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榊、戦場で吠える神を見る

 神の本質は越境だ。

 未知を既知に。

 此岸から彼岸に。

 不可能を可能に。

 個から全に。

 そして、過去から未来に。

 越えられないものを越える力を持つ、ゆえにこその神だ。


【──ォオオオオ──……】


 環は巨大な狐と化していた。

 大人を見下ろす体高に、人間を丸呑みできる大きな口。狐のしなやかな四肢はしっかりと大地をとらえ、豊かな尾はゆらりと立つ。

 雅は瞠目して大狐を見上げた。


「馬鹿な……神性解放じゃと? どこでそんな手品を覚えた!?」


 唸りながら雅もまた紫暗の炎を内に取り込む。神性解放に応じる。

 しかし、


「くっ。兵に力を分けすぎた──」


 解放した雅は炎の火勢が強まる程度だ。

 はっ、と顔をあげる雅を牙が襲う。かろうじて身をひねった雅の服を引っ掛けて、大狐の牙は雅を軽々と投げ飛ばした。

 雅は素早く姿勢を立て直して着地し、


「獣ふぜいが舐めおって!」


 弾むように駆け出す。

 着物の裾をはだけての鎌のような蹴撃。

 以前の環なら強かに食らった蹴りを、

 大狐は噛みついて捕まえた。


「しま──」


 雅の足を噛んで振り回し、地面に叩きつける。


「か、は……っ!」

「雅様!」


 ゴウキが駆けつけようとする、その前を榊が遮った。


「そこを退け、狂信者……!」

「行かせない」


 榊はサスマタを構え、将軍とゴウキに立ちはだかる。


 空では雷鳴と日輪の衝突に変化があった。

 落ちようとする雷を、日輪の閃きが阻んでいる。

 異変を察したカテナを、サンが食い止めていた。


 雅を守るものは誰もいない。

 地面にめり込む雅を大狐が踏み押さえる。


「……おのれ……」

【許しは請わぬ。これはわらわのワガママじゃ】


 大狐は雅の頭に牙を立て、ねじり潰す──


「環様っ!」


 榊の叱声に大狐は凍りついた。

 噛み千切る寸前まで牙が食い込んでいた。雅の頭から口を離す。


 斧を振りかざすゴウキを、榊は叩きのめす。サスマタの先端と石突で両腕を打ち据えて、金輪で首を引っ掛けて引き倒した。

 翻って将軍の腹にサスマタの突きを叩き込む。

 軽々と宙を舞った将軍は、鎧の破片を散らして陣幕に叩きつけられた。

 再びサスマタを回して持ち替えて、半円の金輪でゴウキを押さえつける。


「まだやるか? ……もう必要もないか」


 周囲を警戒する榊の目に、鋭さはない。

 包囲して機を待っていた兵士たちは力なく膝をついている。ゴウキもまた拘束を振りほどこうとして、容易に抑えられていた。


 雅はぐったりとして動かない。

 すべての兵は力を失った。

 雅の加護は失われた。


「環様……」

【下がれ!】


 振り返った榊の前に割り込んで、大狐は顔をあげる。


 落雷に噛みついた。

 と見るや落雷は牙を振り払って飛び下がる。

 青い革鎧に、光を押し固めたような金の髪。

 槍を操る雷の女神──カテナが、険しい目で大狐を見ていた。


「やってくれたな」

【……争う理由はないと見るがの】


 カテナは槍を構えたまま目を動かす。

 雅は倒れている。虫の息だが、かろうじて死んでいないようだ。

 だが雅はもう加護を保てていない。

 聖都に踏み込んだカラマンダ兵も、もはや雑兵の群れに成り下がっている。聖都の壁内に攻め入ったはずが、逃げ場を失っただけだった。


 カテナが本陣に駆けつけたため、サンを止める者もいなくなった。自由になったサンが周辺領を飛び回って瞬く間にカラマンダ軍を押し返す。

 戦線は瓦解し、逆包囲されていく。

 敗戦だ。


「……義理立てする理由はなくなったみたいね」


