱を握る村人は不安げに馬の荒い呼吸を窺う。山の斜面を見上げた。


「雅どのに何があったんだ。環様たちはどうなったんだ?」

「信じろ」


 狩人は射る。射止められた巨人がまた一人脱落した。周りの巨人たちは仲間を気にかける様子もない。

 矢の残りが心許ないが、狩人の表情は落ち着き払っていた。


「環様ならばやり遂げる。我々はその助けをするまでだ」

「……ったく。あの子の信者って、なんでこう単細胞が多いのかしらね」


 狩人は薄く失笑する。セナも次の矢を抜いて番え、

 馬車が激しく揺れた。大きく弾み、横滑りして車軸が裂ける寸前の悲鳴をあげる。


「〜〜っ、何事よ!?」

「馬が足を滑らせた! 休みなく荷車引いて走らせすぎた……!」


 村人は御者台から馬の脚を診て、すぐ鞭を入れる。馬の姿勢を立て直す。重い装甲馬車はすぐに走り出せない。

 セナは剛弓を引き絞って凄まじい威力の矢を放つ。追いすがる巨人の胸を貫き、衝撃だけで吹き飛ばした。


「セナ、右だ!」


 横あいから敵の巨人が迫っていた。

 舌打ちするセナが電撃的に矢を引き抜く、それより早く炎の巨人は腕を振り上げて、

 突如として空高く打ち上がった。


 巨人の腹を、ひとりでに動く大きな篭手が持ち上げていた。


「──やはり環は相応しくない」


 沼底のような暗い色の炎が揺れる。

 自在に飛び回る巨大な篭手が、縦横無尽に炎の巨人を殴り飛ばす。その合間を鎧武者が悠然と歩いている。


「あなたは──(ナギ)様!」


 狩人が馬車から身を乗り出して名を叫んだ。


「お尋ねしたいことがございました! あなたは、ご自身を討たれた大狐様の憎しみだとおっしゃいました。しかし貴方は我々を傷つけはしなかった。それに、貴方は──」


 狩人を睨め上げる梛。その濡れたような髪の頭頂部に。


「貴方は狐ではない!」


 狐耳はなかった。


「貴方は、山の神なのではありませんか? 後代の民が大狐様と混同した山の神、その側面を貴方が引き受けていらっしゃるのでは!?」


 梛は昏い瞳に人を食ったような笑みをにじませて、顎で示した。


「包囲の穴が狭まるぞ。逃げんでよいのか?」


 梛が包囲に割り込むために蹴散らした炎の巨人たち。穴を埋めるようにゆらゆらと歩み寄っていた。


「梛様の言うとおりか……。ここで逃げにゃ逃げ切れん! ありがたく神の助けに従うとしよう!」

「待ってくれ、せめて答えを──」


 村人は馬の手綱を打ち、チャリオットを走らせる。梛の横をすれ違うように駆けていった。

 馬車から向けられる狩人とセナの視線を、梛は凄絶に嘲笑った。


「助けなどであるものか。某がなんの神かなど知ったことではない。某の中にあるのは、冷たい怒りと憎しみ──それのみよ」


 チャリオットは駆け去っていく。

 梛は薄笑いを収めて山の斜面に目を向けた。

 そこに環がいる……。

 恨みのこもった眼差しは、蕩けるような侮蔑に変じた。


「神性を解放したからか? なかなか悪くない欲望を感じるぞ、環。その傲慢には力を貸してやらんでもない。何より、某にも益の大きい企みだ」


 梛はそこで初めて、周りを取り囲む存在に気づいたかのように視線を戻した。

 全周にひしめく幽鬼の群れ。

 雅のおぞましい神力に覆われて、それでも梛の存在は揺るがない。山のごとき厳しさで立つ。


「なんだ。(それがし)の怨みに触れてみたいのか?」


 幽鬼たちが雪崩を打つように襲いかかる。

 梛は嗤った。

 その獰猛が牙をむく。


 §


「話が違う!」


 カテナは槍を回して紫電をほとばしらせる。刺すような視線は雅に向けられていた。


「聖都はもともと各地の神殿からの寄進で運営されてた。地元の農作物がなくなっても死にはしない。カラマンダがこの盆地を接収しても、街道さえ生きていれば存続できる」


 雅は溢れる神気のまま宙に浮き、火の粉が散るように火弾の雨を浴びせる。


「だから、カラマンダに協力した! 耕作地を奪い取るために!」


 カテナは槍を振るって火の弾を打ち払い、雷条を撃ち返す。雅は片手で払い除けた。


「でもお前の目的は違った。死の縁に立たされた人々の神頼みを掬う、そのためにわざとカラマンダを負ける戦争に誘導した!」


 雷轟が響く。その音が勇ましければこそ、カラマンダの民の祈りは強くなる──雅が失われる恐怖と、裏切ったカテナへの怒りで。

 雅がますます火勢を強める。カテナは圧を振り切るように槍を薙いで、構え直した。


「あたしは、カラマンダの民を食い物にするために協力してたわけじゃない!」

【わかっておる】


 のす、と大きな狐の脚が山の斜面を踏んだ。

 大狐がカテナを見下ろして、口の端を優しく笑ませる。


【お主が正しく戦争のために戦っていたのはわかる。雅らはその戦争それ自体を利用したのじゃ】


 大狐はちらりと背後に視線を流す。紫炎の灯火が燎原に揺れる。


【雅を止めねばならん。協力してくれぬか】

「──そのつもり」


 カテナと大狐は意気を合わせ、雅に向かう。

 雅は紫炎の火柱に包まれたまま、悠然と両手で構えを取った。



 榊は半ば立ち尽くしていた。

 大狐とカテナが二柱がかりで打ち掛かり、雅は互角に渡り合っている。

 混ざり合う炎と雷光。衝突の衝撃はサンとカテナのそれに匹敵する。

 サスマタでゴウキを抑え、また周囲の兵たちに目を光らせる──という体裁をとっているが、もはやどちらも必要はなかった。

 ゴウキは雅に注ぎ込まれる力を制御するだけで精一杯だし、周囲の兵士たちは場に気を呑まれて祈る気力すらない。

 榊はただ神々の戦いに入り込む余地がないだけだ。


 榊は右手に目を向けた。

 環が大狐に変じてから加護が弱くなっている。

 当然、榊の信仰に些かの揺るぎはない。

 神意が榊から離れたということだ。


 神性解放を行った環は大狐に変じた。

 それは姿だけのものではなく、意志もまた先祖返りしたのだろう。大狐は榊を気にかけることなく、己の牙と、そして肩を並べるに足る女神だけを頼りに戦っている。

 榊は己に問う。

 できることはないのか。

 奇跡を信じない榊が、祈りを実行するために。


「──いや。やはり、始めから順序を追うべきだな」


 榊は大狐を見上げた。


「環様、お時間いただけますか!」


 榊の呼び声に、大狐はカテナと目配せする。空を泳ぐような滑らかな方向転換で榊の隣に駆け戻った。


【どうした、榊】

「お話をしましょう」


 カテナは一人で雅に応じ、槍と雷条で紫炎を弾いている。体術も達者な雅が精確にカテナの隙を蹴り上げた。


【……榊。今、楽しくお喋りに興じるような場合ではないとわかっておるよな?】

「まったく真面目な話です、環様」


 むううと唸った大狐は、一つ大きくうなずいた。足を折り肘をついて地に伏せる。榊を見やった。


【なんの話じゃ】


 榊は感謝を示して一礼し、単刀直入に問う。


「環様。貴方は何のために雅と戦っておられますか」

【雅を止めたい。カラマンダ兵を救うためにも、の】


 歯がゆそうに口元を震わせて、しかし大狐は慎重に応じる。榊の表情は相変わらずいつも通り真剣だったからだ。

 榊が聞き出したいことにたどり着けるよう、大狐は己の裡の言葉を探す。


【人が一介の尖兵としてどことも知らぬ地で死ぬなど許せぬ】

「しかし、雅に従うのは彼らの信仰です。環様が介入することはないのでは?」

【これが戦争でなければな。彼らは軍としてこの地に来た。誰に指示されてでもない、彼ら個々が己に導かれた先で命を全うするべきじゃ。それが人間であろう】


 榊は納得したようにうなずく。

 大狐は人が信仰に殉じることを否定しない。己にのみ殉じるべきだと言っている。

 大狐は顎を引いて獣の顔をうつむける。


【何よりも──その人間の意志を以てすれば不作を覆す智慧をきっと見つけるじゃろう。だからこそ、このような地で亡くすなど見過ごせぬのじゃ】