 カテナはため息をついて槍を引く。

 大狐は安堵に肩の力を抜いた。

 その様子を見て、榊もまた息をつく。


「終わったか」

「終わってなどいない」


 返事は、榊がサスマタで押さえつけているゴウキから。地面に頬をこすりつける姿勢のまま、揺るぎない憎悪で榊を睨みつけながら。


「カラマンダ兵たちはもう戦うしか道がない。戦って死ぬしか」


 ゴウキは笑う。

 戦いの音は続いている。

 指揮官が兵士たちを囃し立てる。命を投げ出すような徹底抗戦を続けている。

 軍には雅直属の山賊たちが紛れ込んでいる。だが、彼らだけの仕業ではない。

 兵たちの意志だ。

 美しく豊かな聖都の地を目の当たりにして、カラマンダ兵たちの怒りは頂点に達していた。

 抑圧され、困窮にあえぎ、飢えと戦ってきた。山一つ隔てた隣国では能天気な飽食が繰り広げられている。

 カラマンダの民たちは叫ぶ。手に槍を、剣を持って。食べものを得られない絶望も知らない、豪華な鎧をまとった聖都の聖騎士に打ち掛かる。

 まるで焚き火に飛び込む虫のように。

 彼らは無謀な突撃で死んでいく。


【これは……なんてことじゃ】


 狼狽える大狐の足元。


 ちりり、と焦げつく音がする。


 §


 雅は虚ろな目で空を見ていた。

 神に成る前の彼女は、迷い狐だった。

 森も野もないカラマンダに迷い込んだ愚か者。なんということもない普通の狐。

 数百年を生きた妖狐の娘であるくらいのことだ。

 何日も前に小鳥を捕まえて食べたきり。帰り道を見失い、水も食料もなく彷徨う子狐は、雨風を防げる木板の下で丸くなった。死を待つ眠りにつくためだった。


「いぬ? ……きつね? おなかがすいてるの?」


 そう声をかけたのは、子どもだった。

 肌が黄色く髪の黒い、島嶼地域の移民の子どもだ。

 肋骨や肘関節が浮かび上がるほど痩せこけていた。今にも倒れそうな風貌だった。

 それでもその子どもは、子狐に自分の食べ物と水を分け与えて、そして慈しんだ。


「いきものって、柔らかくて、温かいんだね……」


 ほかの命を救う、その行為に誰よりも子ども自身が救われていただけかもしれない。

 だが、子狐は間違いなくその子どもに命を救われた。


「毛並みがきれいだねぇ。牙もりっぱだ。ねぇ、えらくてきれいなことを"みやび"って言うんだって。おかあさんがおしえてくれたんだ……」


 子どもは島嶼地域から遭難してカラマンダに住み着いた難移民だった。

 差別と迫害の対象である彼らは、輪をかけて貧しい。

 それでも、子どもとその家族は卑屈になることなく懸命に生きてきた。


 だが。あるいは、だからこそ。

 明くる日、子狐が村を覗くと、そこにはもう子どもはいなかった。


「なんだぁ? 狐?」

「まさか、こいつが食べ物を盗んでたんじゃないか!」

「殺せ! 挽き肉にして食ってやれ!」

「逃げるなっ、待て──……」


 木の棒を振り回す村人から逃げた子狐が、子どもの死を知ったのはずいぶん後になってからだ。

 血を吐くような思いでかき集めた貴重な食料を、小汚い野良の動物に捨てた。もともと衰弱していた身体に絶食が耐えられるはずもない。子どもの母も、最後の希望を失って自らの命を絶っていた。

 死はこの地にありふれていた。


 数少ない水源と貧相な畑を持つ村から作物を盗んだ。滅んだ村の死体を食った。それほど食べるものがなかった。

 カラマンダを彷徨い歩き、死体を漁り、狐は育った。


 年を経てわかるのはカラマンダという地の貧しさだ。

 水源は季節風に乗ってもたらされる年に一度の雨季の雨だけ。痩せた大地は豪雨に耐えられず容易に洪水が起こる。ほとんどの地域で畑は乾いた泥に作るしかない。降り注ぐ日差しは強すぎて作物の葉を枯らす。