 付け足すような独白は、だからこそ心からの本音のようで。

 榊は噛みしめるように目を伏せた。


「わかりました。あなたはそういう神なのですね──大狐様」


 大狐は驚いたように顔をあげる。

 環と呼ぶのを止めた。

 榊は大狐を見上げる。落ち着き払った態度は、環を見守る温かい眼差しとは異なる敬虔さに満たされている。


「よかった、あなたは確かに環様の起源のようだ。同時に野生の獣でもあっただけで」


 榊の四肢から、湧き出るように狐火が燃え盛る。以前と遜色ない輝きを放っている。


「私自身を貸しましょう。どうぞご存分にお使いください」


 こともなげに言い放つ。


「貴方が、そして私が神意を執行するために」




 古来より、シャーマンや巫女が特別視されてきたのは、彼らにのみ実行できた特殊な技があったからだ。

 どん、とまるで爆発するような衝撃。

 そう感じたのは雅とカテナだけだった。


【──正直、半信半疑じゃったが……これほどとは。知っておったのか?】


 黄金色の炎が高く吹き上がっている。

 大狐の姿はない。そこに立っているのは神衣に身を包んだ榊だけだ。

 だが神気は紛れもなく大狐のものが溢れている。溢れすぎている。雅の神気を押し返すほどの濃密な荘厳さ。


「いいえ。私も驚いています。しかし、ただ存在するだけで力を浪費するなら、私を弾丸に使ったほうが合理的というのは理に適っています」


 榊の身に大狐の力を憑依させる。

 神がかりとなっていた。


 カテナが呆気にとられて榊を見る。


「榊、なにを?」

「大したことはない。()()()だ」


 臆面もなく言い放つ榊。彼はカテナを振り返った。


「お前にしては珍しい顔をしているな」


 呆然としていたカテナは、ハッとして顔を引き締める。槍を鋭く雅に向けた。

 だが雅は未だに榊に目を奪われている。


「榊、おぬし……今度は何をした?」

「効率よくお前を討つ手を取っただけだ」


 ギリィ、と雅は怒りに歯ぎしりすら立てる。

 無造作に手を振り上げるや否や、膨大な炎を叩きつけた。

 紫炎の爆発が吹き荒れる中を黄金色をまとう榊がすり抜けて雅に迫る。

 拳と肘が交錯。打ち合いの衝撃が地を走る。サンとカテナを彷彿とさせる衝突が轟いた。


「神話において──」


 榊はつぶやくように言う。


「神が神を殺すことは、実は稀だ。神には力の優劣が歴然として存在し、(まさ)るほうが勝つ。殺し切ることもどうやら難しいらしい」

「じゃが人間の英雄なら神殺しができると? お主が英雄のつもりか!」

「そうだが、違う」


 雅の嘲笑と回し蹴りを、榊は腕で受ける。


「神を殺せるだけの武器や知識を、担い手に授ける。神を殺したいときはそうするんだ」


 突如として、榊の手のひらから竜巻のように黄金色の火が湧いた。握られているのは、野を刈るような長い太刀だ。

 雅の顔色が変わった。


「神殺し──いや、()()()()()()()()()じゃとッ!?」

「これは戦いじゃない。単なる神話の再演だ」


 袈裟がけに振り下ろした野太刀を、雅は力と技術で受け流す。

 雅の着物は彼女の妖気だ。刀と素手ではなく、神威と神威のぶつかり合い。太鼓を打つような音が轟く。

 雅は牙剥くように吠える。


「妾は、妾は妾の民を救う! その道の邪魔はさせぬ! 邪道と呼ばれようと……それで、救われる人が確かにいるのに!!」

「確かにお前は人を救う。お前の意志は尊いと思う。ただお前は」


 榊は刀を返し、軌道を巻き戻すように逆袈裟に斬り上げる。雅の腕を弾き上げた。勢いに負けてよろめく雅。

 その背中を。


「少し──過保護すぎるんだ」


 まるで運命のように、野太刀の切っ先が貫いた。





 好きなもの!


 憑依合体。

 やっぱりね、男の子は合体が好きなんですよ。ロボも神霊も同じこと。

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