 人肉を貪った狐は、いつしか美しい女に化けて、二足で荒野を歩いていた。

 妖気は着物に変じ、食物を口にせずとも永く生きられるようになり、……それでもカラマンダから離れなかった。

 村を通りがかった妖狐の足に、子どもがすがりつく。


「……水を、わけてもらえませんか。母が死にそうなんです。どうか……」

「妾は持っておらぬ」


 子どもは力なく手を落とした。

 妖狐は膝をついて、子どもの手を優しく取って、微笑んだ。


「じゃから、取りにゆこう。水を持っておる者のところまで」


 彼女は雅。

 世界や社会など手に余るし、隣人すら争わずに済む余力があればいいほうだ。

 ただ目の前にいる者だけは、どんな手を使ってでも、救う。

 そういう神だ。


 §


 闇色の火柱が噴き上がる。

 のたくる神力は噴火のように吹き荒れて、一帯を雅の気配に染め上げていく。


【な──】


 身動きを取ろうとした大狐が蹴り飛ばされた。巨体が宙を舞い、山の斜面を転がり落ちる。


「環様!!」


 大狐に榊が駆けつけた。大狐は顎の血を振り払って身を起こす。顎を上げた。


【ぐぬ、平気じゃ。それよりこれは】


 大狐を見下す火柱のなかに、影がある。


「──聞こえる」


 四肢をだらんと垂らし、吊り下げられた糸繰り人形のように力なく。

 虚ろな目には戦場に広がる彼女の信者たちの姿だけが映っている。雅の狐耳は聞き分けていた。

 憤怒。苦痛。悲嘆。絶望。

 救いを求め、願う声。


「救わねば。妾は、救わねば」


 うわ言のように雅はつぶやく──救う、と。

 大狐を支える榊の隣に、カテナが飛び下がってきた。


「雅はカラマンダ兵の祈りを直に受け取ってる。死に瀕した人間の本気の祈り。その強さは普段の比じゃない」


 彼女の槍と険しい眼差しは雅に向けられている。

 榊は聖都を振り返った。

 戦火は未だ止まない。装備も訓練も足りないカラマンダ兵は、数を頼みにした人海戦術で戦っている。同胞を殺されながら敵を刺す。


「カラマンダ兵は熱狂し、死に直面して絶望している。命を賭して雅に祈りを捧げている」


 怒りに任せた狂奔と、熱狂が冷めた後に襲いくる苦痛。

 誇り高く戦った自分や仲間は、傷つき倒れて汚泥のような血の海で溺れている。

 心の底から彼らは祈り、一心にすがる。


 死にたくない


「妾はその願いをこそ救う──邪神よ」


 雅は嘲笑った。




 戦場の至るところで、雅と同じ炎の柱が吹き上がった。

 莫大な信仰心に生み出された膨大な神力、それを注ぎ込まれた信者からだった。


 燃え上がる火柱は形を歪め、人型になっていく。

 長い腕を垂らし、目と口にあたる場所に白い洞が空く。悠然と歩み出す姿は、さながら紫炎の巨人だ。

 巨人たちは虚ろな呻きを漏らして続々と立ち上がる。二倍ほどに背が伸びていた。

 異様な光景だ。燎原を埋め尽くす紫の火が歩みに揺れる。


 聖騎士たちの間で動揺が広がる。

 紫炎の巨人の一体が、腕を聖都の民家に叩きつけた。

 積み木でも崩すように簡単に建物が打ち砕かれていく。

 聖騎士たちは恐慌に陥った。


「いけない!」


 光線の雨が降り注ぐ。

 サンが聖都に舞い降りて、逃げ惑う聖騎士と炎の巨人の間に立った。


「逃げてください、少しでも遠くに!」


 炎の巨人の攻撃をかわしながら聖女は聖騎士を怒鳴りつける。


「私に巻き込まれないように!!」


 幸い巨人の動きは鈍い。不明瞭な呻きを漏らす彼らは理性的な連携も取らない。長い腕を振り回すだけだ。

 だが数が多い。

 これまで倒れたカラマンダ兵がみな巨人に変じているようだった。


 巨人の間に取り残された人間のカラマンダ兵が足を踏み折られた。絶叫して身を折る──直後、彼の全身が燃え上がる。炎から巨人が立ちあがる。

 時間が経つにつれて増えていく。


 サンは焦りに汗をにじませた。


「くっ……この手段は、使いたくなかったのですが……!」


 葛藤を振り切るように、サンは片手を高く掲げる。巨人の群れを見据えて叫んだ。


「人間のカラマンダ兵のみなさん! 伏せてください! 伏せないと──死にます!」


 大陸を見渡す太陽の千里眼が伏せる兵たちを見届けて、直後に。

 掲げた手から光が爆発した。

 光の塊が蛇のような弧を描くプロミネンス──瞬間的な超高熱に、空気を組成する粒子すらも弾き飛ばされる。()()()が巻き起こる。

 太陽風は建物を圧壊させ、粉砕し、瓦礫を巻き取って空へ舞い上げる。居並ぶ建物を次々と押し潰す。聖都の城壁すらクッキーを割るように崩壊させた。

 上背の高い炎の巨人も風に煽られて飛ばされる。

 聖都の半分を根こそぎ吹き飛ばして、炎の巨人を追い払った。


 巻き込まれた人間がいないことを確認して、サンは息をつく。そして振り返った。

 筋肉でできた巨漢が駆けつけている。サンの幼馴染であり、今は聖騎士たちの指揮を取っている太陽神官ジンだ。


「サン! なんて有様だ……サン、大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。これでも太陽神の聖女ですから。それより……」


 サンは表情を曇らせてまた振り返る。

 一面の更地と化した聖都の向こう。山の際まで吹き飛ばされた炎の巨人たちはしかし、ゆらりゆらりと立ち上がっている。

 地面に叩きつけられたダメージを受けた様子はない。


 炎に呑まれた幽鬼が並ぶ姿は、まるでアンデッドの軍勢だ。

 生きた亡者と化した彼らが再び聖都を目指す。


「連中はいったい……どうしたってんだ?」

「わかりません。でも、」


 サンは手を振り上げて光条を放つ。

 しかし、光線に焼かれたり吹き飛ばされたりしても幽鬼たちの歩みは変わらない。


「止められない……!」

「ならば、約定を果たすときが来たようだな」


 凛然とした声。

 赤いフルプレートメイルが二人の前に歩み出る。灰銀の髪をマントに流し、肩越しに振り返る横顔は豪放な笑みを見せていた。


「足止めは我が任されよう」

「フラン様」


 だが、とフランは不本意そうに幽鬼どもを見た。


「与えられた力を扱うことすらできない有象無象どもだ。弱い相手には名乗れん。サン、我を貸し与えることはできないようだ」

「それは、なんというか。願ってもないことです」


 サンは気弱に笑う。


「代償は私の首ですから」


 ジンはむせた。

 目を見開いてサンを見る。いつの間にそんな契約をしたのかジンには知る由もない。

 フランは涼しい顔で微笑んで、炎の巨人に向けて歩を進める。


「我はただのフランとしてお相手仕ろう──なに、灼き尽くす勝負なら、連中も伍する目があろうよ」


 両腕の篭手から鮮烈な赤い炎が湧き上がる。吹き荒れる炎の渦はまるで翼だ。

 炎の鳥が亡霊の軍勢を押し留める。


 好きなもの。


 雅。

 我ながらめちゃくちゃ好きな要素を詰め込みました……!


 最凶モードに入ってオーラがボワボワ立ってる演出も好きですし、人間から炎の巨人的なものが生まれるモチーフもめっちゃ好きです。

 おもむろに敵の過去話を始める演出、ジョジョでよく見るんですが、すごくいいですね。雅にも使ってみました!


 総じて雅が好きです!w

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